第12話 再戦

安達のやつはかなり慌てるだろうがそんなことは知ったこっちゃない。だいたい善次郎から直接指示を受けていて上手く行っていないのであれば、何で自分に相談してこないんだ。傍流企業のくせに勝手に事を進めておいて仕事を放り出しているからこういうことになる。

松尾は、かなり腹立たしく心の中で吠えながら直ぐに安達に連絡をとった。

先方でもかなり慌てているのか動揺が伝わってくる。こういう厄介な話は、本来、安達に丸投げしてしまいたいところだが、善次郎に指名を受けた以上、下位企業を押さえておく必要がでてきた。

「これからそっちに向かう。プレゼン資料のたたき台くらいは、到着までに作成しておいてくれ。到着次第すぐ検討に入るから。」

松尾は、安達に指示した。

その日の午後、安達は、善次郎から叱責を受けていた。松尾が距離を置いて遠巻きに見ている。

「つまり、それから全く研究は進展していないということなのか。」

「申し訳ありません。当局の監視があって国内での活動には限界があります。」

「ならば、海外に直ぐ研究者をあつめろ、何をしているんだ。」

「もう一つ障害があります。研究の中核部分を担当していた者が、離脱しました。

 予て御報告しておりました女性研究者です。」

「例の四葉リサーチ解散の発端となった女だな。」

「当初は、その女を排除して研究を進めようとしましたが、やはりいないと研究のスピードを維持するのは難しいと思います。」

善次郎は、沈黙した。すばやく頭脳を回転させている様子だ、そして短く

言い放った。

「わかった。その女を拉致して研究に復帰してもらう。それをやらせるものは、私で手配する。もう失敗は許されん。下がれ。」

松尾と安達は、そそくさと足早にその場を後にした。これ以上、かかずらわっていると機嫌を損ねる。逆効果だ。

二人が引き上げると善次郎は、秘書の森を呼んだ。

「しかし近ごろの経営者は、間抜けばかりだな。四葉には、あれしか人材がいないのか。」

「仰せの通りでございます。全く言葉もございません。」

森は、善次郎のお気に入りらしい。若く涼やかで端正な顔だちをしている。5月人形の親王雛のようだ。

「だからたいしたこともない外国人経営者を大金を払って経営トップに据えるバカな日本企業も多いのだ。全く情けないことだ。ささっと、昔の奴らを呼び出してあいつらの首を挿げ替えたいわ。」

「御意にございます。自分の身が大事なものばかりです。とても大将の器とは思えません。」

善次郎は、ひとしきり文句を言って怒りが収まってきたのか、静かになった。

しばらくして森に命じた。

「藤堂家に連絡をとるのだ。すぐに会いたい。」

「御意。」

平伏すると森は、すばやく出ていった。

その日の午後、藤堂家から使いのものが来た。

藤堂家と山王家の間には、山王家勃興期以来の深いつながりがあった。山王家がここまで来たのは、世間では、単に時流に乗ったと思われているが実は、藤堂家の情報網によるところが大きかった。四葉工業は、もともと町の航空機の部品メーカーに過ぎなかった。しかし山王家先代がふとした縁から藤堂家と付き合うようになり、藤堂家から軍内部の機密情報と政財からの人脈を得るに至ったのである。そしてその情報を活用して四葉発展のきっかけをつかんだのである。山王家も藤堂家に対しこうした情報から得られる見返りの資金援助を惜しまなかった。

藤堂家は、もともと津軽地方に源流をもつ古い一族だが、先祖代々その情報網は並はずれていた。政治家・軍人など政権の種々の個人情報を徹底的に把握し、スキャンダルのもみ消し工作を始め裏の仕事を一手に引き受けるなど時々の政権中枢に食い込んできた。決して表に出ることはないが、フィクサーとしてその闇の影響力は図りしれないものがある。

こうした藤堂家との付き合いが始まるようになって、軍事メーカーとしての四葉は、政権からの手厚い保護のもと機械から電気、化学、薬品と様々な分野に手を伸ばし、今日の巨大産業グループの礎を築くに至ったのである。

「実は、四葉リサーチの件で困った問題が持ち上がった。いつものように片づけて貰いたい。」

善次郎は、書斎の机に置いてある直径1メートル弱はありそうな地球儀を左手で回しながらその藤堂家からの使者に指示していた。

「山王様、四葉リサーチは、例の極秘研究が当局に認識されるところとなり、解散に至りましたが、そのきっかけとなった研究員の奪還をしろということでしょうか。」

さすがに藤堂家の者は、回転が速い。善次郎は、気持ちよさげに頷いた。

「その通りだ。必ず無傷でかつ我々が作り上げた研究者の人格に戻して連れてきてもらいたいのだ。」

「了解しました。

我々としてもあの研究には、一族の者が参画しており、その進捗状況について懸念しておりました。

ただ一つ気になることがございます。なぜ、四葉リサーチは、たかだか女一人の拉致に失敗したのでしょうか。」

「詳しくは掴んでいないが、女に複数の仲間がいたと聞いている。プロの犯罪者を使ったがことごとく失敗したのは、その仲間のせいらしい。」

「実は、その点を非常に懸念しております。何でも8人のプロを一瞬で葬り去った者が含まれているとのこと。その話が本当であれば、女の仲間に異能者が含まれている可能性が高いです。もし我々、同様の異能者がいるとすれば、そのものの正体を掴んだ上で任務を遂行する必要があります。」

「あい分かった。やり方は、そちらに任す。」

 善次郎は、藤堂家を信頼しているのであろう。余裕があるのか不気味な笑みを浮かべながら答えた。

一連の事件以来、新橋の治療院でマヤは、いつもと変わらぬ整体師としての多忙な日々を送っていた。

美咲もユウトとともに毎日多忙な研究生活を送っているらしいが、治療のためにときおり尋ねてくる。

今日は夕方から美咲の予約が入っていた。何でも最近は、ユウトの仕事が忙しくあまり美咲には、かまってくれないとのことで、代わりといっては何だが、マヤの仕事の上がりに一緒に銀座の並木通り周辺を散歩することになっている。

もうすぐ彼女の訪れる時間だ。しかし予定時間になっても彼女が現れない。こちらから携帯に連絡を入れると、すぐ近くに来ているのだが、突然貧血を起こしていて、自分の足では、こちらに来れないとのことだ。

当然このまま放っておくことはできない。マヤは、店主の堂本に了解をとるとすぐに美咲を迎えに店を出た。

店の外は、帰宅返りのサラリーマンであふれかえっていた。新橋駅周辺は、牛丼屋などのファーストフード店、ラーメン店が細い路地に乱立している。ちょうど今時分は腹をすかしたサラリーマンたちでそういった店は、殆どが満杯になっていた。街は、一日の終わりにふさわしい安堵感が漂っている。夕闇のなかでラーメン替え玉100円の光る看板や風俗マッサージ店の前で所在なげに若い男たちが呼びこみの準備を始めようとしている。その中を真剣な表情をしたマヤ一人が、美咲を思い道を駅に向かって走った。

その途中、信号の交差点を渡って雑踏の中を抜けるときにマヤは、奇妙な感覚を覚えた。誰かに見られている。それも3人以上だ。

しかもそれは、正確に言えば、唯見られているというのではなく、自分の一挙手一投足を監視しているような感じなのだ。

目の前に駅の改札が見えてきた。うつむき加減な美咲が見える。具合が悪いようだ。あと少しで彼女のところに着く。その時だった。

雑踏が一つになって、自分に向かってきた。一瞬何が起きているのかマヤにも事態が理解できなかった。ただ本能的に命の危機を察知したと言ってよい。先ほどまでその存在すら駅に漂う安堵感としか表現しきれなかった人波が突如憎悪の眼差しを向けてマヤに襲いかかってきたのだ。何と人波の中には、交通警官の姿も交じっている。

怒号が飛んでいる。

薄い髪をその額の貼り付けた見も知らず中年のサラリーマンが左からマヤにつかみ掛ってくる。マヤは、咄嗟にその手を振りほどいた。

この人数に襲われては、ひとたまりもない。マヤは、いま来た路地と反対の方向へ逃げた。

あとを追ってくる群衆は、幸いにも、間一髪でマヤの姿を見失ったようだ。

マヤは、後ろを振り返りながらしばらく走って、細い脇道をそのまま歩いた。

そして、そのまま行くと今度は、道の中央に見慣れない長身の若い男が立っていた。長い髪が後ろ手に一本に纏められ、彫の深い顔立ちをしている。スーツをしっかり着こんでいて、その顔と着こなしを見ると一見デザイナー風の人間に見えた。しかしマヤが、何気なくそのそばを通り抜けようとした瞬間、物凄い速さでマヤに掴み掛ってきた。

マヤは無意識にそのものの腕をすり抜けると受けの姿勢をとった。一体何がおきたのか。この男もさっきの群衆の一人なのか見当もつかない。男は、明らかに不意打ちをくらわそうとしていたようだ。それをマヤにかわされて逆に驚いている。

悔しそうな表情浮かべると次には、やはり猛烈なスピードで今度は、マヤの背後にたった。この速さは人間の者とは思えない。しかし、今度もマヤに攻撃を受けられ、その腕を掴まえられられていた。とうとうこの場での襲撃は、一端あきらめたのか、逃走しようとして走り出そうとした。だが、あの速さはなぜか失われている。男の顔に驚愕の表情が浮かんだ。

「おまえは、一体何者だ。私の技を全てかわし、動きを止めるとは―。

 そうか『ヒミコ』だな。こんな所にいたとは驚きだ。遂に見つけたぞ。」

男は、謎の言葉を吐くと、すばやくマヤの手を振りほどくや、空気を突き破るような速さで雑踏に消えていった。

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