第11話 四葉倶楽部

都内にもかかわらず都会の喧騒とは無縁の場所がある。周囲は、高い樹木に覆われ、石垣は、年輪を刻んでいる。まわりからは中の様子を伺い知ることなど到底できそうにもない。

時節黒塗りの乗用車が、セキュリティーゲートを通過して鉄門を抜けていく。門には、『四葉倶楽部』の表札が掛っている。ここは、表向き四葉グループの迎賓館ともいうべき賓客用接待施設であるが、四葉グループ創始者一族山王家の本宅は、その一角にある。

本日午後、四葉グループの中核企業、四葉工業会長松尾忠行は、業務多忙な中、4代目当主山王善次郎に呼ばれていた。

山王家は、今や四葉グループにとって、形の上では有力株主の一つに過ぎないがその経営には隠然たる影響力を持っている。

約束時間の10分前には、松尾忠行はエリザベス風の洋館の一階大広間で待っていた、いや正確には、待機していたと言うべきである。通常、善次郎に直接呼ばれることはなく、大抵電話での指示が多い。普段は、従業員数3万人を誇る企業のトップもこの時ばかりは、緊張して、善次郎の書斎に呼ばれるのを今か今かと内心不安に怯えながら待っていた。近年の四葉工業の業績不振の説明を求められるのではないかと松尾の頭は、予め言い訳のため用意していた資料を頭に入れながら準備に余念がない。

約束の時間だ。善次郎の秘書がやってきて目で合図した。たかが秘書風情が何だあの態度は、と反感を禁じ得なかったが、そこは表に現さずに松尾は背筋を伸ばした。

大広間からぐるりと紅色の絨毯が敷き詰められたれた大階段を上ると右手に善次郎の書斎があった。

秘書がコンコンと2度ノックして手招きする。松尾がおぞおずと中に入って行くと、普段めったに世間にも顔を見せることのない善次郎がこちらを下目使いで眺めていた。

「おひさしぶりでございます。山王様におかれては、ご機嫌もうるわしく。」

「社交辞令は、いいよ松尾君。君と会うのは、5年ぶりだったか。確か山王家当主就任の時以来だ。」

「ええそうでございます。あの時、やはりこの場所でご挨拶申し上げました。」

松尾は、平伏しながら善次郎との久しぶりの対面に臨み、これまでのことを思い返していた。

山王家の素顔は、世間にはあまり知られていない。先代の繁太郎は、町工場の工場長であり、2、3代目も跡とりとして無難に経営の舵を切ったごく普通の実直な経営者だった。しかし、4代目の善次郎に対しては、前当主たちとは、全く異なる印象を松尾は持っている。初めて松尾が善次郎に会ったのは、松尾が四葉工業の取締役になった時だった。3代目から将来の後継候補として紹介を受けた。第一印象は、どちらかと言えば、ふっくらとした青白い顔の大学の若い研究者というものだった。影の薄さ、頼りなさがある世間知らずのお坊ちゃんという感じで大企業グループの後継者にふさわしい器とはとても思えなかった。

そしてその後、虚弱な体質であったため、長期の療養生活に入ったとの噂を聞いていた。そういった過去から、5年前に突然善次郎が山王家4代目当主として、事実上の四葉グループ総帥の座に就いたと知ったときは、正直意外に思わざる得なかった。

しかし、その考えは、4代目就任披露で10数年ぶりの善次郎に会って以来全く覆された。有り体に言えば、善次郎は、全く別の人間になっていたのである。時の力と言えばそれまでかもしれないが、あの頼りない容貌は影をひそめ、身体は引き締まり、その顔にはぎらぎらとした野望に燃えるような鋭い眼差しが光っていた。

それはあたかも、どんなにはるか遠くにいてもライバルのどんな挙動も見逃さないような鷹のイメージである。

そして善次郎の経営は、3代目までの当主たちともその手法が大きく異なっていた。前当主たちは、原則グループ各社の経営に関して、その自主性を尊重し、各社個別の細かい内容については、直接タッチしなかった。見るのは、グループ企業の設立や解散など経営上の重要事項に限られていたのである。ところが、善次郎は、そうした従来のやり方を踏襲することはなかった。各社に直接の指示を出し始めたのである。そしてその指示内容は、本業の利益追求という当たり前の目的に関したものは、少なく、現業とはかなりかけ離れた革新的なプロジェクトに関するものばかりだった。

それらは、全て善次郎直接の指示のもと各社独自に極秘機密として取り組まされている。

通常のプロジェクトであれば、各社会合の場などで情報交換されるのであるが、善次郎からの指示に基づくものは、山王家プロジェクトとされグループ内でも情報統制が引かれている。

四葉工業についても、数年前からこの種のプロジェクトとして、ロボット警官、厳密に言えば武装ロボット兵士や携行レーザーガンの研究を行っている。確か四葉化学では、バイオテクノロジーを使ったキメラ生物の研究も始めたとの噂も聞く。いくら巨大企業グループと言えど一民間企業に過ぎない四葉がこんな研究に多額の投資をして成算があるのだろうか見当もつかない。

「それでね、今日来てもらった本当の用件に入るけど、エージェンシィーの方どうなってる。」

挨拶に引き続き、四葉工業の近況について松尾がひとしきり説明したあと、善次郎が突然こう切り出した。

「えっ。」

松尾は、一瞬自分の想定外の質問をされて混乱した。

(冷静にならなければ。ここで機嫌を損ねたら大変なことになるぞ。)

そう思いながら心の中を整理してフル回転で頭を回転させはじめた。松尾には、四葉エージェンシー関連で思い当たる点といえば、その子会社の四葉リサーチ解散のことしかない。おそるおそる探りを入れるように答えた。

「四葉エージェンシーと言いますとやはり四葉リサーチのことでございますか。」

「そうだ。それでその後は、問題なく進めているんだろうな。」

まずい。話の展開が遅いとかちょっとしたことでも不機嫌になるのが善次郎の性格だ。

松尾は、四葉リサーチの件について、善次郎極秘プロジェクトを四葉エージェンシーが進めていたという噂は聞いていた。しかし、松尾も小耳に挟んではいたものの他社での話でもあり本業に関係ないことから、社内調査部門からの報告をうっかり聞き流していたのだ。突然、善次郎からこの件を切り出されて、詳細を確認しておかなかったことを松尾は後悔した。しかしいくら中核企業の会長でもグループ内の全てのプロジェクトの内容を把握するのは、現実的には無理がある。この件は、善次郎が直接指示を出しているわけだから、少なくても四葉エージェンシーに彼が直接確認するべき問題なのではないかと松尾は思った。

四葉エージェンシーは、グループ内での地位は低い。そのためエージェンシーの社長に善次郎が会うことはなく、中核企業の会長である松尾を介そうとしたのだろう。ただ、四葉エージェンシーの監督までを四葉工業にやらせるのであれば、常にプロジェクトの状況を還元してもらわねばとても無理なのだ。

今まで山王家プロジェクトについて下位企業の監督を求められるという動きがなかったため、突然その回答を求められて、どう対応すべきか松尾は、苦しんだ。

善次郎は、自分の考えを語らぬ割りに、自分の考えを推し量って動くことを下に求める典型的なワンマンである。過去にも意に沿わない重役たちが情け容赦なく放擲されれてきたのを松尾は知っていた。

「今のところ、その後の活動については、特に報告を受けてはおりませんが、必要がございましたら、ただちに四葉エージェンシーに報告させます。」

取り敢えず、今の回答で松尾はその場を取り繕えたと思った。

恐る恐る善次郎の顔色を伺う。善次郎は確か60を少し超えているはずだ、自分とほぼ同世代のはずなのにこの容貌はどうだろう。年齢を全く感じさせない。前回あったときも同じ印象を持ったが40代半ばにしか見えない。よほどストレスと無縁な健康的な生活をしているらしい。

その顔色が青白くなっていくのが分かった。

「そうであるか。」

変な口調に変わった。まずい。どうやら怒り始めたらしい。時代錯誤と言ってしまえばそれまでだが、明治時代の元勲のようにピンと伸びた口髭が震えた善次郎の表情は、どこか戦国大名のような威厳がある。絶対君主が家臣の前で起こる準備をしているビリビリとした雰囲気が伝わってきた。そつなくあとを続けなければならない。

「至急、四葉エージェンシー社長の安達から状況を報告させます。」

「であるな。」

善次郎のトーンがわずかに下がったの松尾は見逃さなった。

こういう顔色を読めなければここまで出世の階段を上がってこれない。松尾は、サラリーマンとしての優れた本能を如何なく発揮した。

「計画に遅れがあれば、キャッチアッププランを策定させます。」

とすかさず答える。

「了解、それでは直ぐに対応してくれたまえ。」

面会が終わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る