第7話 事件

警察が引き続き逃走犯を追跡しているものの依然足取りはつかめない。

しかし、美咲はだんだん元気になってきた。突然の四葉リサーチ解散のニュースを聞いたからである。全ては、何事もなく元の通り過ぎていくかのように見えた。

だが、金曜の夕方、山野から掛ってきた1本の電話がその平和をあっけなく破った。

「マヤちゃん、電話だよ、警察からだってさぁー。」

堂本は、店には客が一人もいないのにもかかわらず語尾を小さくして言った。

堂本は、以前の京都の店でマヤがどのような問題を起こしたのだろうか、今回の電話ももしかしたら関係があるのではないかという気持が湧き上がるのを必死に抑えていた。

「はい。私ですが、どういった御用件でしょうか。えっ、美咲さんが自殺を図った。無事なんですか。えーえー何処に病院ですか。えーえー分かりました。すぐに伺います。」

「どうしたのマヤちゃん。誰か大変なの。」

「そうなんです。毎週来てくれる根岸の浜中さんが都内のH病院に緊急入院したそうなんです。」

「あの例の事件のときの。そりゃー大変だ。でっ無事なの。」

「睡眠薬を大量に飲んだそうです。偶然に早く見つかり何とか命は取り留めたそうなんです。それで今、刑事の方が出来れば至急病院に来てほしいと言ってきているんです。今日は客も少ないから、早目に上がってもよろしいでしょうか。」

マヤは取り乱しながらも努めて冷静を装いながら少し申し訳なさそうに言った。

堂本が問題ないと即答すると、マヤは急いで病院に向かった。

(それにしても命に別状がなくてよかった。でも2日前にあったときも美咲からそういう兆候は全く感じられなかったし、非常に唐突な感じがするな。本当に自殺未遂だろうか。。でも、もしかすると美咲はいつ襲われるとも知れないストレスから神経が相当に参ってしまっていたのかもしれない。)

マヤは、心の中でつぶやきながらタクシ-から流れる車窓を眺めた。

夕方の雑踏には、金曜の夜の解放感が漂っている。

肩を組んで歩くもの、しゃがんで輪をつくるもの、街路樹の並ぶ歩道は、さながら祭りの露店といった華やいだ雰囲気にあふれかえっている。

こんな平和のなかどうして自分と美咲は、24時間いつ襲撃を受けるか分からない状況に置かれているのだろう。

まるでジャングルでゲリラ戦を展開しているのと変わらない。いや、違う。この平和な雑踏は表面的なムードでしかない。

裏側では、こうした幸福感に浸る無辜の人々を獲物として狙う狼のような凶悪な集団が虎視眈々と狙っているのだ。

自分たちは、たまたまその存在にいち早く気がついたに過ぎない。

今、その野望を打ち砕かなければ、ますます事態は悪化するだろう。

たとえ、今は二人だけの孤独な戦いかもしれないが、みんなのために逃げることはできない。

そんなことを考えているうちにマヤは、美咲の入院する病院についた。待合室では、山野と美咲の婚約者で大学研究者の柳沢ユウトという若者がマヤを待っていた。

「はじめまして柳沢ユウトです。今週、アメリカから2年の研究を終えて帰国したばかりです。噂は、美咲から聞いてます。

昨夜は直前まで美咲の研究室で彼女と会っていたんですが、別れた後に彼女の研究室に忘れものがあったのですぐに戻ったんです。

ブザーを鳴らしても反応がなかったので不審に思って合鍵を使って中に入ると睡眠薬を飲んで倒れているのを見つけすぐに救急車を呼びました。ショックです。」

「直前まで何も兆候はなかったんですか。あまりに突然ですね。」

そう言うとマヤも驚きを隠しきれない表情でユウトをみつめた。

「僕もよくわかりません。本当に頭が混乱してしまって。。。ただ彼女は、医師から睡眠薬を処方されていたようです。」

「襲撃される可能性はあった。そう考えれば、単なる自殺未遂ではなく睡眠薬を強要されたとか、飲み物に入れられたとかの見方も検討する必要がある。しかし現場を見る限り、完全な密室で他者の出入はないし、その形跡も残っていない。彼女は自分でコップの水で睡眠薬を飲みほしたようにしか見えない。」

山崎は、偽装自殺の点については、調査済だった。自分なりに現場を調査しての所見を淡々と述べた。

(確かに、やはり美咲の自殺かも知れない。)

そういう思いが3人の胸の中で膨らんだ。

しかし、次の瞬間マヤの頭の中で一つの言葉だけが大きく響いた。

(強要―。)

山崎のこの言葉に引っかかった。もし四葉リサーチが美咲に対して例の研究成果を使ったら自殺衝動を起こさせることは可能だろうか。

もしそうだとしたら、きっと本人に気がつかれない形で何らかの映像や音を使っているはずだ。

マヤは、ユウトに尋ねた。

「直前まで二人で見ていたものや聞いていたものってありますか。」

「いや特にないですよ。それと今回の事件とどういう関係があるんですか。」

ユウトは、美咲にまだ事件の発端となる例の研究の詳細までは聞いていないのか怪訝な顔をした。

山野は、職業柄二人の会話を聞いていてがマヤの意図するところを即座に理解した。

「マヤさんあなたのおっしゃっている点は、よくわかります。でも研究室にはオーディオ系のものは、ありませんでした。だから、何かを使うというのは出来なかったと思いますよ。」

「いや、もしかすると、携帯電話だったら可能かもしれないです。着信を見てみればわかります。」

山野は、美咲の携帯を開けると事件の10分前に非通知の電話がかかって来ているのを発見した。

「もしかするとこれかな。この電話があやしい。

 電話で遠隔操作したって言うことか。どこからかけているか電話会社に確認してみよう。」

山野が飛び出していった。

調査の結果、電話番号は、わかったが盗難電話であることが判明した。そして美咲も意識を回復すると、電話に出た瞬間に意識を失っていたことさらに美咲自身全く自殺する気持ちもなかったことを証言したのである。

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