第4話 戦慄
マヤは、こうした予感にまつわる経験からどうでもいいことであれば、なるべく未来に干渉せず、沈黙を守ってきた。そして時には、自ら余計な未来を極力感じないようにさえしてきた。
しかし、身近な人間の決定的な不幸だけは、黙って見ておけなかったのである。
ただそれが結果として東京で働くことになるという自分の運命すら変えることにも
なった。今また同じようなことが起きようとしている。
何者かが明確な意思を持って美咲を拉致しようとしている。どうしてなのか。
あの犯人達は、一体誰なのか。彼女の交友関係が原因なのか。いくつもの疑問が恐怖と交じって湧きがってきた。
(たとえどんな未来が待っているにせよ美咲を守るよ。絶対に。)
しかしマヤの心の中で、恐怖を打ち消すように熱いことばが響いた。
そうだ。私の出来ることを全力でやる。
ただし興奮は禁物だ。冷静にならなければならない。
これから美咲を救えるのは自分しかいないのだ。
今みた映像を頭の中でもう一度細部まで反芻する。
おそらく事件がおきるのは数時間後のことだろう。
あの色は、京浜東北線だ。場所は新橋駅ホームと思われる。
確か美咲は、根岸まで京浜東北線で通っていると言っていた。
あの男達は、階段の影のあたりから現れたのだからもしかすると待ち伏せしていたのかも知れない。通勤ルートを変えれば難を逃れるはずだ。
「ごめんね、美咲起きてる。」
「ん~。なあに。」
マヤは、けだるそうに薄め目を開けている美咲に声をかけた。
「あのさぁ。変なことを言ってごめんね。でもね。深いわけは、ないんだけどさぁ。今日帰るときねいつもと違う電車で帰った方がいい気がするんだよ。」
説明のしようがないからもどかしい。
「何、それって予感なの。大丈夫だよ。駅は、人が一杯いるんだから私を見つけるなんて出来ないよ。」
美咲は、何を言っているのだろうという怪訝な表情だ。理由がわからないから無理もない。マヤにとっては、いつものことだ。
「でも用心にこしたことないからさぁー。絶対お願い。」
「やめて、さっきの私の話を聞いたからでしょ。もうマヤ気にしすぎだよ。勘弁してよ。」美咲は、冗談で受け流そうとしていた。
「本当にお願いなの、今日だけでいいんだよ。」マヤが食い下がった。
「じゃー、わかった。そうするよ。もうめんどくさいなぁー。それじゃー京浜東北じゃなくて横須賀線だったらいいの。」根負けして美咲が答えた。
「そうだね、それだったらOK。」
もう一度美咲にそっと触れてみるとマヤは、先ほどのイメージを感じなくなっていた。マヤは、一人安堵した。
それから1週間たった頃だった。治療院に一人の一見客がきたのである。
大柄で痩せた感じの40代に見えるその男は、細い目で顔に表情がなく薄い唇をしていた。髪は刈上げでカーキ色のジャンパーをきている。
「指圧お願い。あの今治療している若い子ね。」
「お客さんのような大きな体格の方は、男の私の力でぐいぐいやった方が気分がいいですよ。あの子も今かかりはじめたばかりですので、1時間近く待ちますよ。」
一見客なのにもかかわらずマヤを指名された堂本は、やや不機嫌な感じで答えた。
「いやぁーあの子でないとだめ。時間はOKね。」
男は細い目をさらに細めて不気味な表情をしながら答えた。
「わかりました。それではお待ちください。」
また治療目的でなくマヤ目当ての客が来たのかという困ったもんだといううんざりとした顔をして堂本は、あっさり引き下がった。
この男、話し方からすると中国系のようである。下手に刺激してトラブルを起こされてはたまらないという不安の念が頭をよぎった。
「特に痛いというところない。身体全体が疲れたね。お願い。」
前の客の順番が終わるととうとうその男の番になった。
「それでは、その椅子に身体の力を抜いてお座りください。」
とマヤは何の気なしにその座っている男のそばに立った。
しかし、どうも変な感じというのか、とにかくものすごい違和感を感じた。
良く見ると腕が妙に長い。ところどころに傷跡や火傷をしたようなケロイドの跡がある。一体何の仕事をしている人だろうと思って何気なく、その男の肩に触れた瞬間、マヤに戦慄が走った。
一般人ではない。元軍人だが、犯罪者なのは間違いない。それもおそらく、機械のように金目当てで何人も殺している。この男のさまざまな過去の異常な経験が一瞬にして身体を通じてマヤになだれ込んできた。そしてなだれ込んでくると同時に悪寒が体中に走った。
指圧をしていて客の身体に触れるとき、マヤには時々こういうことがある。とくに残虐な人間が持っている異臭ともいうべきオーラを感じるとマヤは、インフルエンザにかかり始めのときのような悪寒を体中に感じるのだ。
しかも、この男の残酷さは、とても言葉で表せるようなレベルではない。ある程度経験があるマヤもここまで酷いのには一度も会ったことがなかった。
まるでスプラッター映画をみるような血なまぐさい殺戮イメージが全身を駆けめぐってきた。そしてあの美咲を待ち伏せしていた男に間違いないと直感した。
さすがのマヤも身体を硬直させた。こちらが、感ずいたと知れば命はない。恐怖感で指先の感覚が麻痺しそうにさえなってくる。しかしマヤは、暫く頑張って無言での治療を続けた。ときおり肩甲骨のあたりをさすると
「うーん」と気持ちよさそうな声をあげる。
治療時間が長く長く感じられる。ただただ冷や汗が流れる。
マヤはいつも流れているBGMのモーツアルトに集中して雑念を振り払おうとした。
CDはちょうどピアノ協奏曲 第23番イ長調 K.488 のアレグロからアダージョに変わったところだ。この楽章の再生時間は約7分だからこれが終わるところで終了だ。早く出っていって欲しい。
祈るような気持ちで治療を続けた。
「あなたのお客さんで同じくらい年の女の子覚えてる。いつも来るの。」
突然、唐突に男が話し掛けてきた。
ぎょっとして、驚きを隠しながら、恐怖を悟られないようにわざと軽い口調で答える。「そうですね。女のお客様は、結構多いのであまり覚えていないですが。どんな感じの人でしょうか。」
「だからあなたと同じくらいの子、わかる。」
「すいません。それだけだとよくわからないんですが。もう少し具体的に説明して欲しいんですが。」
日本語がそれほどうまくないのか何とかごまかせそうだ。
「そう。じゃーこの写真見て。来るの。」
急に写真を取り出すと目の前に突き出した。美咲の写真だ。
シラを切っていたが写真を見せられれば、答えないとかえって怪しまれる。
マヤは即座に答えた。
「あーこの人ですね。知ってます。知ってます。時々きますよ。でも、予約とかなく突然に来ることが多いですね。」待ち伏せする気のようだ。
「そうなの。わかった。あなたマッサージうまいね。またくるよ。」
そう言うと、男は意外に素直に引き下がった。
こんなに治療で疲労したのは、初めてだ。
「変な客を入れちゃってごめんね。怖かったでしょう。これから何度もくるようだったら、用事があるとか言って暫く外に行って、パスしちゃっていいからね。」
ぐったりとしているマヤを見て、先ほどからの雰囲気を感じ取ったのだろうか堂本がすまさなそうに声をかけて来た。
「ありがとうございます。なんか変な人で緊張しました。」
その日の仕事帰りマヤは今晩にでも美咲に連絡をとらなければならないと感じていた。どうしてこういうことに美咲が巻き込まれているのか依然全くわからない。
しかし命が危ないのだけは明らかだ。翌日、早速、美咲と落ち合った。
「ごめんなさい。こんなに心配してもらって。」
「私こそ、突然こんなことで連絡してごめんね。でもちょっと普通ではないやつが美咲のことを聞いてきたんだよ。美咲を治療院からつけようとしているんじゃないか思う。美咲なんか心あたりないの。」
「うん、実はね、最近変なことに巻き込まれているんだ。」
美咲も初めは、黙っているつもりだったのだが、ここまで気味の悪い話を聞くともう誰かに相談しなくていられない気持ちだった。ついに四葉リサーチのことを含め感じていることをマヤに全て打ち明けた。
「どうしよう。でも今って何にも証拠がないし。不安だっていう私の気持ちがすべてだもんね。警察にいっても信じてくれないよね。」
「そうだよね。でもどうしたらいいんだろうね。」
そう言いながらマヤの右手が無意識に美咲の肩にかるく触れた瞬間強力な
バイブレーションが自分の中を突き抜けた。
もはや時間が残されていない。マヤの心は決まった。
「美咲、今日さぁ治療に来てくれる。」
「いいけど、どうして。」
美咲がちょっと当惑した感じだったが、マヤは構わず続けた。
「ごめんわけは後ではなすよ。」
美咲は、目を丸くしながら、マヤの勢いに驚いたようすでうなずいた。
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