第2話 秘密

マヤの向かう西新橋の治療院は、駅からほど近い雑居ビルの3Fにあった。

店内はこじんまりとしているが清潔な感じでアロマな香りとモーツアルトのBGMがかかっている。

マヤは、オヤジ趣味ではない店内を見てほっとした。

ここは、サラリーマンの多いエリアのようで、昼ともなく夜ともなく営業マンといったかんじの客でいつも店はそれなりに繁盛しているらしい。

治療院の経営者が出て来た、堂本という50代後半のごま塩頭の男だ。

話し好きな男で自分のことばかり一方的に話している。マヤは、内心そのおしゃべりに辟易しながらもあいづちを打って話しを聞いた。

何でも昔競輪選手を目指していたそうだが練習中の事故が原因で鞭打ち症になり、最初は患者としてマヤが以前勤めていた治療院で整体治療を受けていたそうだ。

その後、競輪をあきらめた堂本は、治療する立場の整体師に興味をもって生業とすることに決めたらしい。

要するにマヤが勤めていた京都の治療院の主人に堂本は、患者の立場で出会いその後、弟子になって東京で開業したとのことだ。

現在、常勤の整体師は、堂本以外はおらず、何とか非常勤のアルバイトに来てもらってしのいでいる状況のようだ。

「マヤさんですね、京都では大変だったと聞きました。でもここから心機一転、頑張っていきましょうね。」

「すいません。お世話になります。

 少しでも早くお役にたてるよう一生懸命頑張ります。」

「まあ私も今まで挫折した人生だったけど、お陰で自分の治療院ももってライフワークを見つけられたんですよ。人生何が幸いするかわからないと思ってますよ。競輪選手になっていれば、現役で活躍しているときは、金も入ってよかったかもしれないが、この年になれば元競輪選手ってだけで、何もできない人間になっていた可能性があったからね。」

堂本は、いかにも人生の先輩といった感じの笑顔を見せた。

堂本からすれば、自分の師匠にあたる筋からの紹介でありこの忙しいときに来てくれる助っ人はありがたかった。

この世界、人当たりのよさや営業センスも重要だが、何と言っても裏付けする整体師の実力はかかせない。

整体は、基本技術・知識が要求されるのは言うまでもない。ただそれだけでは当然不十分で経験と施術にあたっての確かな経験とカンが重要な要素を占める。

無資格者はもとより、技術のないもの、力不足のものを雇うことは、危険であるばかりでなく客離れに直結する。

固定客をこつこつと長年蓄積してきた堂本にとっては、このようなことは、痛いほどわかっていた。治療院の人材獲得は、困難であり慎重を期す必要があるのだ。

その点マヤは、うってつけだった。

指圧の有資格者であることは、もちろん、整体の実力も師匠が折り紙つきだ

と言っていた

さらに会って見て分ったが、若いし明るい雰囲気がある。

売上に貢献するのは間違いない。さらに言うと堂本は、最初マヤを見たとき驚いたのである。まさかこんな美人が来てくれるとはと思った。

そして単なる美人にありがちな冷たい感じはまるでなく暖かく人を包み込むような感じのオーラが彼女の人懐こっそうな大きな瞳から漂っている。

自分の治療院の看板になりそうなスタッフだと堂本は心の中でほくそ笑んだ。

ただ一方で、どうしてこんな売れっ子になりそうな整体師が京都の治療院を辞めることになったのか腑に落ちなかった。

本人に詳しく聞いてみたいという気持ちはあったが、プライバシーに踏み込むようなまねをして折角来てくれた有望な新人に辞められては元も子もないと思い今は敢えて触れぬことにした。

それから一ケ月もすると、堂本の思ったとおり、マヤが来てから治療院の客は一挙に増えた。

もともと人手不足気味なのと自分の片腕となる人材が欲しくてマヤを雇ったのだが、これではさらにもう一人常勤の整体師が必要なほどだ。

彼女の技量は、堂本の予想を超えていた。先日も腰痛がひどいという自分が以前から診ていた客がたまたま不在のときにふらっとやってきて、マヤの治療を受けた。

その後よほど調子がよくなったのかものすごい気に入りようで、次からは、マヤを指名してきた。

マヤの美しさ目当てでくる不審な輩も相当いることは、事実だが、女性客から人気も高くマヤの技術には、確かなものが感じられた。

堂本は、これまでになく、自分の客が取られるというプロとしての屈辱感を味わう場面も出てきたが、経営者としてはこの状況に満足した。

こうして、マヤの東京での生活は順調な滑り出しをみせた。固定客もついてきた。

浜中美咲、都内の大学で統計科学と心理学を専攻する大学院生である。

彼女は、もともと頑固な肩コリに悩まされていたが、研究でコンピュータに向かう時間が増えたせいか、大学院に進学してから状況はさらにひどくなっていた。

西新橋の治療院を訪れたのは、まったくの偶然だった。

客が多くて活気のありそうな雰囲気を感じて通りがかりで入ったのである。

「首から肩にかけていつもコリがひどいんです。いろんなところで診てもらっても、ちっとも治らず困ってます。体質なんでしょうか。」

「ちょっと待ってください。そうですね、両方の肩がかなりうっ血しているみたいですね。」 そう言うとマヤは、美咲の肩を調べるように、手のひら全体で大きく触れた。ちょっと考えた顔をした後、頭の方を両手の人指し指と中指、薬指、親指の8本で挟み込み、ゆっくりとマッサージを始めた。

その後、首筋から肩の方へゆっくり指の腹を押しつけるようにぐいぐいと指圧してゆく。美咲は、指圧を受けるうちビリビリとした電気のような感覚が頭全体から首、肩へ得も言われぬ快感となって流れていくのを感じた。

まるで体の痒い部分を筋肉の内側から皮膚に向かって逆に突き上げていくような感じである。じんじん来る気持ちよさに鳥肌がたってくる。

快感とともに体中の血流が一気に流れ出すような感じがすると体全体がかぁーっと燃えるように熱くなるのである。まったく、不思議としかいいようがない。

コリが溶けると同時に筋肉のこわばりもなくなり、全身の力が抜けていく。

こんな気持ちのよさは味わったことがない。

そうして、美咲の1時間の治療はあっという間に終わった。

治療の後あれほど石のように硬かった肩が柔らかくなり、全身に心地よい汗をかいている。頭の筋がほぐれ目の疲れも取れたようだ。

周りのものも明るく鮮やかに見える気がする。

「結構よくなったんじゃないですか。もともとコリ症なのかもしれませんよ。首の筋もだいぶお疲れになっていたみたいで硬くなっていましたよ。今日は、頭、首筋、肩と血の流れを良くしておきました。」

ローズオイルを浸みこませた手ぬぐいで首や肩を拭きながら説明するマヤは、笑顔をみせた。美咲は、すっかり満足して治療院を出ていた。

マヤからすれば、美咲の肩を触った瞬間、石のような硬さがあった。

これは、普通に治療したのでは、時間がかかるし、簡単には治らないと直感した。

そこで、出来る限り普段は、使わないようにはしているのだが、こうした難しい場合に限って用いる彼女なりのやり方で治療した。

それは、敢えて世に知られた言い方で表現できるとしたら、マヤだけが出来るある種の秘密の気功治療とでもいうべきものかもしれない。

マヤは、子供のころから、不思議な力があった。小学生低学年のときだった。

近所に材木屋があってこどもたちは、その置いてある木の隙間に出来た空間を見つけて親に知られない秘密基地にしていた。

学校が終わると3、4人の子供が集まって基地で遊ぶのが日課だった。

しかし、ある日組まれていた木材が一斉に崩れて、基地を押しつぶしたのである。

もうもうとした土煙がたつ中で、材木が近所の一人の男の子の脚を挟んでいた。

他の仲間が親に助けを呼びに言っている間、痛い、痛いと叫ぶその子をマヤは、

必死になって助けようとした。

やっとの思いで脚を材木から引き抜くと、左すねに既にかなりの内出血を起こしており、青くひどい腫れがあった。

骨折しているかも知れない状況である。

「何とかしなければ、ひとし君が死んじゃう。」

とマヤは、必死の思いで子どもの脚を懸命にさすった。とっその時である。

なにか手元が脚に吸いつくような感じがして、自分の手がその子の脚の中に一瞬吸い込まれてしまい同化したような気がしたのだ。

気がつくとあれほど緑色に変色していたすねは、内出血も腫れなくなっていた。

その子は、先ほどのまでの痛みからも解放されたようになって泣きやんでいた。

「ひとし君、大丈夫。」

「うんもう大丈夫。マヤちゃんありがとう。」

大人が駆けつけたときには、その子は、すっかり元気になっていた。

マヤのこうした特異な能力は、度々発揮され時として、まわりから奇異な目で見られる面もあったが、それ以上に感謝されることが多かった。

成長するにつれ、到底西洋医学では説明できないであろうこの自分の能力を東洋医学を通じて人を癒やすために活かしていきたいと強く思うようになった。

高校卒業後、整体師になろうと決めたのは、こうした経験を通して形づくられてきたものだった。

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