ストラップ
その宇宙ステーションは「跳ね馬」と呼ばれていました。
誰がそう決めたわけでもありません。
ただ、その全体の形状が後足を跳ねた馬に似ているということで、自然発生的にそう呼ぶようになったのです。
かつて、古代の人々が星の並びに神話を見たように。
人間は、目に映るものに幻想を抱かずにはいられない生き物のようです。
さて。
その「跳ね馬」は、計画的につくられた形ではありませんでした。
はじめは小さな施設だったものが、必要に応じてだんだんと継ぎ足され、少しずついろいろな方向に広がって、出来上がったものです。
ですから、生活環境を維持するための施設があちこちに散らばっているのです。
14の空気循環システム。
19の水循環システム。
23の食料プラント。
41の発電所。
これらが、現代日本でいう北海道ほどの大きさの宇宙ステーションの各所に散らばっています。これは、事故を防ぐという面では有益でした。もし空気を送り出す施設が1カ所しかなければ、そこに隕石でも当たれば人類が絶滅してしまいます。
ですが、だからこそ、人々はその施設の奪い合いをはじめました。
明日、明後日までの空気を。
一週間後までの水を。
そのために、思想や住む場所、立場の違いなどで「ジャンル」に別れ、ジャンル同士で争い合っていたのです。
けれども、いつもいつも争ってはいられません。
戦争が行われない場所もあるのです。
※ ※
僕らは、「心臓」へ向かっていた。
ノーマライズの本拠地があるのは「跳ね馬」の「左前足」。普段は僕たちもそこに住んでいるのだが、今日は久しぶりの休日、久しぶりのデートだ。
不戦協定が結んである中立地帯へ、買い物に出かけるのだ。
「もう少しだな」
僕は言った。
そこは床面積4.28平方メートルの、小さな箱形エレベーター。
空気圧方式で斜め上に進みながら、「心臓」を目指して7分11秒。右脳に直結したAIによる予測では、あと1分20秒で到着するはずだった。
「そうね」
答えたのは、この箱の中にいるもう1人。
僕の上司で恋人、ラナラだ。
ばっさりと切った髪に、ほっそりとしたラインのあご。つり上がった目から受ける印象どおりの、クールで端的な女性だった。
だけど今日は、少し様子が違っている。
「あのね、DXC5592にある『ストラップ』屋さんに、シラビーナとパチュゥが行ったんだって。すっごく可愛いのがいっぱいあったって……」
早口で、普段よりも高い声。
よくしゃべるのは、僕が事前に「話を聞く」という『人格』を自分のAIにインストールしておいたから、だけではないだろう。
彼女も、僕とのデートが楽しみだったのだ。
その証拠に、着ている支給服。
下はいつもの白だが上着は赤!
支給服は、余程のことがないと新しいものは手に入らないので、おそらく誰かから借りてきたのだろう。限られた物資しか無い中で、せいいっぱいのオシャレをしてくる可愛さよ!
「じゃ、そこに行こう。あと、いつものガム・ショップと、窓カフェと、チェッロに頼まれた部品があるからジャンク屋に行って……最後は無重力クラブ!」
「またぁ? 好きだよね」
「なんで、おもしろいじゃん」
「私、無重力酔いしちゃうから……」
と、そこで。
エレベーターが止まった。
※ ※
「心臓」と呼ばれる区域は、この宇宙ステーションのほぼ中央にあります。
宇宙ステーションの各所に繋がっている位置にあるので、多くの「ジャンル」の間で不戦協定が結ばれていました。
そのおかげで、ここでは「店」が発達しました。
古来より、道のあるところには店が出来るもの。宇宙も例外ではありません。
ただし。
ここは宇宙ステーションの中です。
きらびやかなネオンや目を見張るアーケードはありません。ガラスのウインドウもありません。目に映る光景は、他と同じ。壁と通路、扉に部屋。あるのはせいぜいポスターくらいでしょうか。
学校の文化祭で、生徒たちが催している模擬店。
強いて言うなら、あれに近いでしょう。
売っているものも、個人が製作したアクセサリーや食品、嗜好品などで、商店というよりはフリーマーケット。それでも、この限られた世界に暮らす人々にとっては大変な娯楽でした。
※ ※
「ねえ、これとこれ、どっちがいいと思う?」
ラナラは右手と左手に、それぞれ『ストラップ』を持って聞いてきた。
「うん?」
僕はちょっと悩んで、
「左、かな。ラナラの赤い髪には白が映えると……」
「ふーん……」
「! と、と、いう人もいるだろうけど! 僕は右だな! ぜったい右!」
「やっぱり? でも、あっちもいいのよね」
「……けっきょく買わないの?」
そんなこんなで1時間。
もう62分13秒も、この店にいる。
店といっても個人の居住スペースを改装したものだから、すごく狭い。立体映像をカーテンがわりに使って、16平方メートルくらいの(奥の方は見えないので、正確な数値はAIでも計算できない)を2つに区切り、入り口側を店にしている。奥は店主の生活空間だ。
そんな「個人部屋商店」が立ち並んでいるのが、この商店街の特徴である。
無骨なコンテナの中に、入れられたアクセサリーの数は、多く見積もっても30から40個といったところ。
ラナラはそれらを1個ずつ吟味しながら、店主と会話している。
店主は朗らかな感じの女性で、かなりの話し好きらしく、1時間ずっとしゃべり通しだった。
(ほっといたら、宇宙が消滅するまでしゃべりつづけるな)
さすがにうんざりしていると、
「彼氏さん、彼氏さん」
「はい?」
彼氏、と呼ばれてにやけてしまったのは内緒だ。
「彼氏さんも1つどう? 今の赤い『ストラップ』、あんたの黒い髪には似合っちゃいるけど、こっちもいいよ」
「いや僕は……」
ストラップ。
頭につける飾りのことだ。
この宇宙ステーションの人間は、15歳の成人時に頭に穴を開け、脳にAIを埋め込まれる。当然その穴には蓋をしなければ行けないわけで、蓋に付ける飾りを『ストラップ』と呼ぶのだ。
僕のストラップは赤い髪。
黒い髪の中に、一筋だけ赤い髪が混ざっているのだ。ふふ、カッコイイだろう。
「これ、気に入ってるんで」
「そう。じゃ、またこんどね」
店主も無理に勧めてはこない。
資源の少ないこの宇宙ステーションで、例外的に認められている装飾品であるストラップには、本人のこだわりや趣向が色濃く反映されている。だから、あまり他人のストラップにとやかく言うのはマナー違反なのだ。
「っていうかさ、ラナラ。そろそろ……」
「あ、もうこんな時間か。ちょっと待ってね」
それから20分。
(ちょっと……?)
彼女は、ようやく1つのストラップを手にした。
「これにするわ」
それは、地味で素朴で面白味に欠ける、真っ黒なリボンだった。
「それでいいの?」
前の茶色いピンと、そんなに変わらないじゃないか。
口から出かけた言葉を飲み込んで、僕は視線で問いかける。
「うん」
彼女は言った。
「だって、アズルとお揃いになるじゃない」
彼女は、赤い髪に黒いストラップ。
僕は、黒い髪に赤いストラップ。
頬を染めてはにかむラナラを、僕のAIは超鮮明な高画質で脳内ディスクに保存した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます