ショート々

大木佳章

完璧な彼女

   完璧な彼女


 職員会議が終わり、恵先生が帰る支度をしている時に声をかけ、他の先生たちに聞こえないように食事に誘った。恵先生の性格から無下に断りはしないだろうという打算はあったが、笑顔で頷いてくれた。引っ込み思案の僕にしては良くやったと思う。

 恵先生は職員室で僕の斜め前に座る四組の担任。担当教科は僕と同じ数学。僕よりも三つ年上で大人の落ち着きを持ったとても綺麗な人だ。それに恵先生は容姿だけではなく、それ以外の面を見ても完璧な女性だと言える。任されたことを効率よくこなすだけではなく、周りに指示を出すことも出来るし、それでいてお茶目なところがあり、雰囲気作りも上手い。生徒や教師だけではなく、保護者からも信頼されているようで、非常に心強い存在だ。今年は問題児が多いと言われている一年部が大きなトラブルもなくまわっているのは、恵先生のおかげと言っても誰も文句は言わないだろう。むしろ口には出さないがどの先生も認めているはずだ。

 二人で校舎を出ると、グラウンドで野球部が顧問に頭を下げ、部室に向かっているところだった。それを尻目に、行き先をどうしましょうか、などと話しながら駅に向かう。

電車に乗り、恵先生の家の最寄り駅で降り、居酒屋へと入った。僕は事前に調べておいた店に行こうと思っていたが、恵先生が家の近くの居酒屋に行きたいと言ったのでそれに従った。初めての二人きりの食事で高級そうなところに入るのでは、こちらの下心を見透かされるのではないかと思った。それに、もう九時をまわっているので、この後、恵先生が一人で帰ることを考えたらこちらの方がいいと考えた。

 居酒屋に着いたのは十時。取りあえずビールを二つ頼んで飲み始めた。始めは数学の授業や定期テストの問題の話から始まり、次に顧問をしている放送部の話。アルコールの摂取量が増えてくると生徒たちの話になり、最終的には他の先生の話になった。恵先生は実質的に人を引っ張る立場になることがあるが、あまり他の先生について話をする人ではなかったので少し意外に思えた。しかし、話している内容は愚痴や文句などではなく、淡々と問題点を指摘し、独自の解決方法を明示するといったものだったので、僕はなおさら恵先生の事が好きになった。解決方法を示しておきながらも、関わる人たちの考え方などもくみ取っているのだからかなうはずもない。

 十二時半を過ぎ、話も一段落したので恵先生の奢りで店を出ることになった。もちろん僕は食い下がったのだが、私が先輩だからと笑って伝票を持って会計を済ませていた。

 僕は帰る電車をケータイで調べて、終電を逃していることがわかり、絶望した。恵先生にそのことを伝えると狭いけど家で泊まって行きなさいと言ってくれた。申し訳なかったが、それはそれで少し期待しながらも僕は恵先生の家でお世話になることにした。

 恵先生に案内された家は大きめなマンションの一室。エレベーターで三階まで上がり、一番離れた部屋に向かう。

「ただいま」

 恵先生が玄関を開け、僕は申し訳なさそうに靴の向きをそろえて部屋にあがる。恵先生が廊下をまっすぐと進んでいったので後を追ってリビングに入る。

恵先生は机に手をついて立っているのだが、不自然な事に背中を向けたまま動かない。

「恵先生、どうしたんですか?」

 僕は声をかけるが、ふり返らないだけではなく、本当に身動き一つ無い。不思議に思って顔を覗くと、目は白目、口は開けっ放しで動いていないのに小さな声が聞こえる。何を言っているのかと耳を近付ける。

「……容量の限界を超えました。容量の限界を超えました。容量の限界を超えました……」

 容量の限界を超えた? 意味が分からないが確かにそう言っている。

「大丈夫だよ。気にしなさんな」

 突然、男の声が聞こえ、そちらの方を見る。そこには白髪の老人が立っていた。メガネの奥の目はどことなく優しそうな顔をしているが、このような訳の分からない状況だ。気は抜けない。

「ストレスが許容容量を超えたんだ。だからこいつは私のメンテナンスを待っている。ストレスの自己処理だけは出来ないんだ。悲しみや苦しみを感じるようにしたら、人間でいうストレスを感じるようになった。こちらとしても誤算だったよ。けどまあ、こいつがストレスを自分で処理出来ないというところから、人間は一度受けたストレスを無かったことにすることは出来ないと私は言いたいね。そういっても君には意味が分からないと思うがね」

 老人は楽しそうに笑うが、僕にはその笑顔の意味さえ理解できなかった。メンテナンス? 何を言っているんだ。

「こいつは私の作ったロボットなんだ。まあ、そういっても信じないだろうけどね。人間にそっくりなロボット。食事をして、それを消化して、排泄もする。刺激には人間と同じように反応するし、心と同じようなデータも入っている。どちらも計算だがね。けどまあ、人間と言って良いじゃないかなと私は思っているよ。実際、君も人間だと思っていただろう?」

 僕はこの狂った老人の言葉を耳に入れたくなかった。恵先生がロボットであるはずがない。

「君をどうかしたりはしないよ。君が私から聞いたことを言ってまわっても誰も信じない。こいつ自身が自分がロボットということを知らないんだからね。ただまあ、メンテナンスをする際に邪魔になるからタクシーを呼んでおいた。お金も受け取ってくれ。それじゃあね」

 私は老人から三万ほど受け取り、部屋を出た。マンション入り口で立っているとタクシーが来たのでそれに乗り込んで家に帰って寝た。

 次の日の朝、恵先生はいつものように正門に立ち、挨拶運動をする子どもと一緒に挨拶をしていた。僕はそれを見て昨日の出来事が酔っぱらいの夢であって欲しいと思った。

「あ、先生」

 恵先生は僕を見つけ、近づいて小さな声で言った。

「昨日は誘ってくれてありがとうございました。おかげでストレスが吹き飛んじゃいましたよ」


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ショート々 大木佳章 @ookiyosiaki

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