俺的にはスタルヒンかな
「………以上が野球観戦部の活動内容です。
野球好きが集まって、とことんまで野球の奥深さを楽しんでいく。理解を深めた先に更なる面白さを見つけることが、私達の最大目標です。」
西九条真訪は弁舌爽やか論説見事、聞く者の口を問答無用に塞ぐような口回しで部活審査会のスピーチを終えた。
元々、香櫨園には「隣で出屋敷が裸踊り始めたって通る」という意味不明だが物凄く確信のこもったお墨付きをもらっていたので、さして心配はなかった。が、完璧を求める西九条は一切の妥協をせず。
ほかの部活が紙面の文章を読み上げフリップなどで簡潔単純にその活動内容を示すなか、彼女は話すべき内容を全て頭に叩き込み、映写機とパソコンを持ち込みパワーポイントで詳細に解説し、手元に資料としてこれまでの活動で作成したデータ、レポートなどを纏めた冊子を用意し。その時間と言えばゆうに半刻、他の部活と比べて三倍の長さになって、
他の部活とは気合いの入り方が違うことを、存分にアピールすることに成功していた。
審査は、部活法廷と同じく、教師、生徒会会、既存の部活代表の三名による点数評価制となっている。スピーチを聞いた審査員三名は、全体通しての印象を4『最良』・3『良』・2『疑問点あり』・1『評価に値せず』の四段階で評価。平均点が3以上であれば即時合格、2点台だと一ヶ月後の再審査、二点未満で廃部、ということになる。
野球観戦部は平均3.666666666……点を獲得し、文句なしの合格だった。点数の内訳は教師が4点、生徒会が3点、部活代表が4点。生徒会代表は会長の魚崎だったが、さすがに2以下をつけることはできなかったようだった。裏を返せば、これを不合格扱いにするには自分の信用を賭ける必要がある、と、彼女にそう思わせるくらいには、完璧な内容だったということになる。一点の減点は完全に彼女の卑しさでしかなかった。少なくとも俺はそう思っている。
……ま、部活代表が野球部だった時点で、仮に生徒会が一点を叩き出したところで合計点は9点。普通に通過できていたわけではあるが。
ともかく、活動継続許可の判子をもらった俺達は、これで正式な部としての活動を認められ、面倒だった『仮部活』の制約からも解かれることになった。つまり『期間中に揉め事を起こせば即廃部』という、野球観戦部に重音部に対する無抵抗を強いていた厄介者は、ようやく消え去ったということである。
「さぁて……戦を始めようか……」
審査が行われていた会議室、そのドアを出た先で俺と西九条、そして春日野道を待っていたのは、ダガーナイフの刀身で自分の肩を叩き、殺人鬼のごとき好戦的な笑みを浮かべる香櫨園克美の、およそ教師のそれとは思えない佇まいであった。隣には野球部監督武庫川がいる。
「合否がどうなったかとか、聞かないんですね。」
「不戦勝の決まった試合の勝敗を尋ねるバカがいるかね?あたしは全面的に諸君を信頼しているし、西九条がいて通らないなどと思ってはいないよ。」
「当然です。ちゃんとグラウンドに立てさえ出来れば、この程度のことでつまづきはしません。」
相変わらず子煩悩といった様相の香櫨園に、然りとばかり西九条が答える。立てさえすれば、という言葉は、重音部の嫌がらせを堪え忍んできた時間への思いが込められているのだろう。ここ二ヶ月間の野球観戦部にとって、最大の問題はそもそも部活審査会まで話を持っていくことができるかどうか、ただひとつだったのだ。
「ま、何にせぇ通ったんやったらよかったわ。あんだけ協力してもらっといて、野球観戦部は潰れてしまいましたなんて話になったら、目覚め悪いからな。
おたくらの情報と分析のお陰でうちらのチームは初めての準決勝進出。感謝しとるで、ホンマ。」
壁に背を預けて腕組みしながらそう言ったのは野球部監督、武庫川。恐らく練習の合間を縫って駆けつけてくれたのだろう。膝に黒土のついたユニフォーム姿が、義理堅さを示しているかのようだった。
「香櫨園が自信満々に協力を申し出て来たときは………なんやけったいな部活の片棒担がされんのか思うて、正直めんどくさかったもんやけどな。ゲンキンに聞こえるかもわからんけど、受けてよかったわ。君らの仕事ぶりは見事なもんや。
選手らも、かなり感謝しとるで」
ーーー特にエースの梅田とかな、と言って、武庫川は快活に笑った。
野球部を観に行った初日、ストレートの伸びに悩んでその原因を指の角度だと西九条が指摘したエースピッチャー梅田は、その後武庫川に件のレポートを見せられて、自ら願い出て投球練習のペースをスローダウンさせた。
武庫川、梅田共々、不調の原因が肩肘の疲労にあることはわかっていたが、武庫川はチーム全体への影響、梅田は大会前に練習を緩めることへの不安から、互いに言い出せずにいた。
そこに、西九条と春日野道のレポート。第三者から示された同様の見解は、二人の間を遮っていた壁を取り払い、やむなしと見た武庫川はチーム全体への事情説明と共に、梅田にストレッチを中心とした軽めの調整を命じたのである。
結局、問題は梅田の不安だけで、チームとしてそれに不満が芽生えることはなかった。もともと、彼が中心となるチームであったために、彼が万全であることがチーム全体の願いでもあった。そういう思いを、部員互い互いが認識しあうことで………結果的に、ではあるが、全体としてのまとまりもさらに強固なものになった。
仲間の想いに触れることのできた梅田が、そのきっかけを作った野球観戦部に感謝するのは、ある種当然の成り行きとも言えた。一時のペースダウンは結果的に彼に好転をもたらし、大会が始まってからというもの八試合を投げ防御率2.13。16強以降は18回を投げわずかに失点3と、尻上がりな成績を残している。
西九条と春日野道のレポートは彼と野球部に思わぬ副産物をもたらし、準決勝進出まで果たす躍進ぶりを、影から後押ししたのである。
「梅田くん、球筋明らかによーなったもんなぁ。さすがまこっちゃんやで。ものの三球で見抜くんやから」
ぽん、と肩に手を置いて春日野道。笑顔ではあったが、どこか雰囲気として覇気がない。
……例の一件以来、彼女は自らの尊厳を奪われたかのように落ち込み、元気をなくし、一月前の重音部を飛び出した時の勢いがまるで嘘のように、何に対しても消極的になってしまっていた。彼女いわくの『広島ファンの面汚し』になってしまったという思いは彼女にとって相当重いものであるらしく、西九条とどっこいどっこいに思えるほど強烈だったそのレッズへの包み隠さぬ愛も、
心のなかではどうかわからないが、目に見える部分では完全に成りを潜めてしまっていた。
「……私のやったことは見抜くところまでよ。本当に凄いのは、その程度の情報で修正利かせてくる梅田さん。」
「いやまぁ、そらそうやけどな……」
身も蓋もないことを、と言わんばかりに苦笑する春日野道。だが、西九条は西九条で彼女に最大限配慮していて、その上の発言であることを俺は知っていた。完全に自信を喪失してしまった状態である春日野道は、近頃他人をやたら誉めるようになった。そして、そのあと決まって気分を沈めてしまう。端的に言えば、卑屈になってしまっているのだ。
ゆえに、今の春日野道の他人を称賛する行動は、裏返し的に自分を貶める行為とイコールなのだった。最近マシにはなってきているが、それでもこうして彼女が何かを誉めるときは、それに繋がる可能性が非常に高い。西九条は、それを懸念して、論点をあえて見当違いなところにずらしたのだ。
「ああ、指の角度の話は西九条くんが見抜いたんやったか。謙遜せんでええ、見事見事。あの問題点を見つけるのは、そう簡単な事やないよ。梅田も確かに優秀なピッチャーやが、優秀な分だけ欠点を見つける難しさは上がっていくもんや。」
西九条の気も知らず、と言えば事情をほとんど知らない武庫川にはあまりにも酷な話になるだろうが、仕方ないのだという前提の上で、ほんの少し俺はそのように思ってしまった。
ままだと、彼女の配慮は無駄になる。せっかく審査会の通過が決まったところで、全体として気運も上向いてきたところである。なんとか、春日野道上昇のきっかけに繋げたいところなのだ……
「するとあれか?シュート回転も君が見抜いたんか?」
武庫川に問われた西九条は「シュート回転………?」と首を傾げた。彼女はあまり腹芸のできるタイプではない。覚えがない、というのなら本当にないのだろう。
「あれ、違うんか。いやな、梅田に聞いたら、リリースするとき人差し指が先行してるからかして、若干球がシュートしてるから、球自体が軽くなりやすくなってる、って書かれてたって言うからな。
そんな細かいところまで見とるんか思って、それも感心してたんやけど」
「あ……ゴメン、それはウチや」
すまなさそうに、控えめに春日野道が手を挙げる。西九条の表情が(見た目に変化はないが)明るくなった。
「春日野道さんが?私、聞いていないけれど」
「いやー、ゴメン。ホンマは、まこっちゃんの見解だけまとめてレポートに書くつもりやったんやけど………どうにも気になってもうて、
控えめに書き足したんや。ウチも少年野球の頃、それでボコスカ打たれて苦労したもんやから……」
「したら、人差し指の先行っちゅーのは経験論からか。バッチシ当たってたで。本人、あれからちょっとキャッチボールの時とかそれ意識し始めたらしくてな。気持ち、前よりボール飛ばされんようになった、言うてたわ。
気持ちゆーたかて重要やからな。それでホームランが二塁打になることかてあるんやさかい。」
「私、気づかなかったわ。やるわね。」
若干上から目線なのは春日野道を軽く見ているからではなくて、彼女の性なのだろう。口許に笑みを浮かべて、西九条はそう言う。春日野道は「いや、無断で書き出してゴメン」と謝りつつも、少し嬉しそうではあった。グッジョブ、武庫川監督、と心の中で呟いた俺の手のひらは、返しすぎて複雑骨折である。
「ホンマに粒揃いやな………大したもんや。他のチーム見てみぃ、優秀なブレーン求めてなかなか育たんっちゅーに、うちの野球部は幸せなもんや。野球を見るだけに特化した部活があって、そこが支援してくれるんやさかいな。
もう、出屋敷引き抜こうなんて、言えんわ。部員不足で潰れられたらかなわん。」
冗談めかし、本気で笑った武庫川。俺は、なんとなく西九条を見た。彼女は静かに微笑んでなにも言わなかった。ああいうことがあって、さすがにこれ以上プレイヤーとしての俺に関してどうこう言うつもりは無いようだった。
「さあ、こんだけ世話になっといて野球部が何も返さんわけにはいかんわ。君ら、何やややこしい連中につきまとわれてるらしいな。」
「監督、ややこしい連中じゃありません。クソヤロー共、です。」
爽やかな笑顔でどぎつい事を言うのは香櫨園。武庫川は呆れて、
「お前ホンマ現役の頃と変わらんな……。嫌いな奴には容赦ない。
そんなもん、生徒に対して教師が使う言葉とちゃうぞ。」
と、そう言った。香櫨園は「万事徹底。ポリシーですから。」と答えた。武庫川から大きなため息が漏れる。
「まあ、こんな奴やけど、逆に好きな人間は徹底して好きやさかい。君らの事は好きやゆーとるから、まぁ、信頼したってくれ。ピンチのときには首の骨折れるまで助けてくれるはずや」
「そうだぞ、諸君。」
ドヤ顔で武庫川の言葉にのっかる香櫨園。武庫川の例え話は大概よくわからなかったが、まあ、燃え尽きるまで助けてくれる、というような意味合いなのだろう。なんとなくわかる。春日野道がイジめられたと聞いて、ナイフ持って突撃かまそうとする教師である。胸の内に秘めたるものは想像もつかないほど、大きいのだろう。
「何の役に立つかわからんが……ワシもできることはやるさかい。必要な手があったら、遠慮なく言うてくれ。君らに恩義感じとる選手も少なからずおる。そいつら引っ提げて、助けに来るから。」
「ご配慮、痛み入ります。」
西九条は丁寧に頭を下げた。俺と春日野道もそれに続く。武庫川は髭面を満足そうに笑わせた。
「さーてしたらばワシは練習戻るかな。休憩時間も終わる頃やし。
ほな、みな、またな。準決勝、観においでや!ああ、もしよかったらデータとってくれても構わんで。」
「それ、依頼ですか?監督」
問うたのは春日野道だった。元気のいい彼女を見るのは久しぶり、もうそれだけで武庫川からはお釣りのでるほど借りを返されたものだと、俺は思う。
「やってくれるんやったら、そういうことにしとこかな!」
やはりゲンキンな事を言い残しつつ、武庫川は階段に消えていった。西九条が「言われるまでもなく、観に行くし、書くけれどね。」と冷静にそう言った。あれだけ誉めちぎられては、気分が悪くなるはずもない。求められれば行くのが、最近の西九条の決断パターンになっていた。
「諸君、よくやった。全く見事な手際だった。あたしは誇らしいよ。」
武庫川の背中が完全に消えたとき、香櫨園は言葉通り本当に誇らしげに胸を張ってそう言った。
確かに、計画発案からここまでの遂行のスムーズさといったらなかった。恐らく香櫨園からしてみれば、ほぼ思った通りかあるいは出来すぎたくらいの展開だったことだろう。武庫川をして『粒揃い』とまで認めさせたのは、当事者の一部である俺から見ても見事なものだと思う。
「この学校の最大勢力が味方についたんだ。野球観戦部にとってこんなに喜ばしい事はない。
そうは思わんかね?西九条。」
「ええ。これで心置きなく重音部と対峙できます。」
西九条の声は冷静そのものだった。事はまだ始まったばかり、と言わんばかりに、透き通った表情で窓の外、ひどく青くて高い空を見上げる。
「なぁ、まこっちゃん。あんなぁ、ウチ、これは言うとかんと気がすまんのやけど……」
そう言った春日野道は至極申し訳なさそうだった。その様子から、彼女が言いたいことは大体察しがついた。
「自分の為に戦うというなら無理しなくてもいい、ですか?」
代弁するように、俺は問う。春日野道は一瞬硬直する。その時点で図星とは知れたが、ほどなく彼女は大きなため息と共に頷いた。
「せっかく……ほら、なんや。部として認められて、今までよりはまともな活動できるわけやろ?部費も増えるし。重音部にちゃんと文句も言えるし……
せやから、な、もし、ウチの無念を晴らそうとしてくれてるのやとしたら、それはめっちゃ嬉しいことではあるんやけども………部を危険にさらすことになるんやったら、それはウチにとって不本意と言うか、なんと言うか………黙ってて普通にやっていけるなら、その方がーーー」
「ーーーまぁ言いたいことはわかりますけど、それは前提から無理なんですよ。」
俺は努めてあっさりとそう告げた。深刻そうにそれを告げれば彼女にとって新たな心労になるだけだと思ったからだった。
春日野道は面食らって口を閉じる。俺は続けた。
「たしかに………これまでよりは自由になるというか、妨害とか嫌がらせの類いは減るでしょう。何せ、これからはあちらさんにも部活法廷にかけられるリスクが出てきますからね。ちょっと頭の働く奴なら、今まで通りの嫌がらせを続けるデメリットには、気づけるはずです。
魚崎は、残念ながら頭がいいので、おそらく………」
「…………。」
「けど、それは緩和されるだけであって、完全に無くなるわけではありません。連中は、俺らが音楽準備室を拠点としている限り……いや、たぶん、もう野球観戦部が存在している限り、潰しに来るでしょう。
春日野道さんがうちに来てくれたことで、あちらさんは俺や西九条に個人的な恨みを抱いているはずですから。まぁ、完全なる逆恨みで本来なら相手にする価値もありませんが。」
春日野道の表情は沈滞する。すかさず、西九条が「勘違いしないで。出屋敷は、あなたを責めているわけではないの」と言った。ありがたいフォローだと思う。
「どのみち、衝突は避けられないしなにもしないと舐められ続けるのもまた癪な話です。要は、遅いか早いか、先手を取るか後手を踏むか。それだけの違いでしかないということで……」
「つまり巣ごとぶっ潰さなければネズミ共はのさぼりつづけるというわけだ。君の無念も晴らしたいし、どのみちいつかは戦うはめになる。
なら、連中に動きがある前にこっちが動いた方がいい。そういうことだろう?出屋敷。」
生徒をネズミと表現する程度ではもう驚かない。香櫨園はこういう人間なのだ。俺は頷く。
「耐えるだけ損なら動いた方がいいでしょう。俺は、野球観戦部を金属探知機同好会の二の舞にはしたくない。」
「つまり、部の存続に不可欠な戦いだということ。春日野道さん、あなたが気に病むことはなにもないわ。」
とどめの西九条。自分以外の部員全員にそう言われては春日野道もそれで納得するしかなかった。「わかった……ありがとう」と呟いて、それでも小さく肩を落とす。
香櫨園は、そんな彼女の背中をぽんと叩いて「大船に乗ったつもりでいればいい」と言って励ます。
「何をネタに責めるか、いつやるか。もはや、そういうことを考えるべき段階に入っていると言っていいわ。
具体的な話を進めていかないと」
「まあ、西九条。血気が盛んなのは結構な事だが、逸ってしまうのは好ましくない。
野球部の地方大会が終わるまでは、ひとまず行動は保留にしておいてはどうか。でなければ、万が一のときにせっかく作っておいた野球部への貸しの、使い時がなくなってしまう。」
「準決勝、明後日ですしね。野球観戦部自体もバタバタするし……」
「まあ、そういうことやったら……個々、色々考え練っとくって事でどうやろう?」
起承転結のハッキリした物語のような会話。西九条が「それもそうね」と彼女にしてはあっさりと了承を示し、話は先延ばしの方向でまとまった。野球部に救援を乞うことになりそうな戦いを、野球部の繁忙期に起こすというのは現実的でないように思えたのだ。
部認可に必要な手続きを行うために全員で職員室に赴き、何故か重音部の顧問である今津にそれを祝福されるという微妙な展開に苦笑して。
晴れて正式に『部室』となった音楽準備室に、『正式な部員』として初めて足を踏み入れる。
春日野道が、真っ先に窓際へ向かって、ホワイトボードを押し退け、窓を開け放った。いつもと変わらない、もはやルーティン化された行動であるというのに、今日ばかりは不思議と新鮮な感じがする。それだけ、この二ヶ月間が長いようで短かった、ということなのだろう。
太陽に乾かされた風に微かに土と汗のにおいが混じっていて、それは俺にとっての夏の風物詩と言えた。
「さっき職員室で聞いた話だが」
最後に入室してきた香櫨園が、あまり愉快ではなさそうにそんなことを言う。
ゆっくり吹き込む風に身を任せていた春日野道、早々に自分の席に座った西九条、しして何を成すでもなくたたずんでいただけの俺、共々彼女の方を振り返る。
「今回の審査会、まだあと二つ審査を残してはいるが………
対象となる部活、20のうち、通過できたのは僅か三つだそうだ。我が野球観戦部も含めてな。」
「そんなに……」
西九条から驚きの声が漏れた。正直俺も驚いた。さすがにもう少しくらい多いと思っていた。
「出屋敷、君には覚えがあるだろう。バームクーヘンを食えへん部とトリニダードトバゴ友好親善会。あれらも、廃部になる。」
香櫨園のもたらした、一聞、関係無さそうに思えるその事実は、しかし俺にとっては重たいものであった。
袖振り合うも多生の縁、という言葉がある。俺がその、廃部になるという両部活に入部する可能性は万に一つもなかったが、しかし、億に一つの可能性はあった。香櫨園に手渡された部活リストの中には確実に名前はあって、その名前を聞いたこともある。
何かの気の迷いでもあれば、そこに入っている可能性は皆無ではなかった。ともすればもしかしたら、俺は現時点で再び無所属の状態に陥っていた可能性だってあるのだ。
「バームクーヘンを食えへん部などは……正直ふざけた部名ではあるが、活動内容はかなりしっかりしたものだったそうだ。
バームクーヘンが大好きな女子生徒が三人集まって、バームクーヘンを食わないことによる自分達へのメリットデメリットを考え、最終的には自分にとってのバームクーヘンが何であるのかを突き詰めていく。そういう内容でな。
真面目に毎日活動し、きっちり実績も用意して今日に臨んでいたらしい。」
「…………。」
「不運と言えば……審査員が、先入観に囚われて思考を停止した教師と、あの生徒会会長、そして他の部活を認められない頭の固い部代表に当たってしまったことか。
さっき、そこの角でその三人を見かけたよ。寄り添いあって泣いていたな。よっぽど悔しかったのだろう。
あの発表内容で通らないのであれば、部活審査会など荒唐無稽だ!……と、今津先生は仰っていたが………」
俺を含めた三人ともが、その話を前に押し黙り、肩を落とし、気を重くした。
全くもって他人事ではなかった。『野球観戦部』も、見方次第ではふざけた部名になり得る。見る人によっては、野球を観るだけの部など、道楽を公費で行うだけの笑止に伏すべきものだと捉えられることもあるだろう。実際『バームクーヘンを食えへん部』は、その先入観に殺された。
完璧を求めて、教師と生徒会を黙らせた西九条の努力は必然のものであったかもしれないが、それでも、彼女らと俺達の当落線というのは限りなく曖昧だったのかもしれない。もし、教師がそのわからず屋の先入観野郎であったならどうだったか。部代表が野球部でなければどうだったか。
いやむしろ、代表が野球部だったとしても………中途での春日野道の入部がなければ、その支持が得られたかどうかは甚だ怪しいものがある。シュート回転の話がレポートに盛り込まれていなければ?西九条の指摘を彼女がオブラートに包んでいなければ?武庫川の野球観戦部に対する評価が、こうも高かったことはなかったかもしれない。
むしろ、魚崎との甲子園での一件がなければ……これも春日野道の参入がなければ、という話に繋がるものだが、結局俺と西九条の溝は埋まらず、審査会前に部自体が空中分解していた可能性だってある。あの日あのまま春日野道が、部活法廷を開くことを制止してなければ……確実にこの部は廃部になっていた。
確実な道をたどってきて、通過を当然の結果のように感じてしまっていたが………そうではない、揺れるロープの上の綱渡りのような道のりを歩んできたのだ。バームクーヘンを食えへん部と俺達との差は、最後の一歩、右足を出したか左足を出したか程度の差でしかないのだろう。
彼女らは落下し、俺たちは辛うじて生き残った。たかだか二三の偶発的な出来事のお陰で、野球観戦部は続いていく権利を得た。
「食えへん部の連中には、全く気の毒なことではあるが。
我々は、生き残ることができて、よかったな。」
たまに見せる、母性の籠った優しい笑みを、香櫨園は浮かべた。その一言で、俺の腹に溜まり始めていた何かは、決定的な重さでもって体全体にのし掛かってきた。
これは……そう、通らなかった部活の分まで、などという青臭い決意に通じるそれではない。突撃を敢行した兵士の中で、自分だけが生き残ってしまったかのような、生存に対する罪悪感、しかしそれでも生きていかなければならない、という生に対するプレッシャーの類いの、それだ。
野球観戦部は、死線を掻い潜って生き残った。死んでいった部活への贖罪の手段などはないし、助けの手をさしのべることもできない。その責任もない、と言えばそこまでだが、だが俺達は、これから、その背後に死体が転がっているのを知りながら、それでも前に進んでいかなければならない。
もし香櫨園がこんな話を持ち込まなければまず、得ることも無かったような感情ではあるが………だとすればこそ、それが運命だったということなのだろう。
それが死んでいった部活への責任、などと都合のいいことは言えない。だがそれでも、俺達は全力で、野球観戦部を継続させていかなければならない。
「なぁ諸君。我々は………来年も、こうしてこの時期を迎えようではないか。
そうしたら、今度は我々が審査をする側になる。
そうしたらその時は、先入観に囚われることなく、しっかりと人を見て、聞いて、判断してやろう。
我々の生き残りへのモチベーションにされては、バームクーヘンを食えへん部も不本意かもしれないが、
それが人が人として成長するということだとは、思わんかね?」
香櫨園の言葉に返事をする者は誰もいなかった、が、その想いを同じくしていることは、互いの沈痛な面持ちが明らかにしていた。
バームクーヘンを食えへん部と聞いて、それを滑稽に思わない人間はいないだろう。問題はそのあとだ。先入観のままわかろうとしないのか、ちゃんと耳を傾けることができるか。
たぶん、今の俺には無理だった。香櫨園がこの話をする瞬間まで、滑稽以上の感想をもたず、見学もしていないのに『くだらない活動内容』であろうとどこか決めつけていた。
端から見れば野球観戦部も、その可能性があったというのに、だ。
………同じ過ちを起こさないというのが、唯一果たせる責任なのかもしれない。バームクーヘンを食えへん部に対して、ではなく、確実にひとつ過ちを犯していた、自分自身に対して。
「……もっと、喜ぶべきやなぁ。」
春日野道が、外野フライだろうか、高々と上がった白球を窓の外に望遠しながらそう言った。香櫨園がふ、と息をついて、
「ああ、そうさ。運命に感謝しないとな。今日は、神にでも祈りたい気分だよ。
私は無神論者だが。」
と、ロマンチズムとリアリズムがない交ぜになったような事を言う。
無神論者と聞いて、まぁそうだろうなと思った。なんならこの人は、自分が神にでもなりそうな雰囲気すらある。10年後どっかの団体を率いていたって、不思議に思わない。
「………私が信じる神は、最強の助っ人外国人、バスだけよ。」
普段あまり真面目さを見せない二人があんまり真面目なことを言うもので、行き詰まった真性真面目ちゃんの西九条が脈略も糞もないことを苦し紛れに呟いたことでようやく、場の空気は少し軽くなった。俺も含めた他三名に苦笑が許可される。俺も、とりあえず笑って見せることにした。
神を信じないくせに祈りを捧げる無神論者と、伝説的な助っ人外国人を信望するトラキチ、果たしてどちらが宗教に近い感覚を持ち合わせているのか。
おそらく後者だろうな、とは思いつつ、来年もし、宗教を考える部、とかができるなら四点満点で認可してやって、是非研究してもらいたいものだと、そんな下らないことを考つつ。
「いーや、最強助っ人はシム・ライトルや!」などと主張し始めた春日野道の吹っ切れたような元気をもって、いつもの野球観戦部が戻ってくる。
俺的にはスタルヒンかな……などとさらにどうでもいいことを考えつつ、
俺は自分の席についた。
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