仏の顔も………




「いやぁ、昨日は実に爽快な夢を見てな。」



「はぁ……」



「これが実に傑作なんだが、あたしは前後不覚になるまで酔っているんだ。それで、足腰たたなくなって寝ていたら、なんとそこにだな。


阪神タイガース不動の中継ぎエース、タイヨウが現れて、あたしをおぶって家まで連れ帰ってくれるんだ。」



「………へー」



「いやー、速球派らしいあの幅の大きな背中、柔軟な筋肉、太くて硬い二の腕。わが脳内の妄想ながら最高だったな!実物もたぶんあんな感じなのだろうが、なぁ、出屋敷。


君があれくらいになってくれれば、あたしはあの幸福を何度も現実に味わえるのだが。」



たかだかアルコール度数5%、それも90mlしか口をつけていないはずの酒で昨日の確かな記憶をすべて失い、現実に起きたことを夢の中での出来事だと思い込み、あまつさえ俺に無理難題をふっかけてくる香櫨園克実。


俺と彼女は今、野球観戦部の部室………音楽準備室へ向かう途上にあった。


なぜ一緒に歩いているのか。それは、彼女に呼び出され、正式な入部届けを書くことを求められたからであった。


先の重音部との争乱の際、俺は春日野道を庇うためにとっさに「仮部活に正式入部もクソもない、よって春日野道は既に野球観戦部員だ」というような趣旨の発言をしたが、


知らずのうちにあれはほぼハッタリだった。仮部活であろうとやはり入部届けは必要だったのである。つまり今日の今日まで、俺は野球観戦部の正式な部員ではなかったことになる。


ただ、全く事実でないというわけでもない。仮入部は口頭でも十分認められるということらしく、結果的に言えば嘘はついていないことになるらしい。


香櫨園にまるごとその事を話したら「人を守るための嘘は、守るべき人間さえ傷つけてなければなんの問題もないのさ」と随分大人っぽいことを言われ、諭された。まぁ、大人なんだけれども。



……そんなわけで今日は、めでたくも春日野道と俺の正式な入部日になる予定である。


まあ、今さらそんな形式ばった手続きになんの意味があるかというのは考えものだが、逆に捉えれば特に意味のないことだからこそ、好きな考え方で節目とすることもできる。


だから俺は『トラキチ』である西九条真訪との再スタートの日、と捉えることにした。特につきあい方が変わるわけでもないが、彼女自身がそれなりに気にしている以上、自分のなかにもひとつの区切りは必要であるような気がしていた。



「仮に俺がタイヨウみたいな強靭な体を手に入れたとしても、香櫨園先生をおぶさる理由がありませんから無効です。」



「つれないことを言うもんじゃない。君は今日からわが部の正式な部員になるのだろう?顧問のささやかな願望を叶えるのは、部員としての務めだと思わんかね?」



「思いませんよ。そういうのは彼氏に頼んでください。」



「そうだな、道理だ。よし、出屋敷。君、あたしの好い人になる気はないか?」



「ありません。手の込んだ依願退職ということなら協力しなくもないですが」



当の香櫨園に本気の欠片も無いことを承知して、俺はいつものようにヒネた答えを返す。香櫨園は大いに笑って肩をバカスカ叩いてきた。予想外の満点大笑いには悪い気はしなかったが、彼女の感情表現はいちいち痛感が伴う。あまりニーズに答えすぎるのも考えものといったところだろうか。



いつものとおりに職員室筋の廊下を突っ切り、突き当たりの階段をひとつ登って、その階の廊下をしばらく歩くと音楽準備室にたどり着く。


もうそろ慣れた風景になりつつあるところだが、今日はそこに少し異なる点があった。春日野道が、先着していて既にドアの前にたっていたのである。



「おっ、シンジロー!香櫨園先生!


昨日あのあと大丈夫やった?」



開口一番昨日の心配が出てくるあたり、見た目によらず細かい配慮のできる人だと思う。俺は「全然大丈夫ですよ」と答える。香櫨園は「大丈夫?何が?」と一番大丈夫じゃなかった分際でふざけたことを抜かすので、放っておく事にした。彼女だけが現状、俺が出屋敷太陽の息子であることを知らないわけだが、面倒なことになりそうな気しかしないのでもう触れない。



「春日野道。まさか君が本当に入ってくるとは思わなんだよ。まぁ、重音部の連中と微妙な関係にあったことは薄々勘づいてはいたがね。


今日は正式な入部届けを書いてもらう。歓迎するぞ。」



「先生その話昨日したんやけどな……もうええかめんどくさい。


ま、きばるさかい、よろしゅう頼んますわ!」



………おまけに空気も読める。これも今にして気づいたことではないが、割とスペックが高いのだ。



「で、なぜ部室に入らないんだね?時間帯的にはもう立派な放課後だ、活動を初めてもいい時間だぞ。」



「いや、ちゃうねん先生。別にそんな事渋ってるんやなくて………。


あんな、中におるまこっちゃんが……」



「待たせたわね、春日野道さん」



部屋の中から、初日から相も変わらぬか細くて透き通るような声がする。誰のものか、疑う余地もなかった。春日野道が「ノンプロや!まこっちゃん!」と答える。磨りガラスの向こうの西九条は、えっと………と迷ったような前置きをしてから、こう言った。



「………宮島大社の………主様が?」



「おみくじ引いて申すには!」



「今日もレッズは」



「勝ーち勝ーち勝っち勝ち!」



「ぱーぱぱぱーぱぱ、ぱぱぱぱぱぱ」



「わっしょい!わっしょい!」



「ぱーぱぱぱーぱぱ、ぱぱぱぱぱぱ」



「わっしょい!わっしょい!」



「今日もレッズは」



「勝ーち勝ーち勝っち勝ち!


ばざーいっ!ばんざーいっ!」



「いいわ、入って。」



カチッ、と鍵の開く音が鳴る。唖然とする俺と「レッズバージョンか……」と感心したように呟いた香櫨園にウインクひとつかまして、


「わっしょーい!」と不思議な挨拶をしながら香櫨園は部屋へ入っていく。その際、当然開いたドアの向こうの西九条からは俺達の姿が見える。


明らかに動揺したじろいだあとで、顔を急速に赤らめた彼女は「あなたたちもいたの……」と消え入りそうな声で呟いた。


あまりにもばつが悪くて、俺は「いたよ」とだけ返して部屋に入り、自分の席にすぐ座る。香櫨園は、「春日野道に合わせてしっかり勉強してきたのだな、仲間思いで感心感心。」とやはり教師らしいことを言って入室した。まぁ、たしかに教師なんだが。らしくはなくても。



「しかしまこっちゃん、さすが野球中継死ぬほど見てるだけはあって、ラッパの音まで完璧やな!まぁ、合言葉でまさかそこまでやるとは思ってなかったけど」



ケラケラと笑いながら春日野道。恐らく彼女は、西九条がそれを見られたことを、若干恥ずかしがっているのを知っていてあえて言っている。空気を読んでいないわけではなさそう。



「………最近のレッズは強いから……嫌でも聞かされるもの。」



しかし彼女の返答はやはりか細かった。初日に片宮厚見の応援歌を恥ずかしげもなくやってのけたのだから、そこまで気にするようなことでもないと思うのだが……



「まぁ、何にせよだ。仲良きことは結構!!その配慮は人間として互いに大きな武器になり得る。


顧問として、あたしは嬉しい限りだ。君たちの活動が、これまで通り順調に進んでいくことを望んでいるよ。」



……昨日酔いつぶれていた人間はいい気なものだ、と俺は思った。そりゃあ、一昨日までの活動と今日の様子だけを見ていれば、嫌でも波風立っていないように見えるだろうが………



「先生、まとめ方が雑いわ………」とあきれ加減に言った春日野道にこれまた適当な笑みを返しつつ、香櫨園は持参のクリアファイルから二枚紙を取り出して、俺と春日野道の前にそれぞれ置いた。先にそれが入部届けであることを知らされていた俺は、「おーこれこれ」と嬉しそうに言った春日野道と共に、命令されるまでもなく必要項目を記入し始める。


香櫨園は、立ったまま話を始めた。



「書きながらでいいから聞いてくれたまえ。


何だかんだで七月の部活審査会まであと一月半となった。現状、君らの活動を見ている限り、あたしとしてはさしたる不安もない。名前から活動内容が想像しにくい割には目的もしっかりしているし、君らが書き残している分析レポートを見せれば、審査会も納得するだろう。あるいは、したくなくてもせざるを得ない。」



したくなくても、というのは恐らく生徒会の事を指すのだろう。香櫨園は、重音部が時たま嫌がらせをしに来るのを知っている。


重音部顧問が彼女にとっての大先輩である老師今津であるから、表立って連中を抑えたり処罰したりすることはしにくいようだが………例えば、できる限り部室に居座ってくれたり、表面上は話の通る生徒会長魚崎を言いくるめてくれたりと、


やれる範囲で対策はしてくれている。



「………魚崎なら断固としてハネつけてきそうですけどね。」



「そう思うのも無理はないが、恐らくその線は薄い。なぜなら、審査会で理由もなく我々を弾こうとするのは奴にとってハイリスクローリターンだからだ。


教師連中に認められているものを否定するということはそれだけ、反抗するということを意味する。印象の悪化は必然だろう。ましてやこちらにほぼ非がない状態ではな。いいか、戦争には大義名分が必要なんだ。どんなドンパチでも、自分が正当性を主張できる理由がなければ始めることにリスクがありすぎる。


部活審査会で理由なき戦端を開いたとして………生徒会は評価を無条件に落とすし、なおかつ確実な廃部への道が拓ける訳でもない。


仮にも生徒会長だ、それくらいの計算はつくさ。だからこそ、奴はわざわざちょっかいをかけに来るのだろう?理由を作るために。」



「そんなもんなんですかね」



そういわれればそうか、と合点しながら俺は頷く。魚崎しかり、姫島しかり、言っていることはかなり頭悪いが地の頭が同じように悪いかと言われればそうではない。それくらいのリスクマネジメントはできてもおかしくないかと、そう思う。



「ああ、そんなものさ。だからこそ、だな。


連中が何かを仕掛けてくるとしたら、それ以降になる打算が高いというわけだ。」



「打算というか、そうにしかなり得ませんよね」



的確で若干嫌味なツッコミをいれたのは西九条。だが香櫨園は嫌な顔をしなかった。むしろ、「ああその通りだ西九条。君はそれをかねてから懸念していたはずだ」と話を発展させる。


西九条はパイプ椅子をきぃ……と鳴らして背もたれに体を沈め腕を組んだ。図星というか、言葉通りらしかった。



「金属探知機愛好会やブブゼラ部の時の事を思うに、あの連中は卒業までかかっても私達をこの教室から追い出しにかかるわ。賭けてもいい。


……というより、現在進行形ともとれるけど。」



「まあ、あの嫌がらせはあわよくばもめ事起こしてウチの部の審査会通過を阻もうってクチやからな。」



シャーペンを走らせながら春日野道が言う。


正式に部として認められていない、仮の段階の部活(以降、仮部活)は、部間規則という部活動の法律のようなものによって、仮活動期間中に少しでも揉め事を起こした場合、その審査通過判定に著しく影響する………実質、廃部となるというのは、


重音部の姫島が件の時に話していた事だ。


だからこそ、西九条は執拗な嫌がらせにもほぼ無抵抗を貫いている。七月の審査会を通るまでの辛抱と、我慢に我慢を重ねているわけだ。



「ま、もうその件に関してはウチらが我慢してる限りはどうにもならん。あちらができることは現状で一杯や。これ以上酷いことにはならんやろ。


としたらまぁ……審査とおってから後ってことになるか。妙に頭の回る魚崎のことやさかい、ウチらが反撃できるようになる機会そのものを待ってるまであるかもな。」



「………いずれ対峙することになるわ。いつまでも、あんな真似をされていてはたまらないもの。」



胸の前で組んだ腕に、ぐっと力を込めた西九条。このタイミングでこんなことを考える俺は何だって話だが、さほど主張のある胸ではない。



「そう、西九条の言うとおりだ。顧問のあたしとしても、可愛い教え子がヒネたクソガキ共にやられっぱなしというのは甚だ遺憾であり、看過しがたい事実だ。本来なら徹底的になぶり、物理的に捻り潰してやりたいところだが、残念ながら世の中拳で解決する事が最善でない場合もある。」



さらっと拳で解決する事を否定しなかった香櫨園。まあそれはそうか。入部を促すために生徒に刃物突きつける先生だ、鉄拳制裁はお手の物だろうと妙な納得を抱えつつ。



「それで?日が暮れる前に本題に移りましょうよ。」



勿体ぶる香櫨園に、俺は結論を促した。急かした理由のひとつには、そろそろ魚崎が来てもおかしくないという予測があった。


香櫨園は「出屋敷、あたしは夕暮れ過ぎても君と共にいることにやぶさかではないぞ?」と気持ちの悪いことを言ってきたが、俺は無視。


若干スネ混じりとなった彼女は、咳払いひとつの後、ようやく本題を話し始めた。



「そこでだ。諸君。


いずれ避けられない衝突をうまくやり過ごす為に、


必要な準備をこれからしていこうと思うのだが、どうだろう?」



「具体的には?」



すかさず西九条が問う。香櫨園はニヤリと笑みを浮かべる。



「味方を、作っておく。」



「みかたぁ?」



頭上に大きなクエスチョンマークを浮かべたのは春日野道。俺も入部届けを書く手を止めて顔をあげる。香櫨園の表情は自信に満ち溢れていた。



「何、簡単な話さ。部活法廷の陪審員となる三つの勢力を覚えているかね?春日野道。」



「ウチは………結構出廷させられてるさかいな。よう知ってるよ。教師、生徒会、それから部活代表やろ。」



「パーフェクトだ広島ファン。その通り。当事者以外の部活代表者から抽選で選ばれた者が、全部活の代表として出廷することになる。


出屋敷、あたしの言いたいことが解るかね?」



「三つ目の勢力が見方になる確率を上げておこうという話ですか?」



「その通りだ。いいか。魚崎は自分が生徒会という非常に強い権力の長である以上、あくまで合法的に我々を責め立ててくるだろう。金属探知機同好会を潰した時の事を思い返せば、それは明らかだ。」



「まーな。教師が自分のもつ権限を使えんような手を使って、うまーいこと文句封じ込めてやりよるわ。ウチはそれをよう知ってる。」



かなり実感のこもった声で春日野道。香櫨園はふむ、と頷く。



「我々は創部して日が浅い。故に、味方となってくれるような仲のいい部活は皆無と言っていい。対して、重音部はどうか。連中は、横暴なやり方で敵も多いが軽音部を初めとして文化部との繋がりが広く、味方も多いというのが事実だ。


この点で、我々は圧倒的に不利だ。単純に数で劣るからな。魚崎は文化部に対して生徒会権限で数々便宜をはからっている。大半の文化部は敵に回っていると考えてもいい。


しかも、連中はどういう手を使うかしらんが、味方になりそうな部活を部活代表に持ってくる手段を知っている。まぁ、おおよそクジに細工なんかをしているのだろうが………摘発されていないからな。疑惑は罰せないのが教師の立場だ。」



「闇は深いってことか……」



「ウチは信用されへんかったさかい、その方法知らされへんかったわ。」



俺の呟きに、春日野道が唸る。香櫨園は、「まぁ、それはそれでその時黙っているつもりもないが」と前置きして、話を続ける。



「仮に公正な抽選が行われたとして、味方がいないのではどうしようもない。連中の味方以外が代表になったとして、それがあたしらの味方をしてくれなければどのみち勝ち目はない、というわけだ。生徒会は傀儡だからな。」



「……………。」



組んだ腕にさらに力を込めた西九条。無い胸は寄ったところで盛り上がらないが、その憤りの度合いが激しいことはなんとなく伝わってくる。



「そこでだ、諸君。味方を作っておこうというのだ、我々も。


早い話が、来るべき時に備えて恩は売れるだけ売っておこうという話さ。」



ここでキメとばかに胸を張り、どや顔でそんな事を言う香櫨園。だが、俺も含め部員は三者三様に微妙な反応だった。その微妙の理由を代弁するかのように、西九条が口を開く。



「……仰りたい事はわかりますが、先生。


私達の活動内容で恩を売れるような部活がありますか?例えば吹奏楽部なら、演劇部や運動部に、それぞれBGMや応援といった手段で貢献することができるでしょう。


ですが、私達の活動は野球観戦です。それも、誰かの応援をするためのものではありません。


間口が狭い上に実用性が無いと言えてしまいます。残念ながら、他人から見れば自己満足のための部活動と取られても反論に時間がかかります。


そんな体で、一体どんな部活に恩を売れるというのでしょうか?」



短刀を胸に深く差し込むように、遠慮なく核心をついていく。せっかく自分達のために提案をしてくれた香櫨園には申し訳の無いことだったが、西九条の指摘はもっとものように思えた。


追い討ちをかけるようでどうかと思ったが、俺は俺の疑問を香櫨園にぶつける。



「それに、この学校には無数に部活があるんですよね。B4の紙にびっしり埋まるくらい。


………ただでさえ交流の要素に乏しい俺らの部活が、これから仲良くできる相手なんてたかが知れているような………だとしたら、二三の部活を味方につけたところで、


どのみち五十分の一くらいの確率のクジが当たるように祈ることになるんじゃないですか?」



それはほぼ不可能に近い、というニュアンスを込めて俺は言う。俺と西九条の突いた問題はかなり芯を食っていたように思った。つまり、机上の空論だと指摘したのだ。


………ところが、香櫨園はちっとも堪えている様子はなかった。むしろ、その質問を待っていたのだとばかりに口許を笑みに歪める。そして、さらに驚いたことには春日野道が入部届けに筆を走らせながら「そうでもないんちゃう?」と、まるで俺と西九条の指摘が的はずれであるかのようにさらりと言ってのけたのだ。


どういうことだ?と、俺と西九条は無意識のうちに視線を合わせる。香櫨園はふふん、と鼻を鳴らして笑った。



「まず、出屋敷。君の疑問に答えることにしよう。確かに、部活代表者はこの学校に70名以上存在する。七月以降は西九条もそこに含まれることになるだろう。


単純に分母を百としたなら、その中から二三を引くのは確かに難しいことになると思う。だがな出屋敷。そもそも君はひとつ大きな勘違いをしている。


抽選におけるクジの配分は、必ずしも『一部活』につき『一本』ではない。


代表者を部活全体の総意であるとするために、部員の多い部活動に関してはその人数比に応じてクジの本数が増えることになっている。」



「……………。」



「つまりだな。部員が多ければ多いほど、当選確率が高いと言うわけだ。大規模な部活を味方につけることは、二、三十の小規模な部活を味方につけることに等しい。意味はわかるね?」



小選挙区の逆パターンか、と俺は思った。これはつまり一票の格差の是正だ。選挙の場合、それは代表者の数と選挙区の範囲で調整されるが、部活代表者選定クジの場合、それが票数の多少によって調整されるということ。


なるほどそれなら、大きな部活をひとつ味方につけることはかなり有利に働くに違いない。それでも完全な勝利を望むことはできないだろうが、敗北が決まったような未来よりは遥かに勝率は上がる。



だが、問題は西九条の言ったように………大規模かつ野球観戦部の活動内容で、恩を売れるような部活動が存在するかどうかという話だ。結局それが解決されなければ、机上の空論であることに変わりはない。無いものをあると仮定したところで、未来は変わらない………



「わかりますけど、俺ら三人が貢献できる要素がある、なおかつ部員の多い部活動なんてーーー」



「ーーーあるやろ。」



頬杖をついてペン回しをしながら春日野道。黙ってはいたが、西九条も彼女の方に顔を向ける。


春日野道は………「君は気づいたようだな」と言った香櫨園と、お互い不適な笑みを交わし合う。


その上で、回していたペン先を止めると俺にびしりと差し向けて、


あるひとつの部活動の名前を言った。



「野球部や、野球部。


ここの野球部は部員200名以上……かなり割合として多いやろ。スポーツ推薦でバンバカ取ってるからな。


ほんでもって、まこっちゃんくらい詳細に選手の分析ができるブレーンがあったら、ウチらはあの部活に対して、かなり正確で詳しいデータを提供することができる。


高校野球の監督なんか、喉から手ぇ出るほど欲しがるで、そんなもん。自分のチームだけやなくて、上の方で当たりそうなチームのことも調べといたら、こんなに有利なことあれへん。相手の弱点丸裸ってな具合や。


そういうことやろ?香櫨園先生。」



「パーフェクトだ広島ファン。


どうだ、西九条、出屋敷。納得してくれるかな?」



俺も西九条も、返す言葉もなかった。もっとも、西九条に関しては、香櫨園が俺の質問に答えた時点で大体事情を察したようにハッとしていたが。


最早、納得の二文字以外に存在する感想はなかった。


野球部が学校全体のどれくらいの割合を占めるのかはわからないが、200名といえば相当な数であることは間違いない。それを味方につけることは確かに、座して時を待つよりは遥かにマシな結果を生むだろう。クジの確率が仮に五分の一になることは、単純に勝率が五分の一上がるのと同じことだからだ。


そして、恩を売る要素も確かにある。野球観戦部には、野球マニアが二人、そしてとびきりの野球博士が一人いるのだ。


中でも野球博士西九条 真訪は、『高校野球監督』である武庫川 裕のリードから、その戦術的な意図をほぼ完璧に盗み出して見せたのである。これをもし敵地偵察に向かわせてみたとしよう。喉から手が出るほど欲しい敵情は、野球部マネージャーがそれを行うより遥かに詳細なものが手にはいる筈である。


加えて言えば、野球を見ることそれ自体が既に、野球観戦部の活動内容に合致するので、実績も作れて恩も売れるという観点で言えば、


まさに一石二鳥であるのだ。



「………お見それしました、先生。」



俺は完敗と白旗を上げてそう言った。これ以上意地を張ることに意味はなかった。自らの浅慮を悔いることこそ自分のためになると思った。西九条もおおよそ同じように考えたのだろう、小さく「わかります」とだけ呟いて肩を落とした。


香櫨園は、何故か寂しそうだった。



「なんだ出屋敷。悪態のひとつもついてくれるのかと思って期待していたのだが」



「先生はシンジローに一体何を期待してるのん?」



あきれたように春日野道。グッジョブ、と俺は心の中で感謝の意を述べた。両手を上げて見せているときぐらい、普通にそれを受け入れてもらいたいものである。



「………まあ、いいだろう。天は出屋敷に二物を与えずという諺もあることだし」



「ねーよ」



「あたしが作ったのだ、異論はみとめん。


さて、実はだいぶ前から、野球部の監督である武庫川先生に、話は通してある。君らの活動実績たるレポートをお見せしたら、非常に興味を持ってくださってな。」



「………まぁ、あれ見りゃそうなるよな」



「出屋敷。私は誉められているという解釈でいいのかしら。」



「ええやろ。少なくともウチはそう思うで。」



「一度君らの実力を直で見てみたい、という話を頂いている。つまるところ、テスト兼情報収集の依頼というわけだ。


一応、こちらの都合次第ということになっている。が、善は熱いうちに道を急ぐという諺もある。」



「だから三つ混ぜても三倍にはならないと」



「無駄やシンジロー。この人の授業受けたらわかる、いっつもこんなんや。」



「いつまでも待たせるのも何だし、どうだろう。君らの都合さえ合うのであれば、今日から始めてみてはと思うのだが。」



結構聞こえるように会話したつもりだったが、俺と春日野道の言葉には耳もくれず、香櫨園は全てを言い切った。


少なくとも俺に断る理由はなく、わざわざ校外まで出掛けていって野球を見る手間と足労が省けるのは(活動のクオリティが落ちない前提で)メリットであることに間違いはなく。



ひとたびの沈黙の後、春日野道が「ウチは大賛成や」と言ったのを皮切りに、西九条も「極めて合理的な考え方だと思います。これなら妨害されることもないでしょうし」と賛同を示し。


最後に俺も「現実的でいい考えだと思います」と答えた。香櫨園は、満足そうに笑った。



「よし、決まりだな。


では早速、挨拶がてら我々の実力を示しに出掛けるとしよう。たぶん、時間的には今、隣の専用グラウンドでシート打撃をしている頃だから………なに、チーム全体の欠点の二三でも挙げてやれば納得するはずだ。」



「粗探しは得意中の得意よ。」



若干嬉しそうにそう言いながら、西九条が指を鳴らしつつ立ち上がる。うん、なんとなくそんな感じがする………



「まあー、プロ野球ファンはヘッタクソなプレーには敏感やからなー」



妙な実感を込めて春日野道。宗教法人レッズと他球団ファンに呼ばれることもあるほど熱烈な輩の多い広島ファンの、その一員である彼女には……贔屓球団ーーー今回は自分の高校の野球部だがーーーのミスを見逃さないことくらい、お手のものなのかもしれない。それくらい、集中して見れる人間ということである。



「んじゃま、いつも通り真剣に……」



そう言って俺も立ち上がる。そして、戸棚の中に仕舞ってある、観戦必需品のメモ用紙、スコアブック、レポート用紙のまとめられたクリアファイルと双眼鏡、この間買ったばかりのストップウォッチに手を伸ばしたとき、


香櫨園が「ああ出屋敷、君はちょっと待ちたまえ」と言ってきた。



既に部屋から退出しかけていた西九条、そして席をたったばかりの春日野道の注目が、こちらに集まる。俺は俺で、その言葉の意図がわからず香櫨園の方を向いた。彼女は、別に持参した安そうなクリアファイルを脇にかかえたまま、それがさも当たり前であるかのようなトーンでこんなことを言った。



「今日に限り君は西九条たちとは別行動だ。


とりあえず、今、あたしたちが部屋から出たら体操着に着替えたまえ。


五分後、校門前で待っている。」



「へ?何でです?」



俺はすかさず聞いた。俺だけという意味が全くわからなかった。春日野道も西九条も、困惑してこちらを見ている。


クエスチョンマークまみれの音楽準備室、三人の部員が雰囲気で強く説明を求めるなか、


顧問である香櫨園は、何故か苦笑して、こんなことを言ってきた。




「君を諦め切れないのはあたしだけではないのだよ。」



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