つむじ風のカープ女子
時計の針も6時を回り、外ではガチではない運動部から順に片付けが始まっている。野球部は……無論練習を続けている。遠目に、ノックを打つ武庫川監督の姿も見受けられた。
「精神力が物を言うスポーツか……そうだよな。わかる気がする。」
「知っている風な口を利くのね」
「知ってるよ。やってたんだから。」
何を当たり前の事を、と俺は思う。これでも、世界大会で先発のマウンドを任された事だってあったのだ。その時、一番手強いのは自分にかかってくるプレッシャー、そこから来る緊張だった。あるはずの実力を、うまく発揮できないほど怖いものはない。
間違いなく、野球は精神力のスポーツなのだ。
「けど、鍛えようとして鍛えられるもんでもないからな。大物スターズの場合……そういう、実力が圧倒的なチームに立ち向かう方法をよく知らないんだろう。だから、早々に諦めがついちゃうんだろうな。
この展開なら勝てない、って、思ってしまうんじゃないか?」
「…………。」
思いの外返事がないので窓から正面に目線を移してみると、西九条が訝しげな視線をこちらへ向けてきていた。
何かを疑っているような。しかしその実、何かを期待しているような………
「プレイヤーだったの?」
「え?ああ、そうだよ。
中学で肘壊すまで。九年間くらい」
「野田さんのカットボールはまぐれでは打てないわ。」
瞑目した西九条はそう言う。俺もそう思う。例えばあそこで練習している選手のうち、幾人があの球をクリーンヒットにできるだろう?
「あのときのあなたは、インコースにあの角度でカットボールが来ることを完全に読みきっていた。外へステップを出したのがその証拠。違う?」
「よく見てらっしゃる。」
「香櫨園先生がサインを出していると聞いた時点で、私もそう来ることは予想していた。だけど、私にできるのは予想まで。
……自惚れじゃないけど私、打撃に関してだけはそれなりに自信があるの。野球への理解を深めるために、週二三でバッティングセンターに通っているから。」
「さすがというか……」
「だから、当てるくらいのことはできると思ってた。だけど、あんなのはちょっとうまいくらいの人では絶対に当てられない。まして、ライト前に運ぶなんて、中学上がりたての高校生では、とても………」
「…………。」
「………あなた、ひょっとしてーーー」
そのあとに続くのであろう言葉はだいたい想像がついていたし、さて、それに対して正直に答えることになにか問題でもあるかと問えば今のところ思い付かず。
事実の通りの答えを用意して構え、西九条の口からそれが来るのを俺は待った。
……が、彼女の口からそれが語られることはなかった。
ともすれば窓ガラスが割れてしまうのではないかと思うほど、ドアが激しく開け放たれる。
ビシャン、というおおよそ木製製品から聞こえてはならない音が音楽準備室に響き渡り、俺と西九条の耳を貫いていく。
あまりに唐突な衝撃音に、俺は反射的に飛び上がる、つまりビビってしまったが、
西九条はというと、瞬間、音のした方角へ顔を振り向け、
そして親の敵でもそこにいるかのように、それを睨み付けた。背筋の凍るような、ひどく憎しみの籠った瞳だった。
「二度扉を叩く程度の事もできないのかしら」
「あー?ここ、あーしらの部室だし。」
嫌味たっぷりにノックを要求した西九条に対して、その扉開け放ち犯は悪びれる様子もなくそう言った。
後れ馳せながら俺も、西九条と同じ方に頭を向ける。
ドアの向こうに立って、自分以外の全ての他人をバカにしたように嘲笑を浮かべているのは、スカート丈のやたら短い三人組の女子生徒だった。
後ろに控えた二人は影に隠れて様子が見えない。でんと構えて動かない構えを見せ、偉そうにふんぞり返っているリーダー格と思われる金髪パーマのギャル風女だけが、その全体像を明らかにしていた。
「……重音部の部室は第二音楽室に移ったはずよ。
ここは正真正銘、野球観戦部の部室。」
「あー?あんたら、まだ部に昇格してないっしょ。それで部室とか、マジウケるわ。
大体、それ言い出したの香櫨園っしょ?あいつ、何の権限もない雇われ教員の癖に、勝手に物事決めすぎでマジ笑えね。
ここ、あーしらの荷物置き兼部室なの。楽器も何も全部ここにあるし、教室割り表見てみりゃわかる、まだここ重音部割り当てのままだし。
そもそも、野球観戦部なんて部活、存在しないんですけどー?」
香櫨園が臨時教員だというのは初耳だったが、とてもそんな事を気にしていられるような場面では無さそうだった。この見た目から頭の悪そうな女は、どうもこの教室の所有権を主張しているらしい。対する西九条はそれを真っ向から否定している。
これは………完全に部間戦争の触りだ。ことにめんどくさい、噂に聞く部室の取り合いだ。
「荷物を取る際は通過していいという条件で、私たちが借りることになったのは正式な決定よ。香櫨園先生が臨時教員だろうと関係ないわ。あと、覚えてなさいよ。あの人を侮辱するのは相手が誰であろうと許さない」
「いや、お前しょっちゅうそれ」
「黙って。」
殺すぞ、と露骨に語る鋭い瞳が俺を貫く。このときほどツッコミ性を悔いた瞬間はなかった。彼女は部を守るために戦っているというのに、ああもう。
「おおこわ。
ま、いーねどね別に。あんたがそう言うならそれでも。
でも、荷物取る権利はあるって、認めたかんね今。あーしらがここを通るのに、文句言われる筋合いないってか。」
「荷物を取ることに関して一度たりとも文句なんて言ったことがないわ。ノックぐらいするべきじゃないかという一般常識の話をしているの。
活動中の部活動を他の部活が邪魔することは、部間規則で禁じられているわ。なんなら、訴訟を起こしても構わないけれど?あなた、100%負けるわよ。」
部間規則、訴訟と物騒な言葉が並ぶ。推測するに、部間規則とは部活同士の決めごとのようなものか。訴訟は………全く想像がつかない。なんだろう、先生へ陳情でもするのだろうか……
「ふん。あーしら、別に邪魔してないし。あんたが勝手に食いついて来てるだけだし。
訴訟でも何でもすりゃいっしょ。ただし、知ってるかどうかしんないけど、あんたらみたいな仮申請の出来損ない部活動は、
審査期間中にもめ事起こしたらその時点で廃部になるって部間規則もあんだからね。そこら辺、わかってやりなよ。」
頭の悪そうな女のその言葉に、西九条がぐっと言葉を詰まらせた。なんと、あの西九条がである。
俺は思う。見た目はバカ丸出しだが、この女、頭自体はワルくない………。
「フッ、ダッサ。もう言い返すこともねーのな。
んじゃ、通してもらっからね。うおっち、カス、うっちー、ほら楽器持ってくよ」
完勝と顔に書いてあるかのようにこうまんな態度で、ズカズカと乗り込んでくる頭の悪そうな女。と、バンドメンバーとおぼしき取り巻き。
三人に見えたのは、実際のところ四人であったらしい。それぞれ、うおっち、カス、うっちーと呼ばれていた連中がそれぞれどいつがどいつなのかは全く判別つかないが、
一人は黒髪長髪のおとなしそうな奴、一人は頭の悪そうな奴と感じのよく似た低身長茶髪ウェーブ頭で、もう一人は信じがたいことに頭を真っ赤に染めた団子頭の少女だった。どこか表情に憂鬱さを差していて、
ひょっとしたらこの子が「カス」なのかもしれないと思った。呼び名からして、明らかに一番おざなりに扱われている人物だと推測がつくが、
その表情に加えて明らかに仲間から一歩引いているような距離感は、何か、頭の悪そうな女に支配されていそうな感じを醸し出していて、
失礼だがその呼ばれ方をしていりゃそういう態度にもならぁな、と妙に納得させられるのである。
主に頭の悪そうな女と、低身長ウェーブ女がやかましく騒がしく喋りながら、四人はだらだらと楽器を担ぎ上げたり持ち上げたりしている。
その間、西九条は仲間の処刑を見守るレジスタンスの如く、激しい憎悪に満ちた表情で、
しかし下を向いてじっとこらえていた。普段は絶対見られない激しい怒り。それを見せられてようやく、俺の心にも、小さくはあるが怒りの炎が上がった。
何が腹立たしいのか、と問えばそれはなんとも言えないが………漠然とした話をすれば、
西九条にそういう表情をさせるほどの失礼な態度が、
単純にカンに障ったのである。
結局、連中はなんと荷物を取るだけのことに10分以上をかけ、
そのあとでようやく、帰るかと思えばしばらくドア際で談笑を続けた。
さすがにこの段階になって俺も我慢が限界に達し、怒りに身を任せて勢いのまま立、文句のひとつも怒鳴り付けてやろうと立ち上がったが、
西九条はそれを「出屋敷、耐えて」と静かに制止してきた。
一瞬、お前はどうなんだと怒りの矛先が本来向くべきでない方向に向かいかけたが、それを自覚することで俺は溜飲を下げ再び席についた。
自分の怒りの方角をも制御できない状態で食って掛かれば、恐らく西九条を困らせる結果しか生まないであろうと、そう思ったのである。
連中の談笑は長く続いた。部活審査会という黄門の印籠をかざされた俺達にはそれをただ黙って見ている他に手はなく、二人してその間は、じっと下を……スコアブックを見て、必死に怒りを抑え込んでいた。
唇をきっと噛み締めた西九条と、拳をテーブルの下で握りしめた俺は恐らく共通の感情の下にいたことだろう。屈辱……その二文字の他に現状を表す言葉は存在しない。
気をまぎらわそうと見つめるスコアブックの内容などは、とてもじゃないが気にしていられない。普段なら一瞬で解読できる記号の類いも、今はそういう模様にしか見えず、その意味などは頭に入ってくる余地がなかった。
と、さらにしばらく後……そろそろ本格的にただの嫌がらせだな、と感じ始めた時のこと。
徐々に精神安定剤の役割を果たし始めたスコアブックが、西九条でも俺でもない第三の手によって、ふわりと浮かび上がった。
二人して、視界30センチのマイワールドを形成していたがゆえに、面食らったように浮き上がった先を見上げる。
俺達の唯一の精神支柱である、スコアブックを持ち上げたその人物は、
さっき恐らく「カス」と呼ばれているのだろうと俺が推測した、真っ赤なお団子ヘアーの見た目ぶっ飛び少女だった。よく見れば目もとにどこか西九条と似通った力強さがあり、その態度とは裏腹に気は強そうに見える。半袖のブレザーをうでまくりして肩筋を見せている辺りが、
なんとも言えない色気を醸し出していて、
俺のなかからほんの少し怒りの感情は削げていった。
「スコアブック?」
赤毛の団子は、それを開いてパラパラと捲りながらそう訪ねてくる。
どっちに聞いたのか。どっちでもいいのだろう。
西九条と俺は顔を見合わせた。西九条が先に口を開いた。
「ええ。そうよ。」
「何をすんのん?これ見て。」
関西弁。俺は少し拍子抜けした。いや、兵庫県なので本来関西弁がデフォルトで当たり前なのだが、この学校、クラスによってはそこそこの進学校で、なおかつ多彩な部活動にひかれて全国から生徒が集まるらしく、
却って関西弁が珍しいくらいだったのだ。東京生まれの俺含め、である。
「何すんのん、と言われたら………試合の分析、かしら。それ以外の説明が見つからないわ。」
さっきまで怒っていた割には、丁寧に説明するなと俺は思った。西九条のさっきの怒りならば、一人くらいは軽く人が殺せると勝手に思っていた。それが、意外と、物腰柔らかく話すもので………
「分析………ほぇー………」
何か感心したように言葉にもならない言葉を呟き始めた赤団子。そのスコアブックを眺める彼女の目を見て、俺はハッとした。
西九条が凄い選手を見たときの瞳に、そっくりだったのだ。
「………ねぇ、あなた。あっちにいなくていいの?」
西九条は、困ったようにそう言った。既に彼女も気づき始めているのだろう。この重音部とやらの四人のなかで、一人、この赤団子だけ、雰囲気が確実に違うことに。
「三人は、楽しく談笑はしているようだけれど」
「ええねん。アホにつきおうとったらウチまでアホなってまうから。」
ボソッと呟いた赤団子。
俺はその発言に衝撃を受け、そして先の推測に確信を持ち始めた。
彼女は、あの三人とは違うし、何かある。
たぶん、あまり良からぬ方向の、何かーーー
「なあなあ。これ、阪神と広島の試合やろ?」
あるページを開いて手を止め、スコアブックをテーブルに置いた赤団子。俺と西九条はそれを覗きこむ。
見ればそれは第一回活動のスコアだった。紛れもなく、阪神アニマルカイザース対広島東洋レッズの試合である。
「………ええ。見ていたわ。この出屋敷と……それから、香櫨園先生と一緒にね。
部活動として。」
「野球観戦部、言うたなさっき。
読んで字のごとく、野球見る部活なん?」
「それはざっくばらんだな」
俺は敢えて口を挟んだ。存在感が無くなることを危惧したわけでは決してない。
どこかまだ少し、警戒している西九条の、その警戒を解くためだった。
今、俺には予感がある。
この赤団子は、スコアブックが読めるそして、メンバー表を見ただけでそれがプロのチームだと………阪神カイザースと広島レッズだということが、わかる。
すなわち、彼女は……
「私たちは、試合を見て、その試合を詳しく分析し、野球に対する理解を深めるという内容の活動をしているわ。だから、純粋に楽しい野球観戦をしに行くわけではないし……プロ野球ばかりを見ているわけでもない。」
「昨日は、草野球見に行ってきた。一番前のページがその内容。」
赤団子はそれを聞くと、無言でページをペラペラとめくり始めた。
そして先頭のページで手を止めるとそれをしばらく無言で眺め、最後
「Q、E、D………」
と呟いた。
「証明しきった、っちゅーことか?この試合を。」
「そこまで高慢であるつもりはないわ。ただ、私たちの今のレベルで、突き詰められる限界までは突き詰めた、ってところかしら。」
「んな、あんたらの思うこの試合の……商店街チームの勝因は?」
「投手力とキャッチャーのリードの巧みさ、チーム方針、ってところで落ち着いた。」
俺が導きだした答えではないが………部としての活動であることを示すため、俺が答えることにした。チラと見やれば、西九条に不満の色は見えなかった。俺はホッとする。
赤団子はそれを聞いてしばらくまた黙り混んでじっとスコアブックを眺めていたが、しばらくしてニイッと今日一番の笑顔を見せ「ふふふ……」と含むように笑うと、
急にビックリするぐらい大きな声で高笑いを始めた。
さすがの西九条もこれには「たまげたわ……」と言わんばかりの表情で後ろへ飛び退き、俺に至っては「わっ、何だァ?!」と思わず声をあげてしまう。
向こうでこっちのことなどつゆほども気にかけず談笑していた三人組も、さすがにこっちを向いた。
音楽準備室全員の注目を一身に浴びるなか、高笑いを終えた赤団子は、トンネルの闇の向こうに絶景を見つけた子供のように純真無垢な笑顔で俺と西九条にそれぞれ笑いかけ、
そして意味不明に肩をバンバン叩いてきたあとで、
向こうの三人に聞こえるほどの大きな声でこんなことを叫んだ。
「ウチ決めたわ!!
重音部やめて野球観戦部に入る!!」
……再度沈黙が流れて、場の空気は事故の起こった首都高のように混乱の色を深める。
俺は………正直なところ、こうなるような予感がどこかにあったし、そうなることを軽く望みさえしていた。部活として認められるためにはどのみちもう一名、部員が必要だということを知っていたからだ。
ところが寝耳に水の重音部三名と西九条真訪に関してはその限りではなかった。
「………カス、あんた何言ってんの?」
明らかに怒気を含んで頭の悪そうな女が言う。後ろに控える低身長ウェーブ女も相当ヤバい目をしている。黒髪長髪は……どうでも良さそうだった。
「姫島。ウチな、その『カス』いうあだ名大っ嫌いやねん。我慢ならんのや、腹立つんじゃ。」
怒りの三段活用。数百年マグマを溜め込んだ浅間山の噴火を、目の当たりにしているような、そんな感覚。
「カスにカス言われる筋合いないっちゅーねん。思わんか?なぁ、姫島。お前、ブタにデブ言われて、嬉しいか?」
「……っああ?何を訳わかんねーこと言って」
「ワケわからんか、理解でけんか、ほなしゃーないわ。アホになに言うても一緒や、一緒。人が嫌がることの判別、言われても気いつかんのやさかい、始末に負えんわ。
とにかくウチやめるから、んじゃな。後は勝手にやってくれ。」
ひらひら、と手を振って姫島と呼ばれた頭の悪そうな女に退出を促す赤団子。
その姫島の後ろから、低身長ウェーブ女が「春日野道!!」と叫ぶ。それが彼女の名字らしかったが、彼女はそれを鼻で一笑し。
「今頃遅いわ、エエからもう帰って。」
交渉の余地なしといった風にあっさりとそれを退けた。低身長ウェーブが悲痛な表情のまま引き下がっていくなか、入れ替わるように出てきたのは姫島。「てめぇ……!!」と噛み砕くようにして怒りの声を上げ、ずんずんと赤団子………春日野道に詰め寄っていく。
ヤバい、本気でキレている。目がマジだ。
瞬間的に暴力沙汰への序曲を聞き分けた俺は、ほぼ反射的に春日野道の前へと、
盾になるべく躍り出た。かっこいいとこ見せたろうとか、男らしさの見せ所とか、そういう感情以前に、単純に厄介事を今起こすデメリットと、殴られたらさぞかし痛かろうなぁという心配が、
人間、出屋敷進次郎の眠っていた道徳観を呼び起こし、体を動かさせたのだった。
……しかし、俺が庇い隠せたのは春日野道の半分でしかなかった。なぜなら、もう半分を西九条真訪が庇ったからである。男女二人によるスクラムが、今まさに殴りかかられようとしていた赤毛の少女を守る。
姫島も、さすがにこれには面食らって足を止めた。だが、怒りは収まらず、慣性の法則で憤怒の感情だけが飛び出したかのように、彼女は叫んだ。
「そこどけよ!!これは重音部の問題だ、あんたらに関係ねーだろーがよ!!」
「関係あるわ。たった今春日野道さんは、我が野球観戦部に仮入部したもの。」
一歩も引かず、といった気迫で言い返す西九条。声は細く、落ち着いてはいるが、しかし言葉尻には確固たる意思に裏付けされた力強さが含まれていた。
援護射撃……というほどのことではないが、俺も続く。
「俺もまだ正式に入部届け出しちゃいないが、部員だからな。たぶん認められるぞ。
第一、あんたの言うとおりウチはまだ審査会を通っていない仮部活だ。正式な手続きに意味のないことくらい、わかるんじゃないのか」
「うるっせぇんだよゴチャゴチャ理屈ばっか並べやがって!!
お前らの都合なんてどーだっていーんだよ、これは重音部の問題だ!!そこどけ!!あーしはそいつに話があんだ!
」
「話?暴力の間違いじゃなくて?」
「そう主張したいならその握りしめた拳、チョキにしてくれないか」
一歩も引くまい、とする俺と西九条。なんとなく……いや、実際のところどうだかは知らないが……この瞬間は心が通じあっているような気がした。共通認識として、新入部員を守りたい、という気持ちがあるという、そんな気が。
「だあクソ!いいからどけ!!理由なんてどーだっていーんだ、そいつを、カス野郎をこっちへ寄越せってんだよ!!」
「聞いた?出屋敷」
「えっ?何を?」
「………いいわ。もう。
姫島さんといったかしら。今のはあなたの好きな部間規則に違反している行為よ。」
「はっ………ハァ?!部間規則?!何をいきなり………あーし何にもしてな」
「他部の部員を貶めるなかれ。生徒手帳に書いてあるから読み直してはどうかしら。」
にやっ、と彼女としてはかなり大きな笑みを浮かべる西九条。
おそらくだが、それは勝利を確信した笑みだと思った。相手の言葉を逆手に取ったことへの、愉悦のように見えた。
「他部員………って、春日野道は重音部のーーー」
「ーーーウチはやめたゆーとるやろ!もう既に野球観戦部員じゃ!!」
後方から叫び声が上がったと思ったら、春日野道だった。まぁ、庇ってるんだから当たり前だが……
「あなた彼女のこと『カス』と読んだわね。これは我が部員に対する明確な侮辱行為よ。
望むなら、あなたが大好きな部活法廷で審理しましょう。ただし、
起訴するのは私たちよ。」
西九条の言葉で、ようやく俺のなかで話が繋がった。さっき姫島が起訴だの何だのと言ったのは………部活法廷とかいうものの事を指すらしい。それがどういった内容の物なのか、全く検討はつかないが………
「くっ………お前ら………!!」
姫島とかいうのは、アホそうな女ではあるがやはりアホではないらしい。手は出したくて仕方ないけど状況的にそれができる道理がない。それをしっかり理解できているようだった。逆手に取られたことの意味を、よく理解しているようだった。
「もういいわぁ。やめなさい、姫島。」
現状、この教室で最も落ち着いた声がドア側から上がる。それは、低身長ウェーブ女のものでも、無論姫野のものでもなく、
ここまで沈黙を貫いてきた長髪黒髪女のものであった。
姫島が「うおっち!けど……!」と異論の声を上げる。だが、うおっちこと黒髪長髪女は壁に体を預けたまま、西九条よりも冷静にこんなことをいった。
「その子の言っていることは嘘ではないの。むしろ事実に近いわぁ。生徒会は、仮部活に対して口頭での仮入部を認めている。正式入部だと、部自体が潰れてしまったときに手続きが面倒だからぁ………」
「………くっ」
「そして、侮辱の件もまた妥当。カスは悪口として認められしまうわぁ………姫島これは、春日野道のことを名前でよばなかったあなたの失策。
わかる?」
「………!」
身内からそれを言われてはもうどうしようもなかったらしい。と、言うより………見かけによらず、パワーバランスがその黒髪長髪の方が上だったのか。
上げた拳を下ろす場所を見失った姫島は、それでもしばらくその場に留まり唸っていたが、
ある時ようやく踏ん切りがついて溜飲を下げ、踵を返し、何も言わず物凄いいきり肩で部屋から出ていった。
それにくっつくような形で、消去法で『うっちー』だとわかった低身長ウェーブ女が若干泣きそうな顔で退出し、最後うおっちこと黒髪長髪女が満面の笑みで
「お騒がせして御免なさいねぇ。次からはノックをするようにするわぁ」
と、全く悪びれる様子もなく口だけの謝罪をひとつ、ゆっくりと退散していく。
音楽準備室に平穏が戻ったのは、ようやくもってその頃だった。
ふ、とため息をひとつついた西九条が「疲れたわ………」と軽めの愚痴を漏らしながら元の席につく。俺はそのまま教室の端、パイプ椅子の集積してあるところから1脚椅子を持ち出すと、
一気に緊張が抜けて呆けたか立ち尽くす春日野道の横に置いて、
「とりあえずどうぞ」と声をかけて、それから自分も席についた。
春日野道もおもむろに席につく。時計を見れば未だ六時半に到達しておらず、正方形のテーブルの上、二等辺三角形で対面する事になった俺達三人は、
30分と経たないうちの、あまりにも怒濤の展開にしばらく言葉を失って座り尽くしていた。
「……連中何で入ってこれたんだ?」
一番最初にその気まずさに耐えかねたのは俺だった。
正直答えがなくてもどうでもいい質問だったが、西九条はゆっくり顔を上げ、前髪をうっとうしそうにかきあげた後で、こう答えた。
「言ったでしょう?この部屋が彼女らの荷物置きであることは間違いないの。
だから、音楽部を一身に引き受けていらっしゃる今津先生は、鍵を持っている。
彼女らはそれを借りて……時たまこうやって、嫌がらせついでに入ってくるのよ。あなたが奇跡的にこれまで出会わなかっただけで、
初めての事ではないわ……」
「いやぁ……その節は、ゴメン。」
喧騒後初めて口を開いた春日野道。顔の前で合唱し、すまなそうに頭を下げる。
「お察しの通りや。姫島は……ここに正味用事なんかあらへん。ただ、西九条さん、あんたの事を一方的にいけすかん奴やと思うてて……ウチとか打出(うちいで)とかが諌めたかて、聞かんのや………せやさかい、あんな感じに毎回………」
「もういいわ。気にしていないと言えば嘘になるけれど、こうなった以上もう話は完全に別次元のものだから。」
いつものように限りなく透明に近い表情で、なおかつ細く抑揚なくそう言う西九条。冷たい物言いに聞こえなくないが、だが普段からそれを聞いている俺には、同じようでも違う、少し熱を帯びているのがよくわかった。
「第一、魚崎というあの生徒会長……」
「え?!あれ生徒会長なの?あれで?」
「ええ。知らなかったの?」
「知らんかったん?」
「知らん………じゃあ何で止めないんだ………もめ事になって一番厄介なのは自分だろうに………」
「決まってるじゃない。彼女こそが私を嫌っているからよ。
今の一件、原因はほとんど魚崎さんにあると考えても的はずれではないわ。」
さも当然とばかりそんな事を言う西九条。うんうんせやねんせやねん、と頷くのは春日野道。
事態を収束してくれたしまだ理性的な人なのかと思っていた俺は、二人の話に驚愕する。要するに、あれは女狐だということなのか………?
「一番目立ってたけどな、姫島は小物や。所詮は腰巾着………せやさかい、引くとこは引くやろ。あれは、必要以上にでしゃばって、あとからそれに怒った魚崎に無視とかされるのが怖いからや。」
「前例があるんだな……」
春日野道はせや、と頷く。本当は頭が悪くないからだ、と思っていたがどうもそういうことではないらしい。女の園の怖い話………
「私は、この部屋を部室として借り上げるとき、香櫨園先生と多少無理をしたの。」
小さく息をついて西九条がそんな事を言う。それでなんとなく説明がつくことがあった。西九条の香櫨園に対する謎のリスペクトだ。
香櫨園克実。割と、義理人情に厚い人物なのかもしれない。
「本来なら、新設の仮部活に部室など与えられないわ。だけれど、創部と顧問就任を………香櫨園先生にお願いに行ったら、引き受ける以上はとかなり手を回してくださったの。
それで……どんな手を使ったかは知らないけれど、この部屋が手にはいった。」
「まー、あれや。ウチは正味どーでもよかったけど、魚崎ったらこれがめんどくさい奴でなー。おっとりしとるようで、かなり嫉妬深い。
西九条さんは、あいつの中では部室から自分等を追い出した奴、って認識やわな。それで……」
「間違いではないもの。嫌われること自体は仕方ないわ。」
やけにあっさりと西九条。だが話には続きがあった。
「けれど、だからといって嫌がらせをしようという思考回路は、ともすれば二年後社会人になっていてもおかしくない人間としては、幼稚に過ぎるわ。まして、あれで生徒会長だなんて………」
「全くよ。うん。あほくさ。」
激しく同意は春日野道。しかし、俺の中ではここでひとつ疑問が生まれる。
「ていうかそもそも………一年のアタマから生徒会長って、おかしくないか?そういえば、部室追い出されたって話も、それじゃまるでずっと使っていたかのような物言いに……」
「………何を言ってるの、あなたは。」
アタマ大丈夫?とでも言いたげに、眉を潜めて西九条。春日野道がへへ……と苦笑いに近い照れ笑い。
俺の中で、ひとつの予測がたつ。そして外れてくれることを切に願う。
だが、現実は現実の通りだった。
「ウチ、二年やで。」
「ええ……」
「出たわね。」
まるで出屋敷評論家のようにしたり顔でそう言う西九条。
しかし俺はそれを相手にしているどころの話ではなかった。あの状況下、非礼を働いていたのは確実に自分達も同じであったとようやく知ったのである。
まあ、程度はそれでもあっちの方がよっぽどひどいが。
「………春日野道さん」
「もうええよ、別に。何かむず痒いわ。」
ケタケタ、と快活に笑う春日野道。赤いお団子がゆらゆらと揺れる。
「……ていうか、西九条。お前は何で知っててタメ語なんだよ」
「程度の低い相手を前にして敬語なんて使えないわ。」
おそらく魚崎のような人間を指しての発言なのだろうが、これでは春日野道もまとめて評しているように聞こえる。
ヤバイ、と素直に思った俺は恐る恐る春日野道の様子を伺ったが、彼女は欠片も気にしていないようだった。
「そーそー。あの状態のウチらを年上やからて敬う必要なんかひとつもあらへんわ。
それに、あんたら、ウチの事全力で助けてくれたし、ウチは助けられたし。これからもタメ語でええよ。てかそうして。こん中やったら入部、一番さいごっちゅー事になるしな。」
「は、はぁ………」
いいのかなぁ……と思いつつ俺は頷く。そもそもタメ語の西九条は無言だった。
「ま、何せあれや。今日からよろしく頼むわな。いやなに、重音部と縁切れてせいせいしとるんや。その上、こんな自分にピッタリな部活見つけられて、ラッキークッキーもんじゃ焼きっちゅーところや。」
微妙なギャグをかましたところで、ぐっと伸びをして見せた春日野道。落ち着いてみれば彼女はかなり幼児体型で……胸は、ない。
「春日野道さん、ひとつ聞いていいかしら。」
西九条が尋ねる。一応さん付けなのね。一応。
「ん?なんや?」
「何故、スコアブックを見て……入部を決めたの?」
「ああ、それかい。」
にっ、と笑みを浮かべた春日野道。あくまで見た感じでしかないが、とても愉快そうだ。
「ウチも見に行っとったさかいな、その試合。
寸分違わぬスコアブック……まるでアタマんなかで試合のDVD再生してるみたいやった。こんなに詳細に記録できる奴ら、どう考えても野球オタクしかありえへん思ったんや。」
いや、まぁ、何だ。記録してるのはほぼ西九条なんですが………
「………。
それで、決めたってことは」
「うん、ウチも筋金入りの野球オタクや。」
「ええ………」
「出たわね。」
あっさり認めた春日野道、じゃあ何で重音部なんか入ったのの俺、したり顔の西九条。
春日野道は続けた。
「ここんとこ世知辛い世の中でな……おらんのや、一緒に野球見に行こう誘える連中……重音部なんざ論外やしな。
せやさかい、嬉しいわ。こんな部活見つけられて。ウチも機会があったら、陽が暮れるまで野球の話ぶっ通しで続けてみたい思うとったさかい。」
「なんでこんなのが音楽準備室で揃うんだ………」
世の中どうなってるんだと俺は思う。野球部で野球好き、音楽準備室で音楽好きが出会うなら話はわかるが、なんで野球好きが、しかも互いに筋金入りと豪語するオタクが、二人も、ここでそろうのか…………
「………っと待てよ。
さっきのスコアブックを見て……ウチも見てたと言うことは………もしかして春日野道さん……」
「あんな、えーとあんた………」
「出屋敷です。出屋敷進次郎。」
「おお!出屋敷てあの出屋敷か?」
「タイヨウのことを仰ってるなら、一緒です。」
「へーそうか。ええ名前やな。じゃあシンジローって呼ばせてもらうわ。よろしくな、シンジロー!」
「ど、どうも……って出屋敷じゃないんですね。」
「それでな、先輩相手でどうにも言葉が丁寧になってまうのは親の育て方がええ証拠で大いに結構なんやけど、
春日野道さん、じゃあんまりにも他人行儀や。寂しいわ、辛いわ、苦しいわ。」
寂しさの三段活用。なんだろう、三つ並べられるとさすがにグッとくる。
「せやさかいな、せめて忍さんって読んでや。
うち、春日野道 忍(かすがのみち しのぶ)言うねん。よろしくな。
あ、西九条さんも忍とか忍さんとかでええで。」
「………いきなりそんなに馴れ馴れしく呼べないわ。」
見たことないくらい顔を赤くしている西九条。これはかなりレアだ。ガチャで言えば当選確率一パーセントの『照れ』だ。
「うーん残念。ほな、ま、慣れたらでええわ。待ってるでな。
それで?何やシンジロー。」
「え、ああ、いや。
あの試合見に行ってたってことは、もしかして忍さんも………」
「タメ語でええ言うてんのに」
「いきなり無理です」
「まあええわ、で?」
「忍さんも、阪神ファンですか?」
それを聞いたとたん、春日野道は一瞬キョトンとして、それからさっきと同じくらいの大きな声で高笑いを始めた。状況がつかめない俺は疑問符をアタマ一杯に浮かべて、西九条の方を見た。西九条は、何で今それを聞くかな……とでも言いたげに視線を反らし、ばつの悪そうに窓の外を見ていた。
春日野道は、ひーひーいいながら「あー、腹痛、おかし」と言ったあと、
やはりくっくと笑いながら、何故か襟筋を正した後で、
俺にとってはかなり衝撃的な宣言をした。
「あんな、ウチ、広島ファンやねん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます