女子高生の試合分析
プロ野球選手の息子が、遺伝的に野球選手としての資質を受け継ぐものかという問いに関しては、あくまで俺の経験から言わせてもらえば『イエス』だ。
自慢ではないが、俺は確実に野球が上手かった。小学校一年生の頃から野球を始めて、以来ずっとピッチャーをやってきたが東京ではいっぱし名が通るほど活躍したし、小六ではUー13の日本代表にも選ばれた。
中学校に上がる前、オヤジの移籍が決まって兵庫に越してきたとき、数多のシニアリーグチームから声がかかったが、地元の中学校の部活に所属。理由はその時既に肘が痛み始めていたから。それでも中二の春、肘を壊すまでは部でエースとして活躍して、二年生で全国一歩手前まで迫るくらいのことはした。
野球は九人でやるスポーツだから、その業績をまるごと俺個人の能力の指標にしてしまうのはまた違う話かもしれないが、少なくとも、中学小学共々、そのチームとしての活躍の中核を担っていたのは自分だったという自覚がある。
あくまで軟式ボールでの記録だが、球速はMAX137キロ、持ち玉はカーブ、スライダー、フォーク、ツーシームファスト、高速シュート、チェンジアップ。七色の球種を自在に扱い、ノーヒットノーランを数えること5回。全て、公式戦での記録である。機関誌で取り上げられたことも……少なくなかった。
自惚れを承知で敢えて言ってしまうと、中二までの俺は明らかに中学生のレベルを越えた、怪物級の選手であったと思う。
もちろん努力もしたし、人一倍練習にも打ち込んだつもりで、その結果の賜物という見方ももちろんできるが、
頑張りでどうしても補えない部分、凡人が素振りや投げ込みを繰り返したところで埋まらない永遠の差がどこで生まれたかと言えば、
それは親から授かった遺伝と説明する他にはない。ことに、ストレートの速さと伸びは父親そっくりだとよく言われていた。俺自身もそう思う。
出屋敷太陽の息子であるという事実は、確実に、俺を未完の怪物たらしめる理由の一つであったという話だ。
………まぁ、肘がぶっ壊れ使い物にならなくなり、プレイヤーとしての情熱も冷めてしまった今となっては、殊更にどうでもいい、これからの生活に屁の役にも立ちそうにない事実ではあるが。
さて、閑話は休題。
日が明けて翌日、例によって放課後音楽準備室に集合した俺と西九条は、これまた例によって昨日の試合の『感想戦』を始めた。
ざっと振り返れば商店街野球団によるノーヒットノーラン未遂、勝ち方としてはスマートに過ぎ、負け方としては淡白に過ぎるという内容で、正直盛り上がりに欠ける試合であったというのが単純に観客としての感想であったが、
さても西九条の手にかかればそんな退屈な結論には落ち着かない。
「あれほど一方的な試合に落ち着いてしまったのには当然理由がある。
そして、そこまで全て計算づくで武庫川監督はリードしていた。
それをきっちり理解しない限り、大物スターズは何度やっても同じ事を繰り返すわ。
逆に言えば……そう、それを押さえておけば、
今度は勝てる可能性だってある。」
荒れ果てた大地に一輪の花を育てる女神が如く、彼女はそう仰られるのである。
こうなるとこの部活は無条件に楽しい。何一つ道具もなく、労働力にも資源にも乏しい土地から実の成るものを育て上げるシュミレーションゲームは、
その難易度の高さも相まって、クリアを目指す努力そのものに達成感を感じることさえできるのである。所詮自己満足だという考え方もできてしまうが、大体この部活それ自体がそういう目的の元に作られているので、
あまり気にしない。
「鳴尾浜商店街野球部は、端的に言えば逃げ切り型のチームよ。」
「逃げ切り型。」
「ええ。序盤に戦力を集中投入してリードを得て、そのまま試合を終えてしまう。
本来、中継ぎや抑えの投手が充実しているチームが使う作戦と言えるかしら。」
「つまり先に点取って、あとはピッチャー交代&守備固めでリード守りきって勝つと………
けど、昨日、商店街野球部は野田さんがきっちり最後まで投げきってるぞ?それに、点を取ったのも中盤戦だし、打線の組み方とか選手の起用法に特別な何かは感じなかったし………」
「ブルペンを見ていないからなんとも言えないけれど、武庫川監督は出来ることならリリーフを使いたくはなかったと私は考えているわ。最初から野田さん一人で行くつもりだったと思う。
商店街野球団に選手の数は多くなかったし、少なくとも野田さんより立派な体格をした選手はいなかった。安直だけど、あの人より優秀なピッチャーはいなかったんだと思う。」
「ええ………」
「あなたのその口癖、数を聞いているとあまり心地のいいものではないわ。できれば控えてほしいのだけれど」
「善処する。
それで……」
「あなたの言いたいことはわかるわ。
最初に言った逃げ切り型の条件と、チーム状況がかけ離れている。
そういったところじゃないかしら。」
「……こういう趣味してると二手三手先を読むのに長けてきたりするのか?」
「どういうこと?」
「お前、俺がこういう質問する方向に話持っていっただろう。いやなに、感心するばかりで別に嫌な気はしないけど、掌で遊ばれているような感じがする。」
「あなたがそういう感覚を持つことを期待してこういう話し方をしていたわ。
昨日の大物スターズも同じようなものなの。武庫川監督の掌で遊ばれていた。」
「…………詳しく頼むわ。もうお手上げだ」
「優秀なリリーフはいないけれど、プロ並の明らかに実力の飛び抜けた先発ピッチャーがいるチームが逃げ切り型の戦法を取る方法。
それは、
序盤にその実力差を派手なまでに見せつけ、完膚なきまでに相手のプライドを打ちのめしておくことよ。」
「…………?」
「あなた今、掌で遊ばれているみたい、って言ったわね。
どう?その精神状態で、私を口で打ち負かそうと思ったりする?」
「いや。欠片も思わん。」
「私の見解に勝るものを、持ち出せると思う?」
「無理だな。俺とお前じゃ……知識も推察に回せる頭の回転速度も、観戦側の経験も……何もかもが違いすぎる。
とても太刀打ちできるとは思えない。こればっかりは見栄張っても仕方ない。」
「あなたと私、まだ出会って一週間と四日しか経っていないのだけれど。それでもそう思う?根拠はあるのかしら?」
「………?
根拠もクソも、今話している通りというか………
初日に感想戦やった時から、勝てっこないって思ってるよ。まぁ、勝つ必要もないけど………」
「今あなたが語ったこと、それが昨日のノーヒットノーラン未遂を産み出した要素の全てよ。」
真剣そのもので、ともすれば高圧的とすら言える視線を送って来ていた西九条の表情が、ふっと和らいだ。
俺はそれで、今の三つの質問すら彼女の策中にあったことを悟る。もはや一挙一動まで読まれているような感覚。とても敵いっこないと、再度思う。
「そのこころは?」
「野田さんは昨日の試合、初回から五回………つまり違う選手の顔を使い分けていた期間ね。その間に、持てる力のほぼ全てを使いきったわ。残り四回との比率は………そうね、八対二、といったところかしら。」
「………?
それと俺の諦めと何の関係が……」
「わからない?
武庫川監督は、野田さんの全力を序盤に見せつけ誇示することで、
到底敵いっこないという印象を相手に与えようとしたのよ。」
にっ、と口角を上へ持ち上げて不敵に笑った西九条。さすがの俺も、それを聞いて話の全体像が見え始める。
「逃げ切り型って、そういう意味か……」
「ええ。主にピッチャーの話。
実際、大物スターズは序盤戦、ストレートは完全に差し込まれていたし、カーブには全くタイミング合っていなかったし、カットボールにはバットがかすりもしなかったわ。
あれでは……とても試合に勝つ勝たないの話ができた状態ではなかったのではないかしら。」
「圧倒的戦力差を見せつけてそもそも勝ちへの意欲を削ぐ……ってことか。」
あのチームに俺がいたらどうなるだろう。恐らくは………自分も含めて塁にランナーすら出ない状況では、勝ちへの手がかりを探すことすら諦めるかもしれない。まして……
「しかも状況はノーヒットノーランだったわ。勝つ勝たないの前に、ヒットが一本出なければそのまま屈辱的敗北を喫することになる。
そうなるともう、チームとして勝ちに向かっていく気持ちはなくなるわ。とにかく一安打。皆がそれをめざしはじめるでしょう。そうすると……」
「チームに連携がなくなると。」
「フォアボールですら頭から消えるでしょうね。実際……スコアブックを見ればわかることだけれど、大物スターズへのカウントは空振りとファールがかなり先行して、結果的に投手有利のものになっている。
なりふり構ってられなくて無理に打ちに行ってる証拠。」
「焦りが冷静さを失わせるのか……」
「そういうことになるわね。短期間で実力の差を見せつけることで戦意を勝ちから反らせる。
野球はチーム全体の精神状態がプレーに非常に濃密に関わってくるスポーツよ。一気に相手の戦力を削ぐのに、これ以上有効な手段もないわ。」
「………なるほど。わかったよ。いたいほどよくわかる。全部、今俺が経験したことだ。
つまり、最初の五回で勝負は決していた。全力をつぎ込んで相手の戦意を喪失させて、残り四回、一体感を失った相手にたいして残る力で抑えにかかる……
ハナから勝てっこないと感じている相手は、知らない間に打てそうな球すら打てない先入観に苛まれて、結果本当に打てない、と……」
「九割がたはそれで正解だけれど、武庫川監督のリードに関して言えば、もうひとつ注目しておくべき点があるわ。」
そう言った西九条はこの上なく痛快、といった様子で、
例の、凄い野球選手を目の当たりにしたときの輝く瞳を僅かに見せていた。
若干、俺に向けたそれよりは控えめだったのが………俺としては少し嬉しかった。
「野田さんは十分ノーヒットノーランを達成できる可能性があったのに、できなかった。最終的に大物スターズが放ったヒットの数、覚えているかしら?」
「一本……だっけ?」
「打った時の事を覚えてる?」
「……いや」
「ここよ。」
西九条はスコアブックのある一点を指差した。五回の表、二死ランナーなし、とある。
それで俺も思い出した。確か、この試合唯一大物スターズベンチが盛り上がりを見せた場面だった。
「これが?」
「この回、この時だけ、武庫川監督の配給が異様に甘くなったわ。カウントスコアを見て。」
とんとん、と細く綺麗な指でスコアブックを叩く西九条。
通常スコアブックは、打者に起こった出来事と、ストライク、ボール、ファールといった情報を記号で記しておくものである。逆に言えば、本来ならそれ以上の情報はない。
が、彼女の記すそれはもはやプロチームのスコアラーレベルのもので、球種、コース、ファールなら飛んだ方向まで、詳細かつ性格に記しているのである。まぁなんとも、見上げた根性である。
「………三球目にヒッティングで………その前の二球が、ストレート。特注書きで、球威に欠く……」
「わざと打たせたのよ」
満を持して、とばかり西九条が言う。
さすがにその意図を推察するまでのことはできず、俺は思わず首をかしげた。西九条は嬉々としてその理由を説明し始める。
「いい?キュウソネコカミという言葉があるでしょう?」
「それはバンド名だ」
「意味は同じよ。
人間追い詰められたとき、火事場のクソ力を発揮するという意味。」
「まあ、知ってる。」
「例えば九回表まで、ノーヒットノーランが続いてたら、大物スターズの選手たちの気持ちはどうなったと思う?
死ぬ気で一本ヒットを打とうと思うんじゃないかしら。」
「まあ………そうだな。」
「野田さんは前半の五回でほぼ全力を使って、残りの二割で最終回までを乗りきろうとしている。実際九回はかなり球威が落ちてきていたわ。
そんな状態で死に物狂いでかかってこられたら……」
「わかった。
武庫川監督は、敢えてあちらにヒットを打たせることで、
安心させたんだ。その後ヒット一本のために相手が実力以上の力を出さないようにするために。」
「そう、その通り。
ただし、チャンスが続く希望を見せないように………一番どうでもいい場面でね。」
西九条が大きくかぶりを振る。なんて連中だ、と俺は思った。
こんな作戦を展開できる武庫川も武庫川だし、恩師の作戦を忠実に実行し得る実力を持つ野田も野田だし、
それを完璧に読みきる西九条真訪に至っては頭のなかが異次元だとしか思えない。
参った。これは……これは、あまりにも楽しい。
未踏の地で、宝を探し当てるような高揚が、体を貫いていく。
「結論としては……大物スターズの完膚なきまでにやられた敗因は、相手の術中にはまって戦意を喪失し、勝利を諦めてしまったことにあるの。最後まで気を抜かず全力でやれれば……余力のない野田さんを打ち崩すのは、必ずしも不可能ではなかった。」
「………そうなるか」
「ええ。
若干青臭い言い方になってしまうけれど、野球っていうスポーツは諦めたら負け。間がある分、精神力が物を言う競技なの。
諦めないってこと、それができるかできないかが勝敗を決めることだってあるし、それができるチームっていうのは……
単純に、強いのよ。」
ふ、とため息をひとつ、テーブルの上のペンを手に取った西九条は、そのままスコアブックに『QED(証明終わり)』と記した。音楽準備室という狭い空間に展開されていた野球場は、試合を終えてそのページを閉じる。
気がつけば陽は傾き始め、外は茜色に照らされている。
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