捕手に扮した野球部監督と超絶カットボーラー




西九条言うところの『野球観戦部』の、部としての本格的な活動は翌日から始まった。


主な活動内容はざっくばらんに言えば観戦した試合の回顧、分析、評価。試合の流れを記したスコアブックを元に、一回の表から九回の裏まで、一イニングずつ丁寧に見直し、良き点悪しき点をそれぞれ細かく解析、改善点を考え、最後にそれをレポートに纏めあげ、戦術面、技術面、士気など様々な要素においての優劣を判定し、総評としていくのだ。例えとして一番近いのは、将棋で言うところの、感想戦ということになるだろうか。


これがまぁ、割と面白い。少なくとも、想像していたものよりははるかに面白い。



その理由としてまず第一に挙げられるべきは、西九条真訪のプレイヤーと間違う(まごう)ほどの知識の豊富さと感性の鋭さだろう。



変化球の種類やポジショニング、チームとしての戦術、傾向といったデータベースの豊富さはもとより、プレイヤーひとりひとりの特徴、癖、得意分野苦手分野などの見えないデータから導き出す、その時行われた賭けひきの推察、考証、その時点での選手の精神状態、対戦相手の狙いに至るまで、


ほぼ完全記憶といっていいくらいにこと細かく、そして真実かどうかはともかく納得のいく内容で示してくるのである。



時たまに「これは私がプレーしていたらの話だけど」を接頭語にして語る仮説は、


その選手が無理なく行える範囲の最前の策を、見事に言い当てるもので、


それを基点にして導き出すその後の展開、つまり『もしも』の世界の試合結果などは、


本当の結果を隠して聞かされればまるで疑問の余地など持たないだろうと思わされるほどのものであった。



………はっきり言ってこれが楽しくない訳がない。



棋士が将棋を楽しむように、紙の上に球場を作って試合を楽しむ。それも、言うなれば相手はA級棋士。お目にかかれて光栄レベルの超絶野球博士。


肘を壊して野球をプレーする手段を失ったーーー羽をもがれた俺が世界を謳歌するに、これ以上最良の遊びもなかった。


西九条との討議はもはや、選手同士の駆け引きを掌に感じさせ、指揮官としての指示の重みを背中へ背負わせ、


自分がそのチームのいちプレイヤーとしてスタジアムに立っているかのような、そんな臨場感と高揚をもたらしてくれるのである。



……聞けば西九条は、俺が来るまでこれをひとりでやっていたのだという。納得できる話だった。正直、この一連のデータ解析作業に関して言えば、俺という人間はさして必要性がない。


なぜなら、西九条の推論は大概が当たっているか、当たらずとも近しい、大きく的を外すことはまずないというくらいに、正確性が高いのである。


俺はその楽しさゆえに口を挟みはするが、それがなければさして言うべき事もない。


なんなら聞いてうなずいているだけでも自然と形にはなっていくだろう。本来、これは西九条のひとり遊びでしかるべきものなのだと思う。



ではなぜ、彼女はそれを部活にした……つまるところ、相手を求めたのか。


ある時、それを訪ねてみたところ、彼女はこう答えた。




「相手がいないと、気づいた頃には両軍の監督が自分になってしまっているの。」




ーーー要するに、私対私になってしまって面白味がなく、試合展開が淡白になってしまう、というのだ。


加えて、間違いを指摘される緊張感がないのも、もう一段階上の考察をするにあたっては弊害になるのだという。



わからない話ではなかった。中学野球部の頃、俺はピッチャーをやっていたがために体力強化のためによく長距離走をやらされたが、


ひとりで走るときと競り合う相手がいるときでは、明らかに自分のなかでモチベーションが違った。ひとりで走るときは目標タイムにたどり着ければいい程度にしか考えられないが、これがひとたび競る相手が出ると、絶対負けたくないという気持ちが作用して、自分が思うより二割増しぐらいの力をどうしても出してしまうのである。


実際、タイムもかなり違う。競る相手がいた方が圧倒的に早い。所詮、自分自身を相手にするというのは限界があって………最も自分の力を発揮させるのは、自分を脅かすほどの相手ということなのだろう。



西九条の言うことも、恐らくそういう話なのだと思う。相手がいれば、自分が予想もしなかったことを提示してくる可能性がある。その可能性自体をハナっから考慮した上で結論を導き出すなら、それはその時点で彼女の言うところの『一段階上の考察』だろうし、提示された上でさらにそれを封じる、それに対抗する手を考えられるならそれもまた『一段階上の考察』ということになる。



初めて二人………香櫨園含めて三人で行った甲子園で彼女が語った「ようやく野球観戦部としての活動が始められる」という言葉の意味は、たぶんこういったところにあるのだろう。


運動部だろうが文化部だろうが、相手がいてこその部活動。


相手という張り合いがなければそれは、ただ単純に『作業』でしかない、ということになるのかもしれない。



その証明になるのかどうかはわからないが………



少なくとも、今の俺は西九条との部活動を、楽しんでいる。




ーーーさても、そんなこんなで入部から一週間が過ぎ。試合考察のレポートは、順調に枚数を重ねていく。


野球観戦部は未だ、部活動としては仮申請の段階にある。7月中旬の審査会、ここで部活動としての目的と実績が認められるまでは、正式な部としては認められない。


故に、学校から下りる部費は少なく、部に財産としてあるのはスコアブックとレポート用紙、それに備品としてテーブルと椅子だけということになる。


西九条曰く、部として必要なものはこれ以外にも山ほどあるとのこと。双眼鏡にカメラ、ハンディカム、ストップウォッチ、スピードガンetc.………挙げればきりがないが、試合分析の精密さ向上のためにはどれも欠かせないものらしい。


そんなわけで、近いからといって、部としてしょっちゅう甲子園に行くわけにはいかない。西九条は阪神ファンではあるが、野球観戦部部長としての自覚は……特に誰に求められているわけでもないのに……凄まじいらしく、部として観戦する試合は経費削減のためプロ野球で無くてもやむ無し……それこそ少年野球や草野球、近所の三角ベース以外ならどこでも良しとするようだった。


………まぁ、せっかくそれ用の部活まで作って阪神を生で見られないというフラストレーションは溜まっていくようではあるが。



ーーー時は移ろい週明けの月曜日となるこの日、俺と西九条、そして一応顧問ということになるらしい香櫨園は、


翌日の『感想戦』の材料を求めて、放課後、ナイター施設完備の近所の市民グラウンドへ向かっていた。



何でも、オッサン同士の草野球の練習試合があるらしい。まぁー、月曜日の夜からご苦労様な事で。残り一週間仕事しんどくて仕方なかろうに。


この情報を拾ってきたのは香櫨園。何でも、知り合いが選手の一人で、そいつに野球観戦部の話をしたら是非見に来てほしいと言われたらしい。


請われて行くなら部としてこれ以上の事もない。野球には素直な西九条がこれを快諾し、今に至るわけである。



日も落ちた午後七時。香櫨園の知り合いの所属する鳴尾商店街野球部と大物スターズの試合は始まった。


驚くべきことに、その内容は非常にハイレベルだった。鳴尾商店街の先発ピッチャーは、元甲子園球児。MAX135キロ前後と見受ける速球と、現代最高のスライダー系変化球と言われる真っスラことカットボールを駆使して六回をパーフェクト、完璧なピッチングで打線を粉砕。打っては社会人野球経験者のベテランが大物スターズ投手陣をしぶとく捉えて三点を先取。六回裏終了時点で3対0と、実質鳴尾商店街野球部のワンサイドゲームとなっていた。



「たまげたわ。」



アダムとイヴの最高傑作からよもやそんな言葉が聞けるとは思っていなかった俺は、その語感と彼女のギャップに吹き出しそうになるのをやっとこさ堪えて、


何にそう感じたのかを尋ねてみた。彼女はこう答えた。



「あのピッチャーよ。野球団の。


とても草野球のレベルじゃないわ。社会人野球の決勝にいたって驚かない。」



「………確かに凄い。うん。同感。」



「例によってあなたは、数字としてのデータと見た目だけでそういっているんでしょうけど……私は違うわ。」



見透かしたような事を言う西九条。完全に見透かされた形になった俺は、彼女に抗うことを早くも諦め「そのこころは?」と問うた。



「1イニング毎に投手としてのタイプを変えているわ。例えば初回はストレート押しの剛球派、二回は打ってかわって大きく曲がるカーブ中心の軟投派。三回は………メジャーリーガーのリベルを意識したカットボーラーならではの配球ね。


大物スターズはたまったものではないわ。中継ぎ九人を相手にしているようなものだもの。」



「七変化のピッチャー、というわけだな。なるほど確かに、ここまで多く投げ分けのできるピッチャーはそうそうプロでもお目にかかれるまい。」



相槌を打ったのは俺ではなく付き添いの香櫨園だった。白衣を夜風に靡かせて、腕を組みグラウンドを輝かんばかりの瞳で見つめている。


単純な表現だが、非常に楽しそうだ。



「しかし西九条よ。そうなってくると、凄いのはピッチャーだけではなくなってくるのではないか?


投げ分ける方も大変だが、それだけパターンを変えて配球を組むキャッチャーにも、相当負担がかかるとみたが。」



「確かに………俺も一回やったことがあるが、正直素人ではどう組み立ててもワンパターンになってしまうもので……」



「香櫨園先生、シラフだと鋭いですね。


私もそう思います。ピッチャーの技術はいうに及ばずですが、この配球の組めるキャッチャーは、相当優秀です。」



そう言う西九条の表情は、相も変わらずクール一徹、限りなく透明に近かったが、


しかしその声は若干上ずっていた。これは、彼女が興奮しているか、かなり楽しく感じているときのサインである。



「初回から全てが計算づくです。恐らく……二回に変化球主体のスタイルを持ってきたのは、クリーンアップを効率的におさえるためでしょう。


たぶん、キャッチャーにもピッチャーにも、上位打線を抑えるだけの自信はあった。問題視していたのは四番だけ……実際、二打席目はファールとはいえ大飛球を一つ打っています。


最初の三人に、ストレート主体の勝負を仕掛け、見せておけば……当然、四番の頭はストレート責めになることでしょう。このピッチャーには自信があるんだろうなと、そう感じるはずです。」



「ははぁ、その裏をかいた訳だ。


それで全ては対四番の布石だったと言いたいわけかね?」



「ええ、少なくとも私はそう思います。四番に対する配球は、初級インハイギリギリカットボール、二球目膝元もう一球カットボール、三球目外角はずし目のストレート挟んで、最後は緩いドロップ系のカーブ。配球自体は大体セオリー通りですが、しかし相手の頭にストレート主体のイメージがあるゆえ効果のほどが全く違う、というわけです。」



………あり得ないのは承知で、このレベルの解説をかます女子高生が世の中に溢れるようになったら野球解説者はことごとく失職してしまうことだろう。


わかっていたことだが、西九条の野球に対する情熱は桁が違う。言い方悪いがたかだか草野球の試合を、これほど深く、詳細に分析しようと試みることなど、もはやそれ自体がある種異常だ。


もはや、プレイヤー以上に真剣なのかもしれない。彼女にとって、野球観戦とは、それだけでもはやひとつのスポーツ足り得るのではないかと思うほどだ。




………その後も『西九条の試合』は留まるところを知らず、この世の酸素が無くなるまで口が止まることはないのではないかと思うくらいに徹底的に、彼女は解説を続けた。


俺も香櫨園もそれをかなり楽しそうに聞くので、西九条自身もかなり気を良くしたらしい。結局、そのまま試合が3対0、件のピッチャーの一安打完封で終わりを告げるまでその話は続いた。気がつけば時計は12の文字を二周半、時間にして午後9時30に差し掛かろうとしていた。



「楽しい時間は過ぎるのが早いな、諸君。


だが、条例で定められた帰宅時間まで残すところ30分だ。そろそろ帰るとしよう。」



平気で刃物振り回したり、生徒に酒を勧めたりするくせに教師らしい事を言う香櫨園。


どの口で、と突っ込みたくなるのを必死で堪えて、俺は「そうですねぇ……」と名残惜しくも相槌を打つ。喋り疲れたらしい西九条は、無言で席を立った。


と、そこへ来訪者がひとり。


鳴尾商店街野球部のユニフォームに、キャッチャー用のレガースを着けたままの、小柄で髭もじゃの中年オヤジが勇ましい笑みを浮かべて近づいてくる。


明らかにこちらに用事がある風で、しかし知り合いであるわけもなく、俺も西九条もたじろぐ。


その時、何を思ったか俺も自分でわからないが、なんとなく西九条を隠すように前へ出たが、


彼女は余計なお世話だとばかり俺を押し退けてさらに前へと躍り出ていった。




「香櫨園、どうや。面白かったやろ?」



髭もじゃの男は、俺たちではなく、香櫨園にそう声をかけた。


香櫨園は丁寧に頭を下げたあとで、


「さすがのリードでした、監督。」


と返事をする。



監督?どこのだ?と俺も西九条も顔を見合わせる。推察するまでもなく、この髭もじゃのオッサンはさっき相手打線を完璧に押さえ込んだバッテリーのキャッチャーの方だろう。滴る汗とレガースがそれを示している。


選手兼監督、という線がなくはない。というか、それだろうか、などと思っていたところ、香櫨園がこっちを見てこんなことを言った。



「二人とも。紹介しよう。


我が土井垣学園野球部の監督、武庫川 裕(むこがわ ひろし)先生だ。今日あたしたちを招いてくれたのは、この人だ。」



紹介に応じて、髭もじゃのオッサンはニカッと歯を見せて快活に笑う。西九条が微かに「えっ」と声をあげる。俺は……とっさよことに「お、お晩です!」と何故か鹿児島弁で挨拶するのが限界だった。



「監督、この二人が野球観戦部の部員です。」



「だあっはっは!よー来たのー、ええ?やっぱり野球は観客おらなんだら盛り上がらんさかいな、大歓迎っちゅうやつやわ!


どや?面白かったか?」



おおよそ監督臭ゼロのオッサン、武庫川。だが、さっきまで西九条による『いかにキャッチャーのリードが凄いか』を延々一時間近く聞かされていた俺に、その人物の言っていることの真偽を疑う心は、存在しなかった。


むしろ、なるほどな、という納得の心すら生まれる。



「とても興味深く見させていただきました。ポイントを絞った配球術、若輩者の私が言うのも烏滸がましいでしょうが、お見事でした。」



およそ魚屋の娘とは思えない上品な言葉づかい。そのあと「あのカットボールはプロでも通用するレベルだと思います」と月並みな事を言った俺に関しては首をくくりたくなる。


しかし意外にも、武庫川が食いついてきたのは俺の返事だった。



「そう思うか?」



「思います。カットを習得できなくて苦労してる人、知ってますから。」



オヤジの事である。若いころ、どうしても投げたくて血の滲むほど練習したが、ついぞ実用段階のものにはならなかったという。


モノがスライダーと直球の中間的な玉なだけに、ある程度変化量がなければ回転の変な、ちょっと遅くて甘いストレートになりかねないのである。



「その言い方やったらまるでプロに知り合いがおるみたいやな、ハハハ!


まぁええやろ、俺もおんなしように思っとる。あいつのカットは社会人離れしとるさかいな、もうほんの五キロストレートが早きゃプロの目もあったんやろうが………」



「…………。」



俺は何も言えなかった。現代野球において、プロとして生き残れるストレートの早さのボーダーラインは著しく上昇している。あのピッチャーが何歳かは知らないが……成長見込みのない135キロでは、生き残っていくのは厳しいだろう。


オヤジの場合は、150でも苦しい時期があった。




「さっきのピッチャーはな、出屋敷。武庫川さんの教え子なのだよ。」



まるで自分が育ててきたかのように誇らしげにそう言うのは香櫨園。さいで、と俺は思う。武庫川の話し口がやたら親しげだったのが気になっていたのだ。


ふと、俺はほったらかしの形になってしまった隣の西九条を横目で見た。


彼女は………少し膨れっ面であるように見えた。無視されたのが腹立たしいというよりは、話したいことがあるのに話せない、というフラストレーションであるように見てとれた。



「あいつなぁ………高校の頃ならドラフトかかるかなぁと思ったんやけどもな。残念ながら、チーム自体が予選敗退で目立たんかったさかい………」



「大学ではどうだったんですか?」



食らいついたのは西九条。武庫川「おおビックリした!」とわざとらしく飛び退いて見せたあと、彼女から何の反応もないことに苦虫を噛んだような顔をして、



「顧問と折り合い悪うて試合出れんかったらしいわ。不運なやつ………」



と呟くようにそう言った。西九条もさすがに黙るしかないようだった。


自然と重くなる空気。元凶と言えなくない武庫川はその責任を感じたか「あれか、君は、部長さんの女の子やな」と明るく声をかけた。


西九条が「はい」と答えると、武庫川は「あのピッチャーが気になるんか」と尋ねる。西九条は、



「私の中の感覚では、カットボールに関しては本気でプロのレベルだと感じました。


滅多に間近で見れるものではありません。当然興味はあります。」



とやや食い気味に答えた。


すると武庫川はニヤリと笑い、後ろを振り返ると「おう、野田ァ!」と叫んだ。野田らしい人影が「ハァイ!」といういかにも体育会系な返事と共に現れたのはそのちょくごのことで、それは紛れもなくさっきのカットボーラーだった。



西九条の目がほんのりと輝く。オヤジを語るときと同じ、凄い野球選手を前にして高揚している様だった。



さて、武庫川のオッサンは一体野田さんを呼んで何をするつもりなのか。話でも聞かせてくれるのかな、と思ったところ。


武庫川は、俺も、恐らく西九条も予想だにしなかったことを口にした。




「野田、この子らにカットボール見せてやれ。」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る