阪神ファンの彼女の歪んだ野球観
俺の………というか、俺達……っていうにはまだあまりにも時間が無さすぎる気がするが、ともかく西九条と俺が通い、香櫨園が勤務する学校『私立土井垣学園高等部』は、甲子園から程近く、二軍球場の鳴尾浜からはさらに近いところにある。ついでに競輪場も近い。
甲子園まではおおよそバスで15分足らず。鳴尾浜に至っては徒歩5分といったところ。
故に、熱心な阪神ファンがそれ目当てで通学していた事実も、あったとかなかったとか。たぶん、あったのだろう。いや間違いない、あるのだ。
俺がそう思える理由は、今このとき、この瞬間進行している部活動にある。
入部してまだ30分足らず、部長である西九条とは本日初対面という状況下にあるにも関わらず、
何故か、既に甲子園の一塁側アルプススタンドに、顧問の香櫨園含め三人ならんで座り、
部としての活動として、阪神カイザース対広島大洋レッズの試合を観戦している現状に。
「うぇあ~っ!スーパードライうめぇぇぇぇぇぇぇああああ!!
おぅい、出屋敷、のんでるかぁぁぁぁぁ?!」
「飲んでないですよ、俺まだ高校一年生ですから。そんなに退職したきゃ一緒にベロベロになってあげますけど」
「うへぇあああ!そ、そんじゃあ、あ、君も、た、退学になっちまうじゃないかウエハハハハハハ」
「わかってるなら勧めないでください。あと狭いんだから寄っ掛かってこないで。うわ酒くっせぇ」
「水くさいことぉいうなよぉ!君とあたしの仲じゃないかぁぁぁぁ!!」
「水じゃなくて酒が臭いっつってんですよ!あと、俺の中の判定で処理していいなら先生ほったらかして帰りますよ。今日の今日までほぼ赤の他人でしょうが」
「えああああ、もう、冷たいなぁ君は!ビールも大概冷たいがぁ、あ、出屋敷も冷たい、っとお!ウヘハハハハハ」
「ああもううぜぇな。つまんねぇし。てかこの人まだビールコップ半分も飲んでないぞ。弱すぎだろ、てかだったら何で飲んだんだよ」
「香櫨園先生はいつもそんな感じよ。来るなりチューハイかビールを煽って、試合なんてまともに見た試しがないわ」
ーーー美人は何でも似合うというが、ナイター設備に照らされた西九条は、これまた月下美人という感じで触れがたい美しさがある。
グラウンドから片時も目を離さず、会話だけをこちらに合わせてくる彼女の凛とした横顔を眺めながら、俺はそんなことを思った。
美人には大きく分けて二種類ある。と、思っている。
ひとつは可愛らしさの混在した、親しみやすい感じのそれ。
もうひとつは、あまりにも究極美過ぎて近づくことすらおこがましく感じられてしまうそれ。
どー考えても西九条は後者だ。なんなら、今普通に話せてる俺すげぇと思う。実際、周囲で大歓声を上げるユニフォーム姿の若い男達の視線を、彼女はちょくちょくと浴びているが、
総じて皆、チラ見まででストップする。凝視できない。声をかけるなど言語道断といったところだろう。平民には彼女は、眩しすぎるのだ。その佇まいが高貴すぎて、雰囲気から違うオーラが出ていてちょっかいのかけようがないのだ。
それが証拠に、隣の飲んだくれ泥酔教師失格は、周りの男性客、女性客と非常に仲良くなっている。酔っているせいもあろうが、普段からたぶん、親しみやすい性格をしているのだろう。彼女も確かに見た目は美人。タイプで言えば前者ということになるだろうか。
「そういう時は、置いて帰るのよ。ほったらかしにして、さっさと退散するの。」
「ええ……」
「………何?その捨て猫の入った段ボール箱を蹴っ飛ばしてなにも感じない薄情者を見るような目は。」
「例えが行方不明すぎるな……いや、別に、この人それで次の日普通に出勤できるのかなぁ……と思っただけ。」
「大丈夫よ。問題ないわ。
そこら辺で勝手に仲良くなったファンに、いつも送ってもらってるのよ。
私たちは赤の他人のフリをしてればいいの。そうすれば、阪神ファンは意外と仲間意識が強いから、見かねて誰か助けてくれるから。」
「ええ………」
「何?その諸葛孔明を見るような目は」
「いやそれわからない……それで帰れるこの人も凄いけど、そう割りきってさっさと帰れるお前もなかなか……」
「部長と呼んで。お前じゃない。」
「………失礼しました、部長。」
「いいわ。初日に免じて許す。以後気を付けて。」
「………。」
「まだ言いたいことがありそうね?
初回特典よ。今日だけ聞いてあげる。」
そう言う西九条の声に抑揚はなく、相変わらずか細く。そして表情は限りなく透明に近く透き通っている。とても、野球観戦を楽しんでいる人間のそれには思えない。
なまじ野球観戦部などという珍妙な部活を立ち上げる人間、触れがたい宝石のような雰囲気があるとはいえ、蓋を開けてみれば………いざ野球を見始めれば、世間一般の野球ファン………つまり選手の一挙手一踏足に一喜一憂する、この周囲に溢れる阪神ファンのように、はっちゃけたり大歓声を上げたりする可能性はあるのではないかと思っていた。
だが、結果は………ご覧の通りだ。さながら夏草のなかに一本百合の花が高々と佇んでいるかのような、そんな感じ。
「………この人、おま……部長が部活でどんな活動しているか知らないって言ってたけど。」
ーーーあまり楽しそうではないな、と聞きたいのを堪えて、別の質問を投げ掛ける。ひょっとしたらこれで楽しんでいるのかもしれないし、だとすればそれに水を差すのも何かと思ったからだった。
「当然よ。球場につくなりこうなるんだなら。
………私と球場に来たことなんてきれいさっぱり忘れて、気づかぬ間にベッドでいい夢見てるわ。」
小指の先ほどムッとした表情を見せた西九条。
俺はその回答に対して、生まれるべくして生まれる疑問を投げ掛ける。
「………それがわかってて、何で連れてくるんだ?」
「…………。」
西九条は答えなかった。軽く顔に紅を差して、一度たりと目を離さなかったグラウンドから視線を反らし、バックスクリーン上の電工掲示板に向ける。
ーーーよくはわからないが触れてはいけなさそうな雰囲気。
もともと触れがたいオーラにさらに依ってくるなオーラを纏わせた彼女に、これ以上聞けることなど何もなかった。
ダルがらみで体を押し付けてくる香櫨園をあっち側へ押し戻して、俺は久方ぶりにグラウンドに目を向けた。
試合は5回の裏、1-0、広島ビハインドで阪神の攻撃。先頭打者の赤岩が内野安打で出塁し、当然のように盗塁を決め。二番の平尾が得意の送りバントできっちり送って一死三塁、打順はクリーンアップへ。
三番スイーツ、四番金子、五番新井熊とスラッガータイプの選手が続く。はっきり言って、コレで点が取れなきゃ今日阪神に勝ちは無さそうだった。
「ターニングポイントだな。」
独り言のつもりで呟いたものを、隣の西九条が拾った。
「そう思う?」
「思うよ。まぁ、一般論的な考え方だけどね」
「一般的でない私はそうは思わないわ。」
さっきより表情を強ばらせた西九条が、少し力のこもった声でそんなことを言う。
どう一般的でないのか。野球解説者的なそれか、達観者的なそれか。ともかくよくわからない。
俺は、今度はあえて聞くことにした。何が違うんだ?と。彼女の答えはこうだった。
「私も、阪神ファンだもの。」
かなり大きな情報開示であったはず……だが。
………正直、既知感が先行して、そのカミングアウトによる劇的な驚きはなかった。
件の扉の前クイズ大会?の時、出題された問題は……まぁ確かに阪神ファンであれば答えられてもおかしくはないが、例えば他球団のファンであったとすれば、おおよそ牧原の熱烈なファンでもなければ解けないものであったように思う。特に二問目。
それを彼女は『初心者向け』だと言いきった。それは彼女自身が熱烈な阪神ファンであることを証明している。
今、彼女は私『も』と言った。それはつまり、未だに俺の事を阪神ファンだと思っている証拠であって、とすればファーストコンタクトの時、香櫨園のついた大嘘に前のめりになって食らいついてきた理由も、わからなくもない。
たぶん、平気で阪神ファンを公言する仲間を……ようやく見つけられた、というところではないだろうか。
甲子園のお膝元、兵庫県に住む人間は大概が阪神ファンだ。人口の八割くらいはおそらく阪神ファンだろう。ソースはないが、感覚的にはそんなものだ。
ゆえに、熱烈な阪神ファンというのはさほど珍しくもなく、恥ずかしいことでもない。であるのに、彼女が『阪神ファンを公言する』俺の登場に殊更に興味を示したのは………
部活動までして阪神を応援するという熱烈さを持ち合わせた、それこそ『究極の高校生阪神ファン』の仲間ができると思ったからでは無いのだろうか。あくまで想像であって、彼女の若干サディスティックな性格は差し置いての話であるから信憑性はさほど無いが………そうであってもおかしくない、程度には思えるものである。
……ただし、ここでひとつ留意しておかなければならないことは。
彼女は、『熱烈な阪神ファン』であって『究極の高校生阪神ファン』であるかもしれないが、
『トラキチ』ではない、ということだ。
証拠………というほどのものでもないが、
彼女は……ここに来て一度も、立ち上がっていないし、応援歌も歌っていない。盛り上がる展開に欠けているせいかも知れないが、いつも冷静に試合を見守っている。
ヤジを飛ばすなど………もっての他であるようだ。
静かで熱烈な阪神ファン……とでも言うのか、彼女はそう言う類いの………野球観戦者を貫いているらしい。
それは、あくまで見た目の印象からして………彼女らしいようにも思える。
「阪神ファンだと見方が変わるのか?」
「何年このチームを見ていると思ってるの。
赤岩がしっかりホームベース踏みしめるまで、片時だって点が入るなんて思っていないわ。」
ほんの親指の先ほど、イライラした様子で西九条はそう言う。
心配するファンの意識もわからなくもないが、元プレイヤーとしての一般的な見解からすれば、この展開はもう点が入ったも同然の物のように思える。
三番のスイーツはミートも上手いし長打も出る。フライひとつ打ち上げれば一点はいる場面では、これ以上に心強い打者はいない。
なおかつ、三塁ランナーの赤岩は現状日本で一番優秀なランナーだ。三年連続リーグ盗塁王、内野安打の数堂々のリーグ一位。足の早さにかけては右に出るものなしといった選手で、多少浅いくらいのフライなら余裕でホームまで帰ってこれる。
もしスイーツがダメでも次は金子が待ち構える。打率はリーグトップの.327、本塁打の数は五月で既に10をマーク。得点圏打率の高さも超ベテラン級。
先も言ったが、この布陣でダメならもうダメだろう。点なんか入りっこない。5回1失点のピッチャーが気の毒としか言いようがない。
西九条の不安は、たしかに観戦者として持っていて損はないーーー保険的な意味でーーーかもしれないが、さすがにここは………
「大丈夫だろ。シーツが犠牲フライでーーー」
「ーーー黙って。」
まるで鬼でも殺すかのような威力を持った視線を飛ばしてくる西九条。さすがに俺はたじろぐ。感じたのは間違いなく殺気だった。さっき感じたのとは別次元だった。駄洒落でもあった。
「な、何……」
「言ったら現実にならないのよ………あなたは覚えていないの………?」
「え、何を」
「新城が『明日も勝つ!』って言ったら、そのあと球団ワーストタイの12連敗………。
デイリーが『Vやねん!』記念号を出したら33対4………」
「…:……あの、西九条さん?」
ぶつぶつと忌み事を呟く彼女には影が射していて、
どう考えても俺に話しかけている様子でもなく。
何か地中にいる野球の神様に愚痴を漏らしているかのようで見ていて恐ろしかった。
しばらくぶつくさ言ったあと、彼女は顔をあげたかと思うとさっきと同じくらい強い目で睨み付けてきて。
「いい?誓って。私と野球観戦しているときは必要以上にポジティブなことを言わないで。希望的観測なんて厳禁だから。
わかってると思うけど、明日も勝つなんていった日には、
す巻きにしてカーネルおじさんの代わりに道頓堀川に沈めるから………」
そう言って最後、目で殺しにかかってきた。
「ええ………」
そんなに大罪か。そんなもん、お前以外の阪神ファンは大体俺みたいなんじゃないのか。そんな、常に心臓の縮こまるような思いをして見ているやつ、他にいるのか………
そう思って、俺は周囲を見回した。さすがにチャンスとあって、俺達以外は大体総立ち。チャンスマーチが軽快に流れて、お祭り騒ぎ。さすがにこれでは、例え心中どのように思っていたとしても、誰もが期待しているようにしか見えない。
そう見えるのは唯一、お隣の『究極の高校生阪神ファン』くらいなものだった。
………それこそ、これが杞憂に終われば西九条も多少楽な気持ちで野球観戦ができるんじゃないか?これもあくまで一般論でしかないが、野球観戦はストレスを発散するものであって貯めるものではない。西九条の観戦は、確実にストレスが貯まる。
………単純にもったいないと思うのだ。期待していれば楽しいし、ダメだったらそれでいいではないか。コレで阪神が負けて、明日地球が滅ぶのであればともかく……たかだか144試合のうちの一つが、落ちるだけの事なのだから。
「なぁ、西九条。」
「部長と呼べと何回言わせるの?バカなの?グリーウェルなの?」
「何その新しい悪口……
いや、何て言うか………」
「何?」
「お前の野球の見方、やっぱりあんまりよくないよ。」
「……急に何を言い出すの?」
「もっと肩の力抜いて見ろって。ストレスたまるぞ。
生き死にの勝負見に来てるんじゃないんだから、もっと気楽に。楽に構えてたら、案外、上手いこといくもんだって。」
「………何を言っているの?あなたは……
気でも違えたの?大丈夫?」
本気で心配される俺。自分でもツボがよくわからないのだが、これにはムカッときた。狂人呼ばわりされるほど、酷いことを言ったつもりはない。世間一般の感覚で言えば、こっちの方がよっぽど正しいものの見方をしているはずだ。
「だったら。」
「え?」
「この回、点が入ったら、せめてこの試合はそんなネガティブな予測やめろよ。
この部、いかに楽しく野球観戦するかっていう活動内容なんだろ?だったら、そうする努力したらどうなんだ?
別に俺は部がつぶれようがお前が楽しくなかろうが構わないけど、野球好きとして、お前のその楽しくない野球の見方は……いただけない。」
言ってて、俺何をアツくなっているんだろう、カッコ悪い、と思わなくも無かったが、だが、『ただの野球好き』としての心に火がついたのもまた事実だった。
野球好きである自分は、阪神ファンである彼女の野球観を受け入れられない。お互い、本来なら押し付けることも押し付けられることも必要ないのかもしれない。けれども。
ひょっとしたら熱烈な阪神ファンである彼女は、普通の観点で野球を見たことがないのかもしれない。
それは、悲しいこと………かもしれないと思う。
二つの見方を知った上で………それでも阪神ファン的な見方を選ぶのならそれでもいい。
だが、そうでないと言うのなら………
「………。
野球観戦部の活動内容も全く間違ってるし、言いたい放題言われたことも腹が立つけれど………」
「…………。」
「いいわ。聞き入れてあげる。最後の初回特典よ。
もしこの回、1点でも点が入ったら、私は、今日はあなたの言う一般的な見方で野球を見るわ。
それで構わない?」
「……ああ。」
「ただし、条件があるわ。」
「条件?」
「もしこの回1点も入らなかったら……
試合終了後、何でも言うことをひとつ聞いてもらう。
どう?それでもやる?」
ーーー何でも?何でもって、何だ?
俺は一瞬言葉に詰まった。あまりにも得体が知れなさすぎる要求。西九条にしてはいきなり遊び心満載の提案。
あまりに不明瞭なことが多すぎて、リスクしか感じない。何でも、という無制限を示す言葉が行き着く先に、いったいどのような要求が待っているのか。というかそもそも、リスクに対してリターンがあまりにも無さすぎるような………
………だが。
「ああ、いいだろう。その条件、飲んだ。」
「決まりね。」
不敵に西九条は笑う。当然だろう。実質、彼女はノーリスクハイリターンだ。自分には実害はない。自分でも思うが、こんな勝負を受けるやつは、アホだ。
だが。勝てばいい。勝てばいいのだ。
スイーツが犠牲フライを打てば。金子がヒットを打てば、何も問題はない。俺に得は何一つないが、西九条は野球の別の楽しみかたをひとつ覚えられる。それはそれでいい………
気づけばスイーツはバッターボックスへ。場内のボルテージが高潮していく。軽快なチャンスマーチが、観客の声援を得て重厚感を増す。
この雰囲気。この空気。阪神は完全にイケイケの押せ押せだ。大丈夫。必ず点は入る。絶好調の金子、不安のないスイーツ、この二人なら必ず決めてくれる。
俺は……柄にもなく、観客に混じってこう叫んだ。
「見せてみろ………スイーツ、金子!
プロ野球選手の底力を!!」
ーーー十分の後、その勝負の結果は出た。
スイーツ、サードフライ。
金子、敬遠。
新井熊、三振。
ため息と怒号が支配する甲子園球場の一塁アルプスには、
呆れてものも言えなくなった俺と、
さて何を命じてくれようかとでも言わんばかりに嘲笑を向けてくる西九条真訪の間に、
寒暖差による停滞前線が出来上がっていた。
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