アダムとイヴの最高傑作・西九条真訪
「さて、ここが部室だ。と、いっても審査会にかかるまでは仮だがな。」
ーー階段を下りるとそこは寂れた小部屋であった。と説明しておくとしよう。語感は川端康成だが著作権には引っ掛からないはずである。
一応、ネームプレートは音楽準備室、ということになっている。おかしいではないか。普通こういう教室って、軽音とかヘヴィメタ研が使うものではないのか。
「去年まではブブゼラ部と他ひとつが使っていたんだがな。ブブゼラ部はできて間もない七月に速攻廃部、もうひとつも今年の四月に廃部になったので実質空きになっていた。実質な。」
「何ですかその魔王みたいな部活は」
「それはベルゼブブだな。駄洒落も知的で好きさ。」
「それはどうも………」
なんだろう、この女教師。好意が何か異次元の方角を向いているような感じがする。怖いというか、気持ち悪いというか……
「楽器もブーブー言うだけでクソやかましいし、やれ部費が少ないだ部屋が狭いだと文句もブーブー垂れるもんで、取り潰しが決まったのさ。
覚えておくといい、ここでは生徒会や教師に楯突くと学年末の審査に響く事がある。」
………。
いやまぁ、怖いですけど、まだ入ってもない部活のためにそんな心配できないです………。
「さて、それでは入室するか。
ここは内側から鍵がかけられる仕組みで、それを開けれるのは西九条の持ってる鍵と音楽の先生の持っている鍵、それから内側にいる人間だけだ。マスターキーは存在しない。」
「ええ……」
「ブブゼラ部が腹いせに校舎のどっかに埋めたそうだ。部室を共用利用していた金属探知機同好会が血眼になって探したが、結局見つからなかった。そして金属探知機同好会も今年の審査会でとある事情により取り潰しが決まった。」
「もうワケわかんないですね」
「ああ、ワケわからん。
さて、今この教室は鍵がかかっている。すなわちこの鍵を開けられるのは西九条と音楽の先生である今津先生だけということになるが、生憎もって今津先生は今、軽音、吹奏楽、ヘヴィメタ研、尺八同好会、重音部、軍歌愛好会、クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ部を同時に指導するので忙しい。」
「なんでピアノ部だけ正式名称なんですかね……重音部とヘヴィメタ研、一緒じゃだめなんでしょうか………あと、今津先生よく死にませんね」
「ツッコミ所が多くて申し訳なかったな。よく裁いてくれた。やはり君はあたしの運命の生徒だよ。」
「急激なランクアップやめてください」
「さて、入室に当たっての話に戻ろう。合言葉が必要になる。」
「………何でそんなセキュリティが必要なんですか?」
「それは入室後西九条に聞いてくれ。
いいか、それを今から実践するから見ていてくれたまえ。
一度しか教えないからな。覚えろよ。」
「ええ……」
あからさまに嫌そうな顔をしたつもりだったが、女教師香櫨園はさして気にせず、そのままドアの方へ対面する。
そして、三三七拍子でノックした。聞き間違え出はない。見間違えでもない。本当に三三七拍子でノックしたのだ。
「ええ……」
「感嘆符が多いな。大丈夫か」
「どっちかと言うと先生が大丈夫ですか………?」
「あたしはいたってマトモさ。」
ふ、と軽やかに口許を緩めた香櫨園。と、磨りガラスの向こうに人影が見えてくる。
香櫨園よりは僅かに低身長か。ぼやけて全体像は掴めないが、どうも髪は肩口程度まで。おかしいな、普通こういうのは長髪ロングだと相場が決まっているのでは……
「どなたですか」
扉の向こうから細くて落ち着いた、綺麗な声が聞こえてくる。瞬間的に頭の中で、磨りガラスの向こうの人物のイメージが美人、良家の出、クールで確定する。
こんなの、そうでなきゃおかしい。そういうもんだろう。
まぁ、もう既に魚屋の娘という情報は出揃っている訳で、二つ目は早くも否定されているわけだが………
「香櫨園だ、西九条。新入部員候補をつれてきた。中へ入れて欲しい。」
その細い線を塗りつぶすように、筆で一筆両断にするような快活な声で香櫨園がそう返す。
磨りガラスの向こうの人物………西九条とおぼしき女の子はしばらく黙っていたが、そのうち
「本当ですか」
とこれまたか細く答える。
それを塗りつぶすようにまた香櫨園が「ああ、本当さ。それもとびきりの逸材だ。」と豪気に返す。
マジでやめてほしかった。野球観戦部に必要な資質がどのようなものか全く想像がつかない上に、期待値まで上げられてはもし仮に入部したとしてどのように振る舞えばいいのかわからないではないか。
「………では、合言葉を。」
「ああ、わかった。よろしく頼む。」
ポケットに手を突っ込んだ香櫨園。なんだろう、戦闘体制?いや、せいぜい合言葉の確認のはず、戦闘体制が必要な場面では……
「左投げ?」
「右打ち。」
「実家は?」
「広い風呂。」
「マイホーム、マイホーム。」
「片宮厚見。」
「正解です。どうぞ。」
「ありがとう。
さ、入るぞ、出屋敷。」
「……………。」
「どうした?出屋敷。上半身が馬、下半身が人のケンタウルスを見たように呆然と突っ立って」
「そんな奇っ怪な生物に心当たりはありませんが。
………今の何ですか。」
「今のとは?合言葉だろう」
「いや、マイホームとか広い風呂とか、片宮厚見とか」
「だから合言葉だと言っている。なんだ、君は?野球ファンのクセに片宮厚見も知らないのか?」
「いや、知ってますよ。知ってますけど」
ーーー片宮厚見。阪神アニマルカイザースに所属する、いぶし銀のベテラン野手。
日本公グラデュエーターズからFAで移籍してきて、一年目は奮わなかったものの二年目である去年に奮起。今やチームの中核を担う無くてはならない存在だ。背番号、8。
「だったらわかるだろう?これはその応援歌だよ。」
「それも知ってますよ。うちは母親が阪神ファンで、よく球場に連れていかれますから、自慢じゃないけどなんなら歌えますけし。
俺が聞きたいのはそういうことではなくて」
「ほう?すると君も阪神ファンなのか?」
妙に食い付きのいい香櫨園。俺はひとつ大きくため息をつく。
「先生は2ギガバイトのメモリースティックでいらっしゃる?俺、さっき言いませんでしたか、ひいきの球団は特にーーー」
「ーーー阪神ファンなのですか?」
香櫨園だけでお腹いっぱいだったところを、さらに妙に、しかも喉元深く食いついてくる奴がいた。曇りガラスの向こうの西九条(仮)だった。
そのか細くて静かな声が、心なしか一オクターブ上がったように思える。その変なテンションには心当たりがあった。
そう、殊更に俺と話すことを楽しそうにしている時の香櫨園だ。
そう、要するにそれはーーー期待の現れだ。
「そちらの方は、阪神アニマルカイザースのファンなのですか?」
さらに食い気味に、かつ丁寧に再度問いなおす西九条(仮)。
『そちらの方』と俺のことを表現している以上、質問の相手は香櫨園だろう。俺はとりあえず黙ることにした。
香櫨園はふむ、と顎に手を当て数秒を思考に費やしたあと、ポン、と平手に拳を打つ古典的閃きをかまして、
「ああそうだ。空前絶後の超絶阪神ファンを連れてきたぞ。」
と、空母19隻撃沈クラスの大嘘を平然とついて見せた。
思わず俺は「はっ?!」と声をあげる。世の中にはついていい嘘と悪い嘘があって、今回はどちらかというとどっちでもいい嘘だが、しかし嘘は嘘だ。目的も意図も見えない上は、不気味でしかたがない。
わけはわからないがこういうのは早めにただしておくに限る。こんなのが後々フラグとして利いてくる展開はマジでごめん、いや申し訳ございませんのレベルだ。こんなのは決してジャスティスでも何でもない。
「いや、待ってくれ、俺は確かに野球好きではあるしプロ野球もかなりマメには見るがーーー」
俺の言葉はそこで断絶した。いや、正確には断絶せざるを得なかった。
香櫨園が、大気圏から飛来した隕石並のスピードと破壊力でもって俺の右足の小指を思い切り踏みつけたからだった。
脳天直下電撃が走り、声にならない声が俺の体内で響き渡る。小指て。小指ってええええええええ!
「かはっ………………!!」
「さっき聞いての通りだ。母親が阪神ファンだというのは私も初めて聞いたが、それも頷けるほどのトラキチだよ。彼は。」
トラキチーーー熱狂的な阪神ファンを指す言葉。なぜ虎かという説明を挟んでおかなければならない。阪神の正式名称は既出の通り、阪神アニマルカイザース。通称は阪神カイザース。
動物の皇帝=虎、ということだ。故にチームロゴも虎の頭になっている。回りくどい真似をする理由は……お察し頂きたい。
さて、阪神ファン呼ばわりはともかくとして、トラキチとはいくらなんでも詐称が過ぎるのではないか。そもそもファンでもないのに、その最上級で紹介するとは。
トラキチと言えば、もう狂気のレベルで阪神を愛している連中だ。Sクラスの虎吉ともなれば、甲子園球場のスタンドでライバル球団である東京読買タイタンズのマスコットキャラクター、ジャビッチくんの人形を紐で縛って腰にくくりつけ、地面を引きずり回すくらいのことはやるくらい、
狂信的な奴らだ。
冗談ではない。トラキチ呼ばわりが嫌だというより、そんな紹介をされてもそんな振る舞いは絶対にできない。格差がありすぎる。阪神ファンの真似事くらいなら辛うじてできなくはないが、トラキチとなると………
「トラキチ…………」
ぽつり、と西九条(仮)が呟く。ほら、引いてるじゃん、ドン引きじゃん、香櫨園!!
さらに小指をグリグリやられているので声は出せないが、視線で訴える。こんなことはもうやめろ、なんの意図で貴様!と。
香櫨園はその視線に対してニンマリと含み笑いをして見せた。何か企んでいると顔に書いているような、そんな笑みだった。
背筋に悪寒が走る。何を考えているかわからない相手の、何か考えている顔ほど得たいの知れず恐ろしいものもない。
「なに、入りたい部活が無いというのでな。ちょうどいいと思って引っ張ってきたのだ。
さあ、中へ入れてくれ。何なら茶菓子でも出してくれていいぞ?」
「………ご厚意には感謝しますが、茶菓子はお出しできません。図々しいことこの上無いのでその気力が失せました。
それから、中へ入る前に。入部希望の方とお話がしたいのですが。是非にも。」
か細さにすこし力強さの加わった西九条(仮)の声。呆れたことには、期待の色は失われるばかりか少し増したようにすら感じる。
アホみたいな嘘突き通す香櫨園ともども頭どうにかしてんじゃねーかと思う。是非にも、とはなんだ、是非にもとは。
そして、状況が最悪の方向に展開している、とも同時に思う。
どういうわけか知らないが、この西九条という女は『トラキチ』であるところの俺に何か多大な期待を寄せているらしい。こうなってくるとドン引きだと思っていた呟きも、期待感に胸を踊らせ思わず口からこぼれ出た言葉だと想像できなくもない。
だとすればこれは非常に、ひじょーーーーーに不味い。先述のとおり、トラキチの真似など、自分には天地をひっくりがえしてもできない。
彼女が何にどう期待してるかは知らないが、将来的にはそれを確実に裏切ることになるだろう。そうなったとき、裏切られた彼女の反応、行動、その他もろもろ……全く想像できない。故に恐ろしい。
ここは、ひとつ、手遅れにならないうちに………たとえ小指が押し潰されるような事があったとしても………香櫨園の嘘をしっかり訂正しておく必要がある。
「だとさ。ほら、出屋敷。」
パッと踏みつけていた足を離し、ドアの前に立つよう促した香櫨園。どうせなにもできないのを承知で、「後で覚えとけ」の睨みを利かせたあと、俺は誘導のままそこへ立った。
磨りガラスの向こうの西九条(仮)の輪郭がいくらか鮮明になる。とはいっても、警察24時の犯人にかかるモザイクと比べてどうこうのレベルだが。
「……出屋敷 進次郎です。」
「問い1。」
「………はっ?」
「阪神カイザースの永久欠番を三名答えなさい。」
「…………はい?」
いきなり何が始まったのか。耳を疑ったが、今俺は突如問題を出されたのか。
試すような緊張感を持ったか細く綺麗な声が………今確かに、阪神カイザースの永久欠番とか言ったか。何がどうなってるのか。夢かうつつつか幻か。つが一個多いな。
「いや、待って、西九条さん。その前に俺、君に少し訂正をーーー」
その瞬間、喉元に何か光るものが押し当てられた。
細いが実の詰まった腕に顎をロックされ、完全に動きを封じられる。吹き出す冷や汗のなか、下方に目をやれば、果物ナイフが頸動脈を冷やしていた。
「出~屋敷く~ん?」
「ひっ………?!」
耳元で囁かれた俺は、にべもなく震えあがる。香櫨園は、ナイフで俺の首筋をサッと撫でた。冷感で全身が震える。
「君は面白い子だ。あたしは……こんなところで君を失うのは惜しいと思っているんだよ………」
「しょ、正気か………?!」
「狂気さ………本気で生徒を手にかけるなんて………とても正気でやれたことじゃ………」
つん、つん、と切っ先で喉仏をつつかれる。その小さな刺激が脳を震わせる度、全身を激震が襲う。
こいつ……本気じゃないだろうけど、本気に近い…………!なんか、勢い次第でマジでやってしまいそうな雰囲気がある……!
「懸命な………判断を………望んでいるのさ………」
「ーーー訂正をする必要は無いということをお伝えしまして、答えは10番、11番、23番。
藤邨、山村、吉崎の三名です。」
俺は決して阪神ファンではない。阪神ファンではないが、それゆえ各球団の有名選手をまんべんなく知っている。
各球団の永久欠番クラスの選手ともなれば、そらでも言えるくらいに完璧に把握している。答えることができるのは当然だった。
「………第二問。」
「え、まだやるの?なんの時間なのコレ」
「1985年バックスクリーン三連発、本当はバックスクリーンに入ってないのは誰のホームラン?」
「崖洲だ。がけす。真ん中の一本だけ僅かに左に反れた。バズと岡町のは見事にバックスクリーンだが………」
「打たれたのは?」
「読買タイタンズの牧原。バズにはシュート、崖洲にはインハイのストレート、岡町にはスライダーをそれぞれ運ばれた筈だ」
運か不運か、前日、野球特番でちょうどその三連発の特集をやっていたのを見ていた。
牧原がいかなる心境でその球を放り、対する打者三名がそれをどのように読み、打ったのか、心理と技術のせめぎ合いが非常に面白く、強烈に印象に残っていたのだ。
「……………。」
西九条(仮)があからさまにたじろぐのが磨りガラス越しにも見えた。喉と顎に当てられたそれぞれナイフと腕が、僅かに力を失う。
そして、香櫨園はささやいてきた。
「ふふふ………楽しいな。実に君は痛快な子だよ。あたしが一万二千年追い求めてきた生徒さ……ふふ」
「だからランクアップやめてください。アクエリオンも勘弁してください。
なぁ、西九条さん。もういいだろう。問題はその辺にするか、続きは中で………」
「………第三問。」
「ちょっと?西九条さん?もしもし?」
「………一昨年の最優秀クローザー賞。去年は中継ぎで43ホールドポイントを挙げ、リーグ3年ぶりのAクラスに貢献。
一体、誰?」
「…………。」
思いがけない問題が飛んできて、俺は思わず息を呑んだ。
その答えは一瞬で頭に閃いた。たぶん、相手も何らか自分に関連して思い付いた問題だったのだろう。
別に、その選手の事は嫌いではない。嫌いではないというかむしろ好きだ。だが、それをここで俺が答えることは、はたして………
もし、本当にこの先俺がこの部活に所属することになるのだとしたら、
思わぬ弊害になったりしないものだろうか………
「…………登録名でいいのか?」
「ええ。構わないわ。」
「タイヨウ。背番号は18。」
「正解よ。いいわ、認めます。入って。」
ふっと緊張の解けたような、柔らかくて優しい、しかし細い声がそんな事を言う。
瞬間、まるでグリーンベレーか何かのように素早い動きで香櫨園は拘束と殺人未遂の構えを解いて、元いたところへ飛び退いた。
酸欠状態からようやく解放された俺は、その場に糸の切れた操り人形のごとく崩れ落ちる。
その瞬間、ちょうどその瞬間、
目のドアが音をたてて左へスライドし、
音楽準備室……もとい野球観戦部の部室への道は開け放たれた。
夕陽を背に受け、影を前に差し、入り口のすぐ向こうに立っていたのは、
お世辞抜きにこれまで見たどんな女優やモデル、彫刻絵画よりも美しい、文字通りの超絶美少女だった。
大きくて切れ長の……それだけで気の強そうなのが伺える瞳。顔の輪郭はシャープに下へ抜け、薄い唇は軽く下方へ歪んでその憂鬱そうな表情の核となっている。肩先まで伸びた黒髪は艶やかに光り、内に巻かれてあって。向こう側の窓は開いているのだろう、そよ風が吹くたび風鈴のように優しく揺れている。
小柄な体も、主張の少ないラインも、何もかもが綺麗としか言いようがなく、そこにたっているだけで彼女は、
地球46億年がその歳月の末にようやく作り上げた、
この世のありとあらゆる美の結末であるかのように思われた。
「…………。」
多少顔も整っている、などと言われて少しいい気になった30分前の自分を、どつきまわしたい。
ーーーそれを言われて喜んでいいのは今日から俺のなかではこの少女だけだ。
俺はしばらく言葉もなくそこに座り込み、そしてピクリとも動けなかった。
少女は「え………?」と状況を全く理解できない様を隠さず、困惑の表情でこちらを見つめ続けている。俺は、さながら女神にひざまづく一般市民か。聖母マリアにすがる信徒かーーー
「だから言っただろう、出屋敷。」
背後からしたり顔で香櫨園がそう言ってくる。
ーーー冗談じゃない、物事は性格に伝えろアホ、こいつのどこが超絶美人だ、アダムとイヴの最高傑作ぐらい言ってこい。
………等とはおもいつつ、しかし呆けて返事もできない俺は、除夜の鐘を至近距離で喰らったみたいにぐわんぐわんいい始めた頭を可能な限り働かせて、
とりあえず立ち上がる。
磨りガラスの向こうのシルエットで判断した通り、彼女の身長は目線三つぶんくらい下にあった。俺がだいたい180無いくらいだからそれでも彼女も160近くはあるということになる。
「ようこそ、野球観戦部へ。
出屋敷進次郎、歓迎するわ。」
やはりか細くはある。だが、面と向かって見ると不思議なことに威風堂々とした印象すら受ける。
何が違うのだろう、やはりオーラか、美の化身には何か別の力でも宿るのだろうか。
そんな、自分のこともアホかと罵りたくなるような事を心のなかに呟きつつ、
「あ、どうも………出屋敷進次郎です。」
と、相手が名前を言ってくれていたにも関わらず、再度自己紹介する。
もはや、いきなり呼び捨てにされたことなど気にしている余裕はなかった。いや、実際は気になったんだけどね、なったんだけど………
「今の三問は初心者向けの問題だけれど、躊躇いなく答えられる辺りあなたが阪神ファンであることに疑問の余地はないわ。
特に、二問目の読買牧原の投球内容、三問目タイヨウの背番号まで答えられたのは、ポイントとして高かった。
誉めてあげるわ。素晴らしいわね。」
「あ………それは、どうも………
………。」
頭の片隅で死にかけてた素朴な疑問が、さすがに起き上がって息を吹き返す。
ひとつ確認したい。
同期だよな?この子………
あと、俺、別に阪神ファンじゃないんですけど……
「香櫨園先生。確かに資質は十分だと思います。出屋敷は、私のレベルに追従して来ることができるだけの能力があります。」
いや、だから、呼び捨て………なんすかその上から目線………えっ?待って、初対面……だよな、絶対に………
「ああそうか。それは良かった。あたしとしても大いに嬉しいよ。まぁ、なんの能力がどの程度必要なのかは知らんが……活動内容すら定かでない以上正直どうでもいい。
出屋敷があたしの配下に入るという事実は、これ以上無い至福の成り行きと言えるな。
何せ、運命の生徒だからな。」
だから香櫨園、何なんだお前も。怖いよ。配下ってなんだよ、ランクアップやめてよ、逃がしはしないって視線送るの、よして。
「出屋敷。早速活動に移るわ。やることが山積みよ。
いい?私たち野球観戦部は」
「ちょっと待って。西九条さん。」
「馴れ馴れしいわ。部長と呼びなさい。」
「………部長さん」
「部長。」
「……………………部長」
「何かしら?」
「あのですね、俺、別にまだ入ると決めたわけでファッ………!!」
俺が言葉を失ったのは、目にも止まらぬ早さで教師香櫨園が肘を喉元にぐっと押し付け、再び身柄をガッチリ拘束したからだった。
今度は息をするのも苦しいくらい締め上げられる。香櫨園が耳元で囁くことには、
「あたしの手から離れるなら、いっそ………」
「……決めたわけではないなんて言いません絶対」
「マキハラ繋がりか……品がいいな、君のジョークは」
3秒くらい置かないと意味のわからない言葉を残して、香櫨園は再び後方へ引き上げる。
代わって、近寄ってきたのは西九条だった。酸欠による心拍数増大に加えて、人形のような完璧な美しさを持つ少女の接近に、俺の心はト○ビアの泉で中村紀洋がかっ飛ばしたスーパーボールのごとく跳ね上がる。
「私たち野球観戦部は、七月の審査会までに活動内容を明確にし、そして活動実績を作り上げる必要があるの。できれば部員も三名以上にはしたいところ。
いい?遊んでいる暇は無いの。駄々こねてる時間もない。わかるわよね?」
「………俺が駄々をこねていると」
「あなたの入部は決定事項なのよ。これは覆らないわ。絶対に。新城の幻のホームランよりも、確実に。」
「…………。
あの、失礼、西九条さん君、ひょっとして……」
「部長と呼びなさいと言った筈だけれど?」
「…………。」
「まあいいわ。初回限定特典よ。呼びにくいなら西九条さんと呼ぶのを特別に許可してあげる。ただし、香櫨園先生を含め三人しか居ないときに限るわ。
外では部長と呼びなさい。」
見上げられているはずなのに、感覚的には確実に見下ろされている。背後に香櫨園さえいなければ怒鳴り散らして即刻退散するところだが、命がかかっている以上そうもいかない。
「………わかった、それで手を打つ。」
やむなし。いずれ、慣れてきた頃に修正をかませばいい。そう割りきった矢先、
「手を打つ?違う、これは命令よ。」
西九条がそんな事を言うもんだから、はたして慣れることなどあり得るのだろうか、との不安が先行きを不透明にする。これでは株価は暴落だ、出屋敷市場では一時1ドル99円を割り込みましたのレベルだ。
「………なんでもいいよ、もう」
抵抗も無意味、後退は不可能。あとやれることなんて現状の容認しかないではないか。
俺はめんどくさくなって、適当にそう返事した。背後から香櫨園が満足そうに高笑いしながら近づいてきて「入部おめでとう!」と肩をバシバシ叩いてくる。
眼前では西九条が「そう……わかってくれて嬉しいわ。」とホッとひとつため息をつき。
そして………誠に認めるのが悔しい限りだが、天使か聖母としか思えないようなとびきりささやかで綺麗な微笑でもって、
「では、よろしく。出屋敷進次郎。」
明らかにさっきまでとは違うトーンで、そう言ってくるのである。
美人は得だという意味がなんとなくわかる場面だった。数秒前までの横柄な態度、本性を包み隠さない物言いがなければ、今頃俺の頭の中味はあっという間にすぐに沸くティフ○ールだったに違いない。
「………ああ。」
どうにも抗えない運命を前に、俺はおとなしく折れるしかなかった。香櫨園がやたら嬉しそうなのも、西九条が瞬間済まし顔なのもえらく腹立たしかったが、逃げる選択肢が無い上はもう流していくしかなかったのだ。
「さ、では部員諸君。今日のところはこの辺にしておこうか。西九条、鍵を閉めてーーー」
さー、一仕事終わったビールビール、とでも言わんばかりのあっさりさで、香櫨園が撤収を促し手を叩いたところ。
「ーーー待ってください、先生。」
凛として花の如しの佇まい、キリッと締まってやはりか細い声で、西九条が意義を唱える。
「お?なんだ西九条、まだ何かあるのか?言っとくがあたしの財布に新入生歓迎会をやるだけの金は無いぞ。」
「部室に来て開口一番茶菓子を要求する人にそんなことは期待していません。
出屋敷。」
「……もう俺はいいけどな。お前、初対面の人間を呼び捨てにするのはあんまりよろしくないぞ」
「初対面じゃないわ。つい16秒前に視線を合わせているはずよ。あと、西九条さんと呼びなさい。あなたの頭は500メガバイトのフロッピーディスクなのかしら?」
「…………。」
「出屋敷。今日が何月何日かわかるかしら?」
「5月の……15日?」
ケータイを見ながら俺は言った。西九条は「そう」と頷いた。
「さっきも言ったけれど、私たちには時間がないの。審査会は7月の中旬。もう二ヶ月しかないわ。それまでに活動内容と部活動としてのシステム、そして実績を作って示せるようにしておかなければならない。」
「ああ、その通りさ、西九条。
言っておくが、うちの学校、部活をつくるは易いが生き残るのは難しいからな。
生徒会と教頭辺りを納得させられる目的を示せないと………」
「時間がありません。」
デジャヴか?と思うほど何度も聞いた言葉を西九条が吐く。正直めんどくさい予感しかしなかったが、ともかく俺は「それで?」と問うた。西九条は答える。
「部員が複数名になった今、ようやく活動が始められる。私の、思い描いていた野球観戦部が………」
「…………。」
「今日の夜から早速活動を始めるわ。」
強い決意を瞳に宿し、腰に手を当てスカートを振り回し、西九条はそう断言した。落ちかけの夕陽が後光のように彼女を照らす。
俺は「いやさすがに今日は……」と言いかけたが、それより先に香櫨園が「おもしろい!!」と叫ぶ。それに同調するように頷いた西九条は、腰に当てていた手を握りこぶしに変えて胸の前へ突き出し。
そして、それが日本の歴史の一部として最初から決まっていたかのごとくの有無を言わさぬ断言でもって、
か細くもなんともない、教室に響き渡る声でこう叫んだ。
「私たちの第一回の活動は、
阪神甲子園球場!!」
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