第11話
「なぎさは違うのか?」
「はい。わたしは勉強も運動も苦手です」
「そうなんだ」
勉強はどうだか知らないけれど、実は、運動がそんなに得意じゃないのかなとは思っていた。
さっき見た、彼女の走る姿がちょっと不器用な感じだったからだ。俺が追い付けたし、スピードもたいしたことがなかったのだろう。
美咲が相手なら絶対追い付けなかった。
「でも中一なんだろ? まだ分かんないじゃん」
「分かりますよ。お姉ちゃんは中一のときにはすでに、五十メートルを三秒で走ってました」
「……比べる相手間違ってるよ」
マジで人間じゃねぇな。尻尾が生えてたり、満月見て変身したりしないか不安だ。
「お姉ちゃんは剣上家の誇りです。宝です。それに比べたらわたしは漬物ですよ」
「漬物だって宝だろ」
「だったらここで漬物を食べさせてくださいよ」
「どこの美○しんぼだよ!」
「……お姉ちゃんは凄すぎるんです」
「俺のツッコミはスルーか……」
「私は谷村局○がタイプです」
「乗るか乗らないかはっきりしろ!」
伏せるところがおかしいし。それじゃあ局次長か局長かはっきりしないじゃないか。
「はぁ……で、お姉ちゃんが凄いのは分かったが、それが何の問題なんだ?」
「いえ、問題中の問題でしょう。お姉ちゃんと比べられて、わたしは生きづらい世界を生きているのですから」
「誰かと比べられるのはこの世界なら当然のことだ。早めに経験できてよかったじゃねぇか。上には上がいるってことだよ」
「うーん、そんなものですかねぇ……。世知辛いです」
悩むようなことじゃない。生きていれば上はいくらでもいるのだから。
じゃあ登り詰めたらどうなる? 頂点に立ったらどう見える? と聞かれても答えられないのだけど。そんな景色は決して分からない。
凡人にはとても、美咲の見ている世界など知り得ないのだ。
「つまり、気にしたら負けなんだ」
「でもそれは、逃げてるだけじゃないですか?」
「いいだろ、逃げてるだけで。別に悪いことじゃない。絶対負ける
「でも、それって」
勝てない相手には最初から挑まない。これが負けない方法らしい。
逃げるが勝ちなのだ。
俺が言いたいそれは、どうやら伝わったらしいが、なぎさは頷かなかった。
「悔しくないですか?」
「…………」
「いくら努力したって覆せない才能があって、負けだって分かってて、無駄だって知ってて、それでもわたしは諦めたくはないのです」
「……そっか」
この子に俺は、何が言えるのだろう。何も言えない。
この子は、俺より強いのだから。精神が圧倒的に。
俺よりよっぽど大人だ。
「勉強も運動も、凄く頑張っています。三つ雲さんの三倍は勉強してますよ?」
「ほっとけ」
俺はほとんど何も自主勉強はしていなかったから、三倍してもゼロかもしれない。言わないけど。
「運動はしかし、駄目ですね。やり過ぎてマッチョになっては、せっかくのかわいさが損なわれてしまいます」
「なるほど」
大抵の場合は、自分でかわいいとか言っちゃうのってどうかと思うんだけど、中学生くらいの子どもが言うのは微笑ましくて好きだ。
「なんでマンガとかだと細いキャラが力持ちだったりするんですかね」
「そりゃあ、そっちの方がなんかかっこいいし、夢があるだろ」
「わたしには夢がないんですかね……」
「そういう意味じゃないよ」
それを言ったら全員夢がないことになる。
「はぁ……なんでお姉ちゃんはあの体型であんなに力があるんですかね」
「……」
小説だから。って一番分かってそうなくせに、なんでこの話だけはならないんだろ。難しいなぁ。
「わたしは極度に運動ができないので、五十メートルを走るのに十五秒はかかります」
「中々だな……」
小一の俺より遅い気がする……。
今の俺なら十五秒あったら百メートル走れるのではないだろうか……。
「そうです。中々無惨なものです。しかし、無惨だろうと無理だろうと努力はします。たとえ無駄だとしても」
……なんか、俺の生き方が否定されている感覚だ。かっこよさが違う。
俺よりよっぽど主人公だ。
だけど、なぎさはそんな俺に哀れみの目なんて向けない。むしろ、キラキラした瞳で俺を見る。
…………なぜ?
「三つ雲さんはその考えをすでに持っていたのですよね」
「……え?」
「今日は素晴らしい先輩に出会えました。素晴らしい日です!」
叫びながら、両手で天を仰ぐなぎさ。星のない空は、月だけが彼女を照らしている。
天使か妖精か。
その姿はまさに!
……まさになんだろう? よくわかんねぇや。
「三つ雲さんは、いえ三つ雲パイセンは凄い人です」
「パイセンは止めろ」
「では三つ雲さん。三つ雲さんはわたしに言ってくれましたよね」
「……何を?」
「『努力は無駄にならない』って」
「あぁー、言ったかもなぁ」
やべぇ……。覚えてねぇ……。
アホ毛とか無駄話とかが脳裏に鮮烈に刻まれ過ぎて思い出せない……。
「わたしも信じているのです。努力はきっと何かを呼びます」
「……でもさっき、才能には勝てないって言ってただろ?」
触れない方がいいのかもしれないのに、俺は言ってしまう。
矛盾しない考えしかない人なんて、いるはずがないのに。納得しているなら、そっとしとけばいいのに。
「そうですよね……」
「あっ……ごめん……」
俺は、馬鹿だ。馬鹿すぎる。
後悔という文字が、頭の中でぐるぐると回っていた。
「謝らないでください。分かっているといったでしょう?」
「でも……」
「言ったことはどちらもわたしの本音です。『才能には勝てない』ですが『努力は無駄にはならない』」
「……?」
「『逃げるのは悔しい』ですが『逃げれば勝てる、かもしれない』」
……つまり?
「簡単なことですよね。つまり、矛盾するならどっちもしちゃえばいいんです」
最強の矛と最強の盾があるならば。どっちが本物かなんて争うのは馬鹿らしい。どっちも使えばいいじゃないですかか、と彼女は言った。
「……詭弁だな」
「そうです。詭弁です。でもそれでわたしはわたしを納得させたので問題なしです。そんなわけでわたしは、勉強も運動も人並み以上にやりつつ、他のことを努力したのです!」
「まさか、それが」
「そう! このアホ毛です!」
「――――――っ!?」
完全に、努力の方向間違えてる!!
立派なアホ毛は確かに、自らを誇るように頭に突き刺さっているが、それは必要か!?
確かに凄いけども!
「どうですか! これなら勝てますでしょう!」
「……何に?」
「当然、お姉ちゃんにです!」
お姉ちゃんにです! お姉ちゃんにです! お姉ちゃんにです!……。
やまびこが聞こえるほどに高らかに彼女は断言した。そして、アピールだろうか。
アホ毛がくるくると回っていた。
くるくる、くるくるー……。
「えーと、美咲に、アホ毛で勝とうってことなのか?」
「そうです!」
「……だけど、美咲って」
思い浮かべる。美咲の顔、頭、髪。
ポニーテール、下ろしたらロング。
サラサラ。サラッサラ。
触りたい……。嗅ぎたい……。
「うん、やっぱりそうだ」
「そんな気持ち悪い回想で、何が分かったんですか?」
冷ややかな目だった。例えるならば、冷奴のような目だった。
冷奴のような目ってどんな目だ?
まあいいや。
「分かったのはズバリ! 美咲にはアホ毛がないことだ!」
「その通りです!」
「…………は?」
「お姉ちゃんにはアホ毛がない! ですがわたしにはある! すなわちわたしの勝ちです!」
「なっ、そんな馬鹿な!」
アホ毛がない美咲にアホ毛で勝とうと言うのか!?
それって、バットを持ってないやつに野球で勝つようなものじゃないのか!?
チ○コを持ってないやつに、チ○コの長さ勝負を仕掛けるようなものだろ!
それで得る勝利は一体何なのだ。残るのは虚しさだけだ……。
「そういう話じゃありません!」
「あれ、違うの?」
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