第5話
しばらく休みたいところだったが、そんな時間をヒーローが与えてくれるはずはない。
ぼすっ、ぼすっと、一定のリズムで腹を蹴られていた。
「起きろ、三つ雲殿。いや、変態」
ぼすっ、ぼすっ。
実に
もしかしたら俺は、Mなのかもしれない。
でも、金的はマジで痛すぎるからきつい……。
下腹部まで痛くなる。
「わたしも一緒に蹴りたいところなんですけどね」
まだ縛られている少女は、心底残念そうに言う。
全身タイツの女が、仰向けに倒れている男を蹴ったり、女子中学生を拘束したりしている公園がここにあった。
桃源郷は、ここにあったのだ。
「なんかにやけてますよ、この人」
「危ないぞ。この顔は下からのアングルを楽しんでいる顔だ」
「そんなことしてねぇよ!」
してるけど。
「喋らないでくださいよ、ブタァ」
「ぶ、ぶひ!」
十歳年下の中学生に蔑まれる日が訪れるとは……。
長生きするものだぜ。
「なんでこんなに下品なんですかね。童貞だからですか?」
「下品じゃねぇよ!」
「あ、童貞は批判しないんですね」
「…………」
傷つくなぁ。
ヒーロー、俺を助けろよ。
「やっぱり三つ雲殿は童貞か! ハッハッハッ! 安心安心」
「…………」
救いはないようだ。
ひでぇ世の中だぜ。
「はいはい、ちょっとお静かに」
ずっと静かな俺を見つめて、少女は言う。
なぜだ。
「やっぱり喋らなくても地の文が五月蝿いですよ。煩い煩い。煩わしいです」
「…………」
……………………。
……………………。
「いや、黙らないでくださいよ。小説なんですから。地の文を喋ってなんぼです」
「小説言うな」
こいつ、どこ視点で生きてるんだ。
メタ視点だけは勘弁。
「まったく、この小説は話が逸れすぎですよ」
「だから小説言うなって」
「わたしはちゃんと話を戻しちゃいますからね。真面目キャラでいきたいので」
一番話を逸らしているのは、お前だと思う。美咲は結構静かになっちゃってるし。
ああそう、さっきの話じゃないけど、地の文で書かないと分からないだろうから言うが、美咲は筋トレを始めてる。
逆立ちで走り回っている。
なんて馬鹿なんだろう。ほほえましい。
「いいですか? 話を戻しますよ?」
「どうぞ」
「では、アホ毛の話に戻りますね」
「そんな前かよ!」
「あ、その前に自己紹介しておきましょうか」
とんでもなくマイペースな彼女は、そう言って名前を口にした。
それは、聞き覚えのある響き。
そう、あの名字だった。
「わたしは剣上なぎさと言います。平仮名でなぎさです。なぎさと呼んでください」
「剣上……?」
俺が繰り返すと、なぎさは顔を歪めた。
「そうです、剣上ですよ。あの剣上グループの社長の娘、そして伝説の女子高生剣上美咲の妹ですよ」
「なんでそんなに嫌そうなんだ?」
「別に嫌じゃないですよ。そうやって感情を決めつけるのはセクハラじゃないですか?」
「……悪い。そんなつもりじゃなかったんだ」
俺が謝れない人間だと思っていた人がいるのではないだろうか?
残念。
俺は、謝るときはちゃんと謝れるんだ。相手が本当に機嫌が悪そうだったら、謝るんだぜ?
美咲はいつもご機嫌だから大丈夫。
「三つ雲さんも自己紹介、お願いします」
「俺は三つ雲渡。ってかすでに三つ雲って分かってんじゃん」
「そこの人がそう呼んでましたからね」
それなら自己紹介をする必要もなかった気がする。
でもまあ、通過儀礼ってものがあるしな。
「確かに三つ雲さんは名乗らなくてもよかったかもしれませんが、わたしは今名乗らないと駄目でしたね」
「ん? どうして?」
「だって、地の文で彼女とか少女って続くのうざくないですか? 名前がないキャラのわけでもないのに」
「だから、地の文の心配はするなよ……」
お前は作者か。
しかし、剣上か……。なるほどなぁ。
ここで美咲を見る。下手くそな口笛を吹きながら腹筋をしてた。
アホみてぇ。
「もしかして、剣上の漢字とか分からなかったりします?」
「いやいや、分かってるよ。めちゃめちゃ分かってる」
「そうですか。では分かりやすく教えますね」
「いや、分かってるって」
うん。どうやら、どうしても言いたいらしい。俺をガン無視して、なぎさは続ける。
「英語で言うと分かりやすいと思うんですよね」
「ほう。英語で」
「はい。剣上なので、ソードアートオ……あ、間違えました」
「そんな間違いあるかよ!」
自分の名字の説明をしようとしたら間違えて、超有名なあのタイトルを言いそうになるだと!
ありえない!
「絶対わざとだ!」
「噛みました」
「ふーん。そうか……」
「失礼。噛みまみ」
「そのネタは絶対に使うな!!」
ただでさえ敬語少女ってことで比べられやすいんだから止めとけって!
あのキャラには勝てねぇ!
「そうそう、S○Oで思い出したんですけどね」
「そこから思い出すな!」
伏せれてねぇよ。
隠しきれないオーラが滲み出ちゃってるよ。
「わたし、アス○さんに似てるってよく言われます」
「嘘つくな!」
何も似てねぇだろ!
髪も短いし、身長も低いし、胸も小さいし、剣も使えないだろ!
イケメンの彼氏もいないだろ!
そのキャラにも勝てねぇよ!
「三つ雲さんはキバ○ウに似てますよね」
「なんでや! 似てねぇだろ!?」
もうやめてくれー!
これ以上はマズイってー!
ツッコミで誤魔化すのも限界だ!
「確かに、三つ雲さんのツッコミのキレも悪くなってきましたし。そろそろ止めますか、キバ雲さん」
「だから俺はあんな独創的な髪形してねぇよ!」
オレンジ色のトゲトゲ頭とかしてないから!
あんなゲームに耐えられるメンタルなんか持ってねぇんだよ。
「髪形! ようやくアホ毛の話に戻りましたね!」
「……戻ったのか?」
「はい。戻りました。いいですか? わたしはどうしてもアホ毛の話をしないといけないのです」
「はあ」
なぎさは、話すと決めたら話さないと気が済まないたちらしい。
仕込んだネタは全部言わないと嫌だって感じだ。
だから今、俺は不安でしかたがない。
「そんな心配しないでくださいよ。パロディネタはもうやりませんから」
「お、本当か!」
「あ、でももしかしたらやっちゃうかもしれないっちゃしれないかもっちゃっちゃっちゃかもです」
「ちゃちゃちゃかもなのか……」
「新種の鴨ですよね。今朝、見ました」
「……そうか」
「ちょっと、ツッコミはちゃんとやってくださいよ。どうしたんですか」
「疲れた」
「体力が足りませんね。ツッコミしか価値がないんですからもっと頑張ってください」
「俺の価値はツッコミだけなのか!?」
「そうですそうですそうなんです。いわばコバンザメみたいな人ですよ。他の人のボケを食べて生きているのです」
「そんなことはないぞ」
「み、美咲!」
筋トレを終えたのか、後ろから歩いてきた美咲が声を挙げた。
どれだけ激しいトレーニングをしたのか知らないが、汗でびっしょり濡れている。
タイツが濡れて、さらに身体にピチッと密着。
美しい曲線を描いて。
………………ふぅ。
「ほら見ろ。三つ雲殿はツッコミだけではないのだ」
「そうだそうだ!」
「ボケもするし、セクハラもする。おっぱいも揉むし、視線の先には常におっぱいだ」
「…………」
「なるほど。おっぱいでいっぱいなんですね」
想像できるだろうか。
この冷たい目を。
かっこよく言えば、視線だけで殺せそうな四つの冷眼が、俺を見つめていた。いや、見下していた。
「ただのクズじゃないですか。無価値ですね。はっはっは」
渇いた笑いって、こういうことを言うのかもしれないちゃちゃちゃかもしれない。
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