第9話

 第一、一ヒーロー二ヒーローってなんだよ。ダサいよ。


「ああ、いいからなんとかしてくれ!」

「分かっている」


 美咲は、身を屈め、床を蹴った。そして吹き抜ける風のように、一瞬でOLの背後を取る。

 とんでもない速業だ。狭い廊下とは感じさせない無駄のないステップ。完璧だ。


「悪いな」

「キャー……ぁ……」


 映画とかでよく見る、あのチョップみたいな、なんて言うかよく分からないやつで、美咲はOLを気絶させることに成功したのだった。


「どうだこの手捌きは」


 勝ち誇ったように口の端を上げている彼女に近寄る。

 怪人を一人、あっという間にやっつけてやったぞ、とでも言いたげだ。

 本当に、馬鹿だなぁ。


「いて、何をするんだ」


 ちょっとだけ、頭をチョップしてみた。本当に軽く、全く力を込めずに。


「どうやったらそれで気絶するんだか」

「コツがあるんだよ。今度教えてやろう」

「いいよ、別に」


 使える方が危険というやつだ。


「しかし、バレないようにした方がいいとは言ったけどねぇ」

「気絶するとその直前の出来事は忘れてしまうようだぞ」

「よく出来てるよ」


 これで今のところ、目撃者無しの証拠無し(窓ガラスは含めない)。完璧な犯行だ。

 こんな場所で眠っている、この若い女の人は後でどれだけ怒られるだろう。まぁ、申し訳ないが、許してくれ。

 俺だって必死なんだ。


「さて、じゃあどうす」

「何者だ、お前たちぃぃ!」


 俺の言葉を遮ったのは、太い男の声だった。屈強な若者が何人も、廊下の奥から流れて来たのだ。

 勿論、それ以外にも老若男女。多くの人が集まっているようだった。野次馬だろうか。


「私たちはヒーローだ!」


 私ではなく、私たちになっているのが、何とも言えなく悲しい。


「何がヒーローだ変態!」

「変態じゃない!」


 と、恒例のやり取りを終える。そのうちダイジャストで纏められたり、レールに乗せられ、流れ作業の要領で記憶にも残らなくなるのではないだろうか。当たり前すぎて。


「あ、あれ? 後ろにいるあの男、どっかで見たような……」

「美咲!」

「承知」


 危ないところだった。もう少しでバレてしまうところだった。危ない危ない。

 剣上は、そこにいた人々を一人残らず全員にチョップを食らわして、全員を気絶させたのだった。

「ふん、ふん、ふん、ふん……」と掛け声と共に。


 ……罪に罪を重ねているような、罪を積み積みしているような気がしなくもなくもないのだが、それこそ気にしては負けなのだ。

 何事もなかったように、その場を後にする。


「美咲、お前が探しているのは誰なんだ?」


 走る少女の後を追いながら、質問。すると、角を曲がった先にあったエレベーターに乗り込みながら、彼女は答えた。


「一番偉いやつだ」

「一番偉いやつ? ……おいおい、まさか」

「そう、捨懲しゃちょうだ」

「そんな、格好いい漢字のポジションはない」


 捨てたり懲らしめたりするのを、あからさまにおおっぴらにしているトップなんて嫌だ。


「まあ、社長だな」

「いやいや、マジかよ……」


 上へ上へ、最上階を目指すエレベーターの中で、後悔を感じながら。

 せめて自分だけはなんとか罪を逃れる方法を、模索していた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 結局、無駄だった。何も良い案は思いつかなかった。

 終わりだ……。


「どうやら覚悟は決まっているようだな」

「そんなもの決まってるわけないだろ」


 社長室という、金色の文字。他の扉とは違う、豪華な造り。

 入ったことなど、一回もない。あぁ、緊張してきた。吐きそう。


「よし、じゃあ入ろうか」

「その前に一回、深呼吸とかしないか?」

「しない」

「じゃあ一回、胸を揉ませてくれ」

「どうしてそんな要求が出てくる!?」


 要求というよりは欲求だな、と吐き捨てられた。相当軽蔑されている気がする。


「なんか落ち着けるんだよ」

「興奮するの間違いだろう!」

「論より証拠だって」


 このときの俺は、どうも普通じゃなかった。あり得ないこと続きで頭がおかしくなったのかもしれない。

 変に、集中していた。

 ゾーンというやつだったかもしれない。現実逃避だったかもしれない。

 どういう理由だったかは分からないが、しかし、凄まじい能力を発揮できたのは確かだ。


 おっぱいを、鷲掴みした。

 両手で、両胸を。

 我ながら、無駄のない、素晴らしい動きだった。


「うっひょっー!」

「興奮してるじゃないかあああ!」


 剣上は体を捻り、まず俺の手を振り払った。そして、俺の腕を乱暴に掴む。

 タイツだから、掴めるところといえばそこくらいしかなかったのだろう。

 そして、一本背負いで俺を投げた。

 鮮やかな一本である。


 だが、方向が悪すぎる。

 あろうことか、俺を扉に向かって投げたのだ。社長室の扉に。

 視界がぐるぐる回る気持ち悪さを覚えながら、頑丈そうな扉にぶつかる。だが、その頑丈さは見かけ倒しだった。

 もしくは、美咲の力と、俺の体が思ったより堅かったのか。

 扉は、激しい音を鳴らして、倒れた。


 自然、俺は倒れた扉を転がっていく。ごろごろごろごろ。


「誰だお前たちは!」

「ヒーローだ!」


 威厳のある、重低音の響き。間違いない、社長だ。

 きっと今日も、自慢の髭を伸ばし、高級なスーツに高級なネクタイを締めているのだろう。

 今、視界が酷いことになっているから、見ることができないが。


「顔を見せてみろ!」


 なんて勇気がある人だろうか。不審者(俺)の顔を掴み、相対しようとは。

 だが、その判断は致命的なミスだった。


「おろろろろろ!」

「ああああああああ!」


 そうして顔を無理矢理上げさせられた不審者である俺は、耐えきれず吐いてしまった。社長の顔面に。

 ダストアタック、もしくはオーロラショットとでも名付けようか。

 モザイク加工は自己負担でよろしく。


「素晴らしいぞ三つ雲! 先制攻撃を食らわすとは、流石だ! アハハハハハハハ!」


 美咲は、それを嘲笑した。ヒーローとは思えぬ残虐性だった。つくづく、ヒーローの反対を行く女だ。

 それがポリシーなんじゃないかとすら、思ってしまう。

 今、吐くものを吐いてスッキリしたから、冷静になってきつつあるから、こうやって分析できているのだ。


「…………三つ雲?」


 あ、やばい。顔面についたオーロラソースをティッシュペーパーで拭き取りながら、社長はゆっくりと、自分の中で何かを確認するように呟いた。

 三つ雲なんて早々いる名字じゃない。これは、本当にまずいかもしれない。全身の毛穴から、サウナに入っているように、汗が吹き出てきた。

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