ケース 二

 別役美回子は幸せな主婦であった。

 今の夫に出会い、結婚できたことはかけがえのない幸運だったと信じていた。

 同じように結婚した友人の中には、夫のことを悪し様に言い、会えば延々と愚痴の絶えないような者もいる。

 確かに、同じ屋根の下で暮らしていれば恨めしいこと、許せないことは出てくるものだろう。

 結婚してみて初めて知る伴侶パートナーの一面が、自分にとってあまりに耐え難い悪癖だったりというのも往々にして起こり得ることだ。

 しかし、歯の浮く様な話だが、それらが全部一塊になって隕石のように降り注いで  ――  ある、大いなる愛を打ち倒してしまうようなことは決してないのだと彼女は信じていた。

 いや、それは信仰ではなく実体験なのだ。

 他所の家の愚痴を聞いている限り、自分の夫が信じられないぐらいに良くできた、あるいは相性の良い人間である点を考慮しても、彼女は自らの夫のマイナス面に至るまでをも酷く愛しく感じている。

 強がりではない。

 それを許し、受け入れられる愛の素晴らしさを知っているだけだ。

 もっとも、愛が深いことは必ずしも良いことばかりでなく、光があれば陰のあるように生じる弊害だって存在する。

 彼女は良妻であった。

 玄関で夫を見送ると、洗濯と掃除に手を付けて、時計の針が上を向い  ――  は家事の大半を終わらせてしまう。

 一人の昼食などは、ご飯一杯にふりかけと朝の残りであるお味噌汁、という風に簡単に済ませるので手間もかからない。

 すると、彼女の昼下がりは自然と、リビングに居座り、テレビをつけて適当なチャンネルを選び、見るともなく流し見ているだけの怠惰な時間となってしまう。

 何かの拍子に、そんな風に普段を過ごしているのだと、彼女は夫に零したことがあった。夫は笑って、もっと良いものをたんと食べて、外に遊びに行っても良いんだぞ、なんて甘い声で自分の妻を叱るのだ。彼女は貞淑であり、夫の言いつけには従う性質だ。が、彼女には夫のいない間の贅沢などまっぴら御免であり、その言いつけにだけは今でも反抗している。

 後ろめたいからではない。夫が自身でそう言う通り、よほどハメを外さなければ文句の一つだって飛んでこないことが彼女には分かっている。だから、彼女が贅沢をしないのは、夫がいない間の贅沢など何も楽しくないから、という単純な理由に尽きるのだった。

 愛す  ――  間は味気ない。

 見渡す限り砂と岩ばかりの荒野で、乾いた風を飽きもせず呑みこんでいるかのようである。

 画面はモノクロ、空は灰。

 亭主元気で留守が良い、なんてフレーズの流行った時期があったらしいが、彼女にしてみれば亭主の留守は罰ゲームにも等しかった。

 愛  ――  ビングは広い。

 彼女には、その愛に飢える悩みこそが贅沢であるのだと分かっていたから、それを誰かに相談するような真似をしなかった。

 夫婦間でいがみ合っているようなところに惚気話を放り込むなんて、腹を空かせた野犬の群れに裸で突撃するようなものである。

 争いは激化し、飛び込んだ者も骨になる。死屍累々、誰も得をしない特攻だ。

『やいやい! ここはオイラの遊び場だ! ふてぶてしく転がりやがって! てーい!』

 テレビの画面には赤ん坊が映っていた。

 どこの誰とも分からない家の子が、一緒に住んでいるのだろうハスキーに頭から特攻をかましている。

 ハスキーの方はと言えばだらりと寝ころんだまま、背中、腹、顔、尻、あらゆる方向から特攻してくる赤ん坊にはちっとも関せず、シエスタを決め込んでいる。

「犬、か」

 インターネット上の大手動画サイトに投稿された素人のそれを集め、声を容れ、音を容れ、おもしろおかしく編集したものを流すだけの番組。

 製作側のオリジナルと言えば、それらの編集と、笑ったり感想を述べたりする芸能人のひな壇ぐらいなものである。いつからか、その手の番組が急に出て来たと思ったら、数年もせずに衰退していったようだ。彼女はあまり熱心にテレビを見ない。本も読まず、音楽も聞かず、何らかの創作に手を出しているわけでもない。だから、動画を寄せ集めただけの番組の流行り廃りにも詳しくはなかった。

 ただ、そんなものでも見ていれば得るものがあるわけだ。犬に限らず、ペット、というのは有りかも知れない、と。

「でも、飼うなら小さいのが良いな」

 チワワ、トイプー、パピヨン、ダックス。

 夫の稼ぎが良く家は広いが、大型犬を走り回らせるほどの面積はないし、そういう庭だって持ち合わせていない。室内で飼うなら小型犬がちょうど良いだろう。あるいは猫。テレビを見ていると、最近ではカワウソやハリネズミなんていうのもペットになっていると知って、彼女にしては珍しく真剣にテレビを見て、それらの新しいブームに感心したり、驚いたりしていた。

 変わり種のペットと言っても、せいぜいインコやオウムが関の山だった彼女にとって、ハムスターの親縁と見えなくもないハリネズミはともかく、全く別の種であるカワウソの登場は衝撃的であった。ヘビやトカゲの爬虫類まで行くと世界が違い過ぎて、ハナから彼女の勘定には入っていない。だから、ペットとして“アリ”のラインに最初から数えられていない爬虫類やつらはともかく、カワウソはめでたく要検討の仲間入りを果たすのだった。

 見ているとどうも、カワウソという生き物は懐くらしい。アレが特別な個体なのか、平均的に人に懐く動物なのかは分からないが、ああまで好いてくれるのならペットとしては全く、申し分ない。良く見るとかわいいし、きゅうきゅう、とおもちゃの人形めいた鳴き声も愛らしい。

 後の懸念と言えば、夫が首を縦に振るかどうかだ。まあ、答えは分かり切っているのだけど。

「あの人は心配するかしら。わたしがそうまで寂しがっていると知ったら」

 事を大げさにされても困りものだ。愛は深ければ深いほど、その沼にはまる人間の足にしっかりとまとわりついて離さない。いわゆる、“愛が重い”という状態に彼女は置かれている。

 世の中の人間には、その重たい愛の形を嫌がり、煙たがる者もいるようだが、その気持ちは分からないでもなかった。が、愛され過ぎてしまったから、彼女にはもう、彼から離れるという選択肢の採りようがなかった。きっと、同じだけ自分を愛し、また愛することのできる人を見つけることは二度と望めないだろう。幸運に恵まれてやってきた史上の幸福。裏を返せば、代替のきかない幸せはほとんど呪いに近い。ただ、呪いであろうと幸せなら何の問題があろうか。

 こんなに心地良い時間を捨てるなど考えられない。

『昨今取り沙汰されている“変死”について質問いたします。まず、この変死について政府はきちんと把握しているのか、その点についてイエスかノーでお答えください』

 ふと気がつくと、動画を垂れ流すだけの番組が終わって、いつの間にやらニュース番組が始まっていた。それとも、無意識にチャンネルを回していただろうか。映っているのは、今日の午前中にあった国会審議の録画らしい。

「  ――  

 思わず、口に出す。それから、彼女は顔をしかめた。

 テレビにも新聞にも関心をもって取り組まない彼女でも、その言葉については聞き覚えがあった。むろん、“変死”という単語の一般的な意味についての話ではない。今や日本では……いや世界中で、“変死”という単語の指し示す先は、新たに示された一つの現象へと絞られつつあった。

『こちらのフリップにもありますように、変死の始まった時期は労働改革の始まった時期と――』

 “変死”とは、日本を含めた世界中の抱える深刻な社会問題である。何でも、“自殺”の延長線上にある新たな社会現象なのだとか。自殺者数と変死者数が反比例の関係にある、というのがその根拠とされている。

 事が公にされたのは三年前。

 “変死”と見  ――  数が五千を超えたという統計が、日本政府から発表された。

 これを受け、マスコミは“変死”にまつわる報道を加速、瞬く間に世間を駆け巡った変死報道は、それほどの間を置かず“社会現象”と騒がれるようになった。日本国内においては、自殺者数が減少傾向にあった前向きな社会の流れにぴしゃと水を差すタイミングであったのと、ネット上で密かに交わされていた“変死”に関する様々な情報・憶測・議論が、マスコミの躍動によって一気に表舞台に上がって来たことが、“変死”の“社会現象化”に拍車をかけた。

 それまでは、“変死”という現象はあくまで都市伝説めいた眉唾だったのである。五千の規模に膨れ上がるまで社会が関心を払わず、関連付けていなかったのが、その良い証拠だろう。それだけの人が死んでいながらまともな議論がなされなかった。都市伝説の範疇を脱せず、つまらない陰謀論などと片づけられていた。

 なぜか。

 理由は簡単で、その現象があまりにも“不可解”だったからだ。

 住んでいる地域にも、付き合っている人々にも、趣味にも趣向にも性格にも共通することのない人間が、突如として奇行に走り死亡する。中には奇行の内に自殺  ――  ったケースもないではないが、そのほとんどが突発的な心臓麻痺や窒息によって死んでいた。それまでの病歴も一切関係なく、心身ともにどんな  ――  としても、それらの人間は“変死”している。

 言うなれば、変死者に共通するのは“変死者である”という事実だけなのだ。変死の前に起こる奇行すら一様ではなく、大人しくなって死ぬ者、泣き叫んで死ぬ者、横になって死ぬ者、走り回って死ぬ者、その死に様は千差万別である。

 かように多様な“変死”は、科学で説明がつけられなかった。理屈の通らない、理不尽な死。

 まるで、ちゃちなSFだ。

 そう思うから、誰もがまじめに解き明かそうとはしなかったし、あるいは現代の知識では到底理解できない現象だったのである。

 ……と。

 いうようなあらましが、ニュース番組の企画の一つとして、先の国会答弁に引き続いて流されていた。

 ドキュメンタリー風で、視聴者を無意味に煽るような凝った編集だ。目にしては悲観にならざるを得ないつくり。“住んでいる地域にも、付き合っている人々にも、趣味にも趣向にも性格にも共通することのない”とは、要するに無差別であるということ。次の瞬間にも変死を遂げるかも知れない可能性が、全ての人間に平等にあるのだ。

 確かに、恐ろしいことである。政府が発表し、世界中で事例が報告されている以上、この現実は受け入れなくてはならない。

 が、彼女はそうと理解していながら、しかし必要以上には恐れていなかった。

 社会現象にまで昇華された“変死”事件を、自分にはほとんど関係のないものだと切って捨てていたのである。

 なぜならば、もし“変死”と呼ばれる現象が“自殺”の延長線上にあるのなら、それは何らかのストレスに起因していると考えるのが筋である。しかしどうだ、と彼女は自らの境遇を振り返って思う。この  ――  こにだって、自分に負荷をかけてくる歪はない。呪詛となった愛情でさえ、彼女にとっては確かな養分なのだ。

 例えば、そこから愛が失われるようなことがあれば、きっと自分は発狂してしまうのだろうという自覚が彼女にはあった。発狂し、ところ構わず走り回り、泣き、叫び、最後にはショックに耐え切れず心臓や呼吸が止まっても不思議はない。その一連はまさに、世間を騒がせる“変死”そのものである。

 なら、自分に限っては全く大丈夫だ、と彼女は考えていた。少なくとも今、愛は失われていないし、それを疑う要素だって微塵もない。堅固にして永遠の愛に包まれている内は、自分は“変死”とは無縁の存在である。


 彼女はテレビから目を離し、ふと、外に目をやった。

 大きな窓からはいつもの住宅街が覗いていなかった。それらを遮るようにして、前面に大きな“花”があったからである。


「――――え?」

 それは逆光を浴び、リビングに影を落としていた。

 しかし次の瞬間にはもう、姿かたちもなくなっていた。確かにフローリングの床に落ちていた影ごと、きれいさっぱり消えている。

 見間違いだろうか? いや、そうでなければ何なのだ?

 一瞬であったが、目に映った造形はあまりにも非現実的で、何となれば“変死”よりもずっと不可解なモノだった。

 昼間からいろいろと、ものを考え過ぎただろうか。これだから、主人のいない孤独はいけないのだ。

  ――  

 彼女が振り返ると、それは彼女の後ろにあった。

 椅子に座った彼女よりも大きな花。その花芯に埋め込まれたようにある貌と目が合う。

 がたがたがた!!!

 彼女は椅子から転げ落ち、花から離れるようにしてフローリングへと身を投げ出した。悲鳴をあげたような気がしても、その口からは何の音も出ていなかった。パニックが度を越して、思考に身体が追いついていない。あるいは、心身がてんでばらばらに動いてしまっているのか。フローリングに強く膝を打った痛みで、彼女はほんの少しだけ冷静さを取り戻せた。

 それを確認する。まだ  ――  る。

 と、思った時にはもう、彼女はリビングを抜け、靴も履かず、スリッパを投げ出し、裸足のまま家の外へと飛び出していた。

 無理。無理。無理! 無理!! アレを一秒だって見るなんて!!

 彼女は虫が嫌いだった。触れるどころか見るのも耐えられない性質である。しかし、生きている以上は人並みに虫を見てきて、いちいち悲鳴を上げて来た彼女の経験など何の役にも立たないほどの嫌悪感が、その花にはあった。

 炎天下。目も眩むほどの日差しが彼女の素肌を容赦なく照らし付け、熱せられたコンクリートが彼女の素足を容赦なく焼き付ける。だが、逃走は止まらなかった。やめられなかったのだ。恐怖が痛覚を麻痺させている。走ることに全神経が傾いている。当然、彼女の視界にはもう花はなく、昼下がりの住宅街があるだけだというのに、脳裏からは決してソレが消えることはなかった。

 種はダリアに近い。八重ピオニー咲きの黄色いダリアだ。たまたま、彼女が知っていたいくつかの花の種類の内に、ソレに該当するモノがあった。全速力で走っていると酸素が足りなくなって、頭が呆としてくる。心にわっと入って広がった恐怖もにわかに薄まるような気がした。暑さと疲労に朦朧とする。

 だが、“花”は常に頭の中にあった。

「いや、いや、いや!!!」

 いくら思い浮かべたくなくたって、人生最大と言っても良いプロポーズにまさる衝撃とともに記憶にインプットされてしまったソレは、もはや消し去ることが叶わない。彼女の意志とは関係なく、勝手に想起されてしまう。とっくの昔に息切れを起こしながら、しかし頭の中を白紙にしようとして彼女は走り続けた。殊、花芯に  ―― 貌などは、数秒足らず目視しただけだというのにほとんど完璧に再現され、彼女の脳内で笑っているのだ。目鼻立ちの端正な、しかし焦点の定まらない目をした貌。大人とも子どもとも見え、人間と同じパーツで構成されていながら、今までに見てきた全てのそれらから逸脱した印象のある、言い得ぬ恐怖の宿る貌。

 どんなに走ったところで、突如としてやってきたダリアソレのイメージから逃れることはできなかった。やがては気力さえ尽き、とうとう彼女の足が止まる。ばたりと、彼女は歩道に倒れ込んだ。足が痛い。肺が熱い。意識に霧がかかってまともな思考を保てないのに、花だけがもやの中に立ってはっきりとこちらを見ている。拭えない。振り払えない。困難ながら息を整えられるぎりぎりの運動量は、平時であれば走るのを止めている限界を軽々と越していた。学生時代にだって、彼女はこんなにも必死に走ったことがなかった。

 ともあれ。

 そう、ともあれ、ここ  ―― れば大丈夫だろう。何かを話し  ―― ってもう聞かなくて済む。そう、丁度こんな風な。

 は、として、彼女は顔を上げた。

 街路樹に、立ち並ぶ戸建て。舗装された道路はいかにも清潔で、ごみの一つだって落ちていない。住民  ―― 伺える。

 よせば良いのに、彼女は振り向いてしまうのだった。

 街路樹と、立ち並ぶ  ―― された道路はいかにも清はながある潔で、ごみの一つだっ  ―― ない。住民の意識の高さが伺える。

 近くもなく、遠くもなく、目算五メートルほどの微妙な距離。

 造形は変わっていなかった。記憶と不気味に一致した花が、走ってくる時にはなかったのに、本当は最初からそこにあったようにして彼女を見下ろし、何事かを話している。

 いや、その目は自分を見ているわけではないのだ、と彼女は三度目の対面にしてようやく理解した。まるで、ガラス球をはめ込んだ人形のように虚ろな瞳。きっと、どの方向から見たって視線が交錯することはなく、そして、常にこちらを凝視しているのだ。

「なん、なの。いや、わたし、いや、だって、違う、わたしは」

 その花はおおよそ、言語らしい言語を話しているとは言い難かった。そういう意味で言えば、花の貌の口から出でる何らかは、単なる音の連なりでしかなかった。だが、それは確かに彼女を追い詰めていた。目に涙が浮かぶ。汗が噴き出し、震えがやってくる。まるで叱られる子どもだった。身体の奥底が冷え、自分を抱きとめていなければ、次の瞬間にはばらばらになってしまいそうだった。

 引き裂かれるのではなく、内からやってくる衝動によって、風船のように破裂するのである。

「いやあああああ  ―― ああああああああああああああああ  ―― ああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」

 堰を切った。

 得体の知れない恐怖に直面しながら、なおも彼女が今の今まで泣き叫ばずにいられたのは、単に彼女が幸せな大人であったから、というだけの話であった。普段の生活で心に負荷をかけられていない分、恐怖によって突如として圧し掛かってきた負荷にも対応し、受け容れ、感情を溢れさせずに済むだけの余裕が彼女の精神にはあったのだ。加えて、自分の家の近所で騒ぎを起こせば後で何を言われるか分かったものではない、今の幸せに水を差す事態だって有り得る、という大人的打算も同時に働いていた。後先考えず飛び出してしまった事実は悔やんでもしょうがない、甘受するとして、それ以上に取り乱すことは許されなかった。

 幸せは  ―― 渡りをするように危うい。

 ここで泣き叫ぶような真似をすれば、変人だと噂が立つだけなら良い方で、結果はどうあれ“変死”を疑われるだろう。これほどにまで世間を騒がしている社会現象の当事者として、周囲の奇異の目は避けられない。どこぞの夫の浮気だとか、子どもがどんな学校に受かっただとか、そんな他愛のない世間話にすらニュースバリューのある平和な住宅街に、“変死”事件の片鱗が提供されればどんな大事に膨れ上がるか。

 分かっていても、込み上げてくる感情の渦を抑えることは彼女にはもう、不可能だった。余裕と妥協によって築かれた受け皿だって無制限ではない。途切れることなく追い打ちをかけられて耐え切れるほど、彼女は強くなかった。どんなに幸せであったとしても彼女は普通の人間、普通の女性なのだ。

「ごめんなさい! ごめんなさい!   ―― めんなさい!!」

 耳を塞ぎ、赦しを請いながら、彼女は走り続けた。今の幸せに満足していても、彼女は赦しを請わねばならなかった。

 幸せはもろい。

 片目をつぶらなければ光を見出せないほどに。

 彼女は決して振り返らなかった。人間の心理として、追いかけられていれば、その姿を確認したくなるものである。だが、彼女にはその必要がなかったのだ。足のない花がどうやって移動する  ―― るはずはなく、考えたくもなかったが、当然のように足音はなかった。しかし、頭の中に響いているのか、背後から投げつけられているのか、ともかく  ―― いたから、それがつかず離れず追いかけてきていることは明白だったのである。

「ごめんなさい! ごめんなさい! 赦してください! わたしを! わたしのことを! 赦してください!」

 花の声は、不都合な現実を炙り出すようにして浮かび上がらせた。光のない瞳が彼女の心を見透かし、暴き、映していた。

 水鏡に、黒い何  ―― 

 見ないようにしていたそれは、確かにありながらも、けれど、直視しなくてはならないと決まっているわけでもなかった。

 幸せは所詮、比喩である。

 足りなければ不幸だと感じ、満たされていれば幸福だと感じる、ただそれだけの現象である。

 この理屈からいけば、“今以上の幸せを体験したことがないのなら、今の幸せ  ―― る”という答えに無理なく辿り着ける。故に、“その先にある更なる幸せについて考えることは不毛”なのだと結論できる。

 嘘ではなく。

 ごまかしと諦めだ。

 彼女と、彼女の伴侶にとって、その理屈は都合が良かったのだ。

「  ―― ん! カケ  ―― 赦してください! わたしを! わたしをそれでも愛していてください!」

 既に身体中の感覚はなく、自分が今きちんと走れているのかさえ、彼女には把握できていなかった。とっくの昔に破裂して、もはや何も残っていないのかも知れなかった。住宅街を見ていたはずの目には何も映っておらず、眩しいほどに降り注いでいた日差しも暗闇にすり替わっている。足元も伺えない暗黒の中にあって確かだったのは、彼女が自分だと思うものの中心に寒気が陣取っている、ということだけだった。あるいは、その寒気こそが自分だったのかも知れない。彼女はしかし、その寒気から逃れるために走っていたから、それを自らだと認めるわけにはいかなかった。

 ともすれば、彼女は彼女から逃げているにも等しかった。自分から自分を逃す、という矛盾の逃避行。それは正しい現象なのだろうか。

  きっと、貌のある花が追いかけてくるぐらいに有り得ない。

 だからこんなことになっている。

 やがて。

 彼女は冷たい暗闇に倒れこんだ。

 身体が冷たいのか、地面が冷たいのか、空気が冷たいのか、その判断はつけられそうもなかった。

 もはや、本当に繋がっているのかも不明で、どこにあるかが分からない指先一つ動かすことは叶わなかったが、彼女はそれでも逃げなければと思い、息を吸った。

 ような気がした。吸えなかったのである。

「ああ、  ――  、ごめんなさい……ごめん……な……さ」

 ぶつんと意識が途切れる。花は背後に立っていた。声がするからでもなく、ただそれだけは自分のことのように感じられていた。

 


 彼女が自分の夫に嘘を吐くのは、一体いつ以来のことだったか。

 また、ごまかすことが増えたのだ。

 しかし、そう悲観したものでもないだろう。

 一つや二つ、目をつぶらなければならないことが増えるぐらい、二人で築く愛の大きさを思えばどうってことはない。

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