中之巻


 しぃん、と。

 道場の空気は、重苦しい程、静まり返っていた。


 その中心でわたしは正座して、目の前に置かれた燭台を見つめる。

 燭台には、火のともってないロウソクが三本。

(大丈夫、落ち着いて……)

 集中が大事だ、と言い聞かせながら、わたしは指先に狐火を灯す。

 ぼぅっ! ……小さく灯すつもりだったけど、狐火はごうごうと音を立て、わたしの頭くらいの大きさになってしまった。

(いかんいかん……)

 火力が操れないのは、集中出来てない証拠だ。

 わたしは深呼吸して、狐火の勢いを弱める。火に注ぐ妖力を減らせばいいんだけど、これが案外難しいのだ。

 下手に力を絞れば消えてしまうし、思い切りやれば火が強すぎる。

 どうにかこうにか指先程度の大きさにした火を、わたしはその場からロウソクへと投げる。火は三方向に散らばって、それぞれのロウソクの先に灯った。

 あとは、この火をしばらく維持し続ける事。

 これは、わたしが毎日やっている修行のひとつだった。


(……使い魔に、かぁ……)


 ゆらり、揺らめくロウソクの火を見つめながら、月野君に言われた言葉を思い返す。

『化け狐だって周りにバラされたくなきゃ、俺の言う事を聞け』

『そんな!』

『……別に俺は言ってもいいし、この場で滅してもいい』

 あの時、じぃ、と至近距離で睨み付けられて、わたしはうなった。

 確かに、倒されず皆にバラされないっていうのはありがたいけど。こんな可愛い女の子捕まえて言う事聞けだなんて、何させるつもりなんだろう。

『安心しろ、用が済んだら改めて滅してやる』

 わたしが尋ねても、月野君はそう答えるだけだった。

 いや、最終的に倒されちゃうんじゃ意味ないんだけど! って思ったけど、結局、あの場じゃ他に選択肢も無かったし、わたしは頷いてしまった。

 右の手首を、さする。今そこには何もないけど、わたしの返事を聞いた月野君は、わたしの腕にある呪いを掛けた。それがある限り、わたしは月野君に逆らえない……らしい。

(まさかこんなことになるなんてなぁ……)

 わたしはただ、転校生に最後の『善行』を積ませて欲しかっただけなんだけど。

 命が助かっただけ、運が良かったんだろうか。

 心にもやもやする物を抱えて、わたしはどうしていいのかわからない。


「ヨーコ、ちゃんと火を見なさい」

「ふぇっ?」


 と、突然後ろから声を掛けられ、わたしの意識は目の前の光景に戻る。

「あっ……!」

 ロウソクの狐火が、消えていた。わたしが考え事をしちゃってたからだ。


「相変わらず注意力が足りませんね、ヨーコは」

「い、飯綱さん、いつの間に……」


 振り向くと、いつの間にやら道場の入口に、長身の男性が立っていた。

 神主の衣装に身を包み、黒髪を後ろで束ねたこの男性は、飯綱さん。

 わたし達の住まう稲荷神社の神主にして、その使いの『管狐』という妖怪だ。

「先程から見ていましたよ、ヨーコ。集中出来なかった上に私にも気付かなかったなんて、考え事でもしてたんですか?」

 にこにこと笑っているけど、飯綱さんの言葉からは得体の知れない圧力を感じる。

 そうだ、心配事は他にもあった!

(飯綱さんにこのことがバレたら……っっ!!)

 退魔士に正体がバレて、使い魔にされた、なんて。この人には絶対知られちゃならない!

「えーっと、その、お腹空いちゃって」

 あはは、と笑いながら、わたしはお腹を擦って誤魔化す。

「……そうですか。貴方は宇迦之御魂神様に目を掛けられている身です、あまり気の抜けた修行はなさいませぬよう」

 飯綱さんの細い眼が、更にすぅと細められる。わたしの心臓はバクバクしたけど、飯綱さんはそれ以上、何も聞かない。

 宇迦之御魂神……ウカノミタマ様は、この神社に祀られる神様。いわゆる稲荷神様だ。

 飯綱さんはその部下で、わたしの修行を見てくれている人でもある。……だからこそ、今日の事を気付かれてはいけない。

 わたしの正体がバレたと知れば、飯綱さんはそれをウカノミタマ様に報告しちゃうだろうから。

「気を付けるね、飯綱さん。……ところで、その、ご飯って……」

 とっさに吐いた嘘だけど、お腹が空いてるのは本当だった。術を使うとお腹が空くから、今日はもうぺこぺこ。今にもぐぅと鳴り出しそうだ。

「食事ならもうじき出来ますよ。ひと段落したら、居間に来てくださいね」

 ふぅ、と飯綱さんは溜め息交じりに微笑んで、背を向けた。

 今日はから揚げです。去り際の飯綱さんの発言に、わたしのテンションは上がる。

「やった! 飯綱さんの作るから揚げ好きなんだよねっ」

 今日はなんていい日なんだろうっ!


 *


「それでヨーコ、今日は善行帖を埋められたのですか?」

「うぅん、それがね、あんまり困ってる人がいなくて……」

 夕ご飯を食べながら、わたしと飯綱さんは向き合って話していた。

 善行帖……わたしが人助けをした証に書いてもらうそれは、あとたった一人分のお願いを叶えれば全部埋まるのだ。

 でも、クラスや同じ学年で困ってる人って、もうあんまりいない。他の学年の子から聞こうにも、善行帖に書けるレベルの悩みを聞きだすのは難しい。

 だから、転校生の月野君を助けて……って、思ったんだけど。

「そうですか。それは惜しいですね」

 飯綱さんは特に惜しいとは思ってなさそうな顔で、味噌汁をすする。

「しかしヨーコ、貴方の望みを叶える為です。もう一頑張りしてくださいね」

「……うん」

 そうだ。わたしは思い出す。わたしが善行帖を埋めたい理由。


「ねぇ、飯綱さん。わたし……神様に、なれるよね?」


 わたしは、神様になりたかった。

 ただのちっぽけな狐の妖怪じゃなくて、稲荷神に。

「……あの方の下した試練を、突破できれば」

 飯綱さんは味噌汁の茶碗を置き、答える。


 だって、神様になれば、もっと多くの人を助けられるんだもん。


「さぁ……どうでしょうね」

 飯綱さんは呟いて、先に食事を終えた。


 *


「おはよ、琴美ちゃん」

「おはよう、ヨーコちゃん。今日はちょっと遅いね?」

「はは、寝坊しちゃって……」

 翌朝、わたしは始業ギリギリになって学校へやってきた。

 眠れなかったのだ。

(だって、教室には月野君がいるし……)

 昨日の事を思うと、どうにも緊張してしまう。というか、怖い。

(滅されかけたし、使い魔にされるし……)

 教室で会って、どんな顔したらいいか分からない。そんな事を考えると、夜も寝付けなかった。

 幸い、月野君の席の周りにはまだ他のクラスメイトが群がっていて、これなら顔を合わせなくていいかな、と思ったんだけど……

「あ、おはよう稲荷さんっ」

「えっ、あっ、お、おはよう……」

 にこり、月野君は爽やかに笑ってわたしに挨拶してきた。

(なんで!? っていうか昨日とキャラ違い過ぎない!?)

 どぎまぎしながら聞き耳を立てると、月野君、他のクラスメイトにもやっぱりあの明るくて爽やかな雰囲気で話をしている。

 昨日のあの冷たい空気が嘘みたいだ。いや、もう、嘘であって欲しい。

「……ヨーコちゃん、顔色悪いよ?」

 そんな事を思っていると、琴美ちゃんがわたしの顔を心配そうに覗き込む。

「いやぁ、ちょっと寝不足で……」

 答えてから、そういえば、とわたしは気が付く。

「今日、熊谷さんは?」

 いつもなら来ている時間だけど、今日は姿が見えない。

 案の定、「来てないよ」と琴美ちゃんは答える。

「昨日、具合悪そうだったしねぇ……やっぱり風邪かなぁ」

 席を立ってる人が多くて判り難いけど、教室の人は今日も少ない。

 風邪が大流行、っていったって、今はインフルエンザの季節でもない。妙な事もあったもんだ……

「……。ねぇ、みんなは突然体調悪くなったりしない?」

 と、わたし達の会話が耳に入ったのか、月野君も周りの子にそんな質問をする。

「んー、あたしは一昨日からちょっとふらつくかも。熱が無いから学校行けって言われるけど」

「俺はなんか身体がだるいなー。遅くまでゲームしてたからかもしんねーけど」

「へぇ……」

 月野君はその答えに興味深げに呟き、ちらとわたしを見た。

(見られた……よね、多分)

 わたしは月野君の方を見てないんだけど、突き刺すような視線を感じたのだ。なんだろ、これ。

 しばらくして、朝の会でも風邪の話は出た。

 学校中で流行っているから手洗いうがいをしっかりするように、というよくある話だ。風邪で休みが多いのは、他のクラスも一緒らしい。


 そして、昼休み。


「ごめん、僕ちょっと用事があるから」

 話しかけてくるクラスメイトに申し訳なさそうに告げて、月野君は席を立つ。

 そしてわたしの席を通る拍子に、こつん、と机の角を叩いていった。と、わたしの手首にじんわりとした熱さが宿る。

(……ついてこい、ってことかな)

 手首には、月野君がわたしにかけた『呪い』が宿ってるらしいから……きっとそういうこと。

 なんか命令されてるみたいでいやだなぁ……。

 わたしは思いながらも、月野君が教室を出てから、ひっそりと後に続く。

 彼の背中を追いかけていくと、月野君は校舎裏まで出て、ようやくわたしに振り向いた。


「おい、化け狐」

「なっ、何でしょう……!」


 冷たい声で乱雑に呼ばれて、わたしは思わずびくっとする。

 ついに何かやらされるのか。わたし使い魔だもんね。一体何させられるんだろう……ビクつきながら次の言葉を待ってると、月野君は「気付いてるか」とわたしに問いかける。

「気付く……って、何を?」

 月野君の言ってることがわたしは首を傾げる。

「お前、本気で言ってんのか……」

 若干疑うような目を向けながら、月野君は溜め息を吐く。しらばっくれてるんじゃないかと思われてるらしい。

 でも、本当にわからない。何の話をしてるの?


「学校の奴らの相次ぐ体調不良。あれは風邪じゃない」


 月野君の顔が、暗さを帯びる。

 さっきまでもちょっと怖い顔だったけど、更にだ。あれはそう、昨日わたしに向けた敵意に満ちた表情に近い。

「風邪じゃない……って、どういう事? 新手の感染症なの?」

 その顔に狼狽えながら、わたしは問い返す。と、月野君は「マジだったみたいだな」と呆れ切った顔で溜め息を吐いた。

「妖気だよ。アイツら妖気に当てられて体調崩してんだ」

「妖気……って、わたし達妖怪が持ってる気の事?」

 わたし達妖怪は、『妖気』というエネルギーみたいなものを多かれ少なかれ持っている。

 それは月野君みたいな退魔士も同じことで、鍛え上げられた強い妖気によって、わたし達は色んな術を使えるのだ。

 ただ、妖気を扱える人間はごくわずか。

 耐性を持ってない殆どの人間にとって、妖気は毒で……強い妖気に当てられると、身体が悪くなる、らしい。

「学校の奴らはそれで休んでる。普通に生活してりゃ喰らわない妖気に障られてな」

 ふむ、普通に生活していれば喰わらない妖気。

(妖気が一番集まるのは……わたし達妖怪の周りだよね)

 って。

「わたしじゃないよっ!?」

 わたしは人間に変化してる間、殆ど妖気を発してない。だから人間に悪影響を与えるなんてこと、基本的にないのだ!

 だから風邪の原因はわたしではない! 断じて違う!

「別に誰もお前が元凶だとは言ってねぇだろ」

 面倒くせぇなこいつ、と月野君は頭を掻く。

「いや、だって、月野君わたしの事疑ってるのかなって……」

 昨日あんなに敵意をむき出しにされたのだ。そりゃあそうも思う。

「お前じゃねぇのは分かってんだよ。人に影響するくらいの妖気を発してりゃ、教室に入る前に分かるからな」

 わざわざ札使って確かめたりしてねぇんだよ、と月野君は乱暴に言う。

 それももっともだ。わたしはほっと胸を撫で下ろしつつ、「じゃあなんでだろう?」と疑問に思った。

「妖怪の癖にわかんねぇのかよ」

「だってこの姿の時は感知出来ないんだもん。……っていうか、その言い方止めてよね!」

「妖怪は妖怪だろ。口答えすんな」

 ふい、と月野君はそっぽを向く。でもわたしは、妖怪って一括りにされるのが好きじゃないのだ。

 なにせ、わたしは神様! ……になる修行中の身。そこいらの妖怪と一緒にされるのは、本当は不服なのだ。

(それにしても、やっぱり教室と雰囲気が違うなぁ……)

 月野君の口調は乱暴で、妖怪であるわたしが嫌いっていうのもあるんだろうけど、とても教室の彼と同じ人とは思えない。

 クラスのみんなといる時のあの爽やかな月野君は、やっぱり演技なんだろうか。

(……。なんだろ)

 そう思うと、何故だかちょっとだけ、胸に冷たい水が掛かった様な……不思議な感覚がした。

「おい、何ぼんやりしてんだ」

「っ、なんでもないよ!」

 だけど月野君に苛立ちの混じった声で呼ばれて、そんな感覚は消え去った。

(まったく……何だったんだろ)

 感覚の正体が分からないまま、わたしは月野君の話の続きを聞く。


「妖気の発生理由は分かってる。これは『悪鬼』の仕業だ」


「あっき?」

 知らない名前だった。

 わたし、他の妖怪の事あんまり知らないんだよね。

 というのも、わたしが妖怪になったのも、ここ数年の話だから。

 しかも妖怪になってからというのも、毎日小学生として学校に通ってるから、妖怪の世界のことには全然くわしくない。

「……。悪鬼っつーのはな……」

 表情でそれを察したのか、月野君ははぁと深いため息を吐き、説明を始める。

「人間に妖気垂れ流して、病気にさせてその精神を喰らう妖怪だ」

「おぉ……」

 この状況そのままの妖怪だね。月野君、流石退魔士なだけあって物知りだ。

「何感心してんだよ。……んで、こいつら一体一体は小物だ。が、弱った人間から妖気を取って新たに生まれる。気付けば何十にも増えて、昔はそれで村が一個消えたりした」

「村一個!?」

 それ、とてつもなくヤバいじゃん! わたしが言うと、「大抵はその前に退魔士が潰す」と不愉快そうに返された。

「俺が来たのも……この悪鬼をどうにかする為だ。それに……」

「それに?」

 尋ねると、月野君は「……何でもない」と答えない。

「……? それで、その悪鬼をどうやって退治するの?」

 変なの。月野君の妙な態度に引っ掛かりつつ、わたしは手段を尋ねる。

「一体一体潰して回ってもいいが、それじゃキリがないからな」

 す、と月野君はポケットから黄色いお札を取り出した。昨日のお札とは、書いてある記号みたいなものがちょっと違う。

「まずはこの学校に結界を張る。町ん中じゃここの妖気が一番強いからな」

 これはその結界用の符だ。月野君はそう言いながら、微妙に記号の違う四枚のお札を私に見せる。

 それにしても月野君、お札何枚持って来てるんだろ。昨日なんか何十枚も使ってたけど。

「動きを抑えりゃ、多少抵抗力のある奴なら助かる。無理でも時間は稼げる」

「ふぅん。凄いね。頑張ってね」

 退魔士って大変な仕事なんだなぁ。

 月野君って嫌味ばっかり言うけど、自分の務めはしっかり果たす人なんだね。性格悪いけど、そこは感心出来るよね。

「いや、お前がやるんだよ」

「へっ?」

「札、貼って来い」

 いやいや、何を。

 事態の呑み込めないわたしに、月野君は四枚のお札を突き出す。

「俺が指示する場所に貼って来い。いいな」

「なんで!? 月野君、自分の仕事なんだから自分でやればいいじゃん!」

「俺は……。別の仕事がある。お前は使い魔だ。貼り終えたら戻れ。十分以内だ」

 淡々と反論しつつ、つべこべ言うな化け狐、と月野君はわたしを脅かす。

「別に、お前を原因だっつって滅しても良いんだぞ」

「うぅ、それは困ります……」

 正体をバラされるわけにいかないわたしは、渋々札に手を伸ばした。

「びりっとしない? これ触っても平気なやつ?」

「貼り終えなきゃ効果ねぇから安心しろ。その姿なら大丈夫だろ」

 昨日の破魔符とは違って、人間の姿なら反応する事はない、らしい。

 仕方なく受け取ったわたしは、深い深いため息を吐いてから、場所を確認する。

「どこに貼ってきたらいいの?」

「正門、裏門、体育館口……色んなモノが出入りする場所だな。方角はこれが東、これが西で、こっちが北用の札……」

「う、待って待って」

 一気に言われても覚えきれないんだけど。

 月野君はそんなわたしに呆れると、わたしの手から札を奪い取り、順番を変えて渡しなおす。

「順番に、時計回りに、貼って来い。それなら出来るな? 時計回り、分かるな?」

「わ、分かるよそれくらいっ!」

 確か、時計の針が回る方だから……右回り、だよ、ね?

 不安げに月野君の眼を見つめると、月野君はうんざりした顔で頷いた。

 何もそんな顔しなくたっていいのに……。

「良いから行って来い、アホ狐」

「アホって言わないで!」

 化け狐呼ばわりからランクダウンした!

 月野君、ことあるごとにわたしを馬鹿にする……。

 けれど月野君はわたしの訴えに耳を貸すつもりは毛頭ないみたいで、わたしはもう一度溜め息を吐いてから、走り出したのだった。 


「お、終わった……」

 それから七分後。

 最後の札を貼り終えて、わたしははふぅと息を吐く。

 見つからないように、と言われたので、門の裏や校舎の手の届かない場所にわざわざ貼ってきた。

 そのせいか分からないけど、なんだか凄く疲れた。普段はこんな事じゃ全然疲れないんだけど……気が進まない所為かな。

 これで学校の皆が助かるなら、それは良いんだ。いくらでも力を貸したいと思う。でもその相手が月野君で、動くのが月野君に脅されて、っていうのは、なんかやだ。

「貼って来たよぅ」

「……最低限のお使いは出来るみたいだな」

「むぅ、ひどくない、それ」

 ぐったりと肩を落として帰ってきたわたしに浴びせられたのは、「ありがとう」でもなく「お疲れ様」でもない。自分勝手な月野君の言い方に、わたしはむくれる。

「くたくたになるまで頑張って来たのにさー。お礼の一言も無いの?」

 そういうの『礼儀知らず』って言うんだよ。わたしが言うと、月野君は涼しい顔で「疲れたのはお前が頑張ったからじゃない」と返す。

「なにそれ、どういう事?」

「結界の起動にお前の妖力を使った。今の所安定してる」

 月野君はさらっと答える。けど、それ、わたしの力を勝手に使ったってこと?

「そうだな」

「そうだな、じゃなくて!」

 そういうのは事前に一言言ってほしい! わたしが文句を言うと、「そうしたら渋るだろ」と月野君は意外そうな顔で答える。

「渋らないよ! みんなを守る為だもん!」

「みんな?」

 わたしの発言に、月野君は眉根を寄せた。

「クラスのみんなだよ。琴美ちゃんとか、熊谷さんとか……」

「……。人間を護る為、って言いたいのかよ」

「うぅん……そう、なのかな?」

 首を傾げつつ答えると、月野君はいぶかしげな眼でわたしを見つめる。

 信用されてない……。わたしはまたがっくりする。

 別に、嘘は言ってないんだけどなぁ。

「お前達は自分が良ければ人間なんてどうなっても良い奴らだ。人の為に妖力使えなんて言って、はいそうですかと頷くわけがない」

 月野君はトゲのある言い方をして、わたしを睨む。

 でもわたしはそれにむっとして、「頷くよ!」と叫んだ。

「他の妖怪は知らないけど……わたしは喜んでやる!」

「……信じられるかよ、んなこと」

 分からない。疑問に満ちた表情で、月野君はじっとわたしを見つめる。

 射抜くようなその瞳に、わたしはうっとなるけど、負けじと見つめ返して、答えた。


「わたし、人間を助けたいんだもん」


 それは、わたしの心の底からの気持ちだった。

 でも月野君は、「そうやって俺を騙すんだろ」とキツい眼光で睨み付ける。

「妖怪は信用出来ない。……特に、人の良心に付け込もうとする奴は」

「月野君、なんでそんなに頑固なの……」

 こりゃ一生信じてもらえないんじゃないかな……。

 はぁ。疲れたわたしは、俯いて地面にしゃがみ込んだ。


「……もう絶対、騙されるもんかよ」


 ぽつり。そんな月野君の言葉が聞こえた気が、した。


 *


「あれ? 熊谷さん来てたの?」

「あぁ、おはよヨーコ。……って言っても、もうお昼だけどね」

 マスクの下で、熊谷さんは苦笑いした。

 わたしが結界を貼って教室に戻ってきたら、休みだったはずの熊谷さんがいる。驚いて事情を聞くと、本当は三時間目ぐらいから学校には来てたらしい。

「でも動けなくってさー。結局保健室で昼まで休んでた」

「そうなんだ……家でゆっくりしてればよかったのに」

 そんなに酷いなら、無理に来なくても……。そう言うと、熊谷さんも「まぁそうなんだけどねぇ」と目を伏せる。

「なんか、どうしても学校来たくなっちゃってさ。アンタの顔も見たかったし?」

「もう、熊谷さん……」

 冗談めかして笑う熊谷さんに釣られて、わたしも笑ってしまう。

 でも、心配だ。何か熊谷さん、無理してる気がするもん。

 月野君が結界を張った御蔭か、学校の妖気は少しずつ薄くなっている。もしかしたら、熊谷さんが教室に来れたのも、それが理由かもしれない。

 とはいっても、病人みたいなものなのだ。

「わたしに手伝えることがあったら、手伝うからね!」

「ふふ、ありがとヨーコ。アンタほんと優しいね。……あ、そうだ」

 と、わたしが言うと、熊谷さんはしまったと言う顔で額に手を当てる。

「今日放課後、体育委員の当番があってさ。それやんなきゃなんないんだけど……」

 ほら、アタシこれじゃん? と熊谷さんは自分のマスクを指さす。

「まぁ自分の仕事だし自分でやるけど、良かったらちょっと手伝ってくんない?」

 なんならアレも書くよ、と熊谷さんは空中でサインする動作を見せた。

「ほんとっ? 熊谷さんの頼みなら喜んでやるよ!」

 善行帖の最後の一ページが、これで埋められる! わたしは喜びつつも、「でも熊谷さん、全部わたしに任せちゃっても良いんだよ?」と言っておく。

「体調悪いんだから、無理に動いちゃ悪くなるよ」

 わたしが言うと、熊谷さんは苦笑いして「そうなんだけどねぇ」と頭を掻く。

「なんか、それはやなんだよね。自分の役割から逃げたくない、っていうかさ」

 邪魔になるかもだけど、やらせてよ。

 熊谷さんにそう言われては、わたしはそれ以上反論できない。

「うぅん……でもホント、辛かったら先帰ってていいからね……?」


 *


 体育委員の仕事というのは、ボールの空気入れだった。

 毎週持ち回りでやるみたいなんだけど、それが運悪く今週に当たってしまった。男子の方の体育委員は今日も休みだし……熊谷さん一人でやるには、ボールの数がちょっと多い。

「水川、いつまで休んでるんだろね」

「あ、水川君って体育委員だったんだ」

 まずは、職員室前にある外遊び用のボール。泥や砂のついたそれを、手が汚れないように指先で持ちながら、わたし達はそんな話をする。

 水川君は、風邪が流行り出した時期一番最初に休んだ子だった。途中で一度復帰したけど、またすぐ体調を悪くして、もう一週間ちょっと来てない。

(まぁ……ホントは風邪じゃなくて悪鬼のせい、なんだけど……)

 それは熊谷さんには言えないので、「心配だねぇ」と言いながら、わたしは空気入れのハンドルを握り、強く押し込める。

 電動の買えばいいのに。わたしがしゃこしゃこと何度もハンドルを上下させると、熊谷さんはぐっとボールに力を込め、「もういいよ」と空気入れを抜いた。

「流石、早いね仕事が。水川だともうちょっと掛かった」

「えっ、そ、そう……?」

 それはわたしが狐だからでは……。そもそも男子と比較されて喜んでいいやら悲しんでいいやら分からず、わたしは戸惑う。

 その反応が面白かったのか、熊谷さんは「ははっ」と笑い、ボールを仕舞ってわたしの手から空気入れを奪い取った。

「次、アタシがやるよ。……もうこっちのボールは終わったよね?」

「あ、うん、それで最後……って熊谷さん、病人なんだから駄目だよこんな重労働!」

「アンタみてたらやりたくなって。んじゃ行くよ!」

 熊谷さんはそう言って、とっとと体育館へ行ってしまう。

「熊谷さん、元気だなぁ……」

 結界の効果でも出たんだろうか。取り残されたわたしは、次の瞬間はっとして、慌てて熊谷さんを追いかけ――ようと、したんだけど。


「化け狐」


 背後から、声を掛けられる。

 わたしはびくっと肩を震わせた。誰の声だかは分かってる。わたしをそう呼ぶのは、この学校じゃ、月野君だけだもん。

「月野君、いたんだ。わたしまだ委員の仕事手伝ってるんだけど……」

「ああ。別にそれが終わったらでいい。一度教室戻れ」

 振り返ると、確かにそこにいたのは月野君。何やら険しい顔をしているから、大事な用事なんだろう。「わかった」とだけ返事をして、わたしは逃げるようにその場を後にする。

(びっくりしたなぁ、もう……)

 心臓がバクバクしてる。……そりゃ、急に後ろから声掛けられればね。しかも化け狐だなんて。

「誰かが聞いてたらどうすんのさ……!」

 ふぅ。早足で歩きながら、わたしは息を整える。

 廊下を曲がっても熊谷さんは見えない。……もう先に体育館に着いちゃったんだろうか。

「くっまがっいさーん」

 先言っちゃって酷いよー、と言いながら、わたしは体育館の扉を開く。



 ……と。



 ぶわっ。ただの風じゃない。凄く『いやな感じ』が、わたしの全身を吹き抜けていった。

「……!?」

 なに、これ。全身の毛穴から汗が出るみたいな、どうしようもない不快感に包まれて、わたしは咄嗟に熊谷さんの姿を探す。

「んー? 遅いよヨーコ」

 熊谷さんは、先生から預かった体育倉庫の鍵を、今まさに回している所だった。

(あれだ……!)

 その体育倉庫の奥からだ。嫌な感じがするのは。

「熊谷さん、待って!」

「どしたのヨーコ」

「そこ、開けちゃ――」

 わたしが言い終わるより先に、がちゃり。熊谷さんは鍵を開け、扉を、開いてしまう。


 ごうっ。


 何かが、溢れ出した。目には見えない。耳にも聞こえない。匂いも、勿論味もしない。

 でも分かる。今ここに、何かが噴き出した。人間の身体でなく、狐としての――野生の勘みたいなもので、分かった。

(千里眼っ!)

 咄嗟に場所も考えず、わたしは片目を抑えて術を使った。見るのは何処かじゃなくって、今この場所。片目をそのまま妖術使用の『見える』目に、変えた。


 真っ暗だった。


 床も、壁も、天井も、体育倉庫から噴き出る黒いモヤのようなものに覆われて、何にも見えない。

 これが妖気だ。これが原因だ。みんなを苦しめたのはこのもやもやだ。それも特段に邪悪な妖気だ。術を掛けたわたしの瞳には、それがハッキリと伝わる。

 そんなものに四方を囲まれた、暗闇の中で。


「……? どうしたの、そんな慌てて」


 熊谷さんは、平然としていた。

 どうして? 月野君は言ってた。妖気が風邪の原因だって。妖気が人間に悪いのは、わたしも知ってる。でも熊谷さんは、どうして平然としてるの?


「――見つけたッ!」


 と、そこへ突然、月野君の声がした。二階から繋がる通路から、月野君が飛び出し、飛び降りる。

「月野!? な、なに急に」

 熊谷さんが慌てた様子を見せると、月野君は口の端を持ち上げて、おかしそうににやりとした。

「妖怪ってのはどいつもこいつも似たような事を言うよなぁ」

「妖怪!? 熊谷さんが!?」

「ちょっ、ヨーコも何言ってんの!? 何この状況!?」

 熊谷さんは状況を掴めないみたい。でもそれはわたしも同じだ。混乱している間に、月野君はポケットからお札を取り出し、一気に熊谷さんとの距離を詰め、

「喰らえ!」

 直接、そのお札を額へと貼り付けようとして、


 がしっ。

 しかし直前で、腕を掴まれた。

「!?」

 掴んだのは熊谷さんの腕。……けれど当の熊谷さんは、自分の腕が動いたことに『驚いていた』。

「っ、お得意の憑依だな。でも聞こえてんだろ、姿現しやがれ」

「月野!? あんたホントに何を――」

 熊谷さんは月野君の腕を払い、後ずさりながらそう言い……突然、力が抜けた様にだらりと腕を垂らした。

「ようやくお出ましか、『羅刹』」

「……」

 熊谷さんの瞳が、変わる。さっきまでの強い光じゃない。底なしの井戸みたいな、凄く暗い色に。


「『――月野の子か。ふん、生き残っておったか』」


 そしてもう一度口を開いた熊谷さんの声は、熊谷さんのそれではなかった。

 音こそ熊谷さんの声なんだけど……響きが違うんだ。地面のそこから響いてるみたいな、しわがれた声。熊谷さんの中に、『誰かがいる』。

「『そこの狐は貴様の使い魔か? ふん、まだガキではないか。貴様には御似合いだなぁ』」

 熊谷さん……じゃない、誰かは、わたしをじろりと睨み付け、ふんっと馬鹿にしたようにわらった。

「あなた、誰ですか!? どうして熊谷さんの身体に……!?」

「『なんだ月野の子。お前、自分の使い魔にも話していないのか』」

 信用されておらんのだな、哀れだな。

 誰かはとても愉しそうに眼を細めると、『我は悪鬼だ』と名乗る。

「悪鬼……!? 悪鬼って、小物なんじゃ……」

「普通はな。だがあいつは違う」

 ぎり、と月野君は歯軋りする。その言い方には、強い恨みが籠っているように聞こえた。

「『退魔士に褒められるとは光栄だな。ああ、確かに我はそこらの悪鬼とは違う。悪鬼を喰らい、それを糧としてより力を増す。名を、羅刹と申す』」

 羅刹は大仰に礼をして見せる。その周囲に、体育館中に広がっていた妖気が集中していった。

 他の悪鬼を喰う……って、つまり共食いってこと!?

「『そしてこの娘は我の憑代よ! 再びの復活を遂げる為、ひと時ばかりの器が必要だったのだ。殆どの者はすぐに身体を壊すが、この娘は違ったなぁ』」

 熊谷さんの腕を手で撫でながら、羅刹は言う。

「『若く、強かな肉体だ。故に妖気にもすぐ慣れおったわ』」

「っ……!」

 それは熊谷さんの身体だ。好き勝手に弄ぶのは赦せない。ぐ、と拳を握り締めるが、それより先に、月野君がもう一度動いた。

「『ふむ、学習せんやつだ。お前では我をどうする事も出来んよ』」

 札を手に持っての正面突撃。だけど羅刹は数歩後ろに下がりながら、相手の動きを見極めて、また腕を掴み、投げる。

 どしゃん! 壁に叩き付けられた月野君は、「うっ」と小さく呻きを漏らす。

「『しかしぃ……この結界は厄介だな。このままでは妖気の回収もままならん』」

 お前にしては強い結界だな、と羅刹は語る。

「『誰かに妖力でも借りたか?』」

「……」

 月野君は、起き上がりつつ羅刹を睨み付ける。

 確かにこの結界、妖力を注ぎ込んだのはわたしだ。勝手にやらされただけだけど。

(でも、あの羅刹の言い方……)

「化け狐!」

 わたしが考えるより先に、月野君の叫びがわたしの耳に届く。

「術を使え!」

 じわ、と手首が熱くなった。途端、わたしの変化が不安定に揺れ動く。

「わっ、待っ……!」

 ばふん! 耳と尻尾が煙と共に現れ、周囲の妖気を吹き飛ばす。

「『ふむぅ。やはり見立て通り、なかなかの妖気だな』」

 と、羅刹がじっとりとした眼でこちらを見るので、背筋が凍る。

「くっ、熊谷さんの身体でそんな眼しないでっ!」

「『ほぅ? おかしなことを言う狐だな。人間の娘などどうなってもよかろう?』」

 ぐりん。羅刹は不思議そうに首を傾げる。

「『それに狐、お前この娘を買い被ってもおるようだな』」

 にたぁ、と顔を歪めるその笑い方は、熊谷さんには似合わない。

「止めて。それ以上熊谷さんの身体で喋らないで!」

「『なんだお前、この我と戦うのか。人間に道具のように扱われて!』」

 羅刹は見下したような眼でわたしを見る。当然そのつもりだ。……だけど、どうしよう!?

(あの身体は熊谷さんの身体だもん、わたしの妖術じゃ……)

 わたしが使える術は、千里眼、変化、狐火の三つ。狐火なら羅刹に傷を与えることは出来るだろうけど、熊谷さんの身体が持たない。

「化け狐! これを使え!」

 と、月野君は一枚のお札をわたしへ向けて投げつける。

「妖力を込めて貼り付けろ。追い出せる!」

「……! ありがとう月野君!」

 わたしは受け取った札に、力を込める。ふわ、と札が温かくなる気配を感じたら、わたしは自分の妖力を身体に浸透させていく。

「行くよっ!」

 だんっ! 床を蹴る。

 わたしはいつもの数倍の速さで駆け出すと、動きを見切ろうとする羅刹の目の前で、一度立ち止まり、側面へ滑り込む。

「そこだ!」

「『ぬぅ!』」

 完全に虚を突いた、と、思ったが、だんっ! 羅刹の手刀が、わたしの手首を強く打つ。

「あぅっ……」

「『この娘は眼が良い。その程度の動きに惑わされはせん』」

 そうだ、熊谷さんは地元のバスケチームに入ってる。手先の動きや目の前でのフェイントには慣れてるんだ!

 人の努力を盗み取るような真似に、わたしの心はますます怒りを燃やす。許せない、こいつ、絶対追い出してやる!

「いや、いい誘い込みだ」

 だけど、わたしが突撃したその間に、月野君が羅刹の背後に回り込んでいた。

 眼が良いとはいえ、人間の身体、という事だろう。人以上の速さのわたしに対応していて、羅刹は背後まで気が回らなかったのだ。

 びたり。月野君の札が、熊谷さんの背に張り付けられる。


「『破邪の符よ、その身に宿りし邪悪を取り除け』!」


 そして呪文を唱え、再度札を持つ手に力を込め、「はぁっ!」と声と共に、押し出した。

「『ぐぅっ!?』」

 羅刹は呻き声を上げ、びくりとその身体を震わせた。



 ――なのに。


「『ふぅーーむ。……だから、言ったろう。お前では我をどうする事も出来ん』」


 かくり。

 人形みたいに首を後ろに倒して、羅刹は、嘲笑った。


 効いてない。月野君の術が、全然。

「なんでっ!?」

「『ふふぅ。残念だったなぁ狐。そこな月野の末裔は、妖力がちぃとばかし弱いのだ』」

 数年では大して成長もせんかったのぅ? と、羅刹は月野君を馬鹿にして、うははと大きな声で笑い、そして月野君を、蹴飛ばした。

「ぐぅっ……!」

「『さぁ、遊びは終わりだ。五年振りの再会に少しはと期待してみたが……まぁ、現実はこんなものよのぅ』」

 ごぉぉ、と音を立て、周囲の淀んだ妖力が熊谷さんの掌に集まる。

「ぐ、げほっ!」

 蹴り飛ばされた月野君は、大きく咳き込んで、その場から動けない。

(やば、このままじゃ……!)

 月野君が危ない!


 わたしの足は、考えるより先に動いていた。


「『ぬっ!』」

「ばっ……お前……!」


 羅刹の手から放たれる、妖力の塊。それが直撃すれば、月野君はただじゃすまない。

 だからわたしは、羅刹と月野君の間に、飛び出し、



(あぁ、前にもこんな事、あった気がする)



 迫る黒い塊に、わたしは、そんな事を、思って、……――


 ………………

 …………

 ……

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