狐のヨーコの神さま修行!
螺子巻ぐるり
上之巻
「えっと、無くしたのはピンクのシャーペンなんだね?」
「うん。教室移動の時に無くしたんだと思うけど、見つからなくて……」
クラスメイトの琴美ちゃんの悲しげな顔を見て、わたしは胸を痛める。
「大丈夫! わたしが絶対見つけてあげるから!」
「ほんとっ? 昼休み中探しても見つからなかったんだよ……?」
今にも泣きだしそうな琴美ちゃん。なんでもそのシャーペン、大好きなおばあちゃんに買ってもらったものなんだそうだ。
強い想いの込められた、大切なもの。必ず見つけてあげたい。
「任せてよ。わたしは何でも係の稲荷ヨーコ! 困ってる事があれば、何でも助けてあげるんだから」
とん、と琴美ちゃんの肩を叩いて、わたしは教室を飛び出した。
放課後の学校。オレンジの夕焼けが差し込む廊下を、ランドセルを背負う皆が歩いていく。
(昼休みにも探して、見つからなかったって言ってたよね)
落としたのは教室移動の時。じゃあ、3時間目の理科の授業が怪しい。
階段を駆け下り、がらりと戸を開け、理科室へ。つんとした薬物の臭いが、わたしのビンカンな鼻を刺激した。
(うぅ、ここ苦手なんだよねぇ……)
皆はそんなに気にならないみたいだけど、わたしは別だ。
アルコールランプとか、焦げた新聞紙とか、実験のあとの理科室の臭いは大の苦手。
けど、ここは琴美ちゃんのため。まずは足元から!
わたしは身を屈めて椅子の間を確認する。ホコリ、関係ない丸まった消しゴム、シャーペンの芯。
関係ないモノは見つかるけど、肝心のシャーペンは見当たらない。
(じゃあ、廊下……? でも廊下ならすぐ見つかりそうだし……)
いや、でも、こういうのは意外と見落としがちになるものだ。
わたしだって、無くしたと思って散々探したものが気付けば目の前に置かれてたって事があったし。探し物って、案外そういうものだ。
理科室を出て、片膝立ちで廊下をじぃっと見つめる。通りがかった下級生が不思議そうにわたしを避けた。
それでもやっぱり、それらしいモノは無い。
(ふぅ、確かに見つからないわけだね)
多分、この辺りには無いのだ。
誰かが拾ってっちゃったのかな、なんて考えが頭に過ぎる。ありそうな事だよね。もしそうなら、学校の何人に訊いて回ればいいやら……。
三時間目からお昼までの間に、ここを通りがかった子全員? そんなバカな。
「よし、決めた!」
あまりの数に途方に暮れそうになったわたしは、別の方法を取る事にする。
本当はあんまり、良くないんだけど。きょろきょろと周りを見渡して、しばらく誰も通らない事を確認する。
誰も、いないね。よぅし。
わたしは深呼吸して、目を瞑った。
目をつむってて探し物が見つかるのか? 見つかるんだな、それが。
(……見えてきた見えてきた)
真っ黒いまぶたの裏に、ぼんやりと光が灯る。
白いもやみたいなその光は、やがてだんだんはっきりとした景色を映し始める。
学校の……理科室、じゃない。ここは……わたしの教室?
景色は遠くから近づくみたいに移動していく。わたしは前に見た琴美ちゃんのシャーペンの形を思い返して、強く念じた。
まぶたの裏に映る、わたしの教室。……席に座って待ってる、琴美ちゃん。その前には、赤いランドセル。
視界は更にその中へと移動する。教科書やノートがキレイに詰め込まれた、その下に。
「あった!」
はふぅ、とわたしは溜め息を吐いて目を開ける。
ぐら、と視界が揺れるのは、意識を遠くに飛ばしてたからだ。
わたしは急いで教室に戻ると、「ちょっといい?」と琴美ちゃんのランドセルを開く。
「ヨ、ヨーコちゃん?」
「わたしの予想が正しければ、この下に……」
教科書やノートを退けると、ころん、軽い音を立てて、ランドセルの底へ一本のシャーペンが転がった。
「これ!」
琴美ちゃんは目をまん丸くしてシャーペンを取る。ピンク色の、しっかりしたシャーペン。間違いなく琴美ちゃんが使ってたものだ。
「落としたと思ってたのに……」
「いやぁ、本当に探しても見つからないから、もしかしたら……ってね」
そう、琴美ちゃんは最初からシャーペンを落としてなどいなかったのだ。
多分、ノートか何かに挟んで、それを忘れちゃったんだと思う。
今日の理科の授業、途中までノート使ってたけど、実験するからって急いで片付けたんだよね。
「多分、その時じゃないかな。わたしもよくあるよ、こういうこと」
目の前にあるものが見えなくなったり、ね。
「凄い! ヨーコちゃん名探偵みたいだね!」
「そ、そう? あはは……」
ちゃんと推理したわけじゃないんだけどなぁ。
わたしは照れたフリをして笑うが、実際の所ちょっと罪悪感に包まれていた。
だってシャーペンを見つけられたのは、わたしの持つ力のおかげなんだから。
千里眼。
遠くを見通す力。それを使って、わたしは落し物を見つけた。
でもそれは皆には秘密。わたしの勘が冴え渡ったからだ、って思ってもらわないとね。
と……忘れるところだった。
「琴美ちゃん、これ書いて!」
わたしはランドセルから一冊の手帳を取り出す。
善行帖と書かれたそれは、紐で和紙を綴じた、古めかしい手帳だ。
「ん、ここに書けばいいの?」
「うん、名前と、何をしたか……今回は『落し物探し』だね」
はい、と筆ペンを渡すと、琴美ちゃんはその二つを眺めて「なんか和風だねぇ」と呟いた。
「ヨーコちゃん、和風のもの好きだよね」
「うーん、好きっていうか、家が神社だから……かな?」
はは、とまた笑って、わたしはさぁさぁと琴美ちゃんを急かす。
「それも凄いよね。山の上でしょ? ……と、書けたよ!」
『落し物探し 雨谷琴美』
「はい、確かに! ありがとね、琴美ちゃん!」
「お礼を言うのはこっちだよっ。ありがとう、ヨーコちゃん!」
シャーペンを持って嬉しそうに笑う琴美ちゃんを見て、わたしの心は明るくなった。
人助けってやっぱり良いね! ほくそ笑みながら、わたしは琴美ちゃんに書いてもらったページを眺める。
「それ、いつも書いてもらってるよね。これで何枚目?」
手帳には、一ページにつき一人分の『お願い事』と『名前』が記されている。
ペン探し、勉強の手伝い、恋の相談、飼い犬探し、その他諸々。この手帳は、そんな様々なお願いをわたしが叶えてきた証拠だ。
そしてわたしは、これを定期的に見返して、しっかりと数を数えていた。
「ふふーん、実は琴美ちゃんで百七枚目なんだよ!」
つまり、今まで百七個のお願いを叶えてきたって事!
わたしが困ってる人をほっとけないっていうのもあるけど、実は別の理由もある。
「ほら見て、あと一枚でこの手帳も終わりなんだ! わたし、これを全部善行で埋めたいんだよ」
善行、っていうのは、簡単に言えば『良い事』だ。困ってるヒトを助けるって『良い事』で、わたしはこの手帳をいっぱいにしたい。
その数なんと、百八枚。でもそれも今日で百七枚目まで来たんだ!
「へぇー。あと一歩だね。頑張って!」
シャーペンを大事そうに筆箱に入れて、琴美ちゃんは嬉しそうに帰っていく。
「……そう、あと一歩なんだよ」
百八個目の『お願い事』を叶えたその時。
わたしの望みが、成就する。
*
その日は朝からうずうずしていた。
「ねっ、何か困ってる事ないっ!?」
「困ってる事? うーん、特にないなぁ……」
クラスメイトが登校してくる度、わたしはそう尋ねる。
勿論、『最後の一個のお願い』を叶える為だ。
ただ、困ってる人はそう都合よく現れない。それに、お願い事にも条件というのがあるんだ。
「おーヨーコ。んじゃ昼休みのボール確保やってくんね?」
「そういうのはダメ! 自分の力で出来んじゃん」
クラスの男子に言われるけど、わたしはきっぱり断った。
わたしが手伝って手帳に書くのは、本人がどうしても出来ないお願い事だけ。
自分で叶えられる事をやってあげても、それは本人の為じゃないから。
……まぁ、何でも係としてクラスの雑用を押し付けられる事も多いんだけどね。それはそれ。係の仕事として、ちゃんとやってます。
「うぅん、でも出来れば今日中に済ませたいなぁ……!」
こんなに待ちきれない気持ちになったのは始めてだ。
多分、最後のお願いを達成するまで、わたしは落ち着けないと思う。
「ヨーコちゃん、またお尻振れてるよ」
「うぇっ?」
ふふ、と笑いながら教室に入ってきたのは、昨日シャーペンを見つけてあげた琴美ちゃん。
「ヨーコちゃんってたまに変な動きするよね。……ちょっと家で飼ってる犬に似てる」
「い、犬ですと……!」
「あっ、ごめっ、悪い意味で言ったんじゃないよ!?」
顔面からさっと血の気の引いたわたしを見て、琴美ちゃんは慌てる。
「こう、うずうずしてる時のお尻の振り方とか、表情とかが似てて、可愛いなぁって……ホントだよっ!?」
「むぅ……琴美ちゃんが言うなら信じる……」
悪気が無いのは本当みたいで、わたしはしぶしぶ納得した。可愛いって言ってくれるのは嬉しいし。多分、男子なら蹴ったけど。
(でもホント、びっくりしたぁ……)
お尻、気をつけなきゃなぁとわたしは反省する。と、「そうだ」とヨーコちゃんは思い出して手を叩く。
「今日転校生が来るんだって。知ってた?」
「転校生?」
どうやら琴美ちゃん、学級日誌を取りに行った時に職員室で聞いたらしい。
「ほら、そこ席増えてるでしょ?」
「あ、ホントだ」
琴美ちゃんが指さしたのは、わたしの席の斜め後ろ。
確かに、昨日まで無かった新しい机と椅子が置いてある。
「なぁにヨーコ、気付いて無かったの?」
と、わたしと琴美ちゃんの会話に気付いたクラスメイトの熊谷さんが、驚いた顔でそう言ってきた。
「え、うん……熊谷さん気付いてたの!?」
「そりゃあねぇ」
机が増えてたら気づくでしょうよ、と熊谷さんは呆れ顔。
「ヨーコあんた、たまに滅茶苦茶鋭いけど……普段はてんでダメだよね」
「昨日も凄かったのにねぇ。驚いちゃった」
熊谷さんと琴美ちゃんは顔を見合わせて笑う。
前に熊谷さんのお願いも叶えた事があったんだけど、その時も驚かれたっけ。
バスケのシュートが突然入らなくなっちゃって、わたしが練習に付き合ったんだよね。
その時は、わたしが不調の原因をぴたりと言い当てて、熊谷さんは無事シュートを入れられるようになった。
(といっても、あの時も力を使ったんだけどね……)
原因は熊谷さんの成長だった。背が伸びて、ゴールまでの歩幅が変わってたんだよね。
それを指摘できたのも、またわたしがある力を使ったからなんだけど……熊谷さんは、わたしが直観を働かせて言い当てたのだと信じ切っている。
「ま、まぁ、それはたまたまだよ」
「たまたま、ねぇ。どうだか」
本気になればもっと色々出来るんじゃない? と熊谷さんはわたしの顔を覗き込む。
「うぅん、どうかなぁ……」
わたしはそれに、歯切れの悪い返事しか出来ない。確かに、わたしは特別な力を持っていて、それを大々的に使えばもっとたくさんの人の助けになれる、と思うんだけど……
わたしの力のことは、絶対にバレちゃいけないと言われているのだ。
昨日、琴美ちゃんに言わなかったのもそのせいだ。本当なら使うのも良くないんだけど、それはそれ。人助けの為に必要なら使う。
(そうでなくちゃ、あんなにたくさんのお願いを叶えられないもんね)
でも、わたしが特殊能力を使って助けたって知られちゃいけない。そうしたらわたしは……学校に、いられなくなっちゃうから。
「おーう、みんな席につけー」
そんな事を考えていると、先生ががらりと戸を開けながら教室に入ってくる。
もう朝の会が始まる時間だ。琴美ちゃんや熊谷さんは自分の席に戻る。
(転校生、かぁ)
斜め後ろの席を、ちらっと見る。
クラスのみんなの視線は、先生の後ろ……廊下にいる『誰か』へと向けられる。
「よし、今日は転校生を紹介する。入っていいぞ」
先生が促すと、廊下から落ち着いた所作で男の子が黒板の前へと立った。
「おぉ……」
黒くて綺麗な髪に、白い肌。目鼻立ちが整っていて、如何にもなイケメンって感じの男の子だ。
「月野カゲリです。以前は京都にいたのですが、仕事の都合でこちらに転校してきました。よろしくお願いします!」
先生に促され、転校生……月野君は爽やかに微笑んで挨拶をする。
その声は既に声変わりしているのかぐっと低く、クラスの他の男子とちょっと違う。
それに、転校したてで普通なら少しは緊張するだろうに、月野君は全然平気そうだ。
堂々としたその態度に、教室の女子たちがちょっとざわつく。
(うむむ……何かカッコいい男の子だけど、悩みとかあるのかな……)
あるなら解決して『善行帖』の最後のページを埋めて欲しい所なんだけど……
「月野の席はそこ、窓際の一番後ろだ。……あー、今日一之瀬は休みか」
わたしの席の隣、クラス委員の一之瀬君の席は空いていた。話してて気付かなかったけど、そういえば来ていない。
「風邪でも流行ってるのかぁ? 水川と大宮も休みだったな」
(そういえば……休みの子多いなぁ)
ここ数日、風邪を引いて休む子が多い。他のクラスや学年でもぽつぽつ休みがいるのだと、保健室で聞いた。
ちなみにそれも、何でも係の仕事。おかしいよね、トイレットペーパーの補充までやらされるって。
そんなわけで、月野君は席一個開けてわたしの斜め後ろに着席した。
「よろしくね、月野君」
そう声を掛けると、月野君はわたしの方を見て、
「……?」
一瞬、凄く不思議そうな顔をして、
「……ああ、よろしく、稲荷さんっ」
にこやかに、そう答えた。
*
控えめに言って、月野君は凄い人だった。
体育の時間では誰より足が早かったし、算数の時間では今日習ったばかりの計算をすらすらと解いていた。
その上で、見た目もかっこいいわけだから……
「こりゃ凄いのが来たね」
休み時間、女子に囲まれる月野君を遠目に、熊谷さんは感心したように呟いた。
「熊谷さんは月野君と話さなくていいの?」
「ん、あんま男子に興味ないしね。ヨーコは?」
「わたしは話したいんだけど……」
女子の壁が厚い。
クラスの大半の女子は、月野君に興味津々みたいだ。
それに男子も友達になろうと話しかけてるし……ちょっと、気が引けてしまう。
「そこも不思議よね、あんた」
「へっ?」
「……いや、何でもないよ」
熊谷さんは目を細めてそっぽを向くと、けほん、と小さな咳をひとつ。
「風邪?」
「んー、そうかも。ちょっと喉痛いだけなんだけど……」
最近流行ってるよね、と熊谷さんは教室を見渡す。
この日、わたしたちのクラスでは、3人も欠席者が出ていた。
その全員が風邪。他の教室でも休みがいるみたいで、この前風邪予防のプリントも配られた。
「大丈夫なの?」
「あたしはね。丈夫だし」
熊谷さんは下手な男子より体が強い。確かにちょっとやそっとじゃ倒れないだろうけど……
「無理はしないでね?」
「ん。ヨーコも気を付けなよ?」
けほん。もう一度咳をする熊谷さんの顔は、今朝見た時より少し蒼かった。
「稲荷さん!」
次の休み時間。月野君は、話しかけるクラスメイトをさておいて、わたしの席へとにじり寄った。
「な、なんでしょう?」
突然話しかけられて、わたしはどきっとする。話しかけられる理由が思い当たらない。
「今日の放課後空いてる?」
「ほっ、放課後?」
転校初日に、女子の放課後の予定を聞くなんて!
「良ければ学校の案内して欲しいんだけど……」
あ、そういう事か。
本当なら先生か学級委員あたりがやる事なんだけど、先生は午後に出張があるらしく、クラス委員はお休み。
順繰りになって何でも係のわたしへ、というわけだ。ひどい補欠感だけど、まぁこれも何でも係としては必要な仕事だよね。
(……あれ? これってもしかして……)
ふと、思う。
月野君は学校の中を知らなくて困ってる。わたしがそれを助けて案内してあげる。
これって、人助けだよね?
十分、手帳に書ける善行だよね!
「うん、良いよ!」
こくり、わたしは頷いた。
*
「……で、ここが保健室! これで一通り全部かな」
放課後。
わたしは月野君を連れ校内を一回りし、ふぅと息を吐いた。
「うん。ありがとう、稲荷さん」
「いいよいいよー。これも係の仕事だしねっ」
月野君はわたしの説明に終始相づちを打って、何処か楽しそうにしていた。
何がそんなに楽しいのだろう、と思いつつも、そんな月野君と一緒に校内を回るのは少し楽しかったかな。
ともあれ、これで人助け完了! これでようやく百八のお願いが揃う!
「それでね、月野君、ちょっとお願いなんだけど……」
と、わたしが手帳を取り出そうとしたその時、
「あっ」
月野君は、ポケットを触って声を上げた。
「……? どうかしたの?」
「ごめん、落し物しちゃったみたいなんだ。封筒なんだけど……」
これくらいの、と指で小さな四角を示す月野君。何処で落としたのか、分からないらしい。
「帰りの会までは確かにあったから、学校のどこかだと思うんだけど……」
「どこか、って、学校全体だよね……」
わたし達は、たった今校舎を一周してきたのだ。
外に落とした、って言われるより良いけど、手掛かりは無いに等しい。
「どうしよう。大事なものが入ってるんだけど……」
「うぅん……とりあえず戻って探そうか」
ただ、落としてからそんなに時間は立ってないだろうし……教室の中まで見て回ったわけじゃないから、普通に探せば見つかると思う。
……。
……思ったんだけど。
「見つからない!!」
封筒は、びっくりするほど見つからなかった。もう校舎三周くらいしたし、落し物箱や職員室にも行って確かめたのに、無い!!
「本当に落としたんだよね……?」
「……多分。帰りの会まではあったし」
わたしが尋ねると、月野君は不安げに肩を落とす。
(いかんいかん、わたしが不安にさせてどうするんだ)
ならきっと何処かにはあるよ、とわたしは月野君を慰めて、思案する。
「……仕方ない、か」
「え? 何が?」
「何でもないよ! 一度手分けして探そ?」
わたしはそう言い残して、急いでその場を離れると、誰も見てない事を確認し、御手洗いに逃げ込んだ。
(ここならゆっくり探せるし、ね)
千里眼を使うのだ。個室の鍵を閉め、戸に寄りかかりながら、わたしは目を閉じる。
(封筒、って言ってたよね。サイズは普通の茶封筒で……)
強く、念じる。
視界は校舎全域から校内へ。一階からだんだんと上へと登り……
(……あっ、た。多分これだ)
場所は体育館のステージ上、校長先生とかが話す台の上……だと、思う。
不確かなのは、なんか変っていうか、よく見えないからだ。まるで曇った眼鏡をかけてるみたいにぼんやりしている。その部分だけが。
(それにここ……わたし案内してないよね……?)
帰りの会までちゃんと持ってて、わたしが案内している間に落とした。月野君はそう言っていたけど、わたしは体育館の中までは紹介してない。
だって、今日の体育は体育館を使ったんだもん。今更中を紹介するまでもないでしょ?
(……体育の時に落としたのかな)
けどそれも変だ。体育館に封筒なんて普通持ってかない。それにステージ? 用がなければ上がらない場所だよ?
釈然としない思いを抱えつつ、それでもわたしは体育館へと急ぐ。
理由は分からないけど、そこにあるには違いないんだろうし。
「えーっ、と……これ、だね」
実際、体育館にそれはあった。
「一瞬見落としかけたけど……やっぱり『見た』通りだ」
そんなに溶け込んだ色でもないのに、わたしは封筒を見つけるのに少しだけ時間が掛かった。意識が逸れてしまう、というか。不思議な感覚だ。
「でもこれを持っていけば……」
手帳も埋められる。
それでわたしの望みは、叶う。
そう、思って、封筒に手を、伸ばすと。
――ビリッ!
「痛っ!?」
封筒に触れた瞬間、わたしの指先が痺れた。
静電気? いやこれ鉄じゃないし。それに静電気より数倍痛いよ!
「……そうだ、電気じゃない。この感覚は――」
「――ようやく尻尾を掴んだか」
その事に思い至った刹那、どこかから声がした。
思わず振り返ると、火炎を纏った何かがわたしの顔面めがけて飛んでくる。
「えっ……!?」
驚きつつ、わたしは身をひるがえし、それをかわした。
じりっ。頬に痛みが走る。避けきれなかった火の粉が、わたしの頬をかすめたのだろう。
(これ……普通の人間に出来る事じゃ、ないよね!?)
避けた時に僅かに見えた。火の中にあったのは、特殊な文字の描かれた黄色いお札。
それに封筒に触れた時のあの感覚! あれは電気じゃない、『妖気』だ!
「躱したか。身のこなしは速いようだな。流石は化け物と言ったところか」
体育館に、上履きの擦れる音と共に声が響く。
低い、けれど間違いなく子どもの声。わたしはその声に、聞き覚えがある。
「……月野、君?」
呼び掛けると、ゆらり。体育館の二階、細長い通路に、彼が姿を現す。
薄暗く、距離がある。それでもはっきりと分かった。彼は間違いなく、月野カゲリ君だ。
「符が反応したって事は、やっぱりお前は人間じゃないって事だ」
でも、彼の口調は、さっきまでのそれとは全く違う。
冷たく、威圧するような……怖い、声だ。
「さぁ、とっとと正体を現したらどうだよ」
「なっ、なんのこと?」
たらり、背中に冷や汗が流れる。
突然の事に戸惑いを隠せない……と言った風を装いながら、実際の所わたしは、見た目以上に焦っていた。
(やばいやばいやばい! 完全にバレてる! わたしの『正体』バレてるよ!!)
どうしよう!? バレたら学校に居られなくなったちゃうのに!?
「さっ、さっきの火、なんだったんだろ!!? わ、わたしびっくりしちゃったー! そそそ、それよりほら、これ、封筒! 月野君が探してた奴だよね!? ねっ!!??」
わたしはどうにかその場を誤魔化そうとするが、月野君はただ冷淡な眼でわたしを睨み付けるだけ。
「黙れ。見え透いた嘘を吐くなよ、『化け狐』」
「ばっ――」
断言、された。
「なっ、なんで!?」
わたしはそれで慌ててしまって、言ってから口を抑えるが、もう遅い。今のじゃ白状したようなものだ。
「なんで、か。……お前、今の自分の姿をよく見てみろよ」
月野君は、わたしを小馬鹿にしたように笑う。
「姿……って」
まさか!?
わたしは自分のお尻を見る。
ふわっふわだった。
「これはわたしの自慢の尻尾! なんで!?」
そう、わたしのお尻からは、ふっさふさのふわっふわな小麦色の尻尾が、それはもう可愛らしく生えているのだ。
でもこれ、普段は隠してるんだけど!?
「そこの封筒、あれには破魔符が入ってる。それがお前の術を破ったんだ」
さっきのビリっとした時だ! あれでわたしの変化の術が破られて……!
「うわぁこれもう言い逃れ出来ないじゃん!」
頭を抱える。尻尾を見られてはもうこれ以上どうしようもないじゃん! こっから誤魔化すなんてそんなの、九尾様でも出来っこないよ!
「そういう事だ。観念しろ、化け狐」
そうです、わたしはただの小学生じゃ、ないのです。
化け狐、なのです。
ヒトの姿はニセモノで、本来のわたしは一匹の狐。だからそれがバレちゃいけないって言われてたのに……
(え、あれ、どうしよ、このままじゃ――)
このままじゃ学校に居られなくなっちゃう!
「観念しろ化け狐。今すぐ滅殺してやるから」
どうしよう。この場合どうしたら良いんだろう!? わたしまだこの学校通いたいんだけど――って、
「滅殺!?」
「当然だろ。俺は退魔士で、お前は妖怪。お前の命はここまでと思え」
「ええええええ!? 待ってよ、いやほんと待って!? 誤解だよ!? わたしそんな悪い妖怪じゃ――」
「つべこべ言うな!」
月野君は、何時の間にか手に持った新しい札をライターで炙り、ぼぅっと燃やして投げ付ける。
札はまるで吸い寄せられるかのように一直線にわたしへと飛ぶ。当然、まともに当たれば火傷じゃ済まない。
「危ないよ! 学校は火気厳禁だよ!」
ライターなんて危険なもの、小学生が持っちゃダメだよ!
慌ててステージを飛び降り叫ぶけど、月野君は「黙れ」と言って聞く耳持たない。
「お前ら妖怪に指図される覚えはないッ! お前らは全員塵になって消えろッ!」
「横暴だよ! わたしが何したって言うのさ!」
お札を必死に避けながら、わたしは説得を試みる。わたしはヒトに危害を加えてなんかない。むしろ良い事しかしてない。だって言うのに……
「嘘を吐くな! お前らはそうやっていつも――」
ランドセルから、新たな封筒を取り出す月野君。遠目に見ても膨らんだその封筒には、一体何枚のお札が入っているのか。
「『邪祓の符よ、蔓延る妖怪を焼き払え』!」
彼はその中から適当に五六枚抜き取ると、またライターであぶって焼き払う。
札は火を浴びると共に彼の手を離れ飛び、複数方向からわたしへと迫った。
(やばっ)
ここは体育館。月野君は上から攻撃してくる。このままだとわたしが凄く不利だ!
それに他の場所に比べて、体育館って木材が多い。もし火が付いたら困るし……
「ねぇちょっと! 話聞いてよ!」
危ないからやめてよ! そう言っても、月野君は聞く耳を持ってはくれない。
(とりあえずここを切り抜けなきゃ……!)
破魔札を必死に避けながら、わたしは右目に手を当てる。
(片方だと気持ち悪くなるから嫌だけど……)
千里眼! 左目で目の前の景色を見ながら、わたしは右目で学校全体の様子を透視した。
もう放課後になって数十分。児童は殆ど残ってないけど、ぽつぽつと居残ってる子もいるみたい。
(それを避けるなら……このルート!)
「待て! ちょこまか逃げるな!」
「無理だよ! だって月野君わたしを滅するんでしょ!?」
叫びながら、わたしは体育館を飛び出した。
普段は人間レベルに抑えてるけど、わたしは狐。本来の身体能力は小学生の比じゃない。
「くっそ!」
対する月野君は、特殊な術を使えるみたいだけど、普通の小学生。追いかけっこして負けるわけはないんだけど……
(他の皆にもバレちゃったら元も子もないし)
ぐい、と廊下を曲がり、階段を駆け上がりながら、わたしは息を整える。
出来るだけ人の眼に触れないように、逃げ切らなきゃいけない。その為には、どうにかして月野君を『化かさなきゃ』。
「っ、何処へっ……」
数秒遅れて廊下を曲がった月野君。だがそこにわたしの姿は無い。
廊下と階段を見比べて迷う月野君に、「どうした」、と声が掛かった。
「月野じゃないか。そんなに慌ててどうした?」
「っ、先生……。いえ、その……」
声を掛けたのは、担任の先生だった。
月野君は、咄嗟に言い訳を思いつけずにしどろもどそになる。
(やっぱりだ)
月野君も、自分が退魔士だって事は学校の人に言えないみたい。
そういう職業の人は表じゃ正体を隠してるんだって、前に聞いた事があったから。
「ふむ、よくわからんが、あまり遅くならないうちに帰れよ?」
「……はい。では」
先生に一礼して、月野君は廊下を早足で去ろうとする。
「ふぅ……」
「――ふぅ、じゃない!」
と。
月野君は突然振り返り、先生へ向かって符を投げ付けたではないか!
「わわっ!?」
「上手く化かしたつもりか、馬鹿が! 下崎先生は出張で居ないんだろうがッ!」
「はっ……しまった!」
先生――いいや、『わたし』は、自分の失態に気付き、愕然とした。
そもそも、先生がいないからわたしが校内案内することになったんだよね!?
「くっそう、誤魔化せなかった!」
わたしは普段の姿に変化しなおして、階段を駆け上る。そう、さっきまでの先生はわたしが『変化の術』で化けた姿だったのだ。
これで月野君をやり過ごして、ひとまずこの場を離れようと思ったのに……!
(でも大丈夫、こんな時の為にもう一つのルートは探してあるもんっ!)
千里眼で見た、他の児童に見つからない道は、もう一つ。
わたしは階段を三段飛ばしで飛んでいき、月野君とぐんぐん差を付ける。
そして飛び出た先は……屋上。
「ここまでくればっ……!」
「……ここまで、来てどうするつもりだ?」
わたしを追って階段を駆け上がった月野君は、軽く息が上がっているものの、平然とした様子で札を取り、封筒を投げ捨てる。
「鬼ごっこが終わりなら、いい加減消えろ、妖怪」
グッ、と強い視線で睨まれる。
怖い。だけどわたしもここで簡単にやられるわけにはいかない。すぐに逃げ出したくなる気持ちをぐっと抑えて、わたしは月野君の眼を見つめ返した。
(……さっきは暗くてよく見えなかったけど……)
そして、気付く。わたしを睨む月野君の眼は、普通じゃない。わたしが妖怪だから、って理由だけで殺そうとするのもそうだけど……
「……妖怪になにか、恨みでもあるの?」
おずおずと、尋ねる。すると月野君は、ぴくりと眉を動かした。
「お前には関係ないッ……!」
そして振り絞るように、答える。札を持つ手に力が入る。それは頷いてるのと一緒だ。
月野君は、多分、妖怪を憎んでる。
それが何でかは……今日会ったばっかのわたしに、分かるわけも無いけど。
「ねぇ、聞いてよ月野君。わたしは何も、悪い事、してないんだよ」
せめてそれだけは分かってもらおうと、わたしは訴える。
退魔士は妖怪を倒すのが仕事だと、月野君は言ったけど。何にもしてないのに攻撃されるなんて、そんな理不尽な事、ないよ。
「命乞いか。お前ら妖怪のよくやる手だよな」
けれど月野君はそれを聞かない。妖怪を憎んでいるから……わたしを信用出来ないんだろう。同じ妖怪なら、って。
「~~っ、なんで信じてくれないのかなっ……!」
そりゃあ、人間にとって妖怪は信用ならない相手かもしれない。わたし達狐の妖怪だって、大昔から何人の人間を化かしてきたか。
それは分かる。分かるけど!
月野君は手にした無数の破魔札を、一気に焼き上げる。
ぼぅ、と花束みたいに燃え広がったそれを、月野君は屋上に散らばした。
散らばった札は直接わたしへは向かわず、わたしの周囲をぐるぐると飛び回る。それはまるで、檻のように。
「嘘じゃないんだって!」
屋上の空気が熱くなる。
ゆらり。炎の檻の向こう、独り立つ月野君の姿は揺らめく。
「ここで消えろ」
そして、火の燃える音の中に月野君の死刑宣告が小さく、混じる。
飛び跳ねる火の粉を尻尾で払いながら、わたしは月野君の瞳を見つめた。そこにわたしは映ってない。……分かってくれそうには、ない。
――もう、ここまでだ。
わたしは訴えるのを止め、だらんと腕をたらし……
「あああもう! 馬鹿っ!」
空に向かって、遠吠えした。
「っ!?」
ぐわんっ。その瞬間、わたしの身体から一陣の風が吹き抜ける。
「突風!? だがそれくらいで――」
札は中空に漂ったまま。妖力で風に抵抗したんだろう。これくらいじゃこの包囲網は突破出来ない。……でも。
「別に、それが目的じゃないもんっ」
この風はあくまで副作用だ。
「っ……!? その姿はっ!?」
わたしが、妖術を使う為の。
わたしの身体は、普段人間に化けている。正体がバレないように、長続きするように作られたその術には、欠点が一つあった。
変化したままじゃ、力が制限されるんだ。
だから普段使えるのは千里眼だけ。その千里眼にしたって、使い過ぎれば変化が不安定になっちゃう。
でもたった二つ。尻尾と耳の変化を解けば……
「出てきて、狐火!」
わたしは、この術を扱う事が出来るのだ。
「狐火、だとっ!?」
呼び掛けに応え、わたしの両の掌から、月野君のそれとは違うオレンジ色の炎が吹き上がる。
「くっ……《破邪の火炎よ、妖しの術を焼き尽くせ》ッ!」
マズい、と思ったのか、咄嗟に月野君は札へ命令を下す。と、周囲を飛び回っていた札はその向きを変え、一斉に私へと矛先を向ける。
「散れッ!」
月野君は、札を手にした腕を下し、突撃指令を繰り出した。
けど、もう、遅い。
「《舞え、狐火。全ての焔を喰らい尽くせ》」
ぽつり、わたしが呟くと、両手の狐火はそれに呼応し、花火の様に飛び散った。
無数の札の火と無数の狐の火は共にぶつかり合い、その瞬間に『喰らい合う』。
ゴォォォォォオオッッ!!
二色の火は互いの勢力を競う様に燃え上がり……そしてすぐに、狐火が全てを覆う。
「……わたしの勝ち、だよ、月野君」
屋上に燃え盛る火炎の檻は、全てがわたしの狐火になった。
わたしは手を掲げ、それを一つの火球に纏め上げる。大人の男の人くらいは簡単に呑み込めそうな、大きな火の玉だ。
多分……これをぶつけられたら、月野君はひとたまりもない。
「ねぇ、話を聞いて?」
でもわたしは、月野君を倒したいわけじゃない。誤解を解きたいんだ。
月野君はうつむいて、ぐっと拳を握り締める。
「わたしは、別に――」
「――勝ち、だと? そいつは本気で言ってんのか?」
わたしの言葉を遮って、月野君は、笑い混じりに呟いた。
「え、だって……」
これ以上勝ち目ないでしょ? お札は全部焼いちゃったし……
そう言うと、月野君はゆっくりと顔を上げ、「見ろ」と言って足元を示した。
「見ろって……」
言葉通り、足元を見る。
チリ……
と、足元で小さな煙が立ち上った。
「これ……!」
そこにあったのは、たった一枚の黄色い破魔札。
(気付かなかった……!)
よく見たら、さっきまで月野君が手に持ってた札が無い。
わたしが狐火を出した時、ひっそり足元に滑り込ませたんだ! 気付いた時には、札の火は一層強まり――
「《爆ぜろ》」
ぼぅん!
破魔札は爆発し、わたしは屋上のフェンスへ叩き付けられる。
「あぅっ……」
その衝撃で、折角膨らませた火球がコントロールを失い、消えてしまう。
だんっ、月野君はポケットから更にお札を取り出しながら、わたしとの距離を詰め、
どんっ! 右手で札を眼前へ突き付けながら、左手でフェンスを強く叩く。
「俺の勝ち、だ、化け狐」
ぐいと顔を近づけながら、月野君はわたしの耳元へ、低い声で言い返す。
(あ……だめだこれ……)
この距離まで近づかれたら、安易に狐火を使えない。……傷つけられないんだもん。人間のことは。
うぅ……とわたしは心の中で涙する。
こんな、志半ばで、わたしは倒れちゃうのか……しかも誤解で! こんな事ってある? 理不尽だよ!
「……ちっ。おい、化け狐」
「えっ……何でしょう……?」
嘆いていると、月野君は苛立たしげに舌打ちしてから、じっとわたしの眼を覗き込んだ。
「お前、悪い事はしてないって言ったな」
「え、あ、はいっ! 言いました!」
信じてくれるのっ!? わたしが期待した眼を向けると、月野君は不快気に眉を顰めた。
「信じるか、ボケ」
「ボケ!? ボケって酷くない!?」
「喚くなケダモノ。お前自分の状況分かってんのかよ」
状況……って、今まさに殺されかかってるけど。
答えると、月野君は「それが殺される奴の態度かよ……」と呆れたように呟いた。
「ま、いい。これでお前の実力は分かった」
「へ?」
「お前、俺の使い魔になれ」
一瞬、耳を疑った。
でも、月野君の顔は本気そのもので……
「ええええええっ……!?」
わたしはただ、驚くほかなかった……
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