第12話 詩とはなんだろう
詩と散文について少し思考が進んだので、メモ的な意味合いで書いています。ですから、意見をいただけると非常に嬉しい。詩とはなんだろうというものを深めたいのです。
詩は刻まれた言葉の行間を読むことで本質へと近づき、散文はその文章、言葉自体に意味や本質が説明されているものではないかと思うのです。もちろん未熟な所感ですから違うかもしれない。小説はこの二つを内包しているので、時に小説でありながら詩だとか、評論でありながら詩だと思える作品が散見している。
詩が散文と違うのは、説明ではなくても感じるものを示すことで、それを書いた詩人だけではなく、読者にとっても共通体験になる可能性があるという違いがあるのではないだろうか。そういう示唆をいただいた。僕は少し説明的な文章を書く傾向にあったので、描いた詩がそのように感じられたとしたら、なんらかの変化があったのだろう。下の詩がそれである。
◇◆◇◆◇
『涙もなく』
苦しみの吐息に
吐息を返しては
沈黙を掌に掬い
いたわっている
理解は出来ず感じることしか出来ない
砂粒ほどの些細な重みが
僕に付着して堆積していく
払いのけることもなく
あるがままに
なすがままに
ふりつもり、ふりつもり
やがてあなたが苦しみの吐息を忘れて
天にすべてを返す時まで
わたしは待っている
沈黙を掌に掬い
手を合わせると
そこには全てが
集まって弾ける
ぱんっ、と命が天に流れていく
◇◆◇◆◇
自分の詩の解説などは正直、恥ずかしいのだがこれは死に向かう人とともにいる時の人の心持ちの一部だ。端的に書いているがその雰囲気は出ていると思う。
死の時を待ち続ける、天に命が還る瞬間を。死がやってくることを静かに観ている。これは最後の二連に至るプロセスである。手を合わせる、それは多くの宗教における祈りの仕草だと思う。僕は特定の宗教を信仰していないが合掌をする。そこに至るプロセスを詩として描いている。
言葉のイメージとそれにより生まれる行間に潜むものを汲み取っていくと、読者と書き手の間に共通体験、あるいは詩情が共有されるようなものが詩の一つの形だろうか。
やはり詩を書くことの目的を明確にしないと駄目な気がしますね。何故、書くのかではなく、書くことで何をしたいのか。または詩をどうやって作っているのか。まとめることはたくさんある。さらに詩の技巧なんかも自分なりにまとめたいなぁ。韻とは何かなど。
誰かサルでも解る詩の書きかた、とか書いてくれないだろうか。ぼくは迷いの中にうっとりと立っているのです。
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