第三十七話 ヴェローナの愛
夢の城ホテルへと二人は戻った。
「うふふ。ベッドがふかふか」
ぽふんと、座って座り心地にひたってみる。
「今夜もKouはソファーで寝るの?」
少し諦めていたから、Ayaは冗句で訊いた。
「何なら、ベッドでもいいが」
Kouは、ソファーに掛けようとしていたが、踵を返した。
「な、何々?」
Ayaがベッドに向かうKouに焦った。
「もう、『
「そうね」
Kouは、そっとベッドの隣に座る。
「Ayaと私を苦しめた、ローマの男の情報。悔しいか」
Ayaは、ためらって、絞り出した。
「悔しいと言うより哀しいけれども」
「ロメオとジュリエットのようかな?」
「あら、Kouがそんなロマンチックなことを?」
Ayaが口元に手を当てて、笑わないように小刻みに震える。
「
「何故、そんな悲劇の街で暮らすの」
Kouから小鳥さん向けのキスをした。
「あ……」
「ロメオとジュリエットは、ラストは、確かに悲劇だ。でも、二人は結ばれようと如何なる障害も苦としなかったではないか」
Ayaがどきどきしながら、ゆっくりと頬に口づけをした。
Kouもそれに応えて、Ayaの瞼に柔らかく口づけた。
「さあ、誓おう……。あの不実な月に……!」
KouがAyaの手を引いて立ち上がらせ、Kouが急にひざまずく。
高い所にある窓から月光が射し込み、二人とも夜の影を伸ばした。
「私は、ジュリエットではないわ」
「俺もロメオではない」
手を合わせて見つめ合う。
「愛し合ってもいいの?」
甘ったるく言の葉を絡めた。
「ああ、結ばれてもいい」
Kouは、Ayaに腕を回して抱き寄せた。
Ayaは紅潮して長く細い首を上げた。
耳元にKouが囁く。
「背徳感は要らないよ」
「兄と妹でも……?」
「ああ、二人に神はいないのだろう?」
Ayaの緊張している様子を見て、いたずらっ子に胸に顔をうずめた。
「一緒に暮らそう。俺は、特に女性には不器用だが……。きっと、妹以上に大切にするから」
◇◇◇
二人は、国境を越え、血の色さえも越えて来た。
Ayaは、改めて思う。
むくのアトリエの地下室に『ジレとアデーレ』が隠されており、『アデーレの手記』が隠されていたのを『未来への手紙Jの刻印撲滅機構』が探していた。
このキーワードはおさまる。
ところが、厄介なことに台湾では『李家』の権利をドラゴンが『組織J』を動かし、凛から李建の子どもを宿さない雪に移そうと画策されていたのだ。
結局、『ジレとアデーレ』は何だったのかと自分に問う。
「もう、ドイツにも日本にもいるのはよそうかな……」
◇◇◇
翌朝、九月二十一日に、ドイツを発ち、遅くにヴェローナ入りをした。
「え? もう住む所が決まっているの!」
きゃっきゃしたいのを隠していたAyaだが、彼女程バレるのに鈍感な生き物はいない。
「そうそう、こっち。ついておいで」
くくっと笑った。
Kouは、父親もなく、母とつましい暮らしをしていたかと思うと、別れなければならず、家族に恵まれなかった。
ここに、可愛い妹のAyaができて、嬉しくない筈もない。
「毎日話す相手がこれでは、寡黙でもいられないな」
口をついて出た言葉をAyaに拾われる。
「やっだー」
「嫌なのか?」
Kouは振り向いて、覗き込んだ。
「嫌よの意味ではないの。嬉しいの」
ぷうっとふくらんだAyaは、幸せそうだった。
「紛らわしいな」
困ったまま、案内する。
「家は、ここなのだが。どうかな?」
Ayaは、ぴょんと跳ねる。
「Kouと一緒なら、最高!」
Aya達の暮らす家の近くに、ジュリエットの銅像とバルコニーがある。
その坂の家を絵葉書で売っていた。
Ayaは、少しのユーロで名画を買えたとご満足だ。
「むく様に、この絵葉書でお便りをするわ。何だかジュリエットに呼ばれてしまうわね」
むく様へ
私は、ヴェローナで新しく暮らしています。
Kouも一緒よ。
Kouが、何と家を買っていたの。
ヴェローナにあります。
今度、未成年者でも飲めるワインを用意するわ。
え、ええ。
美味しいブドウジュースと人は言うわね。
元気になったら、いらっしゃいな。
私も腕を振るいたいの。
あ、黒龍のではなくて、料理のね。
おにぎりがお好きなら、おにぎりパーティーしましょう。
たこさんとかにさんのウインナーもつけてね。
正式ではないけれども、
ミカジューは承りましたよ。
お体がよくなりますように祈っています。
Ayaより
Ayaは、遠くの空を見る。
今頃、むくがジュリエットにひたっていると感じ入った。
「私は、むく様がもう日本へ帰らない気がするわ」
少ない手荷物を解いて、住みやすくするように工夫をしている。
「へえ。どうしてだい?」
調理器具を買わないとと明日、市へ出かける話をまとめた。
「きっと物足りなさを感じていると思う。神友もいなくて」
「随分と贅沢な悩みだな」
Kouも美術部の面々を知っている。
部屋には、最低限の家具を買っておいたので、椅子に腰掛けて、足を組んだ。
「そう、悩みなのよ。本当を打ち明けられる方って、もしかしたらあの哀しいアトリエを知る神崎亮様しかいないのかも知れませんわ」
「あの僕ちゃん、少しいまいちな感じだが、それでもいいのか?」
Kouが組んでいた足をもじもじとして解く。
「妹の椛様を下の名ではなく、『妹』と呼んでいるのも親愛の情からだわ」
「不器用だな。拝みたくなる」
ふふっと二人は笑って、今夜は外食にした。
ちょいちょいと手招きして、Ayaを呼ぶ。
「大事な話だ。聞いてくれ」
「は、はい!」
Ayaは、プロポーズか何かと緊張する。
でも、Kouは手ぶらで、赤いバラの一つも持っていない。
「あのさ、部屋の中ではスリッパにしないかい?」
「え。それが大事な話なの?」
「そうだよ。生活が合わないと疲れるだけだろう?」
「あ、あはは。断らなくてもいいのに。OK」
夜にまだ開いている店をぶらぶらと見て帰っている。
「ゆ、ゆ、ゆ……」
Kouがぶちぶちと呟いた。
「Kou、壊れた!」
Ayaは口もとを手で覆う。
ユニークなKouが好きだから、からかってみた。
「指輪は欲しいかってだけ!」
「あ……」
「急がなくていい。さっき、綺麗な店もあっただろう。好きなのを選んでくれ」
Ayaは、ぼうっとした。
「Kou、それってプロポ……」
黙っていた。
Kouは黙っていた。
この手の話にはイエスもノーも言わない主義だ。
Ayaも顔を真っ赤にしていた。
こんな日が来るなんて微塵も思っていなかったからだ。
あの日、Kouと出逢ってから。
『Ayaさん、初めまして。僕はKouです』
利発そうな少年だと思った。
少しクールなのが気になったけれども。
惚れ込むように気に入っていた。
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