第二十八話 Ayaの恋はきらめいて
Ayaは、壁を探って地下室の明かりをぱっぱぱっと点けた。
「いない。このキーは何? 何の為に『無垢の妖精』に隠してあったの? 何かヒントがあるはずよ」
キーを握りしめ、方程式の解を辿っていく。
「そうだ、ゴッホの『ひまわり』の後ろは、どうなっているのかしら」
ゴッホの絵を外すと、埋め込まれた壁があった。
「前に来た通りだわ。アトリエの上で、美術部員が地下室に誰かがいるとか騒いでいたわね。むく様は、私だとわかったみたいでしたけれども」
Ayaは、小さな壁を外す。
「袋が梱包してある。中を見てみろとしかとれないわ」
二通の手紙があった。
一通は、Kouが工作する前の本物の赤茶けた手紙だ。
Jの封蝋がしてあり、誰も開けていない風に見える程、完璧にできている。
もう一通は、黒い封筒に入っており、Ayaに宛てたものだった。
Ayaへ。
もしも、この手紙を読んでいるのなら、『
Ayaが望むのならば、話すことがある。
詳しい場所は、地図を同封した。
ローマの男に気を付けてくれ。
追伸 Ayaの事を嫌いになった訳ではない。
Kouより。
「又、ドイツ? しかも、ここって……」
手紙を大切に自分の胸に当てた。
「Kou! でも、やっと貴方と繋がれた! 今度は離さないわ……!」
胸が詰まって、声を絞り出すようだった。
「今、行くわ」
◇◇◇
八月三十日、全日空機内でシートベルトをゆるめた。
フライトも落ち着いて、Ayaは、アッサムティーが飲みたいとキャビンアテンダントを呼んだ。
「ふう。リューゲン島かあ」
「お客様の落とし物が届いております」
キャビンアテンダントからハンカチが渡された。
身に覚えのない赤い無地の物だ。
「ありがとうございます」
受け取ったのには、訳がある。
「メッセージ?」
『
また、裏に返すと別のメッセージがあった。
「誰の話かしら?」
『
「どの名前にも心当たりがない。あの、さっきのキャビンアテンダントさん?」
Ayaは、呼び止めてみる。
「私は、どこでこれを落としたかしら?」
「あちらのお席だと拾ってくださった方が仰っていました」
「ありがとうございます」
笑顔で頭を下げた。
Ayaは、あの文言を思い出す。
『ローマの男に気を付けてくれ』
「あちらのお席に行ってみるしかないわね」
トイレへ向かう振りをして、席を立つ。
ちらりとみたが、男ではなく、女だった。
「あの、こちらで私のハンカチを拾っていただいたのですが」
赤いハンカチを見せて、座席の若い女に訊く。
「ああ、機内の男性に、『あの方が落としたようだが、恥ずかしくて声を掛け難い。頼む』と言ってどこかへ座りに行ったみたい。照れていたわ」
「ああ、お礼を言いたかったの。ありがとうございます」
挨拶をして席に戻ったが、ローマの男は見つからなかった。
「このハンカチのメッセージ、誰だろう。やはりあの時のローマでKouと電話を取り交わした男。フランス語の男」
又、長旅になる。
ベルリンに一泊して、乗り換えて、目的地に着くのだから。
「既に一杯食わされたしね」
Ayaは、ハンカチをポケットチーフにした。
赤い薔薇が、闇に咲くように。
◇◇◇
ドイツのリューゲン島に来た。
ドイツ北部にあり、バルト海に面している。
「リューゲン島のここ、好きよ。綺麗な海岸線。そして、波を寄せようかと愛らしいコテージが並び、向こうには海へと繋ぐ桟橋があるのよね」
もう直ぐKouに会える。
Ayaは、ひとつのオレンジ色で飾られたコテージに入った。
安い扉が軋む。
「Kou! Kou! 私よ! 来たわ……!」
薄暗いそのコテージで、己の存在を示した。
「Aya! 隠れろ!」
コテージの奥から、Kouの声がした。
その刹那、銃声が、Ayaを出迎える。
美しい潮の香りを硝煙がイタズラした。
◇◇◇
オレンジ色の小さなコテージ。
Kouを叫んで、未だ二分十七秒。
三発の銃弾がAyaへめがけて撃たれた。
Ayaに銃を向けるのは、愚かなことだ。
「OK。そこにいるのね、仔猫ちゃん達!」
シュヴァルツ・ドラッヘが火を吹いた。
シリンダーには十分補充されている。
ダブルアクションだ……!
「左手よ」
『うぐはっ』
コテージの見張りは、床に転げるように武器を落とした。
Ayaは、薄暗くとも、ダメージを与えるポイントがわかる天賦の才がある。
先ずは左利きの女を狙った。
「残り三人も、お覚悟!」
「次、左腿」
二発目だ。
『ぎゃあぶっ……』
武器を衝撃で落した音がこだまする。
男は、痛さに悶え、どさりと倒れた。
「右手ね」
その男の銃めがけて弾いた。
『お、お……』
手が震え、呻くしかなかった。
「右足首」
百発百中の四発目だ。
『鬼女! ぎゃあー』
どたーんとひっくり返ったのに笑う趣味はない。
「私は、Aya。黒龍よ。孤高の黒龍……! 覚えておいて!」
敵なしの仁王立ちだ。
「よってたかって、一人に四人? Kouも高く見られたわね。『銃は言葉より軽い主義』で、決して銃を所持しませんからね。このジャーナリストのKouは丸腰よ。何、この見張り達? 弱過ぎよ」
Kouを見つめて、相槌を貰った。
「そう。Ayaが強過ぎ」
Kouが、屈託なく笑った。
Ayaは、想い人に駆け寄り、縛られている柱の後に回る。
銃で右足首を痛めた見張りは柱の後ろにおり、Ayaに早々に引きずられて邪魔者扱いされた。
Kouの両手首と胴が縛られている。
「手を上に捻って。そう」
Kouは従った。
「頼むな、Aya」
縛っていたロープをシュヴァルツ・ドラッヘで、千切った。
「Kou! ああ、無事なのね、会えて良かった」
「先ずは腹が減ったよ、Aya。こんなに素敵な所で、レストランにも行けないなんてな」
立ち上がって、膝を叩く。
「レストランでもどこへでも行くわ。その前に、海岸に出ましょう」
「分かったよ。又、縛られても嫌だしな」
「Kou……! 貴方って面白い所も素敵だわ」
海の彼方に昇る桟橋にかけて、真上の太陽が、コテージを一つ一つ照らしている。
ざ、ざざーっ。
ざ、ざざーっ。
ざ、ざざーっ。
ざ、ざざーっ。
ざ、ざざーっ。
足跡を一つ。
足跡を二つ。
足跡が一つ。
足跡が二つ。
その足跡にまるで唇を重ねるかのように二つの足跡で塞ぐ。
砂浜にシルエットで、AyaがKouの横顔に自身の唇を預けた。
潮がさあっと影を乱した。
「私のファーストキスは、黄昏時が良かったのだけどね。うふふ……」
Ayaは、太陽より真っ赤になっている。
「全く肌を合わせたことがないわね。キスすらも……」
上目遣いのAyaにKouはさらりとしている。
「必要ないだろう? 二人には」
「え……。嫌いではないのよね?」
顔に曇りを拭えず、必死に迫った。
「好きか嫌いかとそう言う話は、別だと思うが」
「……キスならいい?」
「いや、止めた方がいい」
「どうして? ねえ?」
「俺にも理性があるが……。Ayaがその気になったら、困る」
Kouは、視線を切った。
ざ、ざざーっ。
ざ、ざざーっ。
ざ、ざざーっ。
ざ、ざざーっ。
ざ、ざざーっ。
足跡を一つ。
足跡を二つ。
足跡が一つ。
足跡が二つ。
Kouの横顔が、あつい太陽で輝いている。
いつも光のAyaの影になっているKouの美しい姿に、Ayaはこのひとときが愛おしくて堪らなかった。
Ayaの胸は、さざなみに似ていた。
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