第二十七話 風のユダ
「むくちゃん。黄昏て来たのう……」
「ウルフおじいちゃま。少し涼しいです」
二人は、開け放した教会の入口からの風を甘く感じていた。
「寒いのかのう?」
「いいえ。それより、ウルフおじいちゃまは、絵を描かれていたのですか。初めて知りました」
むくも見つけた『ジレとアデーレ』は、取り出さずに隠したままにしてある。
隠したと言う事は、何か意味があると思ったからだ。
「昔は絵が好きでの。あそこにある『最後の晩餐』風の油絵は、儂が描いたのじゃよ」
「ん……。『ジレとアデーレ』とは、違った雰囲気ですね。
首を傾げてにこりとした。
「儂にとっては、『ジレとアデーレ』が特別なんじゃよ」
「どうしてですか?」
ウルフは、語り出す。
「むくちゃんも高校生になったし、夏休みになったからの。儂の昔描いたこの絵を見せたくなったのじゃよ。この絵に託した『遺志』を伝えるのは、儂の使命じゃと。子が生まれ、孫が生まれるに従って、強く思うようになったのじゃ」
「ウルフおじいちゃまの『遺志』……。『ジレとアデーレ』に託された『遺志』ですか」
むくには、幸せな恋人の印象が強かった絵だ。
一体誰のどんな『遺志』なのか、考えていた。
「そうじゃ」
「儂は、にゃんこっこにて、『……への手紙Jの刻印撲滅機構』の男に接触されたのじゃ」
「その方は初めてお会いする方ですか?」
むくには、謎ばかりだ。
「知り合いではないの。『ジレとアデーレ』に某かの価値があるらしく、それでじゃ」
某かと、ウルフは、敢えて伏せる。
それは、会話を聞いている誰か。
つまりは、Ayaの気配を感じていたからだ。
「Jの刻印と聞くと、美術部員に届いたあの封蝋を思い出します。Aya様が持っていらしたあの手紙と何か関係があるのですか?」
むくは、質問ばかりで申し訳なく思う。
「あの白い手紙は、むくちゃんと美術部員が受け取り、むくちゃんがアトリエで、『ジレとアデーレ』を探し当て、その絵を見てくれはしないかと仕向けたのじゃよ。儂のしたことじゃ」
一気に話してむせんだウルフだが、手紙についても触れた。
「それから、Kouさんが本物の赤茶けた手紙を持っておるのじゃ」
「ウルフおじいちゃま」
むくは、甘い風が強くなったのを感じて、美しい黒髪をおさえた。
風は、なびかせる。
むくの思わぬ方へと。
「むくちゃんが見たのなら、用は済んだしの。どんな利用をされるか分からん。誰かに見つかる前に、ベルリンへ運んだのじゃ。空港からこの教会までは、Kouさんにも手伝っていただいておる」
「はい。幾つかの不思議な事が分かりました」
「それで、『ジレとアデーレ』は、儂の……」
斜め上から、弾丸が、教会の入り口中央に撃ち込まれた。
教会付近の砂利が弾け、雑草が千切れ飛ぶ。
「お話を聞かせていただいたわ。ありがとう。その絵を待っていたわ」
離れた所から肩幅に足を開いて立つ烏がおり、教会から見えた。
「Aya様……! いつの間にいらしたのですか?」
「悪い事は言わないわ。その『ジレとアデーレ』をくださらない?」
烏が手招きをする。
「まだ、我々の『遺志』は繋いでいないのじゃ。そうそう渡せんぞ」
ウルフの語気は強めだ。
「止めてください、お二人とも」
むくが、駆け寄ろうとした。
「銀髪のお兄さん。母が標的を外したのは、後にも先にも貴方だけだと思うわ。今度は私が逃さない!」
Ayaは、シュヴァルツ・ドラッヘの銃口を向けた。
撃つのは一度でいい。
狙うは、ウルフだ。
ターゲット、ロック・オン!
シングルアクションだ……!
ウルフは『マグダラのマリア』を背にしている。
その刹那、弾丸を避けずに、右手をさっと前に出し、素手で止めた。
弾丸は、スローモーションに、恋人を失う哀しみと重ねて落ちゆく。
未だ屋根も壊れていないこの小さな『M』教会で、ウルフの手から落ちた玉が、二度三度、反響した。
「う、うっそ……」
Ayaは、一歩後ろに下がった。
シュヴァルツ・ドラッヘはしっかりとウルフを見つめ続けている。
「後ろに『マグダラのマリア』があるでの」
「信じられない! 今、弾丸に触らなかったでしょう? 空気抵抗みたいな物が見えたわ」
Ayaは、自分の目を疑った。
「教会にも、銃は相応しくないぞ」
ウルフは、狼の目を光らせる。
「Aya様、ウルフおじいちゃま、拳銃とか止めましょう。お怪我はないですか?」
むくは、ウルフの近くまで寄った。
「わかったわ。これ以上は撃たない。だから、Kouの居場所を教えてくださるかしら」
右手にシュヴァルツ・ドラッヘを持ち、両手を上げて、降参のポーズをとる。
「そうか。アトリエにある『無垢の妖精』のフレームにキーがあるの。しかし……」
ウルフは、言い淀んだ。
「しかし?」
Ayaに焦りが見える。
「しかし……。Kouさんとは、会わない方がええぞ」
「それは、私が決める事よ」
Kouと会えないなんて、心配のあまり強気に出てしまった。
「年寄りの話は聞くものじゃ。傷付いてからでは、可哀想だからの」
ウルフは、眼差しで哀しみを物語る。
「まあ、いいわ。とんぼ返りになるけれど、サヨウナラ」
Ayaは、踵を返した。
「待って……。ウルフおじいちゃまの話を聞いてください。何も根拠がなくてお話しする方ではありません」
むくは、弱々しくも駆け寄り、Ayaの腕にしがみついた。
「他人が何を知っていると言うの? むく様」
「いや、ええよ。年寄りの冷や水は、今はシーズンオフのようじゃの。Kouさんから直接聞けば、Ayaさんも納得するじゃろ」
「そんな。何かに傷付いてしまうのなら、むくは見逃せないです。ね、Aya様。アトリエに行くのは、一緒にしましょう」
その時、一等強い風が吹き、辺りをさらった。
「……急いでいるの。会いたいのよ。ただ、会いたいだけなの。一刻も早くね」
むくは、振り払われたが、めげない。
「むくが、力になります。だって、『無垢の妖精』は自分の作品ですから」
「でも、ヒントだけでいいわ。私は、日本に帰ります」
ヤマハを止めた所まで行き、振り返り置き土産の台詞を残した。
「ありがとう、妖精と銀髪のお兄さん……」
黄昏の風が去り行く中、烏は歩んだ。
Ayaは、まるで生まれ故郷を探すかのように。
風は、向かい風だが、Ayaは負けないと決意を引き締めた。
◇◇◇
八月二十七日、Ayaは、日本へと空をゆく。
再び、むくのアトリエで、当たり前の様にお手製の鍵でドアを開く。
「体力は、ある方だと思うけど、日独一泊二日は、大変だわ。私は、レンタルナノチップと違うのよ」
Ayaは、まっしぐらにアトリエに来た。
アトリエは、もう真夜中だ。
「えっと、ここに銀髪のお兄さんが、包んでしまっていたわね」
アトリエの隅にあった『無垢の妖精』を出した。
包の音をかすかに立てて開く。
「……ん? キーがあると言っていたけど、ヒントではなくて、ダイレクトにアナログキーがあったわ。どこかで見た様な気がするのよね」
すると、閃いて、たったっと駆け寄りキーを使った。
「地下室のキーね」
ゆっくりと開ける。
地下室から風が吹き、まるくまとめた後に編んで垂らした長い髪を、ふゆっと揺らしながら、Ayaは奥へと降りて行った。
「ねえ、Kou? ここにいるの?」
歩む度、ヒールの音がカンカンと響く。
特に足を忍ばせず、居場所を知らせるかのように。
「Kou、ここにいるのなら、返事をして……」
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