第二十三話 亮の夢

 同日夕刻。

 むくの自宅、徳川第二団地四〇一号室に、むくは帰り着いた。

 土方家で、ウルフの家ではない。

 綺麗な音のベルを鳴らし、鍵を開けて入った。


「玲ぱーぱ、美舞まーま。ただ今、帰りました」


 にこりとする。

 しかし、ひたすらに静寂が広がっていた。


「誰もいないのですね」


 むくは、水色や水玉に囲まれた自室でため息をついた。


「神崎部長と朝比奈さん、今日も仲良く手を絡めたり、いちゃいちゃしていました。神崎部長は、どうして朝比奈さんを恋人にしたのでしょう。質問したいです」


 ベッドに腰掛けて、スマートフォンを見つめた。


「うーん。コミュニケーションアプリか電話か悩みます」


 壁掛け時計の音が焦燥感をあおる。


「電話にします」


 スマートフォンの電話帳を開いた。


「あ、か。か、か、か。かんざき……」


 五十音で探した。


「神崎椛さんと神崎渓かんざき けいお父様のナンバーしかないです」


 神崎亮がない。


「う、むむむむ、違うです」


 電話帳を更に睨んだ。


「び、美術部部長でしたか! アチャ」


 思い切って美術部部長の名前をクリックする。


「電話に出てくれますか」


 長めのコールの末、亮への電話が反応した。


『はい、うん。むくか? 僕だ、神崎亮だ』


 むくは、疑問に思っていたことを勇気を出して訊いてみた。


「あの、単刀直入に伺います」


『な、なんだ?』


「何故、神崎部長と朝比奈さんが恋人になったのですか……?」


『答えると思っているのが、むくだよな。まあ、仕方がない。少し話す』


「はい。お願いします」


『あれはな、お通夜の日の話なんだ』


 神崎亮が語り出した。


 絆の消失点が見えようとしていた。



 むくと亮とが結ばれない訳だ。


 ◇◇◇


 あれはな、菊ばっちゃが亡くなったお通夜の日のことだ。


 丁度、僕は、高校の入学式も済んでゆとりの四月を送っていた。


 べたっとした湿り気に堪らなくなった雨は、しとしとと降り出す。

 僕の目の前には、信じがたい柩があった。

 誰から渡されたのか、僕は白百合の花を手にしていた。

 黒い制服に花の白さが浮いていた。


「菊ばっちゃ、本当に死んじゃったの? 菊ばっちゃ! 嘘と言って。僕が悪かったよ。僕が悪かった。だから、目を開けて。ばっちゃ!」


 柩に寄って行った。


「ああ!」

『下がってください』


 係りの人に止められた。


「だって、菊ばっちゃが、お花が好きだから。ここに置きたいんだ」

『分かりました。お預かりいたします』


「僕が、僕が自分で渡したいんだよ!」


 きんととちゃんの時も全部自分でできなかった。

 だから、今は、僕が自分で。

 こ、この綺麗に咲き誇った花を。



 花を菊ばっちゃにあげたい!


 ◇◇◇


 僕が小学四年生の時だった。


「菊ばっちゃ?」


 僕は、奥にある祖母の部屋をがらりと開けて話し掛けた。


「居間のきんととちゃんが、餌食べていないよ」


 すると、菊ばっちゃは振り向く。

 手には僕の為に何かの和裁をしていた。


『そうか、夜店のきんととちゃんも年かの。水槽を綺麗にするかい? りょっちゃん』


「分かった。一緒にやろうよ、菊ばっちゃ。椛? 椛もおいで。あれ? いないや」


もみっちゃんなら、お小遣い上げたから、駄菓子でも買いに行ったのかのう』

「お父さんもお母さんもいつもいないよね」


『共働きで苦労しとるからじゃの。椛ちゃんもしっかり者じゃ』


 家に帰ると菊ばっちゃか椛しかいなかった。

 だから、遊び相手は菊ばっちゃと椛で、ごはんは菊ばっちゃが出してくれた。

 思えば、椛はお手伝いをしていたな。

 だから、母親のいない分、おばあちゃん子になったのかな。


「きんととちゃんのお水は、どこだっけ?」

『お庭にあるの』


「菊ばっちゃ、又作ってくれたの?」

時間ひまがあるからの』


「こっちの小さい水槽に作ったお水を入れて、それできんととちゃんも移して、その間に洗ってあげればいいんだよね?」

『そうじゃよ。きんととちゃんも一日置いたお水が好きなんじゃ』


 所が、僕は、きんととちゃんを移す時に落としちゃったんだ。


「ごめんね、きんととちゃん、大丈夫?」


 急いで拾い上げる。


「きんととちゃん?」


 不安な顔で覗いた。


「元の水槽に戻したけど、泳がないね、菊ばっちゃ」

『……亮ちゃん』


「菊ばっちゃ、沈んじゃった」

『亮ちゃん、きんととちゃんは、お空に泳いで行ったのだよ』


「お空に……? じゃあ、きんととちゃんは、ここにいるのは誰?」

『又、会えたら覚えていてねと、体だけ遺したのじゃ』


 祖母は、僕を責めなかった。



『さあ、椛ちゃんが帰ったら、お墓を作ろうの』


 ◇◇◇


 お通夜も深夜〇時近くになった。


『神崎亮君?』

「おお、朝比奈だっけ? 中学三年にして学校代表かあ。朝比奈麻子生徒会長凄いや」


 なかばやけになっていた。

 すごく哀しくて、どうしようもない。


『お父さんとお母さんは二階の集まりに行くから、亮はちょっと待っていなさい。椛は、もう上の『まる茗荷みょうが』の部屋にいるからね』

「分かった」


 僕は、右手で合図をする。


「泥棒が、来ないように見張るよ」


 僕と麻子が待たされたのだよ。

 両親は、麻子はもう帰ると思ったのだろうな。

 菊ばっちゃの前で二人きりになった。


『この度は、御愁傷様です』

「あー? 当たり前だろ」


『ごめんなさい』

「謝るなよ」


『あたしにね、弟がいたの知ってる?』

「朝比奈麻子にか? さあ、聞いたことがないな」


朝比奈大和あさひな やまとと言う双子の弟よ』

「ふうん」


『小学校違うから、あのことも知らないわね。生まれつき病弱だったから、学校は病院内で通ったわ。院内学級ね』


 朝比奈麻子は、横を向いた。


『そして、無念のまま、九つで亡くなったのよ』

「亡くなったのか。九つかよ、若過ぎだろ」


『あたしも同じ年だから、尚更つらかったわ。両親も険悪になっちゃって』

「まさか、離婚とか?」


『今にもしそうよ。家は仲良く共働き。苗字は別々のまま』


 僕の親代わりの祖母は、急な事故で亡くなってしまった。


「僕は、車で……。やりやがった奴が凄く憎いよ」

『そうか。あたし達、哀しい者同士なんだ』


「哀しいかい……」

『神崎亮君?』


 僕は、朝比奈麻子の隣にそっと寄り添う。


『そ、それは、あたしだって普通に人らしいわよ。生徒会長って見られるの嫌なのよ』

「眼鏡外していい?」


『え、あ……』

「綺麗だよ、麻子さん。いや、麻子って呼んでいい?」


『あ、あたし、友達がいないから。それって、嬉しいかも……。で、でも何で。何で肩に手をやるの?』


「……ん」

『あっ……』


 哀しみを分かち合っていたかった。

 菊ばっちゃの亡くなったその日に。


「ぼ、僕は。謝らないからな」

『あたし……』


 二人とも、何故か涙を流していた。

 麻子は、黙って帰って行く。

 そして、僕が振り向いたら、柩の窓が開いていたのに気が付いた。


「もう、菊ばっちゃが、可哀想だろう?」


 直してやろうと手を伸ばした時に、大変なことが起こった。

 大きな物音がしたと思ったら、もう遅かったんだ。


「う、うああ!」


 柩が落ちて、僕は利き手の右手を怪我したんだ。

 後遺症で、この通り殆ど動かない。



 バチが当たったのかね。


 ◇◇◇


 僕は、病院のベッドに横たわっていた。


「もう、いいや。誰もいなくなってしまったな」


 やけっぱちのまま、うたた寝をする。


「菊ばっちゃ……」


 寝言でそう言ったらしい。

 しかし、夢は違った。


 きんととちゃんがばたばたと空へ虹と共に昇って行った。



 僕に、手を振って消えた。


 ◇◇◇


 Ayaは、日本を発つ時、むくのスマートフォンに盗聴器をしかけていた。

 ドラゴンの娘とむくらのことが明らかになりつつある。

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