第十七話 ドラゴンの皮

 Ayaが迫ったドラゴンは、恐るべき人物だった。


 八月十日の水曜日、ホテル・ニース・ブランのお手洗いで、女にスマートフォンをすられそうになった時に気が付いた。

 追跡ナノムカメラ、ドルーナを持っていたことに。

 Ayaがドラゴンに接近できたのは、このお陰でもある。


「旅券チップスタンプを逆探知して、三年前にニースから台湾へ入った後の古い足跡を辿るのよ。一度、へその緒をつかまえてしまえば、現在地が分かるの。違うわ。ドラゴンなら尻尾かしらね」


 Ayaは、唇をしめらせた。

 いの一番にKouに伝えたかったけれども、いないのでは仕方がない。

 それから、Ayaはニースの知り合いの生化学研究所シャルルCharlesミィシェーレMichel研究室を頼った。


「よく来てくれたわ」


 シャルル室長がAyaにハグをした。


「今日は研究所の室員には、臨時の依頼で入っていただいたと説明してあるの。自由に使っていいわ、Aya。恩があるものね」

「シャルル。それで十分よ。人払いをされても困るから」


 例のサン・ピエール礼拝堂の落書きから、セツ=ドラゴン=リーの名が浮き彫りになった時に、Ayaは、Kouに隠れてテストチューブに資料を入れていた。

 ほんのわずかなDNAをAyaは研究所で精査させて貰う。

 DNAをPCR法で増幅し、各実験にのぞむ。


「李雪のDNAは、念のため、ワゴンのピッチャーから採取しておいたわ。これが役に立つ日が来るとはね。ターゲットがここから割れればいいわ。いや、絶対に暴くけれども」


 ピペットマンで電気泳動用のアガロースに注入し、マーカーと共に各資料を流す。

 分子量の大きさにより、流れる距離が異なるので、そのバーコード状のものから、全く同一ものか一部でも重なるものがあるのかを判断する。


「Aya、こんな簡易な方法でいいの? 最新の機器各種、壊さないなら使ってもいいのよ」


「少し急ぎなのよね。判断さえ間違わなければ十分だわ。ゲノム解析まではしないから。それとね、遠心分離機だって軽くぶち壊せるのご存知でしょう」


「それは、困るわね。スマートフォンクラッシャーだものね、Ayaは」


 肩をすくめてシャルルが笑う。

 以前、Ayaをスマートフォンのカメラのフレームに入れただけで、Ayaに指をぱきりとならされた。


「あらら。シャルルに言われたわ」


 Ayaとシャルルは、室長室で白衣を脱いだ。

 忙しいけれども、折角シャルルがフレーバーティーも好きでしょうとすすめてくれたので、いただいた。

 薔薇の花びらが綺麗に香っている。


「ホテル・ニース・ブランのアッサムティーより美味しいわ」



 いれてくれる方次第なのかとAyaは感動する。


 ◇◇◇


 八月十二日、本気で白衣を脱ぐ日が来た。


「DNA解析は成功したわ」

「いい結果?」


「勿論よ。今から、私が研究室の室長をやってもいいわよ」

「彼氏がお待ちじゃないの?」


 紹介したことはないが、Kouのことだろう。

 組織Jが何も言わないとは、Kouは利用価値のある状態じゃない。

 つまりは、フリーだと考えられた。


「ああ、忙殺してしまおうと思っていたわ」

「無理しないで、Aya」


 シャルルは、再びハグをした。



 そして、一つの別れをする。


 ◇◇◇


 コートダジュール空港からヒースロー国際空港を経由して羽田の東京国際空港へ向かう。

 八月十三日七時五十分の便だ。

 羽田へは、翌、十四日の七時十分に到着する。

 台湾では李信がいるので、むくのいる日本を選んだ。


 これまで、人物の出入国を特定する為に、エアポートで履歴を暴く機能のあるドルーナと呼ばれる一過性のウイルスをナノムカメラに仕込むことにAyaとKouは成功している。


「今から、これを使用するわね」


 具体的には、ナノムカメラをアヤ=シュヴァルツの旅券に貼り、エアポートでタッチして入国手続きをする際に、ウイルスに最高速度でデータ収集をして貰うものだ。


 ターゲットのデータと一致していればそのまま降り、異なれば実際に向かった便が表示されるので、それに乗る。

 勿論、ダイヤは異なっていても、おおよその動きは間違いがないようにAya自身で修正だ。


「まさに、ゆきの足跡を重ねて踏むようだわ……。李せつにドラゴン」


 これを駆使して、ドラゴンの居場所をとらえることから始まった。

 


 ドラゴンの皮をはぐのは、長い旅となる。


 ◇◇◇


 八月十四日、羽田に降り立つと、ラウンジを利用して旅券の情報を読み取る。


「あら、ドラゴンは雪と共に最初に日本に来ているわ。迂回して、カモフラージュしたのかしら? それとも何かゆかりの地なのかしら?」


 ほどほどのアッサムティーを一口飲むと、冷めるまで考えていた。


「しまった。時間の無駄使いだわ。動かないと」


 Ayaは、むくに会いに走り出す。

 むくのアトリエを訪れると、施錠が確認された。

 ノックをして名乗ってみるが、返事もなく、北窓からも居ないことが分かる。


「徳川学園美術部と団地のお住まいへ行ってみるしかないわね」


 Ayaは急いで消えた。

 結局、この時にむくはウルフの母屋におり、美術部にも団地にもいなかった。

 そして、団地で張っていたAyaは小さな疑問を持つ。


「ご両親はどうされているのかしら?」


 カチャリと鍵を自在に開け、真正面の玄関ドアからるんるんAyaが入った。


「お邪魔しまーす」


 キッチンは、殆ど何にも使われていないようだ。

 冷蔵庫や乾物の様子からみると、毎日のようにおにぎりを拵えているのが分かる。

 キッチンからベランダへ居間を抜けて行くと、洗濯物が少なかった。


「むく様……? これは一体どうしたことかしら?」


 むくは狙われないはずだから、大丈夫だと思っていた。

 けれども、組織Jの手紙を渡されていたくらいだ。

 無関係ではないのだろう。



 Ayaは、むくの暮らしに寂しさを感じ、俯いて部屋から去った。


 ◇◇◇


 八月十五日の朝、Ayaは、敗戦国に向けて十字をきる。


 やはり、ドラゴンと李雪はその後台湾へ渡っていた。

 真っ先に凛に会い、無事を確認する。


「凛様、よくぞご無事で」

「信のおかげじゃ」


「まあ、凛様がそのようにお考えとは。信も喜ぶわ」


 凛が、寂しかったのか随分とせがむので、Ayaは、添い寝で慰めたいと思う。

 しかし、同じ床に入る訳にはいかないので、ベッドの横から優しく顔を寄せた。


「とんとんしますよ」


 いつもの子守歌もせがまれたが、雪の目が気になったようで、凛自身が取り下げた。


「すうすう」

「あらら、随分と早くお休みになったのね」


 凛がストレスの高い環境に長くいて、可哀想だと思った。

 明日、次の目的地へと旅立つ。

 ドラゴンと決着がついたら、この環境も変えられると思う。

 Ayaは、決意を新たにした。



 それからも幾つかの国を回った。


 ◇◇◇


 まだ、ドラゴンをとらえてはいない。

 しかるべく、追尾した。


 八月二十日の土曜日、涼しい風がAyaを吹き抜ける。


「ここは、羽田だわ……!」


 それから、むくのアトリエへ向かったが、Kouは既にいなかった。


 十四日にAyaがむくを求めて日本に来た時、むくはウルフと一緒で見つからなかった上、十五日には、KouはウルフとJに対して異能バトルをしていたと言う狭い裏道ができてしまった。


 AyaとKouはすれ違っていた。


「やっとドラゴンの尻尾をつかんだのに。Kou、これから二人でドラゴンの皮をはがしましょうよ」


 片腕のいないAyaのやりきれなさは、何に例えられるものでもない。


「あの笑顔が離れないよ。Kou……」



 そして、スマートフォンを開くと、Ayaの背後に立つ影があった。

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