第十六話 鈍い痛みのAyaとむく

 Kouは、侵入者を逃亡前に捕縛した。

 柔道が得意だとは、Kouは日本人か日本で暮らしていた可能性もあると、ウルフはにらんだ。


「後でしっかり吐いて貰うからな」


 男の首根っこをつかまえて、Kouは言い放った。


「オレが何をしたって? ちょっと可愛い子がいたから覗いただけだ」


 男は薄汚れた身なりで、話し方も知的には見えない。

 外見で判断するのはどうかと思うが、立ち位置のいい者には思えなかった。


「孫覗きは、重い犯罪じゃよ。尚更よろしくないぞ。灰になって貰おうかいの、組織J」


 白い手袋をきゅっと鳴らして外しかかる。

 ウルフの六芒星は、優れたコントロールでヒットするようだ。


「何だ、組織Jとは。知らないな」


 男は、厄介そうに頬を膨らませる。


「本当に知らないようだが」


 Kouは、ウルフに耳打ちした。


「何故分かるのじゃ」


「俺も勘が悪い方ではないのでね」

「ほほう……。六芒星流門下に入らんかいの。Kou殿、素質はやはり大いにある」


「あの。ウルフおじいちゃま、六つの角がある星型が光りましたね。乾電池が入っているのですか?」


「違うぞい」

「違うよ」


 突っ込みはハヤブサのごとしだ。


「すみません。河合さん、ウルフおじいちゃま」


 むくは、ぺこりと謝って、アチャっと舌を出した。


「気にするでない。誰も、中々信じてはくれないものじゃ。むくちゃんは、むくちゃんはな、五つの角がある五芒星が出せるのじゃよ」


「五芒星ですか。玲ぱーぱは語りたがりませんが、美舞まーまは、お話ししてくれました」


 むくは両方の手の甲を観察するが、静脈が見えるだけで可愛いお星さまがない。


「むく様。俺にもないから、それが普通だと思いますよ」

「赤ちゃんの時はあったのじゃもん」


「ウルフ、むくれない。青春真っただ中の乙女に無理はダメです」


 Kouが不意にむくの手を取る。

 むくは、猫がひっかくように引いた。


「むく様。その細い指に似合わない赤い絵の具はどうされましたか?」


 Kouは、知っていて聞く。

 むくの根性試しだ。


「ええ……。ちょっと」



 赤いバツへの哀しい傷は完全には癒えていないようだ。


 ◇◇◇


 八月十四日は日曜日なので、ウルフに制作を休むように促された。


「疲れていません」

「とにかく、休むのじゃ」


 甘いアイスココアを出して貰った。


「はい。休みます」


「今日こそ、河合殿に六芒星流を継いで貰わなければ。張り切るぞい」

「勘弁してくださいよ」


 ◇◇◇


 翌、八月十五日の月曜日にむくは、『アトリエ喫茶むく』を開いた。

 アトリエでノックが聞こえる。

 ご招待したのだから、お客様は分かっている。


「あ、椛さん」


 むくは、ドアを開けるとお友達だったのでほっとした。


「むくさん、お電話いただいた通り、アトリエに来たよん」


 主は、笑みで歓迎する。


「いらっしゃいませ」


 ぺこりとお辞儀をして、飲み物のあるコーナーへ招いた。

 むくは、今日は水色の水玉ワンピース、椛は、淡い桃色の丸襟シャツに薄墨のスカートとお洒落を楽しんでいる。


「何か飲みますか?」


 小さな冷蔵庫と電気ポットが備えてある。


「そうね。ミカジューで」


 みかんジュースのことだ。


「昭和が来ました、椛さん」

「すべった!」


「面白かったです。しかもあります」


 ミカジューでもてなした。


「お土産あるよ、むくさん」


 椛は、紙袋をがさがさとして、お店を広げてしまった。


「え。そんな悪いです。そんなに」


 むくは、手をぱたぱたと振って遠慮する。


「結構、カセットテープ持って来たよ。BGMにいいでしょう」


 椛がにこりとした。


「そうですね。ここ、カセットデッキしかなくてごめんなさい」

「昭和、来たー!」

「面白いです」


 花から笑いがこぼれるように二人は笑い合った。


「それで……。椛さん、お願いがあります」


 やっと用件を切り出す。


「むくさんの頼みなら、何でもござれですよ」


 胸に掌を当てる頼もしい椛だ。


「あの……」


 恥ずかしかったが、口にしてみる。


「お兄さんの神崎部長の写真を貸して欲しいです……!」

「あ、亮兄さんのね」


 むくは、こくりと頷いた。


「うん、いいけど……」


 椛が前からの疑問を投げた。


「あのさ、どうして、神崎部長としか呼ばないの?」


 むくは、どきりとして、少し顔を赤らめる。


「私は家族だからさ、例え『妹』としか呼ばれなくても、ファーストネームで呼ぶわ」

「そ、それは……」


 椛への視線を外した。


「むっ無理です」


 軽く俯いて小さな手をきゅっと握り、顔を絵の具のように赤らめる。


「恥ずかしくて難しいです」


「亮兄さんは、三國志の諸葛亮から命名されたと聞いたよ?」

「素敵です……! ご両親からですか?」


 むくは、ぱあっと顔をきらめかせる。


「うんにゃ。神崎菊かんざき きくって父方の祖母なのよ。亮兄さんは、『きくばっちゃ』と呼んでいたわ。もう亡くなっちゃったけれどもね」


 二人とも哀しげな面差しになった。


「亮兄さんと親しくなりたいの? むくさん」


 ずばりの質問に、むくは困ってしまった。

 顔があつくなっているのが分かる。


「臆せずに話し掛けたら?」


 椛ならそうするとの思いを込めて伝えた。


「亮兄さんは、朝比奈麻子なんて女のものではないのだから!」

「そうならいいですが。お二人は、モデルをなさってくれている間も仲が良さそうでした」


 むくは、奥手の上、気弱になっていた。

 男性と手だって触れたことがない。

 それすらも口にできない。


「私なら、朝比奈麻子より、むくさんの応援をするな」

「ありがとうございます。むくは、嬉しいです」


 叶わなくても、それでも良かった。


「神崎……。神崎部長には、むくの気持ちは……」


 どきどきして訊ねた。


「察していると思うわよ」


 ざしっと胸を突かれる。

 痛くて、心の臓から血が引いた気がした。


「がまんです」


 小さく自分に言い聞かせた。


 それから、学園の話やなんかをした。

 楽しく過ごすことは、不思議なことや嫌なことの続くささくれた美術部員の二人には大切だ。


「うん、ミカジュー美味しかった」


 帰り支度の椛のバッグをむくが持つ。


「祖父の手絞りです。料理が趣味なのです」


 むくは、ウルフが好きで堪らなかった。


「へえ、凄いね。ごちそうさまをお伝えください」


 むくは、ずっとずっと見送る。


「うちまで来るの?」



「アチャ! うっかりです」


 ◇◇◇


 そして、アトリエに一人、神崎亮の写真を手にしたむくがいた。


「新しく描き始めます」


 スケッチブックを、開く。


「仕切り直しです」


 神崎亮の写真をスケッチブックに固定し、鏡を用意した。


「やはり、恋人の肖像画を描きたいです」


 鏡の中を見つめた。

 うつるのは黒い髪に碧と茶の瞳のまるで三毛猫のような少女だ。

 泣くなとガラスの向こうから声が聞こえる。


「お相手は、むくです……」


 むくと神崎亮の『ジレとアデーレ』のような肖像画を目指す。

 むくの純粋さでは、完成と言う目的地に着くには、長い道程となった。


 

 未だ、鈍い痛みを覚えていたから。


 ◇◇◇


 八月の同日、Ayaは、ドラゴンに一ナノム程度まで迫っていた。

 ドラゴンは、雪を李家にぶちこんだ張本人だ。

 警察に突き出すのでは生ぬるい。

 機会をうかがって、雪の件を聞き出すのが定石だと踏んだAyaは本気だ。


「凛様、お待ちください。Kou、無事でいなかったら承知しないわ」


 Ayaもまた、鈍い痛みで唇をかんだ。



 Ayaとむくは、螺旋状DNAのように鈍い痛みに串刺しにされている。

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