第九話 鎮魂のジレとアデーレ

 翌、八月四日の木曜日、朝七時にアトリエにて美術部員に動きがあることをAyaは察知していた。

 美術部員全員のスマートフォンのデータは簡単に分かる。


「おはよう、皆」


 格好つけの亮だ。


「おはようございます」


 しっかりと椛はお辞儀をする。


「おはよう。ふあー」


 欠伸で麻子だ。


「おはようございます。お疲れ様です」


 ぺこりとむくが愛らしい。


「美術部員が全員揃ったわね」


 Ayaが少し離れた木陰から、アトリエの北窓を通して中を観察していた。

 勘の鋭いむくがいるが、構わない。

 何かあっても有利に動くように考えていた。


「やはり、四人揃うのは良いものだな」


 部長風を吹かせた訳ではないが、率直な感想だ。


「はい。そう思います」


 むくは、普段からおもねているつもりはない。

 寧ろ、自分の意見を述べているつもりだ。

 ただ、やたら反対したり、割り込んで何かをするのを得意としない。


「昨日見つけた地下室に行ってみようと思う」


 亮は、汚れたら目立ちそうなワイシャツに黒のジーンズ姿だ。

 Ayaは、亮がアトリエに入る時、その着こなしからKouを想起していた。


「わかりました」


 むくは、水色のカチューシャとカットソーにお手製のうさぎさんのエプロンを持参している。


「今日は、構わないのだな、むく」


 念を押すように亮に視線を送られた。


「はい。寧ろ、むくからお願いいたします」


 恥ずかしさもあって、むくは深く頭を下げる。

 

「んー。どうやって入るの? むくさん、亮兄さん」


 椛は、口に指を立てて考えていた。

 橙色のチュニックが似合う。


「むくは、アトリエの鍵が二つではなく、地下室への鍵の可能性を考えました」

「なら、早速使おう。はい、全会一致ね」


 赤いフレームがきらりとした。


「亮兄さん、その言葉おかしいよ。まあ、皆行くけどね」

「亮が行くなら、あたし、ついて行くう!」


 一人うるさいのがいる。

 麻子の豹柄は、論外だ。


 むくは、そろりとコンクリートの階段を三段降りた。

 黒塗りの鉄扉てっぴは階段の途中にあった。

 新しい鍵の様で、キーを差し込む。

 ぴたりと合う手応えがあった。


「気を付けて降りてください」


 むくが先を行き、懐中電灯で導く。

 そして、全員を地下室に入れた。


「む、むせるわ、ここ。ケホケホ」


 麻子に悪気はない。


「仕方がないよ、朝比奈副部長。鍵で閉ざされていたのだもの」


 椛も独特の空気に飲まれた。

 むくは、壁を手探りしている。


「ありました。明かりだと思いますのでスイッチを入れます。皆さん、暗がりからだと眩しいので、目を瞑ってください」


 むくがゆっくりと棒状の金具を起こした。

 むくは、両目をしっかり瞑っている。

 そうっと瞼を起こすと思ったよりも甘い間接照明だ。

 むくは、回りを見渡した。


 『フィンセントVincentファンvanゴッホGogh』、『クロードCraudeモネMonet』、『ジャン=フランソワJean-FrançoisミレーMillet』が、地下室に華を与えていた。

 模写ではあるが、十分その美を損なわなかった。


「この絵の為に間接照明なのですね」


 むくは、ほうっとしている。


「うん、美術館みたい! 素敵ね、むくさん」


 椛の言葉が、絵画に集中するむくには遠かった。

 むくは、絵に吸い込まれている。

 どれ位経ったのか、ひとしきり観賞すると、ふうと深く息を吐いた。


「では、参ります。皆さん、お静かに願います」

 

 むくは、細腕を壁に当てる。

 慎重に壁をノックし始めた。


「何をしているの? むくさん」

「空洞を叩いて調べています」


 隅々まで、ノックをする様にしていた。

 Ayaはそのノックの音をアトリエの木陰から耳を澄ます。

 聴力がすこぶるいい。

 

「むっくん、地味」


 麻子は、ブランドもののハンカチを見せびらかして口元を押さえた。


「それを言うなら、地道ですよね。朝比奈副部長」


 再び椛と火花が散る。


「止めろって。『妹』も口をはさむな」


 この二人は犬猿の仲で、亮も手を焼いていた。


「亮兄さん。私は、『椛』よ」


 三人をよそに、むくは相変わらず壁へのノックを続けている。


「ん……?」


 壁に耳を当て、むくは再確認した。


「この、ゴッホの『LesトゥールヌソルTournesols』……、『ひまわり』の近くで音が変わりました」


 ノックしていた手が赤くなっていたが、むくは気にせずに続ける。


「この絵を外しますね。いっしょ、しょ……」


 他の三人は、離れて見ていた。

 むくに任せてばかりだ。


「何だこれは……? むく」


 亮は、左手で口元を触り思案した。


「はい。調べてみます」


 壁の四角い溝をなぞる様に確かめた。


「約六十センチに五十センチですね。壁に一回り小さい壁が入っています。中の壁を取ってみます」

 

「そうだな。できるか? むく」


 亮は、左手で指す。


「外せると思います」

「むくさん、手伝うよ」


 にこりと自分を指差して、椛が一歩近付いた。


「助かります。椛さん」


 椛が名乗り出たので左がむく、右が椛で取り外しに掛かる。

 ほんの小さな壁だが、手を差し込んでも浮かせるのにさえ苦戦した。

 

「結構、重たいねー。むくさん」

「そうですね。置きましょう。むくの方に」

「うん、そっちに。せーの」


 秘密の壁が外れた……!

 壁に緊張して立てかける。


「中から紙に包まれた四角い何かが現れました」


 むくは、もしかしてAyaさんの手紙にあったことが、これなのかと思いを巡らせる。


「何これ? お宝?」


 椛は、口を手で覆った。


「そうかもな、兄さんはそう思うぞ」


 赤いフレームがきらりーんと光る。


「どうする皆、これを取るか?」

「亮! もみじん、むっくん。反対! 反対!」


「何をなさって……。朝比奈副部長」


 椛の目が細くなった。


「あ、あたしは反対だからね!」


 両手に力を入れて割り入って来る。


「分かったから、離れていていいよ」

「分かったから、離れていていいよ」


 亮兄さんと『妹』椛がハモる。

 Ayaはここを聞いていて、基本仲良し兄弟だと思った。

 そして、ちょっと羨ましいと感じた。


「あー。悔しい! 亮も開けたいの?」


 シャギーをくるくると弄り出す。


「仕方がないが、麻子」


 亮らしく眼鏡の中が反射で見えないおすましだ。

 とうとう、麻子は地団駄を踏み出した。


「大丈夫だよ。麻子」

「怪しい! 呪われていない? きゃあ、嫌だ」

「朝比奈さん、落ち着いてください」


 むくが頭を下げてお願いする。


「分かった。仕方がないわ。ちょっとだけ怖いからここにいてあげる」

「椛さん、むくと、開けましょう」

「そうしよう」


 二人は、先ず、取り出して壁に立て掛け、中に入っていた紙を優しく開いて取った。


「神崎部長、約四五センチに四〇センチです。これは、F8号キャンバスに見えます」


「そうよ、油絵だわ」


 椛も納得する。


「むくさん?」

「むく?」

「むっくん?」


「これは、誰の肖像画だろう」


 むくは、目をまんまるにして、この二人の『肖像画portrait』に釘付けになった。


 金が所々剥げかかった額縁の下中央に『ジレGillesuntアデーレAdele』とある。


「これが、『ジレとアデーレ』……」


 もう一度呟く。


「これが……」



 ふううーと胸の中を空にする程、長いため息をついた。


 ◇◇◇


 昨日、Ayaが見たゴッホの『ひまわり』には何も細工をされていなかったのが腑に落ちない。

 Ayaは、今にも入り込みたかったが、時期をみることにした。

 むくらは、この絵画を扱えないだろう。


 生ぬるい八月。

 凛とKouはどうしているのだろう。



 お宝をいただいたら、台湾の李家へ飛ぶ決意を拳で表していた……。

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