第八話 消えたビーナス

「慌てても仕方がないわ。ごく普通に徳川学園へ走って行きますか」


 Ayaは、Ayaの知ったことではないが、美術部で何かが起きるのを待っている。

 それが、Ayaの探し物への近道だからだ。


 夏のせいか遅い時間でもなかなか日は沈まない。

 徳川学園では、夏休みでも部活動に盛んだ。

 部活専用棟から、吹奏楽部の既に完成された音色が綺麗に響き渡っている。


「吹奏楽部、盛んで羨ましいよ。我らが美術部は、四名しかいない。いつからこんなに減ってしまったのか。二年前は幽霊部員を覗いて十名はいたのだが」


 部長の意地か、亮が苦笑いをしてぶちぶちとすねた。


「神崎部長、部活も内容です」


 むくの口癖も役に立つ。

 それもそうかと亮はにまにまと口元をゆるめた。


「おい、それどころではないぞ。麻子が、果たして美術部室にいるかだ」


 三人は、徳川学園の第一校舎に着くと三階まで一気に駆け上がる。


「美術室に居てください、朝比奈さん……!」


 祈る様に呟いた。


「はあ、はあ……。むくさんは、何故そう思うの? いつも、こき使われているのに。普通嫌でしょう? 変なあだ名で呼ぶし、意地悪っぽいよ」


 椛は、そこまで純粋になれるむくが理解できない。

 むくは、無垢なのだろう。


「朝比奈さんも大切な方です。むくは、美術部のお仕事をするのは大丈夫です。慣れています」


 そうして、にこりとするむくを見て、椛は、それがむくの優しさなのだと思うことにした。

 むくは、廊下の突き当たりの方を指す。

 美術室と美術準備室の看板と明かりが確認できた。


「美術室が見えました。カーテンは開いている様です」


「麻子!」


 切り裂くようにドアを開けたのは亮だ。

 一番に美術室に飛び込む。


「麻子! 麻子はいるか? 返事をしてくれ!」


 ただ、虚しく北窓のカーテンが夏風に揺れていた。


「神崎部長、準備室を見て来ます。美術室に『ミロのヴィーナスVénus de Miloの胸像が見当たりません」


「麻子! 僕だ、亮だ!」


 亮は、美術室を草の根を分けても捜している。


「神崎副部長ー!」


 椛にも焦りが出て来た。


「朝比奈さん、朝比奈さん」


 むくも麻子の身を案じ、声を絞り出す。


 その頃、Ayaは、部室の真下にある植え込みにいた。

 聴力もイルカ並みなので、三階の窓から筒抜けの会話など正確に拾える。


「神崎部長、準備室に朝比奈さんは見当たりません。ミロのヴィーナスの胸像もどこにも……」


 準備室で随分がさがさと捜したむくは、息急き切って隣室に来た。


「そ、そんな事はない! あの生意気な麻子が消える訳がない」


 亮は、頭を左右に大きく振る。


「麻子、隠れていないで出ておいで」


 眼鏡をずらして涙を拭った。


「神崎部長、失礼致します」


 むくは、亮の後ろでカーテンがはためくのにひらめき、北窓から身を乗り出す。


「あれは、石膏像。お二人とも、塀と校舎の間にあるのが見えますか?」


「多分、あれがミロのヴィーナスだろうな、むく」

「備品から見てそう思えます」


 むくは、美術の原田はらだ結夏ゆいか先生の手伝いもよくしていた。


「酷い。何故こんなことに……?」


 椛は、口を両手で覆う。

 そして、かすれるような音に振り返った。


「て、手紙が……。むくさん、あの手紙よ」


 椛は、麻子の長脚の上にJの洋封筒を認めた。


「そうです。これは、間違いなくあのJの封蝋のある手紙です。神崎部長、椛さん、今から開けた方がいいと思います」


「そ、そうだな。な、椛」


 亮など、どきどきし過ぎて挙動不審にさえ見える。


「そうそう、『あたしが預かる』って言ったのは、朝比奈副部長よ。副部長の権限だって」


 皆、知っている。

 手紙は、七日前に麻子に渡っていた。


「自業自得よ」


 麻子を好かない椛は、つんと鼻を高くする。


「止せよ、椛! お前が麻子の事を気に入らないのは分かるが。人を呪わば穴二つだぞ」


「落ち着いてください。大丈夫ですから。神崎部長、椛さん」


 むくは、冷静沈着だ。


「では、開封します」


 神崎兄弟は、棒立ちで、固唾を飲んだ。

 むくは、ペーパーナイフで封蝋に気を付け、すすっと切る。


「読みます」


 真新しい紙一枚に書かれていた。


 ――徳川学園美術部員の諸君へ。


 中には本物の古い手紙が入っていましたが、訳あって、この紙に記します。

 以下の場所に私達が眠っている。

 是非捜して欲しい。

 鎮魂を込めて。


    ――命を狙われし者。


「以上です」


 むくは、手紙を畳んみ封筒にしまう。


「私達を捜してか……。切ないね」


 椛が泣きそうだ。


「うん、青葉区二の三の一と言ったら、むくのアトリエがある所だな」

「はい、祖父母の住まいと同じです」


 むくは、おとなしくうなずく。


「分かった。明朝七時、むくのアトリエに集合しよう。それで明らかになる」


 亮がまとめ、今日はこれで解散となるはずだった。

 そこへ振動音が誰かから響く。


「ごめん、僕のスマホだ。えい、うるさいな」


 学園内はスマートフォンは禁止なので、画面も見ずに急いで出た。


「はい、神崎です」


 むくは、亮の様子をよく見つめていた。


「おい、何を考えてそうなった!」


 怒っているの域を越えている。


「亮兄さん、どうしたの?」

「神崎部長?」


「麻子だよ! 暗くなったから家に帰ったってさ」

「はあー、なんなの?」


 へたりこむ椛をむくが支えた。


「朝比奈さん、無事で良かったです。石膏像について伺ってください、神崎部長」

「ミロのヴィーナスは、どうした? うん、うん。描き終わったからそのままにしておいたと。鍵は、原田先生が預かっているらしいぞ」


 むくは、もう一つ、質問を頼む。


「どこかへ投げたりしなかったか? 麻子」

「うん、うん。しなかったと言っているが」


「では、何故なのでしょうね」


 むくは、疑問を抱き小首をかしげた。


「帰りに確認して片付けます」


 カナカナカナカナ……。



 ヒグラシの中、草を分け入って、むくは、ミロのヴィーナスの胸像を回収した。

 仕事なれしたものか、どこも傷のない事を確認する。

 重たいが、馴れた持ち方で運び、美術準備室に片付けた。


「誰がこんな事を……」


 拳を握る。


「誰が……」


 夏の風が、むくの中を通り抜けた。


 ◇◇◇


 Ayaは、一部始終を見ていた。

 むくに何か悪いことが起こる予感がする。


「鎮魂の絵画に秘密があることは確かね。ここが日本で悔しいわ。凛様を『盲目』にさせるなんて」


 怒りと哀しみの織り交ざった感情は、凛を救うことでしか解消できない。

 Ayaは、にゃんこっこで、Kouにある大切な調査を依頼するメールを送っていた。



 是非、調べて欲しい物と人がいる旨を――!

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