第五話 むくへの手紙

 六月二十四日正午にハンチング帽の男を見掛け、フルフェイスの女をとらえるまで、三時間かかった。

 想定内ではあったが仕事内容が膨らんでしまい、AyaはKouらが心配していやしないかと反省する。


「もう、六時前か」


 Ayaの独り言は、フランス語でされている。

 それは、同乗者に不審人物がいるからだ。

 Ayaは、ハイヤーのリアシートに捕縛した三人を乗せて、天母の富裕層が集まる一角へと流す。

 Lee観光局を訪れた。

 ここは、李家、第二の家だ。


「はあい。お久し振り。りーしん


 信は、もう六十になったばかりだ。

 髪は薄くはなく、白髪になるので、薄紫に染めている。

 スマートにスーツを着こなし、白い手袋も携行している紳士だ。


「おお、凛様の……。お懐かしい。お名前は申し上げない方がよろしいですかな」


 信は、フランス語に長けている。

 Ayaは首肯すると、リアシートの面々を信にお披露目した。


「何かございましたか?」


 信は、男一人、女二人を確認する。


「いいえ、ちょっと、お掃除を頼まれまして」


 口元に手を当てて、ほほほと笑う。


「掃除でしたら、我々がいたします」


 胸に手を当ててお辞儀をされた。


「ありがとう。手伝ってくれる? 信じい。三人に丁重にお世話をして差し上げて。そうね、先ずはこの方々のお夕飯かしら。第二仮眠室で預かってくださる?」


 信なら安心だ。

 Ayaは、凛が生後十か月の歩む時期から五歳まで多くの時間を共にしたが、留守をする際は、信が教育係をした縁がある。


「私は、こちらの方々のパスポートの偽造先を調べるわ」

「何でもなさるのですね」


「いいえー。友人にお願いするの! きゃっ」


 Ayaは、心の中ではしゃぎたくて仕方がなかった。

 それは、Kouなのよと。

 一緒にいられるだけで嬉しい存在だ。

 胸があつくなる。

 誰にも知られたくない想いだけれども、隠せないでいるのも事実だ。

 胸の奥ではしゃいで、新しいハイヤーを借り、Kouのいる李家総本山へ向かう。


九十九里浜くじゅうくりはまをずっと追いかけっこしたい気分だわ」


 ◇◇◇


「何ですって? 新しい組織Jからの封筒ですって!」


 Kouが、Jの封蝋がしてあるくたびれた封筒をAyaに渡した。

 一見して、虫食いもあり、かなり古く感じられる。


「Aya。調べてみたが、前回の組織Jの赤い封蝋に間違いがない。型が一致した」


 Ayaは、分かったと凛に断って、中の手紙を読んだ。

 奇怪な内容だとAyaは思ったが、こんな依頼は初めてではない。


「依頼先は、日本だ。飛べるか?」


 Ayaは、黙ってうなずいた。

 しばらく間があったのは、Kouと別れなければならないから。

 再び会える確証はどこにもないから。

 だから、Ayaは再会のシグナル、雨を歓迎する。

 リビングの大きな窓が中庭に面しており、号泣する雨音が聞こえていた。

 素敵な雨傘が欲しいと凛に頼むと、凛は雪に品のいいものを十数本運ばせる。

 その中から、凛がAyaに似合いの黒い地に黒い蝶の刺繍がほどこしてあるのを選んでくれた。

 骨もしっかりとして、八本ある。


「Kouの依頼に、ノーはないのよ。分かっているかしら?」


 Ayaは、傘をさしてくるりと回った。

 はい、そこで笑顔を魅せる。


「はい、はい。仰る通りです」


 少しでも別れる寂しさを紛らわせたかった。


「大根役者は、ブリのあらと一緒になればいいわ」

「いやあ、俺、ブリ大根が好物だって知っているよね」


 Kouのよく着るワイシャツの襟をつかませて貰う。


「一発殴らせて」

「イヤ。遠慮させて」


「Ayaは、Kouと仲がよろしいのう」


 痴話げんかごっこを見ていた凛が喜劇に挟まった。


「はあ?」

「はあ?」


 ここは、揃ってとぼけるしかない。

 くすりと、凛が笑ったので、三人で笑顔になった。


 七月二十六日の火曜日、早朝六時四十分、凛の身辺警護はKouに頼んで、Ayaが単身日本へ旅立った。


 ◇◇◇


 四時間後、十一時には、羽田に到着した。

 ここから東京都西区にある徳川学園町を目指す。

 同日の夕方、Ayaは、ターゲットに接触した。


「初めまして、こんばんは。土方ひじかたむく様。アヤAyaシュヴァルツSchwarzと申します。コードネームでAyaと呼んでください」


 赤いサングラスをし、全身を黒で身を包み、ドレープの素敵なスカートが風に揺れている。

 ころんとした黒の帽子を取り、胸に当てて、ゆっくりと頭を垂れた。

 耳の上にある左右のおだんごから、三つ編みが胸の前に下がる。


 カナカナカナカナ……。


 Ayaには懐かしいヒグラシが迎えてくれた。


 Ayaは、今回のターゲット、土方むくをよく観察していた。 

 むくは、ドットのある水色のカチューシャをし、肩に触れるくらいの翠髪すいはつを風から守ろうと手を当てる。

 瞳は変わっており、ヘテロクロミアで、右がすうっとした碧い瞳、左があたたかい茶だ。

 真新しいベージュのブレザー姿、箱ひだのスカートにピンクのリボンが乙女らしく似合っていて眩しい。


 徳川学園町の中核となっている徳川学園高等部一年生だ。

 この春入部したばかりの美術部が終わった帰り道、団地が立ち並ぶ中、Ayaが待ち伏せをしていた。


「私は、貴女に手紙を託されて参りました」


 Ayaは、むくに白い手紙を渡す。

 しばし、とまどいの時が流れた。


「初めまして。土方むくと申します。お間違えではないでしょうか?」


 むくは、思い切って切り出す。


「ニュースソースは、お話しできませんが。徳川学園町なか一丁目徳川第二団地四○一号室にお住まい。三月十六日生まれの十五歳。魚座のO型。祖父がドイツ生まれのクォーター。両親は、土方ひじかたれい美舞みまい。……そして、誰にも言えない秘密を持っている。むく様のプロファイルの基礎ね」


 Ayaは、そらんじた。


「はい。むくの事です」


 むくの顔を右にちょいと傾げて肯定するしかなかった。


「……」


 むくが白い手紙を確かめる。

 にじんだMの文字が読み取れた。

 透かしたり手触りで確かめる。


「封筒の中に、封筒が入っているようです」


「開封してくださる? むく様」


 Ayaは微かに口元を引き締めた。


 むくは白い手紙の封を細心の注意を払って切ると、中から古びた虫食いの手紙が出て来た。

 赤茶けた洋封筒にJの封蝋が目立つ。

 Ayaが持って来た封筒は、Kouが少し仕掛けをほどこしていた。


ジレGillesウントゥuntアデーレAdele


 声にしたのは、むくだ。


「ここに、『ジレとアデーレ』とドイツ語の宛名があります」


 むくが胸をざわざわとさせているのをAyaは観察している。


「それは、差出人です。徳川学園美術部員の方に差し出してください」


「あ、あの……」


 胸に手紙をきゅっと当てたむくの戸惑いは見てとれたが、Ayaは軽くいなした。


「むく様。それでは、失礼いたします」


 Ayaは、来た時のように去り行く。


 カナカナカナカナ……。



 ヒグラシだけが秘密を知ってしまった。

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