風邪

 夏は長いが、季節が変わる時は一気に変わる。ここ最近寒くなってきたな、と思っていたある日のこと。その日、俺はしばらく前から行っていたキョウカとの漢字の勉強を「図書館」でしていた。

最近は結構難しい漢字も読み書き出来るようになり、キョウカから課題として渡された本を読むこともある。昨夜は本を読みながら寝てしまった為、しっかりと床についていなかった。

「えーと、次の漢字は『したたる』ね。意味は水が垂れること」

キョウカがそう言って「滴る」と書いた。水が垂れること……。そういえば、昨夜は風呂に入った後しっかりと髪を乾かさなかったな……。

ちなみに風呂は集落の中心にある。大昔の先祖が作ったもので、どういう原理か知らないがお湯が沸いている。水量の調節は出来ないし、壊れたら直せないので、負荷を掛けすぎないよう風呂以外の用途にお湯を使用することは集落の掟で禁じられている。

それはさておき、今は漢字だ。滴る、滴る、滴る……。繰り返し書いていると目が回るように視界が歪む。あれ……?どうしたんだろう……?俺の異変に気がついたのか、キョウカが

「ねぇ、大丈夫?顔赤いよ?」

と訊いてきた。

「どうだろう……?」

「ちょっと額貸して」

キョウカが俺のおでこに手を当てる。そして言った。

「コウジ、あなた熱あるわよ!今日は帰りましょう」


 ふらふらと自転車を漕ぎながら帰った。警備機械に出くわしていたら逃げ切れなかったんじゃないかと思うが、幸いそんなことにはならず、家に帰り着けた。行きはちゃんと漕げていたと思うので、「図書館」で急に発症したみたいだ。

「おかえり。今日はキョウカちゃんも一緒なのか」

家で俺が前に「図書館」から持ってきた本を読んでいた親父が言った。

「コウジくん、熱があるみたいなんです。薬番のところに連れて行こうかと思って」

とキョウカが親父に言い、また外出。行先は集落の中心を挟んで反対側にあるイケザキさんの所だ。そこのご主人は集落で「薬番」の役割を担っている。

 薬番は、その名の通り薬を管理する役割だ。薬自体は「遺跡」で生きている工場から手に入るが、工場が少し奥まったところにあることや生産速度が日用品や食料よりも遅いことから少々貴重なものとなっている。その薬は適切に使えば殆どの病気に効くが、使い方を誤ると逆に健康を損ねるものだ。実際に昔、一度に大量の薬を飲んで死んでしまった人がいたらしい。そんなわけで、貴重な薬を無駄にしないよう、また適切に使用されるように管理する役割が設けられているのだ。

 ちなみに役割は、大人と認められる16歳になった男性が自分のやりたいことを宣言するか、既に役割を持っている人の元に教わりに行って得る。女性は自由だが、就く者もいる。俺は今15歳。早く考えないと行けない時期だ。

 熱のせいか色々無駄なことを考えてしまった。キョウカに連れられてイケザキさんの家に到着。

「ごめんくださーい」

キョウカの呼ぶ声に対し、「はい」という言葉と共に戸が開いた。

「あら、キョウカちゃんにコウジくん。今日はどうしたの?」

イケザキさんの奥さんだ。

「熱があるみたいなので、薬をもらいに」

と俺が言う。

「あらあら。上がって頂戴。主人を呼んでくるわ」

奥さんはそう言って俺たちを招き入れた。そして応接間へ通されると間もなく「薬番」イケザキさんが入ってきた。イケザキさんはいつ見ても白い服を着ている。今日も着ている。

「コウジくん、熱出したんだって?どれ、見せてみなさい」

さっきキョウカがしたように俺の額に手を当てて、

「うん、あるね」

と言った。それから、

「他に症状は?」

と訊いてくる。熱以外に症状は無いのでそう言うと、

「ま、風邪でしょうな。薬持ってくるからちょっと待ってて」

とイケザキさんは部屋を出て行った。

「薬で治る風邪で良かったわ」

キョウカがほっとしたように言う。そんな大げさな、と思ったが、キョウカには違うらしい。

「薬でも治らない病気はあるのよ?それだったら私どうすればいいのよ……」

それは誰にもどうしようもないんじゃないかな、と思ったが、これは口に出さなかった。


 イケザキさんから薬を貰う。錠剤が一錠、袋に入れられている。

「明日には治るから、しっかり寝るんだよ」

と釘を刺された。寝ないのがいるのだろう。

 玄関で靴を履いていると、リョウタくんとリョウジくんが来た。イケザキ家の兄弟だ。リョウタくんが10歳でリョウジくんが8歳だったか。

「コウジ兄ちゃん、風邪引いたんだって?」

「薬飲んで寝ろよ」

と言ってくる。先がリョウジくん、後がリョウタくんだ。

「ああ、そうするよ。ありがとうな」

俺はそう言い、キョウカとイケザキ家を辞した。


 俺の家の前でキョウカと別れる。キョウカは後でお見舞いに来ると言っていた。

「おかえり。水と着替え、用意しておいたぞ」

親父の言葉でテーブルを見ると、コップに注がれた水と水枕に濡れた手ぬぐい、そして寝巻が置かれている。

「『遺跡』から食料と水取ってくるから」

そう言い残し、親父は出かけていった。

 コップの水で薬を飲み、寝巻へ着替えて床についた。おでこには濡れ手ぬぐいを乗せ、頭の下には水枕。ひんやりしていて気持ちいい。しかし、昼間から寝ていても眠気は来ない。さりとて起きるのもどうかと思うし、暇だ。最近は漢字の勉強が多かったので、暇な時間は久しぶりだ。

薬番の仕事を目の当たりにしたからか、俺は役割について思いを馳せる。自分のこともそうだが、それ以上に親父のがなんなのか気になった。そういえば訊いたこと無かった。親父がやっていることといえば発電機の修理だけである。まさか、それが役割……?確かにやりたいことをやれるので、あり得ない話ではないと思う。まぁ、後で訊いてみよう。自分はどんな役割に就こうか。最近は漢字を読めるようになってきたとはいえ、難しいのは無理だろうなぁ。それこそ薬番とか。医者も無理だろうな。風呂番とか?うーん……。キョウカはどうするんだろう。その気になれば何にでもなれる気がする。それこそ、薬番とか、医者とか。まぁ、これも後で訊いてみよう。

ぐるぐると考えている内に、家の戸が開く音が聞こえた。親父が帰ってきた様だ。もう結構な時間が経ったのか。部屋の扉を開けて親父が入ってくる。その後ろにはもう一人。

「外でレイジくんに会ったよ。コウジが風邪だと伝えたらお見舞いだって」

レイジさんはムカイさんのところの次男で、俺の二歳上。今は森番の一人だ。

「お見舞いありがとうございます。今日は森番の役割お休みですか?」

森番は複数人おり、日替わりでやっている。

「うん。僕は昨日やったから」

レイジさんが頷き、言う。

「そうなんですか」

「コウジくん、具合はどうだい?」

「薬を飲んだので今はそんなに悪くないです」

「そうか。その顔色だったら大丈夫だろう。じゃあ、僕はこれで。お大事にね」

そう言うとレイジさんは帰って行った。

 入れ替わるようにしてヨシコちゃんとスズちゃんが来た。ヨシコちゃんはイノウエさんのところの長女、スズちゃんはウメダさんのところの次女だ。二人とも13歳で同い年ということもあり、仲が良い。

「さっきキョウカちゃんから聞きましたよ。風邪大丈夫ですか?」

ヨシコちゃんが尋ねる。

「熱があるけど、今はそんなに体調悪くないかな。来てくれてありがとう」

「そんな、いいですって」

「キョウカに会ったんだ」

と俺が言うと、今度はスズちゃんが

「ん……。何か、用意しているみたい、だった」

と答えた。

「あたしたちは手ぶらなんですけどねー」

ヨシコちゃんがあっけらかんと言う。俺は気にしないが、他では言わない方が良いんじゃないか。まぁ、相手を見て言ってるとは思うが……。

「用意、か……」

「何しているかまではわからなかった、けど……」

スズちゃんが消え入りそうな声で言う。

「まぁ、すぐに終わりそうな気配でしたよ?」

ヨシコちゃんが付け足した。

「そうか、ありがとう」

それから少し話して、

「それじゃあ、あたしたちは帰りますね」

「お大事、に……」

そう言って二人は出て行った。

 一人になると、今まで人がいた分寂しさを覚える。感傷に浸っていると、キョウカが来た。「ごめん、遅くなって」

「いいよ、別に。むしろ感謝したいくらいだ」

今日はキョウカにお世話になりっぱなしだ。いや、いつもか。いずれ、このお返しはしないといけないな、と思う。

「あのね、お花を摘んできたの」

キョウカはそう言うと黄色い花を見せてきた。綺麗な花だ。

「そんな、いいのに」

「いいじゃない。コウジの部屋、彩り無いし。花瓶取ってくるわね」

そう言うとキョウカは親父から花瓶を借りてきて、俺の机の上に飾る。

「これでよし、と」

花のおかげか、部屋が明るくなった気がした。

 キョウカに役割について尋ねようと思っていたことを思い出した。

「そういえば、キョウカは役割に就くのか?」

「うーん。まだ悩んでいるのよね」

「キョウカなら何でも出来そうだけど」

「そうかな。まぁ、『儀式』まではまだ時間あるし、もう少し考えてみるわ」

などと話していると、部屋の戸が開き

「コウジくん、大丈夫~?」

「コウジ、具合はどうだ?」

と言いながらレイさんとユウキさんが入ってきた。レイさんはウメダさんのところの長女。さっきのスズちゃんの姉だ。ユウキさんはニシジマさんのところの長男である。レイさんが17歳、ユウキさんは19歳。

「レイちゃんにユウキさん、今日も一緒なんですね」

キョウカがからかうように言った。

「それを言うならキョウカちゃんとコウジくんもでしょう?」

とレイさん。

「コウジが熱出したってさっき聞いたんでお見舞いに来た」

ユウキさんが言う。

「ユウキさんにレイさん。ありがとうございます。熱はありますが、それ以外は大丈夫です」

俺はそう答える。

「そうか。それは良かった」

「ユウキくん、コウジくんが風邪って聞いて凄く慌ててたんだから~」

「ちょっ、レイ!それは言わない約束だろ!」

二人の会話に、

「やっぱり仲良いですね」

キョウカが言った。そして、チラッと俺を見た。レイさんが微笑んでいる。

「最近、何か変わったことはあったか?」

コウジさんが俺たちに尋ねる。

「今、キョウカから漢字を習っているんです」

「そうかそうか。役割の幅も広がるし、良いんじゃないか」

そうだ、コウジさんに訊いてみよう。

「コウジさん、役割ってどう選びましたか?」

コウジさんの役割は掃除番だ。長らくいなかった役割だったが、久しぶりにコウジさんが就いたのだった。

「ん?俺は道に落ち葉なんかが落ちていたのが気になったからだからなあ……」

「どうしようか悩んでいるんですよ」

「まぁ、自分のしたいと思ったことをすれば良いんじゃないか?やらなきゃ飢えるとかってものでもないしな」

「なるほど……」

そこにキョウカと話していたレイさんが言う。

「でも、ユウキみたいに忙しい役割だと大変よ~?自由な時間が減るし~」

レイさんはユウキさんの方を見ていた。

「そうですよね。まだ時間があるので、色々考えます」

「それがいい。それじゃあ、そろそろ俺たちはおいとまさせてもらうよ」

「お大事にね~」

そう言い残し、来たときと同じように二人で出て行った。

 またキョウカと二人っきりになる。

「そろそろ私も帰ろうかな。あ、濡れ手ぬぐい替えてくるわね」

「ああ、ありがとう」

温まっていた手ぬぐいが替えられ、ひんやりとしている。

「ちゃんと治して、また明日から二人で漢字の勉強しようね」

キョウカもそう言って帰った。気がつくと空が赤くなっていた。


 翌朝。

「うん。熱は無いな」

親父が俺の額に手を当てて言う。薬がちゃんと効いたみたいだった。朝食を食べて、必要なものを持ち「遺跡」へ。今日も「図書館」で勉強だ。

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