学校
ある日の昼下がり。俺は意を決して言った。
「キョウカ、漢字を教えてくれないか?」
場所は「遺跡」の「図書館」。ヤマナシのおばさんからキョウカが出かけていると聞いてきた。
「コウジ、本気なの?」
キョウカが真剣な声で言う。当然だろう。これを引き受ければ少なくない時間が拘束されるのだ。それに対し、俺は一言、
「うん」
と言った。するとキョウカは満面の笑みを浮かべる。
「わかったわ!私が教えましょう!」
……やけにテンション上がっているように見えた。
「それじゃあ、早速ノートと鉛筆を取りに行きましょうか」
キョウカの言葉に首肯し、二人で「図書館」を出る。キョウカはここで俺に教えるつもりのようだ。筆記用具は家にあるが、「遺跡」の中にいるなら「集落」へ戻るよりも日用品生産施設へ行く方が早い。入口に止めていた自転車を取り、エレベーターに乗る。行先は五層。食料生産施設と同じ層にある。
五層に付き、自転車でしばらく走ると日用品生産施設に着く。食料生産設備が一つの物しか作らないのに対し、こちらは生活に最低限必要なものは何でも作っているからかなり大きい。建物内の廊下も自転車で移動しないといけない程だ。
やがて、キョウカは一つの扉の前で止まった。中には食料生産設備と同じようにベルトコンベアが設置されている。流れているのは鉛筆だった。何本か取ると次の部屋へ。同じようにしてノートと鉛筆削りを調達した。
「これでよし、と。戻るわよ」
キョウカの言葉に俺は頷いた。
「図書館」に戻るエレベーターの中。唐突にキョウカが尋ねてきた。
「でもなんで急に漢字の勉強をする気になったのよ」
「他にすることないし、キョウカが漢字の勉強しろっていつも言うから」
親父も言ってたな、そういえば。
「ホントかなぁ」
「本当だって」
「図書館」にて。
「それでは、漢字の授業を始めます」
キョウカの口調が急に変わった。
「それは一体何の真似?」
俺が訊くと、キョウカは言う。
「学校の先生。本で読んだのよ」
「学校?」
先生という呼称は、親父が前に本を読みながら言っていた気がする。確か、偉い人に対して使うものだったと思う。しかし、学校ってのは聞いたことが無い。
「そう。学校」
キョウカは続けて言った。
「昔は私たちくらいの年齢の子供が一カ所に集まって勉強していたんだって」
「へぇ……」
俺たちが必要なことを学ぶときは親や集落の大人に教わる。俺がキョウカに漢字を教わっているように。まぁ、今回の相手は大人ではないか。
「それでね、学校の先生ってのは子供たちに勉強を教えていた人のこと」
「なるほどな。確かにキョウカが『先生』だ」
相手は一人だが。
「じゃあ、初めはこの辺りからかな」
そう言ってキョウカはノートに「一」「二」「三」と書いた。
「これの左から順に『いち』『に』『さん』ね。数字の」
「なるほど」
これは簡単だ。数の分だけ横棒が並んでいるだけなのだから。続いて、「四」「五」「六」「七」「八」「九」「十」と書く。
「そして、これが左から順に『よん』から『じゅう』」
この辺りも流石になんとなくわかる。
「じゃあ、ノートに書いてみて」
「はい」
キョウカに言われたように文字を真似して書く。なかなか上手く書けたんじゃないかと思ったが、見せると
「まぁ及第点ね」
と言われた。文字を書く練習も必要なのだろうか?
次に教えられた漢字は「山」「川」「木」「林」「森」だった。今度の漢字は読み方が複数あって覚えるのが少し大変そうだ。木や森、林は集落の周りにあるので簡単にわかったが、山と川というのはいまいちわからない。
「『山』っていうのは、地面が周りよりも高くなっているところ、かな?『川』っていうのは水が常に流れているところ、だと思う」
キョウカの説明もあやふやだ。集落の周辺に山も川も無いのだ。雨が降ると水が「遺跡」の方に流れていくから高低差はあるのだろうが、山と呼べる程のものではないと思う。そして、集落周辺からそのようなものは見えない。知る限り常に水が流れている場所も無い。昔にはあって今は無いのか、今でもあるところにはあるのか……。
しばらくの間漢字をひたすら書いていた。気がつけば日が傾いている。
「今日はこの辺にしましょうか」
キョウカが言った。
「そうだな。そろそろ帰ろうか」
俺たちは帰り支度を始める。
「あ、そうだ。明日は今日教えた漢字を覚えているか試験するから、復習しておいてよね」
キョウカの突然の発表に俺は慌てふためいた。今夜はろうそくが必要なようだ。
その晩。教わった漢字を復習し床についた俺は夢を観た。
「……っと、ちょっと起きて!」
「うん……?」
俺は椅子に座っていた。目の前には小さな机があり、周りを見渡すと広くない部屋に年齢が近いように見える子供が何十人もいる。皆、俺と同じように座ってこっちを見ていた。笑っている奴もいる。集落で俺と同い年なのはキョウカだけだし、その前後を合わせても両手の指で数える程しかいない。こんなにたくさんの子供に囲まれているのは初めての経験だ。
「聞いてるの?カミアリヅキ君」
「え、あ、はい」
最初に掛けられたのと同じ声で呼ばれた。声の主は部屋の前の方にいた。キョウカだ。
「それじゃあ、キョウカショの80ページから読んで」
「はい」
答えてから机に置かれていた本を広げ、80と書かれた場所を探す。急いで開くと、知っている平仮名と教わったばかりの漢字の中に知らない漢字が混じっている。それも少なくない数。読んで、と言われたがどうしようか。とりあえず出来るところだけでも……、と思い読み始めた。
「――それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還かえって来る。……」
……あれ?読める……?知らないはずの漢字の読み方がするすると出てくる。不思議な経験だった。これは一体どういうことなのだろうか?俺は戸惑いつつ、キョウカが「そこまで」と言うまで読み続けた。
その後、他の人が続きを読んでからキョウカが解説を始めた。この辺りになると、なんとなく状況を理解し始める。これは学校だ。昼間、キョウカが言っていた学校というものなのだろう。わかった、これは夢だな。
しかし、夢とは認識すると覚めるものである。今回も夢だとわかった瞬間に目が覚めた。外が薄暗いということは日が昇ってからしばらく経っているのだろう。俺は夢で観た漢字を忘れきってしまう前にノートに書いた。……まぁ、一つだけだったが。
昼過ぎ。今日も「図書館」で漢字の勉強だ。そこでキョウカに昨夜観た夢の話をした。
「へぇ……。本の描写からするとそれが学校だと思うわ」
「やっぱりそうか。なんでこんな夢を観たんだろう」
「やっぱり、昼に話したからじゃない?」
キョウカはそう言う。
「じゃあ、昨日の漢字の試験をするから、最後にもう一回確認して良いわよ」
その言葉で俺はノートを開く。すると、朝書いた漢字が出てきた。
「あ、そうだ。夢の中で観た漢字があるんだけどさ、なんて読むの?」
キョウカに訊いてみることにした。
「ん?どれどれ……。ああ、これは『たび』ね。良い漢字だわ」
「なるほど……」
何故その漢字を覚えていたのか。その理由を考えずにはいられなかった。
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