この黄昏の世界で
19
日常
俺の一日は夜明けと共に始まる。一瞬明るくなった後、再び暗くなった頃にベッドから這い出した。今日は先に親父が起きているようだ。
「おはよう」
と挨拶した後、俺は朝食の用意をした。用意と言っても、昨日取ってきた食料を並べるだけだが。
「いただきます」
そう言って食べ始めると、親父もリビングに入ってきた。母親は俺が小さい頃に亡くなった。記憶に無いので、寂しいと思ったことはない。
「親父、今日も『発電機』の修理?」
「ああ。電気が使えたらもっと便利になる」
親父は「電気」に夢中だ。俺にはそれがどういうものなのかわからない。なんでも、旧時代の設備はそれで動いているらしいが。
「電気があったらどう変わるのさ」
「ずっと光を得られる。画期的だぞ」
「そんなに電気を使いたかったら『遺跡』に住めば良いじゃん」
「あそこは設備が生き残り過ぎているんだよ。知ってるだろ?」
勿論知っている。日用品や食料の生産施設や浄水設備が生きているのはありがたいが、警備機械も生きているのは厄介だ。アレに捕まると面倒くさいことになる。親父が言っているのはそのことだろう。
「で、今日は食べ物取ってくるだけでいいのか?」
「いや、『図書館』に寄って機械に関する本をいくつか持ってきてくれないか」
「それは良いけど、たくさんあるからどれ持ってくればいいかわからないぞ」
「『猿でもわかる発電機』があったら助かる」
「何かに書いてくれ」
俺は平仮名と片仮名しか読めないので、本を探すには題名を書いてもらうしかない。
「後で渡す。コウジ、漢字も勉強しろよ」
「漢字使うことなんかないだろ」
そう言って俺は食べ終えた後の始末を始めた。
身だしなみを整え、自転車に空の容器と収納ケースを据え付ける。親父から題名の書かれた紙を受け取り出発。
集落の通りを走っていると、三軒隣のヤマナシ家のおばさんから声を掛けられた。
「コウジくん、今から『遺跡』に向かうところ?」
「そうです」
「うちのキョウカにお弁当持って行ってもらいたいんだけど、頼めるかな?」
「ああ、良いですよ。今日は『図書館』にも寄るつもりだったんで」
「ありがとう!お願いするわね」
そう言っておばさんは布に包まれたバスケットを渡してきた。自転車の収納ケースに入れて、再びこぎ出す。
集落から「遺跡」までの道のりは舗装されていて快適だ。ずっと昔の人が行ったらしい。これが駄目になったら直せないだろう。昔の人に感謝しつつ走ることしばらく。「遺跡」の端に着いた。
俺たちが「遺跡」と呼んでいるものは、遙か高く幾層にも及ぶ立体都市だったもの、らしい。既に人は住んでいないが、先にも言った通り、簡単な生産設備やそれらを動かす電気は生きている。俺たちはそれらのおかげであまり苦労することなく暮らせている。
「遺跡」はとてつもなく大きい。集落から見て東にあるが、これのせいで陽が高く昇らないと日光を得ることが出来ない。集落に生まれたものは誰しもが一度は疑問に思うことだが、何故昔の人々はこれを放棄したのだろうか。それを示す伝承は伝わっていないので、誰にもわからない。
「遺跡」に入る。まぁ、一層の高さがかなりあるので、少し暗くなる他は外と変わらない。「図書館」は三層、生きている食料生産施設と浄水施設は五層にあるので、エレベーターまで行かなくてはならない。エレベーターは層を支える柱の内部にある。一番近くの柱までの直線上には警備機械の詰め所があり、その前を通るともれなく追いかけられることになるので避けなくてはならない。
警備機械は、「遺跡」の治安を守る為のものと言われている。俺のような、「遺跡」の住民でない者がいると追いかけて捕まえるようだ。捕まると厄介なのでなるべく避けたいが、まれに巡回しているものと出くわすことがあり、面倒だ。
エレベーターまでの迂回路を自転車で走る。路面の舗装も周りに立ち並ぶ五階建てくらいの建物も綺麗だ。それは「遺跡」の修繕機械が維持しているからだ。今日も稼働しているのを見かけた。修繕機械が稼働しているところを見ない日が無いので、どこかに機械の修理施設もあるんじゃないかと思う。俺が知ったところで何にもならないので、探さないが。
遺跡に入るまでと同じくらい走り、エレベーターに着いた。直径が俺の家の長さの何十倍もあるような大きな柱の周りをエレベーターの扉が取り巻いている。どれも稼働しているので適当に選んでボタンを押した。扉が開き、自転車ごと乗り込む。3、と書かれたボタンを押した。エレベーターの使い方は、集落の人間なら誰でも知っている。正しく生命線なのだ。
三層に着いた。「図書館」はエレベーターの目の前にある。入口に一台自転車が止められていたので、その横に止めた。
「図書館」の幅は狭いが、奥に長い。入口から一番奥の壁を見ることが出来ない程だ。建物の中は電気で照らされ、明るい。親父はこれを集落に再現したいのだろう。昔の人は集落にも発電機とやらを設置し、電気を生み出していたらしい。親父が目指しているのは、故障し放置されている発電機を修理し、動かすことだ。
行きがけの頼まれごとと入口の自転車からわかっていたが、親父の本探しの助っ人を得られそうだ。
「おーい!キョウカ、どこだー?」
俺は助っ人の名前を大声で叫ぶ。すると、少し奥の方から
「ここだよー!」
と返事が返ってきた。聞こえた方に足を向ける。しばらくすると少女の姿が見えてきた。
「キョウカ、これおばさんから。弁当で持たせないと昼食食べないだろ」
「ありがとう」
彼女の名前はヤマナシキョウカ。よく「図書館」まで通い、本を読んでいる。
「今日は何読んでるの?」
「ん、これ」
キョウカは俺に表紙を見せてきた。「ハックルベリー・フィンの……」、漢字は読めない。
「ぼうけん、ね。漢字の勉強しなさいよ」
「本読まないから困らないし。それ、どんな内容?」
「ハックルベリーって少年がアメリカってところを冒険する話よ。わくわくするわ」
キョウカは遠くへ行くことが夢だ。それは集落が嫌いということではないそうだが、昔の言葉でいう「旅」というのをしてみたいらしい。しかし、彼女には「旅」に出る為の道具も技術もないので、図書館の本を読み思いをはせることで我慢しているそうである。キョウカが「コウジにだけだからね」と言って教えてくれたことだ。
「今日もおじさんの本探し?」
キョウカが訊いてきた。
「ああ、うん。手伝って欲しいんだけど……」
「しょうがないわねぇ。題名はわかるの?」
俺はキョウカに題名を見せる。
「『猿でもわかる発電機』……?ああ、それなら多分こっちね」
そう言ってキョウカは歩き出す。俺はそれに付いていった。少しして本棚の前で立ち止まる。
「えーと……、あったあった」
キョウカが本を抜き出し、俺に渡す。ここら辺もどうかしら、と言ってもう何冊か抜き出し、それらも俺に渡してきた。
「ありがとう。助かったよ」
「『図書館』の本の並びには規則性があるんだから、覚えなさいよね」
痛い言葉だ。キョウカは覚えているだけに、何も言えない。
「キョウカは親父みたいに本を家で読まないのか?」
「私のは物語だから。家だと気が散るからここの方が良いのよ」
「そうなのか。じゃあ俺は行くけど、暗くなる前に帰れよ」
「言われなくても分ってるわよ」
本を収納ケースに入れ、再びエレベーターへ。次は五層の食料生産設備と浄水施設へ向かう。
エレベーターから降りて自転車を漕ぐこと少し。食料生産施設に着いた。その横が浄水施設なので、その点は楽である。収納ケースを持ち、建物に入り奥へ進むと親父がベルトコンベアと呼んでいた機械が見えてきた。ベルトコンベアには常に大量の食料が絶え間なく流れている。集落の食を支えてなお余りある量だ。これのおかげで俺たちは何もせずに生きていけるのである。消費されなかった食料は廃棄されている様だ。少々勿体ない気がするが、施設の機械の操作方法を誰も知らないのでどうしようもない。
食料を収納ケースに詰め込み、浄水施設へ。こちらも貯水槽へ絶え間なく綺麗な水を流し、捨てている。容器に汲み上げ、「遺跡」での仕事は終わりだ。
満タンになった容器と収納ケースを自転車に据え付け、出発。重さで自転車がふらふらするが、もう慣れた。エレベーターで一層へ降り、「遺跡」の外へ走る。
それが見えたのは建物の角を左折する時だった。何気なく右も見ると、そこには警備機械が。びっくりして俺は自転車を漕ぐスピードを上げた。
警備機械に捕まるとどうなるか。以前捕まったことのある集落の住人から聞いた話によると、まず気絶させられるそうだ。彼が目覚めると薄暗い個室におり、腕には布が当てられていた。採血されたのだろう、と彼は言っていた。個室に光の変化は無く、時間感覚が亡くなった頃に彼は着の身着のまま「遺跡」の外へ放り出された。彼が持ってきていた荷物は見つかっていない。彼が帰ってきたのは集落から出て四日後のことだった。
そんなわけで、警備機械には捕まりたくないというのが集落の住人の総意だ。幸いなことに、警備機械は足がそんなに速くない。親父曰く、経年劣化と言っていた。なので、自転車ならば逃げられる。機械は「遺跡」の外には出てこない。ふらふらする自転車を操り、「遺跡」の中を駆け抜けた。
集落に帰り着くと、既に日光を浴びられる時間だった。
「ただいま」
「おう、おかえり」
そして、俺と親父は昼食を食べた。朝食と同じである。
その後は親父の発電機修理に付いていった。それは集落の端にある。丁度「遺跡」への道の脇だ。
親父は発電機の側で俺の持ってきた本を読み、俺はその隣でひなたぼっこ。
「そういえばキョウカが言っていたんだけど、昔は自動車ってのがあったらしいな」
「ああ、自動車か。発動機ってのが付いていて、それで電気を作っていたらしい」
「親父は何でも電気に繋げるな」
「いや、そういうことじゃなくてだな……。前に読んだ本に書いてあった」
「ふーん……」
本、か。読む気は無いが、少し気にはなる。
「親父、本ってさ、面白いの?」
「ああ、面白いぞ。知らないことを知るのは楽しいことだ」
「ふーん……」
その後、親父は本を片手に発電機をいじっていた。日が傾き、空が赤くなった頃。
「コウジ、帰るぞ」
「うーん、先帰ってて」
「そうか。暗くなる前に帰れよ」
親父が先に帰った後も、俺はしばらくそこに佇んでいた。空に一番星が輝く頃、「遺跡」の方から自転車を漕ぐ音が聞こえてくる。
「あれ、コウジだ。どうしたの?」
キョウカだった。
「いや、別に。もう帰るよ」
そう言うと彼女も自転車から降りた。
「なあ、本って面白いのか?」
俺はキョウカに訊いてみた。
「面白いわよ。知らないことを知ることができるし」
「ふーん……」
「何、本読みたいの?漢字教えよっか?」
「いや、そういうわけではないんだが」
「なんでよ!」
キョウカと言い合いながら、俺は漢字の勉強をするのも良いかな、と少し思った。
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