第43話・黄昏の魔女

 こんな事は、それまで一度も無かった。心配になった黒猫セラフィーノは、彼女の魂の匂いを追いかけた。辿り着いたその場所には、彼女の身体が横たわっている。今にも消えそうな生命を前にして、彼は立ち尽くした。小さな声で、囁くように言葉をこぼす。


「なぜだ…なぜ俺を呼ばなかった…─」


「来て…くれたじゃないか、良いんだ…コレで…この魂、もう、喰らっていいよ…」


 腹部を刺されたであろう血塗ちまみれの彼女が、手を差し出していた。数十年という時間は、悪魔であるセラフィーノにとって、ほんの少しの短い時間だ。それでも、絶望を知ったあとの彼女と過ごした日々は、あまりに特別だった。握った手で傷を癒そうとするセラフィーノの手を、今度は力いっぱいこばむ、そうして、彼女は死んだ。この瞬間まで自覚は無かったが、生まれて初めて愛した者の死を前に、悪魔が決して流してはならない涙を、セラフィーノは流した。


「真日留、真日留、お前を…愛してた」


 砂のように崩れていく自分の身体を見ながら、最期の口付けをして、彼の生命もまた、その世から消え去った。それからどれほどの時が経ったのか、先に生まれ変わったのは、セラフィーノだった。場所は長谷寺の故郷と同じ、犯罪都市アズミラだ、不老不死種族の吸血型魔人として生まれついた時から自分に足りない何かを探し続けていた。あらゆる世界ページを渡り歩き、何千年、何万年と時が経ち、いつしか何を探していたのかも分からなくなった頃、ようやく彼は出会う。色白で華奢な体格、腰まである金色の長い髪に、切れ長の仄暗い黒眼、何故かは分からずとも、既視感があった。何を口にすれば良いのか分からず、人型のまま立ち尽くしていたセラフィーノの姿を見た瞬間、九埜は彼の名前を呼ぶ。


「セラ…?」


 遥か昔に、呼ばれ慣れていた名前だった。その声を聞いて、弾かれたように彼女の元へ走り寄ると、細い身体を抱き締める。ずっと探していた足りなかった何かに、ようやく出会えたとセラフィーノは確信した。九埜は、涙を流しながら自身を抱き締めてくる男のことを、忘れた瞬間など無かった。人間を憎み、呪い、殺し、絶望した彼女は、この世界ページで生まれ育った、魔物として。嵐堂学園を含む暗黒街や工業地帯、様々な場所で、昔から都市伝説として語り継がれてきた[黄昏たそがれの魔女]、それが生まれ変わった九埜に付けられた通称つうしょうだった。


 彼女は、彼と再び出会えるとは思っていなかった。あの一生きりの事だと思い込んでいたのに、彼はまた自分の前に現れてくれたのだと、優しく抱き締め返す。九埜が死んで、次に目覚めたところは、この世界ページにある工業地帯の路地裏だった。前世の記憶を丸ごと持ったまま生まれた彼女は最初、自分に何が起こったのか理解できないでいたが、時折とても不思議な力を使えることは分かった、自身が人間でないことも。


 歩けるようになるまでは人を魔力で誘い込み、見た目の悪さに吐き気をもよおしながら、味のいその肉を喰らって、たまに来る空腹をしのいだ。家族も親戚も知人もおらず、住む場所も着る服も何一つ持って生まれなかった彼女は、喰らった人間の服を着回し、廃ビルを住処すみかにして都市伝説となった。夕暮れ時にはその近辺へ近寄ってはならない、人喰いの魔女にたちまち喰らわれてしまうと。


 あっという間に数十年が経ち、九埜は気づいた。自分の身体が、どうやら成人して間もない頃から変化していない事に。不老の身か、と納得したが、さらにときが過ぎても死ぬ様子がない。自分には失うものなど何も無いと思い至った彼女は、最後の確認作業を実行した。廃ビルに散らばっている細長いガラス片に布を巻き、激痛に耐えながらソレを腹部に深く刺し込んでいく。確実に臓器を傷つけただろう場所まで到達すると、ひと息にガラス片を引き抜いた。仰向けに倒れた九埜は腹に手をやっていた部位を撫でようとしたが、傷口はすでに綺麗に塞がっている。不死か、と、それも自覚して虚しい気持ちをぬぐえないままシャツを着替え、外をブラついていたらセラフィーノが目の前に現れたのだ。運命だと、二人は確かに感じた。





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