第37話・紫陽花の髪留め

 朝の八時、高山が眠りから覚めた。懐かしい夢を見て、珍しく優しげな笑みを浮かべると、いつの間にか自分の膝をまくらにして寝ている長谷寺の、その闇色の髪を撫でる。部屋に広がる美しい黒髪を見詰めながら[あの時の髪留めはどうなっているのか]と、不意に思った。朝日がし込む部屋のすみのほうに、何となく視線をやると其処そこには、寝る前にストラーナから聞いた、酒城兄弟へ届けるべきアクセサリー型の装置が入っているだろう、小さな箱が二つ置いてある。取り敢えず長谷寺を起こさなければと、その耳元で名前を呼んだ。


「紫陽花、起きて」


「──…おはよぉ」


 スッと彼の目蓋まぶたが開いて、妖しく光りながら揺れる極彩色の眼が高山の姿をとらえると、長谷寺はゆっくり身体を起こして伸びをする。そこで、[そういえば]と夢で思い出したことを伝えてみれば、彼はふんわりと微笑んだ。


「宝箱に入れてるよー、持ってるとなくしちゃう」


「じゃあ、僕が付けてあげる、僕だけが外していいっていう約束にしない?」


「する!!!」


 もう二百五十年も昔のことだが、二万年前の大戦後に、人間の代表サリファノ・ルーデ王と魔物の代表である神王ティード・マルファスが交わした盟約めいやくによって、魔物達が天上世界に住んでいる人間たちの革命軍に力を貸した事があった。それを絶好の機会と見た長谷寺は、喜びいさんでコッソリと天上世界へ行ったのだが、着いた途端に迷子になって歩き回っていたら、偶々たまたまジャケットの胸元にブローチとして付けていた髪留めが、森の木に引っ掛かっていつの間にか無くなってしまっていた。


 彼が、面白そうだから乗り込んでみようとしていた革命戦争は、魔物達が暮らす地上世界にある巨大な学園都市、黒聖こくしょうレイズナーダで使われる歴史の教科書に記載されている[天上五島革命戦争]だった。終戦後、天上世界では[黒森こくしんの島]と呼ばれ魔物と神々しか通れない永久魔法陣が展開されている其処そこで、長谷寺は二十年ほど、生まれて初めて貰った大切な髪留めを、泣きながら探し続けていた。全く見掛けなくなった長谷寺を心配した高山が、せかいの創造主に彼の行方ゆくえを教えて欲しいと頼みに行くと、他の世界ページへ行った痕跡こんせきはどこにも無かったが、文喰いが焦った様子で罪創りを探すという余りにも珍しい出来事に、創造主はすぐ対応した。


 そして、いつも当てなくフラフラしている長谷寺が、二十年もの間[黒森の島]にいる事が分かった。何かがあったのだろうと急いで高山がその島へ行くと、突然、彼の泣き声が耳に届く。走って長谷寺の元へ向かう途中、嗅ぎなれた匂いを鼻が嗅ぎ付けて其方そちらへ視線をやると、決して忘れない美しいデザインの髪留めが、木の枝に引っ掛かっていた。


高山は神域級の獣人だ、他の神々に勝るとも劣らない嗅覚と聴覚を持ち合わせている。彼は[もしや]と、この島に長谷寺が居続けた理由に行き着いて、嬉しさで髪留めをしっかり握り締め駆けていき、それを彼の手にそっと置いた。髪に付けていれば、絶対に外れないのだが、その時は胸元に付けていた。そういう事はまたあるかも知れないと考えた長谷寺は、二度と失くすまいと決意して大事なものを入れるストラーナ作の特別な宝箱に仕舞ったのだった。


「持ってくるねっ!」


「紫陽花、髪持ってあげる、ちょっと待ってねー」


「はぁい」


 長谷寺の長い長い闇色の髪を手繰たぐり寄せ、ついでに酒城兄弟へ持っていく二つの箱も回収すると、高山と彼は共に一階上にある部屋に入る。高山が髪と箱を手にしたままの状態で、長谷寺が隠しているつもりでいる宝箱を、棚から手に取ってテーブルに置き、ゆっくりふたを開けて髪留めを取り出した。宝箱の蓋を閉めると、高山が持ってくれていた自分の髪と、箱二つを床に置いたのを確認して、髪留めを嬉々として彼に渡す。ニコニコと笑っている長谷寺に苦笑しながら、高山はそっと彼の側頭部に髪留めを差し込んだ。




.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る