第6話・禁忌

 普段の迅ならば、なんら色気の〝い〟の字も感じないような格好にしか見えないだろうが、長谷寺の持つ[意義いぎ]が、誰の目をもきつけてせずにかない。欠伸あくびをしながらびをした彼は、スンスンと鼻を鳴らすと、食欲をそそる匂いをぎつけた。


「ねぇねぇ迅ちゃん、朝ごはん?」


「─…あぁ、着替えてから来いよ」


「はぁい」


 元気な返事を聞いて、そそくさと部屋をあとにした迅は、階段の途中で座り込み、昨日からオカシイ自分に頭をかかえていた。いくら淡い恋心をいだいているとはいえ、その姿を見るだけで、目を見ただけで、なぜ強い風にさらされた薄絹うすぎぬのように心を乱されるのか。彼がその本当の理由を知るのは、おそらく随分ずいぶん先の話になるだろう。


 ウンウンとうなる迅の前に、彼によく似た男性が現れた。漆黒の短めな髪、切れ長い黒目の青年、迅の弟・酒城さかき とおるだ。彼は不思議そうに兄を見上げながら、その後ろを指差して口を開いた。


「兄さん、その人、誰?」


「おやっ!初めましてだね、何でだろ?まぁいっか!僕はねぇ、迅ちゃんのオトモダチ、長谷寺はせでら 紫陽花あじさいだよ、ヨロシクね〜」


「あ、どうも。僕は酒城 透です、この人の弟」


 驚いて後ろを振り返ろうとした迅の両肩にのしかかる様に手をついた長谷寺が、耳触みみざわりのい声で簡潔かんけつな自己紹介を終わらせると、透の自己紹介を聞いてうなずきながら階段を降りていった。


 彼に握手を求められて、それに応じつつ透はカウンターのほうを指差す。そこには一人分の食事が用意されており、長谷寺がテンション高くそちらへ向かうのを見て、透は納得した。普段は兄弟それぞれ、食べたい時に自分のぶんを作って食べるという生活スタイルなので、いつもならこの時間はまだ寝ているハズの兄が、朝から食事を用意していることに疑問をいだいていたからだ。


「いただきまーすっ!」


 喜びに弾けるような声を聞いて、自分が作った訳ではないが取り敢えず[はーい]と返して、それにしても、と透は先ほどのことを思い出していた。兄の様子は明らかに妙だったが、それよりもだ、長谷寺の姿を見た瞬間、透は得体えたいの知れないなにかが一気に全身を駆けめぐっていく感覚におちいった。


 何故なぜなのかと考えてみるが、いま美味おいしそうに朝食を食べている彼を見ても、答えは全く出てこない。ようやく立ち上がった迅を見て、思わず視線を上げると、赤い頬と耳が目に入ってきた。そして何となく、兄が妙に調子を狂わせている原因が分かった。


「兄さん、長谷寺さんのことす─」


 バチンッと音を立てると同時に、迅は脊髄反射を思わせる勢いで透の口をふさいだ。思いっ切り正面から睨みつけられた透は、縦に頷きながら[あ、兄さんだ]と認識して、そこだけは安心する事ができた。チラリと横目で長谷寺の様子を確認した迅は、手を弟の口から離して出掛ける準備を始める。


 ジャケット下に付けている革製のショルダーホルスターを確認して、マガジンを確認している様子は、この辺りではよく見る光景だ。食事を終えて迅の支度したくが終わるのを、のんびり珈琲を飲みながら待っている長谷寺が何処どこの出身かなど分からないが、武装しているように見えない彼は、これを疑問に感じたりしないのかと、透は思ったまま口にしようとした。


「ねぇ長谷寺さん」


「なぁに?」


 彼と初めてしっかり視線が絡んだ瞬間、透は長谷寺がまと異様いような不気味さに息を飲んだ。それはまるで、たった一人真夜中の遊園地に残された子どもになった自分のもとへ、沢山の風船を持ったピエロが、ニタリと気味の悪い笑みを浮かべてやって来る、そんな感覚だった。すぐそこに、決して触れてはならない禁忌きんきが、優しげな微笑びしょうたたえて待ちかまえているような気がした。





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