第9話 白い怪物

「……私は、私はこんなところで終わりはしない。私は賢いんだ。この場を生き延びさえすれば幾らでも再起の道は」

「再起などと妄言甚だしい。貴様の道はここで終わりだ」

「えっ?」


 屋敷の地下道を通って脱出を図っていたパトリスの行く手を冷厳な声が遮った。次の瞬間、パトリスを護衛していた教団戦闘員が、短い悲鳴と共に動かなくなった。


「動くな。余計な動きを見せれば即座に心臓を貫く」

「ひっ……」


 背後を取ったバルテレミー・コクトーが、パトリスの背中に短剣を切っ先を当てた。諜報員であると同時に、有事にはフィエルテの身辺警護も務めるコクトーの戦闘能力を持ってすれば、戦闘員の排除とパトリスの拘束を同時にこなす程度は造作ない。


「ご苦労だった、コクトー」

「あ、あなたは……」


 ランタン片手に正面から歩み寄って来たフィエルテの顔を見て、パトリスの顔から一気に血の気が引いていく。ゼナイドとのやり取りが王子に筒抜けだったことは聞かされていたが、まさか王子自らが罪人確保のために、薄暗い地下道にまで足を運ぶとは思っていなかった。それだけフィエルテは本気だということだ。


「パトリス・ボードレール。私自ら貴様のような小悪党を迎えに来たのだ。この意味が分かるな」

「べ、弁明をお許しください。私は教団に脅されて仕方がな――」

「誰が弁明を許した? 国家反逆の大罪人に弁明の余地が認められると思っているわけではあるまいな?」

「国家反逆罪、この私が?」


「敵対勢力と内通し、王族暗殺計画にも関与していたとなればそれも当然だろう。レーブが実権を握った暁には、見返りに重役の地位でも希望するつもりだったか?だとしたら貴様は相当おめでたい男だな。

 貴様の犯した罪は百度首を落としても足りぬが安心しろ。命は皆平等に一つだけ。死の瞬間は百度は続かぬ」


「お、お待ちを、私が捕まれば、領は、ボードレール領はどうなるのですか!」


「その点は安心しろ。領主の犯した過ちで民が迷惑を被るのなど、理不尽極まりない話しだ。信頼のおける人間を新たな統治者として派遣し、混乱は最小限に収めてみせる。ボードレール領の名も残そう。これは慈悲などではない。貴様ではなく、歴代のボードレール家当主たちの功労に酬いるためだ」


「どうか、どうか私にもご慈悲を……」

「一国の王子が罪人と口をきいてやっているのだ、これ以上の慈悲を望むなど貴様はとことん強欲だな。連れて行け、コクトー」

「承りました」


 必死に泣きわめくパトリスの身柄は、コクトーの手によって連行されていった。


「……兄としては、生前のお前の心にもっと寄り添ってやるべきだったのだろうな。死んでしまってはもう、叱ってやることも、溝を埋めることも出来ない」


 今は亡き末弟に贖罪しゃくざいするかのようにフィエルテは呟く。レーブと教団側とを繋いだ重罪人を捕らえることには成功したが、レーブ自身が過ちを犯したことに変わりはないし、ましてや死んだレーブが帰ってくるわけでもない。パトリス摘発に成功しても留飲は下がらず、虚しさの方が圧倒的に勝っていた。ある意味ではこの瞬間にこそ、フィエルテはレーブの死を本当の意味で実感したのかもしれない。

 

 〇〇〇


「お疲れ様でした、ゼナイド」

「ソレイユ様、この度は私の我儘わがままをお許しくださり、本当にありがとうございました」


 状況が気になっていたのだろう。屋敷の正門にはソレイユが駆けつけていた。微笑みを浮かべて労いの言葉をかけてくれたソレイユに、ゼナイドは深々と頭を下げる。


「我儘だなんてとんでもない。パトリス・ボードレール卿の疑惑はアルカンシエル王国として看過出来ない問題。その摘発に貢献したあなたの行動は称賛に値します。それに、仮にこれが国益には関係しないあなたの個人の事情だったとしても、私は協力を惜しみませんでしたよ」


「ソレイユ様……」


「これからも、迷いや憂いがある時は是非とも私に相談してください。主君として、私はあなたを全力で助けます。だからゼナイドも、未熟な私のことを支えてください。どんなに屈強な戦士であろうとしても、個という単位で出来ることなど限られています。難局は、皆で力を合わせて乗り切っていきましょう」


「はい! ゼナイド・ジルベルスタイン、どこまでソレイユ様と共に参ります」

「頼りにしていますよ、ゼナイド」


 ゼナイドの手を、ソレイユは優しく両手で握った。

 

 〇〇〇


 ――あの女、いつか絶対に殺してやるんだから。


 取り調べの準備が完了するまでの間、アマルティア教団のハルマは全身を拘束され牢へと入れられていた。ゼナイドに落とされた手首には、今後行われる取り調べに影響しないよう、手厚く治療が施されている。

 自害用の魔具はもちろんのこと、身に着けていた全ての物を没収され、現在は罪人に宛がわれる灰色の衣服一枚だ。身体の拘束はもちろんのこと、魔術の発動を防ぐために猿轡さるぐつわを噛まされ、声を発することも出来ない。

 取り調べの準備には、通常の罪人相手よりも時間がかかっている。ハルマは召喚術等を扱う魔術師であり、口頭でのやり取りが必須となる以上、安全に配慮し、室内を魔術を発動しにくい環境に変換する必要があるためだ。


 ――私を殺さなかったことを後悔させてやる。

 

 一切口を割るつもりはないが、今後受けるであろう尋問を思うと、今から屈辱が抑えきれない。いっそのこと自害した方がマシだが、その術も奪われている。今のハルマに出来ることは、自分をこんな目に遭わせた女騎士への呪詛の念をため込むことだけである。


「囚われの同胞ほど哀れなものはありませんね」

「何者――」

「いつの間に――」


 不意に響き渡る若い男性の声。二人の看守が侵入者の存在を認識した瞬間には、すでに喉を素手で引き千切られていた。断末魔も零せぬまま二人の看守は首から血を垂れ流し、膝から崩れ落ちる。

 侵入者は手際よく看守の腰から鍵束を拝借し、ハルマの牢を開錠。血の足跡を伴ってハルマへと歩み寄った。

 侵入者は銀色の長髪と白いロングコート姿(一部返り血で斑模様となっている)が印象的な長身の美男子であった。その顔立ちは、アマルティア教団暗殺部隊の監視役である銀髪の少女、カプノスとよく似ている。

 

 ――本部からの救援? それとも……。


「後者です」

「んんんんん!!――」


 まるで思考を読んだかのように返答すると、銀髪の青年は驚くべきことに、武器も持たぬまま手刀一本でハルマの胸部を刺突。手刀は易々と胸内へと侵入し、猿轡さるぐつわをはめられたハルマは文字通り声にならぬ悲鳴を上げる。銀髪の青年はハルマの胸内で心臓を撫でると、そのまま容赦なく、素手でハルマの心臓を握り潰した。


「心臓が潰れたくらいで死んでしまうなんて、人とは脆いですね」


 ハルマの死体から、潰れた心臓を握ったままの右手を引き抜く。返り血で白いコートに赤色の面積が増えていった。


「おい、何か様子がおかしいぞ」


 物音で異変を察し、数名が牢に駆け付けるも、残されたのは無残に殺された三体の死体のみ。銀髪の青年の姿は影も形もなく、まるで煙のようにその場から消失していた。


 〇〇〇


「お疲れ様でした、カルデア」


 王都の外れの廃屋にて、銀髪の青年カルデアに監視役であるカプノスが接触。狂気的な印象が一転、カルデアは好青年な笑顔をカプノスへ向けた。

 アマルティア教団暗殺部隊の新戦力、カルデア。ニュクスが離脱して以降、クルヴィ司祭がどこかからか連れて来た青年で、その素性の一切が不明である。

 カルデアは驚異的な身体能力を持ち、肉体一つで対象を殺害する。クルヴィ司祭自ら「心臓喰らい」の通り名を与えた暗殺部隊の新たなエースだ。


「内通者の貴族とやらは始末しなくていいの?」

「どうせ大した情報は持っていません。捨て置いて構わないとのクルヴィ司祭の命令です」


 教団側にとってパトリスの存在はすでに無価値。王国側が、大した情報を持たぬパトリスの尋問で余計な時間を消費するなら、始末するよりもその方がよっぽど有意義だと、アマルティア教団暗殺部隊のクルヴィ司祭は考えていた。


「予定がつかえています。次の任務へ向かいますよ」

「了解」


 先の王子暗殺未遂事件で、主力のアントレーネを始めとした人員を失い、ロディアとニュクスという実力者が相次いで離反。残る最強格のエキドナは、教団上層部からの命令で暗殺任務を離れ、要人の護衛に当たっている。人員不足の現状、新参のカルデアにもかなりの数の暗殺任務が与えられていた。


 ――次は何個の心臓を潰せるかな。


 口元に不敵な笑みを浮かべると、カルデアはカプノスに続いて、煙のようにその場から消失した。

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