第4話 テオドール・カントループ

「……ルミエール領のことでソレイユ様が苦心なさっている時に、私が余計な心配をかけてどうするのよ」


 夕刻。この日の仕事を終えたゼナイドは気持ちを切り替えるため、一人で町へと繰り出していた。因縁のある相手の前とはいえ、主君の護衛が動揺を隠しきれないとはあまりにも情けない。ボードレール家のことはもう過去のことだと割り切ったつもりでいたが、想像以上にあの事件はトラウマとして刻まれているようだ。割り切れないのは、あの事件が本当の意味ではまだ解決していないのだと、ゼナイド自身が疑ってやまないからであろう。


「懐かしいな」


 宛てもなく散歩していると、王都の中心に位置する大きな劇場の前へと辿り着いた。先代のボードレール家当主、ゴーチエは観劇が趣味で、公務で王都を訪れた際はよくこの劇場を訪れていた。護衛の騎士としてゼナイドもオドレイらと共に数度訪れたことがある。宛てもなくさまよったつもりが、無意識の内に見知った場所を目指していたようだ。

 

「あの方は」


 見知ったのは馴染みの場所だけではなかった。本日分の公演はすでに終了し、劇場周辺の往来がまばらな中、ゼナイド同様、過去の思い出に浸るように劇場を見上げる老齢の男性が一人。見慣れた執事服ではなく、シャツにスラックス、サスペンダーという軽装ではあるが、元執事長として、背筋のしっかりと伸びた姿勢の良さは未だ健在だ。


「失礼、もしやカントループ執事長でございましょうか?」

「君はゼナイド、ゼナイド・ジルベルスタインか。まさか王都で君と再会することになろうとは」


 声をかけられて初めてゼナイドの存在に気付いたらしい。一瞬、驚きながらもカントループはかつての同僚との再会を喜び、直ぐに温かな笑みを浮かべた。


 テオドール・カントループは、ボードレール家の先々代当主の時代から屋敷に仕えていた最古参の使用人で、当時は執事長の地位にあった。温和な人柄と的確な指導から、同僚や騎士たちはもちろん、主たるボードレール家の人々からも絶大な信頼を寄せられていた。騒動以前から粗暴な態度が目立っていた末弟のルイゾンでさえも、カントループには心を許し、笑顔で爺やと呼び慕っていた程である。


 だが、新たに当主の座についたパトリス・ボードレールは、そんなカントループでさえも、騒動後に容赦なく解任した。


「少し、痩せられましたね」

「よる年波には勝てぬというやつだよ。屋敷を離れてからは隠居していたのだが、趣味を見つけようにも、何をやっても物足りなくてね。私にとってはやはり、執事であることが何物にも代えがたい生き甲斐だったのだろう。一線を退いた今、我ながら老け込んでいるのを感じるよ」


 現役の頃、老齢でありながら誰よりも率先して行動するカントループは、外見以前に内面がとても若々しい印象だった。しかし執事という天職を退いた今、年相応以上に老け込んでしまった印象は否めない。


 生涯現役という言葉がこれほど似合う人はいなかった。屋敷での仕事に精を出している頃のカントループを知るゼナイドは、何ともやるせない気持ちになる。


「少し失礼」

「メモ好きは相変わらずですね」

「私の習慣だからね。懐かしい顔と会えたんだ。記録しておかないと」


 愉快そうに、カントループは手帳にメモ書きを走らせる。

 執事長として屋敷内の些細な変化を感じ取るべく、カントループは小まめにメモを取る習慣を持っていた。職を退いてからもそれは続いているようだ。


「ゼナイド、君は今は?」

「現在は騎士として、ルミエール家のソレイユ・ルミエール様にお仕えしております」

「そうか、今はルミエール家に。世上は聞き及んでいるよ。今はとても大変な時期だろうが、元同僚として、君が騎士としての道を歩み続けていることは素直に喜ばしい。君には覚悟と才があった。あのまま剣を置いてしまうのは勿体ないと思っていたものでね」


「正直、一度は剣を置きかけましたが、ルミエール家と藍閃騎士団のおかげで、私は騎士として再起することが出来ました。ルミエール領は大きな悲劇に見舞われましたが、こんな時だからこそ、ソレイユ様の剣として力強くありたいと、そう強く誓っております」


「良い目をしている。再び良き主君に巡り合えたことを心から祝福するよ。同時に羨ましくもあるがね」


 声色は優しいが、同時に瞳には悲哀の色が見え隠れする。言葉の通り、再び忠義を尽くすべき相手と巡り合えたゼナイドのことを、年甲斐もなく羨ましいとカントループは感じてしまっている。それはある意味で、執事長時代を彷彿とさせる若き内面の一片なのかもしれない。


「ゼナイド。君にはまだボードレール家に対する忠義心は残っているかい?」


「今の私はルミエールの騎士。私の忠義心はソレイユ様だけのものです。ですが、騎士としての私を育んでくれた、ボードレール家への感謝を忘れたことは一度たりともありません。私の騎士としての原点は、間違いなくボードレール家にあるのですから」


「良い答えだ。騎士として、主君は何よりも重んじるべきだからね。あのような出来事があっても、感謝という形で君がボードレール家への温情を残してくれていることを、元執事長として嬉しく思うよ」


「……カントループ様」

「私もね、今でもボードレール家には大恩を感じているよ。屋敷を去った今となっても、ゴーチエ様への忠義は揺るぎない」


 カントループが口にした主君の名はパトリスではなく、先代当主のゴーチエであった。屋敷を解雇されたからと、仕えた屋敷の子息を私怨で恨むような人物ではない。長年屋敷に仕えた執事長がパトリスを当主と認めていない。その意味は大きい。


「……その、三年前の出来事はやはり」

「ルイゾン様は臆病なお方だ。あのような大それた真似を、後ろ盾もなしに計画出来まいよ。何も印象だけで語っているわけではない。屋敷を追われてからも私はあの事件を調べ続けて来た。黒幕は間違いなくパトリス様だよ。君だって薄々感づいてはいただろう?」

「……確信はありませんでしたが、屋敷を離れて以降も疑念は抱き続けていました。オドレイの牢屋の鍵を開けたのが誰だったのかと」

「君とオドレイは実の姉妹のように親しかったね。彼女の犯した罪は許しがたいが、その背景には少なからず同情する。親しい相手を介錯せねばならなかった君の心境にもね」


 自己保身のために全ての罪をオドレイに擦り付けようとしたルイゾンが、態々オドレイを解放する真似をするはずがないし、実際、オドレイが解放されたことでルイゾンは無理心中という形で命を絶たれている。当主ゴーチエも病身と精神的ショックから病床に臥せ、常に主治医が付き添っているような状況。オドレイ解放に関与する余裕など無かった。当時のボードレール家の人間の中で、オドレイを解放する可能性のある人間はパトリス以外には考えられない。愛する者に見限られ、すでに自暴自棄になっていたオドレイに凶器を手渡す。その際にルイゾンがオドレイに吐いた「悪態」の一つでもささやけば、その先どのような悲劇が起きるか想像に難くない。


「ここで君と再会したということは、運命は私の選択を後押ししてくれているということなのだろう」

「……どういう意味ですか?」


 再会した時点で不安は抱いていた。地方のボードレール領在住であるパトリスが貴族会議のために王都を訪れたタイミングで、隠居していた元執事長のカントループまでもが王都入りしている。不穏な気配を感じずにはいられない。


「なに、執事長として最後の仕事を果たそうと思ってね」

「物騒なことをお考えなら、思い留まった方がいい」

「そう心配せずとも、元執事の老骨に大それた真似など出来ぬよ。パトリス様にもお会いするつもりもない」

「……ならば良いのですが」


 刺し違える覚悟で直談判にでも向かうつもりかと焦ったが、武器を隠し持っている素振りもないし、そもそもカントループは争いを好まぬ性分。流石に穿ち過ぎだろうか。


「ゼナイド。君に渡しておきたい物がある」

「これは?」


 カントループが肩掛けの鞄から、銀色の丸いペンダントを取り出した。


「君が屋敷を発った後に見つかったオドレイの私物だよ。大罪人の所持品は全て処分せよとのご命令だったのだが、あの子の遺品が一つ残らず処分されてしまうのは忍びなくてね。丁度私も屋敷を去るタイミングだったから、どさくさ紛れに拝借してきたんだ」

「私が頂いてしまってよろしいのでしょうか?」

「彼女には身寄りが無かった。これを持つにふさわしいのは、あの子が姉のように慕っていた君をおいて他にいないだろう」


 微笑みを浮かべて、カントループはペンダントをゼナイドの手に握らせた。ゼナイドはやや違和感を覚えながらも、オドレイの形見は一つも手元になかったので、最終的には素直にそれを受け取った。


「人と会う約束があるので私はそろそろ行くよ。今日、君に会えて本当に良かった」

「お送り致しましょうか?」

「近場だから大丈夫だよ。機会があれば今度はお茶でもしよう」


 紳士的に一礼すると、カントループは中心街へ続く大通りの雑踏の中へと消えていった。

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