第2話 ボードレール家

 正午過ぎ。ソレイユとゼナイドは王都西部のシャンタル邸を訪れていた。同じく王都貴族会議に出席するリュリュ・ビーンシュトックも同行している。


 王都貴族会議の主催は持ち回りで、今期は王都を代表する名門貴族の一角、シャンタル家がその役目を担っていた。王国騎士団で行われるのが軍議であるのに対し、王都貴族会議の主な役割は権威に絡んだ社交の側面が強い。

 

 ビーンシュトック家を始め、出席者はアルカンシエル王国を代表する名門貴族が大半。影の英雄の逸話が公にされていない以上、一地方貴族に過ぎぬルミエール家では顔ぶれに対して格が劣る。表向きは若い地方貴族にも意見の機会を設け交流を深めたいという王都貴族会議の計らいとされているが、実際には貴族間で様々な思惑が交錯している。


 剣聖けんせいフォルス・ルミエールきょうが全盛期に打ち立てた武功の数々はあまりに有名。民と領地を守るため、最期の瞬間まで剣を振るい続けたその生き様により、彼の存在はより神格化されたといっていい。


 娘であるソレイユもまた、若き女性指揮官として前線で剣を振るう戦乙女であり、その類まれなる美貌もまた強く人心を引き付ける。混迷を極める情勢において勇敢なその姿は一種の象徴アイドル。ソレイユの存在感は王都貴族会の間でも注目の的だ。ソレイユの存在を抱き込み、その影響力をより高めたいと、国の有事にも関わらず権威拡大を考える者は多く、子息との婚姻話を持ち掛けようと画策している者も少なくない。


 聡明なソレイユのこと。自身が有意義な会議のためではなく、がわを期待して招待されたお飾りであることは重々承知しているが、ルミエール領再興の道を模索する現状、中央貴族の反感を買うわけにはいかない。王都貴族会の誘いを無碍には出来ず、こうして出席する運びとなったわけだ。


「慣れない場故に、柄にもなく緊張してしまいますね」

「あなたはあなたらしく振る舞っていればそれでよいのですよ。不躾ぶしつけなお方は私が早々に露払いして差し上げますから」

「心強いです。リュリュさん」


 幸いだったのは親しい間柄であり、ルミエール家の事情についても知るリュリュ・ビーンシュトックが共に参加してくれることだ。武人としては優秀でも、唐突に領主の座を継いだばかりの17歳の少女では、こういった場では経験不足だ。対して、当主である父が王都の財政顧問の重役に集中出来るよう、多忙なビーンシュトック家の公務を一身に引き受けるリュリュは貴族間の処世術にも非常に長けている。王家に次ぐ名門とも言われるビーンシュトック家に強く出られる貴族も少なく、ソレイユにとってこれほど心強い味方はいない。


「失礼、ルミエール家のソレイユ様ですね」


 エントランスでえりを正していたソレイユへ、一人の男性貴族が近づき声をかけた。男性貴族は歳の頃は20代半ばといったところ。当主自ら出席することが習わしとされる貴族会議の場においては、ソレイユ同様にかなり若い部類だ。


 金色の髪を撫でつけた知的な雰囲気で上背もあるが、人懐っこい爽やかな笑みと優しい声色から、とても親しみやすい印象を受ける。天性の素養なのか貴族社会で習得した技術なのか、いずれにせよ、その佇まいは好印象を与えるには十分だ。


 にも関わらず、この場にいる者の中でゼナイドとソレイユだけは、その印象を額面通りに受け取ることが出来ないでいた。


「こうして直接顔を合わせるのは初めてですね、パトリス・ボードレール卿」

「フォルス様のことは残念でした。ボードレール家当主として心よりお悔やみを申し上げます。何か困ったことがありましたらいつでもご相談ください。微力ながら、ルミエール領再興の一助となれれば幸いです」

「お心遣いに感謝致します」


 秘めた不信感は微塵も感じさせず、ソレイユは淑女然しゅくじょぜんとした仕草でパトリスへと応対していく。


 ――どうして、よりにもよってこの方が……。


 当事者故に、ゼナイドはソレイユほど冷静にはなれず、動揺を隠しきれない。しかし、護衛の騎士が理由もなくこの場を立ち去ることも出来ない。このままパトリスが気付かないでくれればと思うが、お互いに視界に入ってしまった時点でそれは難しい。

 

「君はもしや、ゼナイド・ジルベルスタインかい?」


 パトリスの視線がソレイユの後ろに控えるゼナイドと出会う。一瞬、パトリスの表情から笑みが消えるも、直ぐさま再会を祝し、表情に満面の笑みを浮かべた。


「ご無沙汰しております、パトリス様」


 複雑な感情を押し殺し、ゼナイドは凛乎りんことした表情でパトリスへ深々と頭を下げた。かつての主君に礼節を欠くわけにはいかない。粗相そそうをすれば、現在の主君であるソレイユの品位まで疑われてしまう。


「驚いたよ。まさかこのような場所で君と再会するとは。ソレイユ様とご一緒ということは、今はルミエール家に?」

「はい。フォルス様と先代の団長にこの身を拾っていただき、現在は藍閃らんせん騎士団に所属しております」

「そうか、今はルミエール家に。息災で何よりだ」

「パトリス様こそ、ご活躍は伺っております」

「三年前はすまなかったね。長年屋敷に仕えてくれた君達騎士団を、私は感情的に解任してしまった」

「……あのようなことがあったのですから、仕方がありませんよ」


 俯かないと、不意に感情を零してしまいそうだった。あの日の出来事を夢に見てしまった当日ならば尚更だ。


「許してくれとは言わない。だけど、私の感情も理解してほしい。あのような形で大切な家族をうしなったんだ。当時の私は騎士達に不信感を抱かずにはいられなかった。今ではとても後悔しているよ。臣下を失うのは悲しいものだ」

「……どうか、ご自分を責めないください。私は恨んでなどおりませんから」


 ゼナイドはパトリスを恨んでなどいない。だがそれは決して、パトリスに同情しているだとか、パトリスの人柄を評価しているからなどではない。ただ、恨むに足る根拠が足りないだけだ。ゼナイドのパトリスに対する感情は現状、宙に浮いてしまっている。


「君は兄と弟の仇を討ってくれた。今でもとても感謝しているよ」


 ――止めて……そんなことを言わないで。私がどんな思いでオドレイを介錯かいしゃくしたか、何も知らないくせに……。


 ゼナイドが爪が食い込む圧で自身の拳を握り込んでいることをソレイユは見逃さなかった。ゼナイドとパトリスの因縁はソレイユも把握している。これ以上はゼナイドにとって酷だろうと、助け船を出そうと口を開きかけるが、


「パトリス様、シャンタル卿がお呼びですわよ」

「分かった。直ぐに向かうよ」


 付き人らしき黒髪の女性がパトリスを呼びに来たことで、ソレイユが介入せずとも話の流れは途切れた。ゼナイドは内心ホッと息を撫で下ろす。


「パトリス様、そちらの方は?」


 去り際のパトリスに、ゼナイドは純粋な興味で尋ねた。三年前の騒動でボードレール家に仕えていた臣下の大半が解任された。付き人らしき女性の顔にも見覚えはなく、臣下の解任後に新たに迎え入れた人材だと思われる。


「おっと済まない。ボードレール家に仕えてくれていた君には紹介するのが筋というものだね。彼女はハルマ、現在は私の秘書兼護衛を務めてくれている」

「ハルマと申します。以後お見知りおきを」


 艶やかな黒髪を耳にかけ、ハルマが妖艶に微笑んだ。最初は単なる付き人かと思ったが、護衛役というだけあり、その佇まいには隙がない。騒動後、ボードレール家は騎士団に代わり、雇い入れた傭兵団を戦力として使っていると噂されていた。ハルマは間違いなく戦闘畑の人間だろう。


「それではソレイユ様、会議の場でまたお会いしましょう」

「はい。若輩者ゆえ、色々と学ばせて頂ければと存じます」

「ゼナイドもまたね、会議後も私はしばらく王都に滞在しているから、機会があればまたお話ししよう」

「勿体なきお言葉です」


 爽やかな笑みを残すと、パトリスとハルマは一足先にその場を後にした。


「大丈夫でしたか、ゼナイド?」

「……申し訳ありません。騎士ともあろうものが、主君のお心を煩わせてしまって」

「気にしないで。突然のことで驚いたでしょう。私もまさか、出席者の中にボードレール卿がおられるとは思っていなかったから」


 事前に参加者にパトリス・ボードレールがいると分かっていれば、ゼナイドの心境に配慮し、護衛役は別の団員に任せていただろう。例年、ボードレール家が貴族会議に出席していたという話はない。恐らくはソレイユと同様に新鋭の若手貴族として、パトリスも王都貴族会議に招かれたということなのだろう。


「……一介の騎士が不躾ぶしつけを承知で申しますが、どうかパトリス様にはご注意を」


 ソレイユの品位が損なわれぬよう、ゼナイドは周りに聞こえぬようにそっと耳打ち。ゼナイドの心境を理解しているソレイユは短く頷いた。


 三年前、ボードレール家で発生した次期当主の座を巡る骨肉の争い。

 先代当主ゴーチエ・ボードレールが病に伏し、後継者争いが本格化する中、次期当主の筆頭であった長兄アルバンが、ボードレール騎士団の一員、オドレイ・ド・ジェンヌの手により暗殺され、日を置かずに今度は兄弟の中で最も温厚な性格であった三兄アロイスが殺害された。アロイス殺害後に、実行犯であったオドレイの身柄は捕らえられたが、その後彼女は地下牢を抜け出し、恋仲であり、自身に暗殺の指示を下したボードレール家末弟ルイゾンとの無理心中を実行。ルイゾンは死亡し、虫の息だったオドレイも現場に駆け付けたゼナイドによる介錯という形でその生涯を終えた。


 短期間に三人の息子を喪った精神的ショックが追い打ちとなり、先代当主ゴーチエ・ボードレールも、僅か半月後に逝去。結果、兄弟唯一の生き残りである次兄パトリス・ボードレールがボードレール家当主の座へ就くこととなった。当主向きの人間ではないと、自ら早々に後継者争いからの離脱を公言していたパトリスが当主の座に就くという、なんとも皮肉な幕切れとなった。


 しかし、ボードレール家の騒動には色々と不可解な点が残されている。


 結果的に失敗したとはいえ、小心者のルイゾンにあのような大それた計画を立てることが可能であったのか。

 

 厳重に地下牢に幽閉されていたはずのオドレイがどうやって牢を抜け出し、没収されたはずの武器まで手にしたのか。


 いかに後継者候補からの離脱を表明していたとはいえ、何故パトリスだけは命を狙われなかったのか。


 加えて、騎士の一人が暗殺犯となる不祥事があったとはいえ、領主の座に就くなりこれまで尽くして来た臣下の大半を解任するのはやり過ぎではないのか。


 そういった様々な疑念から、ゼナイドを始めとした屋敷の関係者の中では、パトリスこそが真の黒幕であり、末弟であるルイゾンを影で操っていたのではないかという見方が存在する。


 しかし、確固たる証拠もないため、それはあくまでも疑惑の域は出ない。

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