幕間 ゼナイドの章

第1話 ゼナイド・ジルベルスタインの目覚め

「……ゼナ姉、馬鹿な妹で……ごめんね」

「喋らなくていい、もう喋らなくていいから……」


 自刃し、腹部から大量に出血したオドレイ・ド・ジェンヌの瞳はすでに世界を映さず、姉のように慕うゼナイド・ジルベルスタインの存在を声だけで感じ取っていた。


 直ぐ側では、二人の女性騎士が仕えるボードレール家の末弟、ルイゾン・ボードレールが息絶えていた。周辺はおびただしい量の血液で濡れている。うつ伏せ故に表情は定かでないが、悶え苦しんだ末に果てたことは想像に難くない。状況は、オドレイが恋仲でもあったルイゾンと無理心中を計ったことを物語っていた。


「……ゼナ姉……お願い……私を、殺して……もう、一人で終わることも……出来ない」


 大量出血で最早手の施しようがない。手を下そうが下さまいが、オドレイの命の幾何いくばくもなく尽きるだろう。

 

 事の経緯は、ボードレール家当主、ゴーチエ・ボードレールの健康状態を理由に、四人の息子たちによる跡目争いが表面化したことに端を発する。程なく、長兄アルバン、三兄アロイスが立て続けに暗殺されるという悲劇が発生。下手人として捕らえられたのは、末弟ルイゾンの臣下であり恋仲でもあった女性騎士オドレイ・ド・ジェンヌであった。


 オドレイは素直に犯行を認めたが、個人的感情でこのような大罪を犯すとは考えられない。屋敷内の誰もが、兄弟の中で最も自己顕示欲が強いが、能力的には未熟で正攻法では後継者となり得ない、末弟ルイゾンこそが主犯であると確信した。盲目的にルイゾンを恋い慕うオドレイならば、彼の思いに必死に応えようとするのは明白であった。しかし、ルイゾン本人は頑なに関与を否定。オドレイの単独犯であると主張し、恋仲とは思えぬ罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせた。それこそがオドレイがルイゾンに絶望した瞬間だったのだろう。


 決定的な証拠もない状況でボードレール家の子息を拘束するわけにもいかず、結果的にオドレイだけが地下牢へ幽閉され、処遇決定を待つ運びとなった。それが二日前の出来事である。


 しかし、どうやったのかオドレイは鍵の掛かった地下牢を脱出し、愛用の長剣を手に、自らを利用したルイゾンと共に死ぬ決断を下した。


「馬鹿な子……何だってこんなことに……」


 夢見がちな少女ではあったが、まさか愛する男のために、ボードレールの家の他の兄弟達を手にかける暴挙に出るとは夢にも思っていなかった。ルイゾンに利用され、用済みと見なされるや否や、全ての責任を負わされる。哀れとは思うが、オドレイの行為に同情なんてまったく出来ない。


 それでも、実の妹のように可愛がってきたオドレイの死に際を、自業自得と傍観することはゼナイドには出来なかった。このまま放置し苦しませるくらいなら、オドレイの願いに応え、せめて姉代わりとして自分の手で送ってやりたい。


「……分かったよ、オドレイ。私があなたを送ってあげるから」

「ありがとう……ゼナ姉……」

「……本当に、悪い子なんだから」


 涙一つ見せず、ゼナイドは愛用のクレイモアを手に取った。

 ゼナイドの腕なら確実に一撃で殺してくれると確信しているのか、姉代わりであるゼナイドの手で送ってもらえることが幸せだと感じているのか、あるいはその両方か。死の淵にあるオドレイの表情が幾分か穏やかなものとなった。


 可愛い妹分を自らの手で送り出さねばならぬゼナイドの心境を思えば、その表情はある意味で身勝手なものだったに違いない。それでも、そんな傍迷惑な部分も含めてやはり、ゼナイドという女性はオドレイを心から嫌うことは出来なかった。


「……ばいばい、オドレイ」


 仰向けのオドレイの心臓目掛けて、ゼナイドは躊躇ちゅうちょなくクレイモアを突き立てた。

 妹分を介錯かいしゃくした瞬間、気丈さを保てなくなったゼナイドの瞳から大粒の涙が溢れ出し、オドレイの亡骸を濡らしていった。


 〇〇〇


「……夢か」


 意識を覚醒させたゼナイドがベットの上で上体を起こす。目元を抑える右手とシーツを握る左手が無意識の内に震えていた。三年前の出来事を夢に見る回数は減ってきたが、体には今でもオドレイに刃を突き立てた時の感覚が強く残っている。


「名誉の負傷なら良かったんだけどね……」


 ベッドから立ち上がったゼナイドは、姿見の前でガウンを脱ぎ捨て裸身を晒した。背中を鏡へ向けると、ルミエール領戦で負った大きな刃物傷が映し出された。


 騎士として生きると決めた時から負傷はいとわぬ覚悟だったが、目の前でリスをさらわれた際に負ったこの傷は、名誉の負傷とは対極にある。己の覚悟を奮い立たせるように、ゼナイドは背中の傷をその瞳に深く焼き付けていた。指先で触れた瞬間、背中の傷がうずきゼナイドが短く喘ぐ。順調に回復し、先日から訓練にも復帰しているが、これ程大きな傷を負った経験は初めてなので、傷が疼く感覚には未だに慣れない。


 背中の傷は恥ずべき不名誉であると同時に、ゼナイドにとっては強い戒めでもある。もう、妹のような存在をうしなう苦しみを味わうのは御免だ。リスのことだけは何としても助け出す。背中の傷にゼナイドは強く誓っていた。


「今日から復帰なんだ。気合い入れないと」


 両手で頬を張ると、ゼナイドは愛用のブラウスを手に取り身支度を始める。

 本日より正式に、藍閃らんせん騎士団副団長の任を受けることが決まっていた。その最初の仕事として今日は、ソレイユが参加する貴族会議に同行する予定となっている。本来はカジミールの務めなのだが、この日は王国騎士団本部で行われる定例会議と日取りが被ってしまい、カジミールはソレイユの代理としてそちらへ参加だ。


 先日、西部の港町リッドから帰還したファルコからの情報によると、消息不明となっていたニュクスは、影の英雄、宵闇よいやみの双剣使いソフォスの遺産を入手するために独自に行動を開始したとのこと。それに触発され、ソレイユも以前より温めていた、藍閃らんせん剣姫けんきアルジャンテ・ルミエールの刀剣入手計画の概要を詰め、近々王国騎士団上層部へ提案する予定とのこと。


 誰もが新たな戦いに備え行動を開始している。自分も負けてはいられないと、ゼナイドは覚悟を新たにしていた。

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