第41話 捲土重来

 黄昏の騎士団によって町の安全が確認され、教会へ避難していた住民の待機状態も解かれた。人々が続々と帰路へつく中、ニュクス達の帰りを待つイリスやヤスミンは神父らと共に教会へ留まっていた。


「ねえ、イリスさん。一つ聞いてもいいかな?」

「何ですか?」


 状況が落ち着いたことで、ハンナはずっと抱いてた疑問をイリスへ尋ねる決心を固めた。自身にとってもイリスにとっても辛い質問となるだろうが、気持ちの整理をつけるためには避けては通れぬ道だ。


「お父さん、ケビンさんは今?」

「ハンナさん、それは」


 イリスの口からそれを語らせるのは酷だと、ヤスミンが割って入ろうとするが、イリス自身が「大丈夫だから」と言ってヤスミンを制した。


「……お父さんとお母さん、もういないの。私を庇ってルミエール領で」


 両親の死を、イリスが自ら言葉にしたのはこれが初めてであった。悲劇が脳裏を過り声が震えているが、イリスは決してハンナから目を逸らさなかった。言葉にすることで、イリス自身も事実を正面から受け止める覚悟を決めたのだろう。元は逃避目的の旅であったが、見知らぬ地を旅するという経験は、確かに少女の心の傷を癒し、同時に強くもしていた。


「……そう、そうだったのね」


 イリスを前に涙は見せられないと、ハンナは咄嗟に顔を上げた。

 ケビンには命の恩人であると同時に、あの事件が起こる以前から淡い感情を抱く初恋の相手でもあった。


 ケビンの娘であるロディアが、父親であるケビン以外の人間とリッドの町を訪れた時点で嫌な予感はしていた。それでも、他ならぬ娘のイリスから語られた真実はやはり胸に刺さるものがある。


 せめてもう一目だけ会いたかった。

 あれからもう十数年が経つ。今更、恋愛感情に未練はない。

 ただ純粋にもう一度だけ、命を救ってくれたことにお礼が言いたかった。

 改めて感謝の念を伝える間もないまま、ケビンはこの地を去ってしまったから。


「ごめんなさい、イリスさん。辛いお話しをさせてしまって」

「確かに辛いお話しだけど、娘として私にはそれを伝える義務があると思ったから。ハンナさんは私の恩人だよ。ハンナさんが真実を教えてくれたから、私はお父さんを嫌いにならないで済んだ」


 瞳に涙を溜めながらも、ハンナを気遣ってかイリスは気丈に笑っていた。


 幼い少女の優しさと力強さがハンナの中で、正義感溢れるケビンの姿と重なった。親子だけあって、二人は顔立ち以上にその魂がよく似ている。

 自己満足かもしれない。それでもイリスにだったら、この思いを託してもいいのかもしれない。


「イリスさん。私はずっとね、命を救ってくれたケビンさんにもう一度お礼を言いたかったの。代わりに、あなたにそれを伝えてもいいかな」

「うん」

「私はあなたのお父さんに命を救われました。本当に、本当にありがとう」


 ハンナがイリスの体を優しく抱擁ほうようした瞬間が、お互いに我慢の限界だった。

 二人の瞳から止めどなく涙が溢れ出る。

 長年の思いをようやく吐き出せた。

 大好きだった父親に、心からの感謝している人の思いをその身に受け止めた。

 お互いに前へと進むために、この涙はきっと意味のあるものになったはずだ。


 ケビンやハンナの事情を知る神父も思わずもらい泣きをし、ヤスミンは涙は見せずとも、感慨深げに天を仰いでた。イリスの両親、ケビンやパメラの顔を思い浮かべているのかもしれない。


 到着した当初はケビンに対する悪評を耳にした。

 アマルティア教団の襲撃による大混乱も発生した。

 傷心の少女にとってあまりにハードな出来事の連続だ。それでもこの町に滞在した日々は、結果論かもしれないがイリスの成長に繋がった。それだけは紛れもない事実だ。


「二人は、これからどうするの?」

「行き先は分からないけど、私はこれからもニュクスに付いていくよ。色々と悩んだりもしたけど、それだけは譲らないって、我儘わがままになるって、そう決めたから」

「俺もです。ニュクスさんにはまだまだ恩返ししたいし、俺自身が何か新しい目標を見つけるためにも、もっと旅を続けたいから」

「二人とも、彼が大好きなんだね」


 二人が望むのなら、リッドの町への定住を提案しようかと思ったのだが、それは余計なお世話だったようだ。二人は心の底からニュクスを信頼している。どんな場所であれ、そんな相手と一緒にいられるならば、それが一番の幸せに違いない。イリスの願いを受け、リッドの町を救うために戦ってくれたニュクスのことだ。きっと二人を良い方向へと導いてくれる。


「情勢が落ち着いたら、今度はゆっくり観光にでも来て。何時だって大歓迎だから」


 満面の笑みを浮かべて、ハンナはイリスとヤスミンの二人を抱き寄せて頬を寄せた。


 〇〇〇


「少しいいかな?」

「構わない。お前とは一度ゆっくり話をしないといけないと思っていたからな」


 ソキウス号を去り、気持ちを整理すべく町外れの砂浜で一人過ごしていたニュクスの背後から、ファルコが声をかけた。


 話を複雑化させてしまいそうなので、ソキウス号では話題に上げなかったが、ファルコはそもそもニュクスを王都へ連れ戻す、追手としてリッドの町までやってきた身だ。このまま黙って成り行きを見守っているだけではいられない。


「お嬢さんの命を受けて、俺を追いかけて来たんだろう?」

「その通りだ。君の真意を問うた上で、王都へ戻る意思があるのかを確かめるようつかっている。説得に応じぬようなら、実力行使で捕縛も可とのことだ」


 ファルコは普段使いの槍に加え、しっかりと暴竜槍テンペスタも持参している。全盛期ですら分が悪いというのに、片目を失い、戦闘能力が減退している今のニュクスでは実力行使に抗うことは難しい。


「悪いが、俺は王都へ戻るつもりはない。だが、お前と争うのも不本意だ。出来ることなら見逃してもらいたい」

「言葉の真意を聞かせてもらおうか? 単なる逃避ならば問答無用で連れ帰るよ」


 意図は理解した上で、ファルコはニュクス自身の言葉を聞くべく、あえて挑発的に言ってのける。


 王都を離れたきっかけは確かに逃避だったかもしれない。だが、守るために剣を抜き、ロディアについて衝撃的な事実を知った今、彼が王都へ戻れぬ理由はむしろ、逃避とは対極にある。


「最初は本当にただの逃避だったさ。だけど、クレプスからロディアの血筋の話を聞かされた今となっては話しは別だ。俺にはどうしても確かめなくてはいけないことが出来た」


「君達を襲った悲劇についてかい?」

「詳しい事情は知らないだろうに、まったく勘が良い」

 

 そこまで見抜かれていたのかと、ニュクスは素で感心して肩をすくめた。


 ニュクスとロディアの運命を大きく狂わせた盗賊団による襲撃。悲劇には違いないが、隊商が盗賊の襲撃を受けること自体は珍しいことではない。問題なのは、その後の出来事まで含めて、全てがある人物にとって都合よく進んでいった点だ。


「盗賊に囚われた俺とロディアは奴隷商に売られ、俺はそこで暗殺部隊統括責任者のクルヴィ司祭という男に拾われた。アサシンとしての教育を受けた俺にクルヴィ司祭はロディアを救い出す機会を与え、俺はロディアと再会することが出来た。非常な男ではあったが、俺にとっては間違いなく恩人だ……だけど今の俺は、その経緯に疑念を抱かずにはいられない。アマルティア教団の人間の手に、ソフォスの子孫が転がり込むなんてあまりにも出来過ぎている。盗賊団の襲撃の時点から、全て仕組まれていたのではないかと、その可能性を否定出来ない」

「それが事実なら、あまりにも酷い話しだ」


 英雄の血筋の人間を手中に収めることが出来れば、教団側にとってこれほど好都合なことはないだろう。反感を恐れ、心を先に壊すべく、意図的にロディアを醜悪しゅうあくな環境に送り込んだ可能性だってある。ニュクスの奴隷商からの購入。程よい頃合いでのロディアの所在の判明。いかにアマルティア教団に独自の情報網があろうとも、クルヴィ司祭の視点はあまりにも俯瞰ふかんが過ぎる。だがそれも、彼が残酷な運命を紡ぐ戯曲家ぎきょくかであったとするならば辻褄つじつまは合う。


「過去を正当化するつもりなんて毛頭ない。それでも、俺たちがアサシンになるまでの経緯が仕組まれたものである可能性があるなら、俺はそれを許すことは出来ない。一度は逃避した身だが、俺には再び教団と、クルヴィ司祭と対峙する理由が生まれた。


 それにな、戦う理由はそれだけじゃない。逃避しても結局はこの町でも戦渦に巻き込まれた。もはや安全な場所なんて存在しない。逃避先なんて端から存在しないんだと思い知らされたよ。極論だが、真の意味で戦渦を逃れるためにはきっと、戦乱の元を断つ他ないのさ。それが俺なりの、一つの逃避の結論だ」


 ニュクスの心を何より突き動かしたのは、やはりイリスの存在であった。

 自分のように故郷を失う悲しみを他の人には経験してほしくない。優しくて真っ直ぐなイリスの思いを受けた時、イリスの故郷を失わせたままにしてはいけないと思った。故郷を取り戻してあげたい。彼女達の生きる未来に戦渦が存在してはいけないと、そう思った。


「クレプスの言うように、ソフォスの双剣が動乱を終わらせる切り札となることは間違いない。過去と向き合うためにも、俺とロディアはソフォスについての理解を深める必要がある。俺はこのままロディアと共にフォルトゥーナ共和国を目指す。頼む、俺達を見逃してくれないか、ファルコ・ウラガーノ」

「皮肉も言わずに直球勝負とはらしくない。顔を上げなよ」


 茶化した物言いとは裏腹に、ニュクスを見据えるファルコの表情は真剣そのもの。一人の戦士への敬意を払っている。


「目的あっての行動であれば許容もやぶさかではない。これもまた、ソレイユ様のお言葉だよ」

「それじゃあ」

「逃避を続ける臆病者ならばともかく、各個たる信念を持った戦士を引き留めるのは野暮というものだろう」


 温かな眼差しは、戦友の再起を心から祝福しているようであった。


「迷惑ばかりかけて悪いが、もう一つ頼みたいことがある」

「何だい?」

「お嬢さん宛てに手紙をしたためようと思う。届けてもらえるか?」

「もちろんさ。命に代えてもソレイユ様にお届けするよ」

「感謝する、ファルコ・ウラガ―ノ」


 ニュクスの差し出した手をファルコは快く取り、固い握手を結んだ。

 当面は別行動が続くが、目指す方向は同じはずだ。共に肩を並べた戦う日もそう遠くはないだろう。


「今からロディアに決意を伝えてくる。イリス達が心配しているだろうし、教会にも顔を出さないとな」

「イリスちゃんやヤスミンくんのことはどうするつもりだい?」

「もちろん、一緒に連れて行く。あいつらのことは俺が絶対に守る」


 ――守るべきものがある人間は強いね。


 きびすを返したニュクスの背中をファルコは感慨深げに見送る。

 揺るぎない覚悟を宿したニュクスの背中は、初めて出会った頃よりも大きく見えた。


 〇〇〇


「ただいま、イリス」

「ただいま、イリスちゃん」

「お帰りなさい、ニュクス! ロディアお姉ちゃん!」


 港でロディアと合流したニュクスは、イリスとヤスミンが待つ高台の教会へと足を運んだ。激動の一日も黄昏時を迎え、一時の喧騒が嘘のように穏やかな夜が訪れようとしていた。

 無事だとは聞かされていたが、お互いに数時間ぶりの再会に感慨も一入ひとしおだ。勢いよく抱き付いてきたイリスの体を二人並んで受け止めた。


「イリス、ヤスミン、次の目的地が決まったぞ。行き先はフォルトゥーナ共和国だ」


 〇〇〇


「それじゃあ、僕たちは一足先に失礼するよ」


 二日後。ファルコとロブソンは王都への帰路へつこうとしていた。とんぼ返りに近いが、ニュクスの真意を問うという目的は果たせのだし、戦力不足の今、あまり長い間ソレイユの下を離れるわけにいかない。


 見送りにはニュクスやイリス、クレプスクルムといった関係者。神父やハンナといった一部の住民も駆けつけている。イェンス・ヴァン・ロー率いる黄昏の騎士団は新たな事案発生の報を受け、昨日中にプラージュへ帰投。慌ただしい中でも昨日中に別れを済ませ、いずれまた王都へ会おうと再会の約束を交わした。


「ファルコさん、ロブソンさん。助けていただきありがとうございました」

「イリスちゃん、船旅で体調を崩さないように気を付けるんだよ」


 共有した時間こそ少なかったが、ファルコはイリスとも随分と打ち解けた様子だ。目線を合わせ、別れ際に柔らかな握手を交わした。


「ロディアさんも、お気をつけてね」

「心配されなくとも、彼がいるから大丈夫」


 ファルコは終ぞロディアと打ち解けることは出来なかったが、それでも当初のような敵意は感じない。ニュクスを捕らえずに快く送り出してくれたことはもちろん、自身が英雄の血筋と判明したことで、英雄の武器を継承するファルコとの間には奇妙な共通点が出来上がった。内心は色々と複雑だろう。


「お前に会えて良かったよ、ファルコ」

「僕もだよ、ニュクス」


 絆の握手は昨日の内に交わしている。戦友との別れ際には武器による金打きんちょうが相応しいだろうと、ニュクスはククリナイフを、ファルコはテンペスタを合わせ、打ち鳴らした。


「君ならばどんな困難も乗り越えられると確信しているよ。健闘を祈っている」


 感謝と絆をその背に受け、ファルコとロブソンはリッドの町を旅立っていった。


「結局、問い詰めなかったんだな」


 峠を越え、リッドの町が見えなくった頃合いでロブソンが唐突に切り出した。


「何がだい?」

「ヴァネッサのことだよ。あのロディアって子のこと、疑っていたんだろう」

「否定はしないよ。だけど、明確な証拠があるわけではないからね」


 グロワールから護送される際、教団の協力者だったヴァネッサはアマルティア教団暗殺部隊の襲撃を受けて亡くなった。ヴァネッサは鋭利な刃物で首を刎ねられていた。ニュクスと似た剣技を身に着けたロディアに疑いの目を向けたことは紛れもない事実だ。真実を確かめたい衝動は確かに存在したが、滞在中にファルコがその話題を口にすることは終ぞ無かった。


「それにね、実行犯を特定することに大きな意味はないのかもしれない。アサシンとは凶器なんだよ。問題なのは凶器が剣なのか槍なのかの違いじゃない。真に邪悪なのは凶器を振るう者の存在。それはやはり、アマルティア教団という組織そのものを意味すると思うんだ。ヴァネッサの仇を討つには、教団の企みを打ち破る他ない。少なくとも今の僕はそう思っている」


「お前がそう言うのなら俺は構わないよ。俺だってヴァネッサを知らないわけじゃない。教団を倒すことが仇討ちに繋がるというのなら、喜んで協力させてもらうさ」


 二人の傭兵もまた、新たな覚悟を胸に帰路を急ぐ。


 〇〇〇


『――以上の理由から、俺はロディアと共にソフォスの双剣の入手を目指すことにした。お嬢さんには迷惑ばかりかけて申し訳ないが、今しばらく俺の我儘わがままを許してほしい。俺はもう戦いから逃避するような真似はしない。贖罪しゃくざいには程遠いが、俺は動乱の終結を目指すことで少しでも罪滅ぼしをしていきたいと考えている。フォルトゥーナ共和国から帰国したあかつきには、一度お嬢さんの下を訪れることを約束する。その際は腹を割って話し合えたらと思う。一度は出奔しゅっぽんした身の俺に対して怒り心頭だろう。お叱りは甘んじて受ける所存だ。平手なり拳なり、煮るなり焼くなり好きにしてくれ』


 ニュクスの直筆の手紙を受け取ったソレイユは、その文面を見て満たされた表情を浮かべていた。今の彼からは凶器としてではなく、名刀としての覚悟と切れ味を感じさせる。直接言葉を交わせないことは残念だが、彼が再起してくたのならこれ程喜ばしいことはない。出奔にショックを受けたのは事実なので、再会した暁にはお言葉に甘えて、平手と拳くらいは打ち込んでやろうとも思う。それはそれ、これはこれだ。


「嬉しそうですね、ソレイユ様」

「私も彼に負けていられないなと思いまして」


 カジミールの問い掛けにおもてを上げたソレイユは、引き出しに手紙をしまい、入れ替えに父フォルスが残した手記を取り出した。


 悪意ある者の手に渡った場合を想定して文面は一部が暗号化されている。ソレイユとカジミールは執務の合間を縫ってその解読に勤しみ、このほど、藍閃らんせん剣姫けんきアルジャンテが残した刀剣の所在についての情報を解読することに成功した。ソレイユもまた、新たな一歩を踏み出すきっかけを得たのだ。


「それでは、いよいよ進言を?」

「はい。先ずはシエルに事情を話し、理解を得たいと考えています。ニュクスが手紙に記したように、英雄達の遺産は間違いなく動乱終結の鍵となるはずです。使い手足り得るかは分かりませんが、ルミエール家の人間として私もまた、アルジャンテと向き合う時が来たのでしょう」


 瞳に新たな覚悟を宿したソレイユが、その刀剣を名を口にした。


「皆にも伝えておいてください。我ら藍閃らんせん騎士団は今後、アルジャンテの愛刀――盈月刀えいげつとうアムスピラルの入手を目指します」

 



 邪神復活の時が刻々と迫り、戦渦の多発する世界において、英雄の血を引く二人の少女と灰髪の暗殺者は、どのような運命を辿るのだろうか?




 第五章「捲土重来」 了

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