第40話 クラヴィス・プライルードの選択
「パパ? それではロディア様はまさか、ヴィクトル様の?」
感情の
「……ヴィクトル・プライルードは確かにロディアの父親の名前だ。アルテの町を拠点にしていた点も一致している。故あって今はロディアを名乗っているが、彼女は本当の名をクラヴィス・プライルードという」
「それが事実ならばこれ程嬉しいことはございません! まさか命の恩人こそが尋ね人だっただなんて!」
複雑な心境のニュクスとは対照的に、クレプスクルムのテンションはうなぎのぼりだ。相応の覚悟を持って海を渡った身、
「事情にお詳しいようですが、ニュクス様はクラヴィス様とは何時から?」
「俺達の出会いは六年前、アルテの町でだ。俺も元々はフォルトゥーナ共和国の出身で、画商だった俺の父とヴィクトルさんは古くからの友人同士だった。ヴィクトルさんの誘いを受け、父と俺もアルテに移住、以降父はヴィクトルさんの経営のパートナーとなった」
あの頃が一番平和だった。
初恋の相手と夢を語り合い、他愛のない話題で笑い合った。
家族も、多忙とはいえ子供と過ごす時間を大切にする愛情深い人達だった。
そんな人生の最良の日々は、たったの一年で無法者共に壊されてしまったけど。
「ヴィクトル様の消息が途絶えた五年前に、一体何があったのですか?」
「……行商の最中、俺達の隊商が盗賊団の襲撃を受けた。ヴィクトルさんや俺の父は盗賊に殺され、俺や彼女は盗賊に
膝を抱えて俯くロディアの背中を、ニュクスは優しく撫でてやった。
あの時期の出来事はお互いにもう二度と口にはしたくない。
ロディアの心を壊した出来事など、誰かに語り聞かせるつもりもない。
ただ一つ、ヴィクトルは五年前にすでに亡くなっているという事実がクレプスクルムに伝わればそれで十分だろう。
痛々しいロディアの姿を見て、流石のクレプスクルムも二人の過去についてはそれ以上追及しなかった。
「事情は承知いたしましたわ。ヴィクトル様の訃報はいたましいですが、ご息女のクラヴィス様がご健在であられたことは幸いでした。鍵と権利者が出会った。これで私達はソフォス様の遺産へと至ることが出来ます」
「……勝手に話を進めないでよ。パパの家系は大昔の英雄の血筋で、私がその後継者? 意味が分からない。そもそも私はそんな特別な人間じゃ」
ここに来てロディアが初めて自分の言葉で反感を示した。突然、父親の話題を持ち出されて凄惨な過去を思い起こさせられたかと思えば、英雄の系譜だと一方的に持ち上げられる。ロディアの側はまるで理解が追いついていない。
これまでのクレプスクルムの振る舞いを見るに、世間知らず(ロディアも人のことを言えた義理ではないが)かつ、良くも悪くも行動力に溢れている。誤解のままに
「でしたら、お体で確かめてみましょう」
クレプスクルムとて無策でルミエールの地まで足を運んだわけではない。状況証拠だけではなく、その者がソフォスの血を引く者かどうかを、肉体的に確かめる術を用意してきた。クレプスクルムは確かに世間知らずだが、決して思い込みだけで行動する愚か者ではない。
「何をする気?」
「直ぐに済みます。お手を出してください」
意図は読めぬが、諦めがついてくれるならばそれでいいと、ロディアは左腕をクレプスクルムへと差し出した。
クレプスクルムは足元のポーチから、
付属の
「やはり、クラヴィス様はソフォス様の系譜で間違いないようですわね」
「……ふざけてるの? 今ので何が分かったのよ」
「こういうことですわ」
微笑みを浮かべたクレプスクルムが、今度は自身の左手の甲へと金属を押し当てた。その瞬間、白煙が立ち上り接触面が焼けていく。
「分かったから、もう止めておけ」
一向に手を離す気配のないクレプスクルムを見かね、ニュクスが金属を奪い取った。クレプスクルムの手の甲には接触面に軽度の熱傷が生じているが、本人は笑顔のまま表情を変えていない。痛みに耐性があるとかそういう類の話ではない。クレプスクルムという女性は異常なまでに、自身の痛みに対する関心が薄いのだろう。
「今の何よ?」
「カタラクタ商会製の、
「……そういえば、昔パパが」
ニュクスとアザールの町で再会した際に話題に上った、クルヴィ司祭の
「クレプス。プライルードの家の不思議な力は、ソフォスの代から受け継がれるものだと言ったな。つまりそれは、ソフォスの代で初めて発現したものということか?」
ある確信を得たニュクスが、自身の想像をクレプスクルムへと向けた。
「そうなりますわね」
「だとすれば発現のきっかけは、アルジャンテと共に邪神の返り血浴びたことか?」
「ご名答ですわ。お二方の使用した武器は邪神ティモリアの返り血を帯びたことでその性能をより高めと伝わっておりますが、当然その折、お二方は体にも返り血を浴びています。結果身に付いたのが、毒や呪いといった
「もう一人、その体質を持つ人間に心当たりがあったものでな」
ロディアの感情を逆撫でしないよう、あえて名前は口にしなかった。
毒や呪いといった穢れを寄せ付けない特異体質。本人は加護と語っていたが、ソレイユ・ルミエールが宿すその力を、彼女の暗殺を実行しようとした際、ニュクスはその身をもって実感させられた。
アザールの町での予感はやはり当たっていた。ソレイユとロディア、世にも珍しい特異体質を持つ二人の女性にはやはり共通の起源が存在していたのだ。
ソレイユの先祖はアルジャンテ。そしてロディアの先祖がソフォスだというのなら、二人の間には先祖が邪神ティモリアを斬りつけた人物だという共通点が見えてくる。
かつて共に戦場を駈けた戦友の子孫が、今代ではニュクスという存在を因縁として、一度は刃を交えるまでに至った。運命とは何とも皮肉なものだ。
――ロディアがソフォスの、英雄の系譜だとしたら、もしかしたら……。
表情には出さないが、ロディアがソフォスの系譜だと判明したことで、ニュクスはこれまでの人生観を覆されるような大きな衝撃を受けていた。ロディアに対して複雑な感情を抱いたのではない。自分達を襲った運命そのものに、重大な疑念を抱いたのだ。
「クラヴィス様。カタラクタの一族としてあなた様にお願い申し上げます。どうかわたくしと一緒にフォルトゥーナ共和国へ来て頂けないでしょうか?
そう言って、クレプスクルムは、ほとんど初対面であるロディアへと深々と頭を下げた。大商会の令嬢として、人様に頭を下げる機会など皆無だっただろう。それを
「……そんなこと言われたって」
即座に断らない辺り、ロディアも迷いは感じているのだろう。決してもう振り返ることはないと思っていた自身の過去に、新たなルーツが見つかった。混乱しながらも、それをより深く理解したいという思いは少なからずある。だからといって、大昔の英雄の武器を手に自身が動乱に終止符を打つ未来図など、まるで想像がつかない。
迷いが迷いを誘発し、頭の中で情報と感情の処理が追いつかない。
――駄目。私じゃ何も決められない。
ロディアは自分で答えを出すことを諦めた。ロディアには絶対順守の行動原理が存在する。選択から逃避する狡い女だということはロディアも自覚している。それでも、例え自身に関する重大な決定であろうとも。愛するニュクスに決めてもらえないと、優柔不断なロディアは動き出せない。
「……君の意志は私の意志。私がこれからどうするべきなのか、君が決めて。どんな結論でも私は喜んで従うから」
二人の目も
その決断をニュクスに
「……分かったよ。お前の意志は俺が決める。少し考える時間をくれ」
ロディアを安心させるように、ニュクスはその手を優しく撫でた。
クレプスクルムとしては、経緯はどうであれロディアが共に来てくれさえすれば良いと考えているのだろう。ニュクスに選択を委ねるという選択に口を挟むことは無かった。
――相変わらず、君は難儀な人だね。
ただ一人、状況を静観していたファルコだけが、ニュクスに同情するように浅く溜息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます