第35話 リグマ

「……これ程とは、想像以上だ」


 港での攻防戦。先に膝をついたのはマスティオ司祭の方であった。バラ鞭を握る右手は辛うじて健在だが、体は満身創痍。度重なる攻撃を受けた左腕は完全に折れているうえに爆炎による熱傷も深く、すでに機能を失っている。教団戦闘員を一撃で仕留めた爆炎や雷撃を纏った体術を、十発受けてなおも戦い続けた肉体と精神力は驚嘆きょうたんの一言に尽きる。


 相対するクレプスクルムの側も、アマルティア教団の司祭を相手に無傷とはいかない。ボロボロになったケープは脱ぎ捨て、現在はスリットの入ったカジュアルドレス姿。魔術が付与され、有り得ない軌道で襲い掛かる鞭を全てかわし切ることは困難で、体中には衣服ごと裂かれた傷跡が生々しく刻まれている。相当な痛みのはずだが、クレプスクルムは顔色一つ変えず、止めの一撃を叩き込むべく、爆炎を生み出す右の拳を引いた。


「指揮官であるあなたを倒せば、この戦いも終わりますわね」

「……それはどうかな? 確かに私は指揮官だが、だからとって部隊の中で最も強い、というわけではないからね」

「油断でも誘うつもりですか?」

「純然たる事実だよ。私が敗れようとも、それは我々の敗北ではない」

「そうですか、でしたら心置きなく逝ってください――トリア!」


 クレプスクルムは容赦なく拳を突き出し、マスティオ司祭の顔面を一撃、刹那、爆炎が巻き起こりマスティオ司祭の顔の上半分が弾け飛ぶ。死の瞬間にあって、マスティオ司祭は残った口元に不敵な笑みを浮かべていた。その意味をクレプスクルムは自身の体で理解することになる。


「鞭が?」


 最期の瞬間にマスティオ司祭が振るった鞭が、生きた蛇のようにクレプスクルムの両足へと巻き付き束縛した。マスティオ司祭は自身の死さえもクレプスクルムにの動きを止めるための道具として利用したのだ。負傷しているとはえクレプスクルムはまだ継戦能力を残している。使用者を失った鞭の束縛くらい直ぐに脱せられるが、切り札の接近を察していたマスティオ司祭からすれば、一瞬動きを止められるだけで十分だった。


「貴様らが、また私から奪ったのか!」

「早い!」


 血飛沫混ざる爆炎を突っ切って、リグマ神父がクレプスクルムへ肉薄、血走った目でショーテルを振り下ろす。クレプスクルムは咄嗟に後退しようとするも、両足を鞭で縛られ距離を稼げない。振り下ろされた凶刃がクレプスクルムの袈裟切りした。斜めに走った刀傷から血が噴きあがり、クレプスクルムは堪らず片膝を付いた。


「……自身の死をも利用して好機を作り出すとは、迂闊うかつでしたわね」


 なおも気高く、クレプスクルムは痛みに対して一切感情を漏らさない。その姿が、上官を失ったリグマ神父の激情をさらに逆撫でした。リグマ神父は荒々しく左手でクレプスクルムの頭髪を掴み上げ、無理やり顎を上げさせた。


「……ロパロ司祭に続き、マスティオ司祭まで。どうして私はいつも忠義を尽くすべき相手に先立たれてしまうのだ」


 プラージュ侵攻の際、上官であり武術の師でもあったロパロ司祭率いる部隊は、イェンス・ヴァン・ロー率いる黄昏の騎士団との戦闘で壊滅。陽動のために本隊を離れていたリグマ神父だけが生き残り、生き恥を晒したと己を激しく責めた。せめて一矢報いようと特攻寸前だったリグマ神父を諭し、活躍の機会を与えてくれた新たな上官、マスティオ司祭も目の前で討ち死にした。敬愛する二人の恩人の死が、高い戦闘能力を誇るリグマ神父の狂気と復讐心を加速させる。


「許さぬ、絶対に許さぬぞ!」

「これまでの悪行も顧みず、自身は悲劇のヒーロー気取りですか。救いようがありませんね。あなた方が身勝手に奪ってきた命は、恨み言をぶつける権利さえ与えられなかったでしょうに」

「減らず口を、その首刎ね飛ばしてくれる」


 頭髪を掴み上げたまま、リグマ神父はショーテルでクレプスクルムの首を狙うが、


「何?」


 背後から迫る風切り音を感じ取り、リグマ神父は咄嗟に身をひるがえし、ショーテルで二本のダガーナイフを叩き落とす。次の瞬間、悔しさに表情を歪めながら、クレプスクルムの頭髪から左手を離し即座に後退、それまで腕があった位置を、振り下ろされたククリナイフの刀身が通過していく。


「腕の一本ぐらい貰っておきたかったんだがな」

「面倒だからさ、早く死んでよね」


 リグマ神父が顔を上げると、灰髪のククリナイフ使いがクレプスクルムを背に庇っていた。背後には同じくククリナイフを得物とした黒衣の女が、殺意全開で状況に備えている。


「カプトが消えている?」

「ああ、倉庫に隠れていた召喚者共は全員俺らが殺した。残っているはもう、お前と港の戦闘員だけだ」

「……なるほど、ナルキ神父をやったのも貴様たちということか」


 ナルキ神父が生命反応が消えたことはリグマ神父も把握している。町の掌握は困難と考え、マスティオ司祭の援護のために港まで馳せ参じた形だ。結局、マスティオ司祭の下へは間に合わなかったが。


「あなた方は?」

「味方だと思ってくれていい。この町から教団を排除したい気持ちは俺も同じだ。ともかく、詳しい話しは戦いが終わってからだ。今は休んでいろ」


 リグマ神父が軽率に動けぬよう、ニュクスとロディアが前後から睨みを利かせる。その間に、カプトの襲撃が止み、自由が利くようになったソキウス号の船員が船上へとクレプスクルムを運び出してくれた。


「残った幹部はお前だけだ。お前を倒し、全て終わらせる」

「二人がかりでか?」

「卑怯、なんて訴えなら聞くはないぜ」

「滅そうもない。ただ心配しているだけだよ。二人では足りぬではとな」

「大そうな自信家だな」

「作戦はまだ終わっていない。例え私一人になろうとも、任務を遂行してみせる。先ずは邪魔者の排除からだ」


 リグマ神父は天賦てんぷの才を持つ戦いの申し子。戦うことしか出来ず、指揮官としては扱いづらいという理由で現在の地位に留まっているが、凶器としてのリグマ神父は晦冥かいめい騎士にも引けを取らない戦闘能力を発揮する。


 襲撃部隊最強の戦士は冷静沈着で屈強な肉体を持つナルキ神父でも、指揮官であったマスティオ司祭でもない。ただただ戦闘にだけ特化したリグマ神父だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る