第32話 守るために研ぎ澄ませる殺意

「バリケードをもっと強化するぞ! 机でも棚でも、使えそうな物は何でも持って来い!」

「もっと他に武器になりそうな物はないのか?」


 取り巻く状況の変化を受けて、教会に籠城する者達は生きるための行動を開始する。港で働く力自慢たちが率先して大きな家具類を運び、複数個所の出入り口の守りをより強固なものとしていく。一部の者は自衛のために、護身用として持ってきたもりや刃物で武装も開始した。


「皆さんは奥の部屋へ移動を」


 神父の案内を受け、女性や子供や老人、病人や怪我人らが、倉庫として利用されている奥の部屋へ移動を開始した。万が一魔物の教会への侵入を許した場合、少しでも距離を置けるようにとの配慮だ。


 私達も行きましょうと、ハンナがイリスの手を引くが。


「ヤスミンはどうするの?」

「俺は他の人達と一緒に出入り口を守るよ。ニュクスさんと約束したんだ。ニュクスさんが来るまでの間、絶対に持ち堪えてみせる」

「……死なないでね」

「もちろん。これは生きるための戦いだから。さあ、危ないから奥の部屋に行っていて。ハンナさん、イリスちゃんをお願いします」


 後ろ髪ひかれる思いのイリスの背中を優しく押し出し、ヤスミンはイリスをハンナへと預けた。


「坊主、お前も護身用に持っておけ」

「ありがとうございます」


 体格の良い男性からヤスミンは漁業用の銛を受け取った。イリスの前では強がってみたが、今は武者震いと緊張とで、その手は大きく震えていた。


「不安な気持ちは皆同じだ。生きるために、全員で乗り切るぞ」

「はい!」


 男性の言葉に励まされ、ヤスミンは己を鼓舞するかのように力強く頷いた。


「一匹、西側から向かって来たぞ!」

「バリケードが間に合ってない扉を抑え込む。手の空いた奴は全員来い!」

 

 〇〇〇


「まず一人」


 長槍使いが勢いよく刺突し腕が伸び切った瞬間、ロディアは驚異的な反射神経で回避しつつ前進、懐へ潜り込むと、即座にククリナイフで切り上げた。


 長槍使いは喉を切り裂かれ、豪快な血の花を咲かせる。追撃を防ぐべく、ロディアは体全体を使って長槍使いの死体を突き飛ばし、斬りかかろうとしてきた長斧使いの体へとぶつけた。死体を払う動作で行動が遅れ、長斧使いはロディアの隙を突く機会を失う。


「随分と殺し慣れているようだな」

「お互い様でしょ」


 ナルキ神父が片腕で放った強烈な薙ぎ払いを、ロディアはバックステップでやり過ごし、後退しながら毒塗りのダガーナイフを投擲した。掠めるだけで勝敗は決するが。


「一撃で決めようとするなど、せっかち小娘だな」


 ナルキ神父は咄嗟にローブを脱ぎ、それを豪快に振るうことでダガーナイフの軌道を強引に逸らした。黒いローブの中から姿を現したのは、黒いノースリーブのインナーに覆われた筋肉質な肉体だ。


 衣服を使って咄嗟にナイフの軌道をずらす機転といい、魔物との戦闘の様子からダガーナイフに毒物が塗られていることを看破する洞察力といい、油断ならない相手だ。


 アマルティア教団内での地位決定には、指揮能力や年功等も大きく影響する。故に、地位で劣るとはいえ戦闘能力で劣るとは限らないのだ。少なくとも純粋な戦闘能力だけなら、ナルキ神父は下手なアマルティア教団の司祭よりも上であろう。


「しつこい男は嫌われるよ」


 ニュクスのためにも、こんな雑魚に何時までも構っていられない。

 殺意を研ぎ澄まし、ロディアは左手のククリナイフを逆手へと持ち替えた。


 〇〇〇


 ――意識を研ぎ澄ませろ。相手を殺す方法だけを考えるんだ。


 続々と教会へ侵攻するカプトの存在を一切意識から取り除き、ニュクスは目の前のキューマをどう攻略するか、その一点のみに意識を集中させる。我武者羅に攻撃してどうなるものではない。事は一刻を争う。重要なのは手数ではなく攻撃の質だ。


 ――相手は全身を鱗の鎧に覆われている、どこを狙えば致命傷を負わせられる? 魔物といえども、生物的な姿をしている以上、殺せないはずがない。相手は所詮、でかいだけの二足歩行の魚だ。そう魚……。


 一つの突破口を見出し、ニュクスの双眸そうぼうに鋭い殺意が憑依した。

 非情なアサシンとして活動していた頃を彷彿とさせる面構えが蘇る。

 唯一今までと異なっているのは、アサシンとしての技量と殺意を、大切な人達を守るために使おうとしていることだ。


 方向性は定まった。後はそれを実行に移すだけ。

 失敗は許されない。そもそも失敗するはずがない。

 アサシンに目をつけられた時点で、標的の命運はすでに決まっている。


 ニュクスは予備動作無しにダガーナイフをキューマの右目めがけて投擲とうてき。右目を補うあらゆる感覚を研ぎ澄ませて放った一刀は、正確なコースで標的へ向かっていく。


 堪らずキューマは、巨大な右腕でダガーナイフを叩き落とした。全身を硬質な鎧に覆われていようとも、まぶたが存在しない以上、目だけは守りようがない。咄嗟にガードに転じてしまうのは当然の本能だ。


「目を狙われるのは怖いよな」


 左側面から眼帯のアサシンが迫る。キューマはニュクスを叩き潰すべく、左手をハンマーのように振り下ろすも、速度で勝るニュクスの体を捉えることは叶わない。空振りした左腕が力余って地面へめり込んだ。


 左腕が降りたタイミングを見計らい、体のバネを利用して勢いよく跳躍したニュクスはキューマの左肩に着地、右手のククリナイフで攻撃した。狙ったのは左目ではない。頭部と首の境目に存在する大きなえらの内側へ刀身をねじ込み、そのまま力技で鰓を斬り飛ばした。


 目を潰したところで致命傷にはならない。長期戦ならば視覚を奪うことは優位に働くが、今求めているのは短期決戦だ。全身が屈強な鎧に覆われていても、魚の特徴を持ち合わせている以上、呼吸に必要な鰓も当然存在する。内部へ繋がる内側は脆い。


「終わりだ!」


 絶叫を上げたキューマがニュクスを振り下ろそうと藻掻もがくも、ニュクスは攻撃の手を緩めない。鰓を失い、露出した内部へ刀身を突き刺す。そのまま強引に腕ごとねじ込み、刀身はついにキューマの脳にまで到達。いかに全身を頑強な鎧に覆われていようとも、内部から脳を貫かれればどうしようもあるまい。


「こいつ――」


 しかし、驚異的な生命力が最後の悪あがきを見せる。脳を破壊されてなおキューマは本能だけ動き、肩に乗せたニュクスごと目の前の木造の小屋へと倒れ込んだ。小屋を倒壊させた瞬間についに肉体が限界を迎え、キューマの体は黒化、霧散し消滅した。


「最後まで手こずらせてくれる」

 

 肉体の消失により収まる場所を失い、脳に突き刺さっていたククリナイフが落下し甲高い音を立てた。瓦礫がれき土埃つちけむりの中で上体を起こしたニュクスが即座にククリナイフを拾い上げた。左肩を打ち付けてしまったが、潰される前にキューマの肉体が消滅したため重症は負わずに済んだ。


「早く、教会に」


 教会では4体のカプトが教会の扉へと体当たりを繰り返している。間に合ったようだが扉もそろそろ限界が近そうだ。


「えっ?」


 教会へ救援に向かおうと立ち上がった瞬間、絶望を告げる影が猛スピードでニュクスの目の前を通過していった。


 全身を銀色の鱗の鎧で包み込まれた巨体の半魚人、今しがた仕留めたのと同種の魔物、キューマだ。


 迂闊だった。目の前の脅威を排除することに意識を取られ、別個体が新たに出現する可能性を失念していた。新たに出現したキューマは一直線に教会を目指している。あれだけ硬質な巨体が突っ込めば、扉どころか教会が半壊してしまう。そうなればいよいよ、大量のカプトと強靭なキューマによる殺戮の幕が開いてしまう。


 急ぎニュクスは後を追うも、初速のニュクスでは前方にまで回り込めない。苦し紛れにダガーナイフを放つも、硬質な鱗の鎧に無情に弾き返される。


 ――間に合わない。


「やめろろおおおおおおお!」


 僅かな距離感が絶望的に遠い。


 祈りが、悲痛な叫びとなって木霊した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る