第29話 双剣並び立つ
「海から魔物が攻めて来たぞ! みんな早く逃げろ!」
「くそっ、何が起こってやがる!」
「うちの子は、うちの子はどこ!」
「この人を早く医者へ!」
サメの頭部と魚類の特徴を宿した
不幸にも男性の露天商が最初に背後から不意打ちを受け、わけも分からぬまま頭部を無残に噛み砕かれてしまった。露店で買い物をしていた若い女性の買い物客も続けて現れたもう一体に襲われ、咄嗟に回避するも右腕を噛み千切られる重症を負った。周囲の人々がカプトに物を投げるなどして牽制し、何とか女性を引き離すことに成功したが、白昼に突如として発生した魔物の襲撃に市場はパニック状態だ。人々は我先にと高台へと逃げ出していく。運悪く転倒し、後続に踏まれて負傷する者も続出した。
「……リッドには滅多に魔物が出現しないはず。まさかアマルティア教団?」
この日、単独行動を取っていたヤスミンもまた混乱の渦中にいた。
人の波に
そんな彼だからこそ、人々が振り返りもしない、最初の惨劇の方向へと目を向けることも出来たのだろう。
「……お母さんどこ?」
混乱の中で母親と逸れてしまったのか、市場の
後方からは、一体のカプトが少女に狙いを定めている。一斉に大勢が逃げ出したため、最初の襲撃地点周辺からはすでに人が離れつつある。そんな状況下で、負傷した幼子は捕食者にとって格好の獲物だ。
「……俺がやらずに誰がやる」
誰かを守るための力が欲しいと願った。戦うための力は一朝一夕で身に付くものではないが、命を救うための行動に必ずしも戦闘能力が必要とされるわけではない。正義感と、リスクを恐れぬ度胸、そこに小さじ一杯分の幸運があればきっと上手くいく。
「嫌……食べないで……」
後方から迫る捕食者の存在を認識し、少女が声にならぬ悲鳴を上げる。足の怪我に加え、恐怖に
「間に合え!」
恐怖を振り切ったヤスミンが少女目掛けて走る。次の瞬間、カプトが大口開けて少女に襲い掛かったが。
「こ、怖え!」
飛び込んたヤスミンが少女を抱きかかえて地面を滑り、すんでのところで大顎を回避した。しかし、一撃を回避したところで状況は好転しない。捕食者であるカプトからすれば、獲物がもう一体増えただけに過ぎないのだから。
カプトは今度はヤスミンに狙いを定めて大口を開けて噛みついてきた。少女を抱きかかえたままヤスミンは必死に尻で後退る。履いていたブーツのつま先が噛み千切られたが、紙一重で足先は無事だった。
「こっち来るな!」
苦し紛れに、偶然右手に触れた。露店の商品と思われる固いヤシの身をカプトへ投げつける。これが偶然にも口内へ飛び込み、
それでも、尻餅ついた状態から立ち上がるだけの時間は稼げた。足の速さには自信がある。子供一人抱えていようと逃げ切れるはずだ。ヤスミンはカプトと距離を取るべく
「えっ?」
眼前に飛び込んできたのは、こちら目掛けて飛びかかって来た、もう一体のカプトの姿。露天商の遺体を喰らい尽くし、食欲尽きぬまま襲い掛かってきたようだ。最早回避は間に合わない。せめてこの子の命だけでもと、ヤスミンは咄嗟に少女を体全体で庇った。
襲い掛かるであろう激痛に身構えた次の瞬間、辺り一面に鮮血が撒き散らされた。
「かっこいいじゃんミンミン。遅くなってごめんね」
カプトとヤスミンが接触する直前、カプトの首がロディアのククリナイフによって切り落とされた。生存にヤスミン自身が一番驚いているようで、顔中に冷や汗を浮かべたままその場で腰を抜かしてしまった。
「ロディアさん?」
目の前には首を落とされ、すでに消滅が始まっているカプトの死骸が残されているだけ。声がしたはずのロディアの姿はない。
「こっちだよ、ミンミン」
声のした後方を振り返ると、一瞬で距離を詰めたロディアがもう一体のカプトの脳天をククリナイフでかち割っていた。駆けつけてからものの数秒で、ロディアは脅威を排除してしまった。
「……只者じゃないとは思っていましたけど、ロディアさんってこんなに強かったんですね。戦い方がニュクスさんにそっくりだ」
「いいね、もっと褒めて褒めて」
大好きなニュクスと重ねてもらったことにロディアは大そうなご満悦な様子で、剣舞でもするかのように鮮やかに刀剣を血払いする。
空を読まないロディアの陽気さが、死の恐怖を間近に感じたヤスミンにとってはむしろ心地よかった。おかげ様で恐怖の感情が一転、困惑気味な苦笑いへと変わってくれた。
「ロディアさんは凄いです。それに比べて俺は……」
「凄いのはミンミンの方だよ。言ったでしょう、遅くなっちゃってごめんて。ミンミンが頑張ってなかったら、今頃その子は死んでる。その子の命を救ったのは私じゃなくて君だよ」
「俺が救った?」
「周りは誰もが逃げ出していく中、ミンミンはその子を助けるために流れに逆らった。今この瞬間、君は誰よりも勇敢だったと、私がそう保証するよ」
「お兄ちゃん、助けてくれてありがとう」
死の恐怖を感じた時も涙だけは見せなかったのに、腕の中の少女から面と向かってお礼を言われた瞬間、感極まって涙が溢れた。勇敢だったと褒められたことよりも、一人の少女の命を救えたことが何よりも嬉しかった。いつも守られる側の人間だった。だけど今この瞬間だけは、誰かを守れる人間になれた。
「ロディア、ヤスミン、無事か?」
「こっちは大丈夫。イリスちゃんも一緒みたいね。良かった良かった」
程なくして、ニュクス達が市場へと合流した。
ニュクスが不覚を取ることはないと確信していたが、襲撃発生時点で消息不明だったイリスの安否がずっと気がかりだった。ニュクスと手を繋ぐイリスの姿を見て、ロディアは心の底から安堵する。ヤスミンの頑張りやイリスの安否。ニュクスや今は亡き家族以外の人間に、ここまで感情移入したのは初めてのことかもしれない。
「これからどうする?」
「生存者を高台の教会に避難させて、俺とロディアで教会を死守する。付き合ってくれるな?」
「君のお願いとあらば喜んで。これってたぶん、教団の襲撃だよね? 何だったら私が本丸に切り込んで全滅させてこようか?」
「それはあくまでも最終手段だ。戦えるのは俺とお前だけ。戦力を分担する余裕はない。あくまでも防衛を最優先にする。プラージュの戦力が駆けつけるまで持ち堪えればそれで勝ちだ」
「了解。右側は任せてね」
「お前と一緒なら負ける気がしないよ」
残酷な運命によってお互いにアサシンへと墜ちた身。それがまさか、大勢の人達を守るため、肩を並べと戦う日が来るなどとは夢にも思っていなかった。一つの目標に向かって力を合わせる。恋仲にありながら、今までなかなかそういう機会を持てないでいた。緊急時に不謹慎ではあるが、初めての共同作業のようでお互いに悪い気はしなかった。元最強のアサシンと最強の女性アサシン、戦力としてもお互いにこれ程心強い相手はいない。
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