第28話 再起を願う少女の我儘

「……蜥蜴とかげか魚か知らないがお前、何しようとしてるんだよ」


 岩場に鮮血が飛び散る。イリスを庇ったハンナは血を帯びてはいるが、それは全て返り血で、本人に目立った外傷はない。


 二人をかばって割って入ったニュクスの一閃により、魔物は首を落とされ死骸へと成り果てた。分断された姿はまるで、サメと大型の蜥蜴、二種類の生物の死骸が転がっているかのようである。間もなく魔物の死骸は全体が黒化、霧散し消滅した。


 その事実を持って、この魔物は召喚術によって意図的に召喚された存在であると証明された。

 プラージュ方面侵攻は収束したという話だったのに、何故今になってこの小さな港町が襲撃を受けているのか、事情には皆目見当がつかない。ただ一つ確かなのは、襲撃が開始された以上、状況は予断を許さないということだ。


「ニュクス!」

「イリス、怪我はないか?」

「私は大丈夫。ハンナさんは?」

「肝は冷えたけど、私も大丈夫よ。これは全部魔物の血」

「ハンナ? もしや神父の言っていた」


 昨日神父から聞かされた、ケビンに命を救われたという女性の名前と一致する。しかし、今は生憎と事情を説明し合っている余裕はない。


「とにかく、海岸線を離れて町に戻るぞ。襲撃がこの一体だけで終わるはずがない」


 今のは恐らく、たまたま先着した個体。今後、多くの水陸両用の魔物が海岸線から上陸してくる可能性も考えられる。


 ニュクスの判断に従い、イリスとハンナが後に続く。自己紹介もままならぬ状況だったのでハンナはまだニュクスが何者なのかも把握出来ていないが、命を救ってくれたのだし、何よりもイリスが全幅の信頼を寄せている様子。信頼する理由は一先ずそれで十分だ。


「ニュクス、町に戻ったらどうするの?」

「ロディアやヤスミンと合流して町を脱出する。襲撃が本格化していない今の内なら脱出は容易だろう」

「脱出……リッドの町はどうなるの?」

「異変を察したプラージュの勢力が直に鎮圧に乗り出すはずだ。プラージュ侵攻部隊の本隊が壊滅した今、教団側の戦力では太刀打ちできないだろう」

「間に合うの?」

「……とにかく、巻き込まれない内に脱出するぞ。お前やヤスミンをこれ以上危険には晒せない」


 間に合うのかという質問をはぐらかされたことでイリスは全てを悟った。

 ニュクスとて嘘は言っていない。プラージュの戦力が駆けつければ鎮圧は迅速に執り行われるだろう。ただ、駈けつけるまでの間にリッドの町が壊滅していない保証はない。


「駄目!」


 予断を許さない状況であることは理解している。決して足は止めずに、息を切らせながらイリスは言葉を絞り出す。


「町を見捨てて私達だけが逃げるなんて、そんなの駄目だよ!」

「俺はお前の命に責任がある。そもそも俺達は戦渦せんかから逃れるために旅をしているんだ。自分から戦渦に飛び込むなんて本末転倒だろ」


 二人のやり取りを前に、ハンナは複雑な表情を浮かべながらも、口は挟まず静観を続ける。魔物を一撃で切り伏せたことからも、ニュクスが高い戦闘能力を有する人間であることは素人のハンナにも分かった。常駐の戦力を持たぬリッドの町では、どこまで襲撃を持ち堪えられるか分からない。


 本音を言うならば、戦う術を持つニュクスに町の防衛に参加してもらいたい。だけど、余所者の彼にはこの町を救う義理などないし、他所の土地の事情よりも、身内の安全を最優先とする考えも理解出来る。ハンナは説得の言葉を持てなかった。


「……だけど、このままじゃ人が死んじゃうんでしょう?」


 ルミエール領での悲劇を体験しているイリスがその一言を絞り出すためにどれだけ心を痛めたか、それを誰よりも理解しているのはニュクスをおいて他にいない。


「……俺には戦う理由なんて」


 軍属でもなければ正義感に厚いわけでもない。

 世話になったケビンの故郷ではあるが、滞在二日程度の町に愛着もない。

 イリスやヤスミンの安全のためにも、戦闘が激化する前に離脱する必要がある。

 

 戦う理由なんて何もない。

 戦わない理由の方が圧倒的に多いはずなのに。

 少女の言葉はニュクスの心を揺らす。


「……お父さんを悪く言う人達もいる。それで辛い気持ちにもなった。だけど、だからといってお父さんの故郷を見捨てられないよ。ハンナさんみたいにお父さんを理解してくれている人だっている。ニュクスが私を会わせようとしたくらいだし、神父さんもきっと良い人なんだと思う。そういう人達もたくさんいるもの」


「イリス……」


「お父さんの故郷だからってだけじゃないの。ここがお父さんの故郷であるように、多くの人達にとってこの町は故郷だから、それを失わせちゃいけないの。故郷を失う悲しさは私、よく分かるから。そんな思い、もう誰にもしてほしくないから」


 ――我儘わがままは子供の特権なんだから。


 最後に背中を押してくれたのは、昨日、ロディアから投げつけられた厳しくも愛のある言葉だった。


 物分かりのいい、良い子ちゃんは止める。

 自分達だけでも町を脱出しようというニュクスの言葉は絶対に聞いてあげない。


 狡い言い方になってしまう。

 だけど、この状況を斬り抜けられるのはきっとニュクスしかいないはずだから。

 ロディアは我儘を貫き通すことを決めた。


「お願いニュクス、この町を救って! 私には出来ないけど、ニュクスにならきっとそれ出来る。自分に出来ないことを身勝手に押し付けて、我儘なのは分かってる。だけど私、このままは絶対に嫌だ!」


 思いの丈をぶつけられ、先頭を行くニュクスの歩みが止まった。次の瞬間、海岸線から先程と同種の魔物が二体上陸し、ニュクス目掛けてサメの頭部で襲い掛かる。


「イリスが我儘を言うとは珍しい」


 ニュクスは即座に二刀のククリナイフを振り抜き、一体を三枚下ろしに。眼前に迫ったもう一体は素早い左の回し蹴りで応戦。つま先から伸びた仕込み刃が、蹴りの勢いで魔物の首を一刀両断した。


「たまの我儘くらい、聞いてやらないとな」


 イリスの方へと振り向いたニュクスは、どこか吹っ切れた様子で笑っていた。

 

 ――少なくとも私は、守るために剣を振るってきたあなたの姿を知っているつもりです。


 王都でソレイユからかけられた言葉をニュクスは思い出す。

 過去の悪行の罪滅ぼしにはならないが、それでも、誰かを守るための剣を、純粋な少女の願いの下に振るうことが出来るのなら、その戦いにはきっと意味があるはずだ。


「ありがとう、ニュクス」


 大粒の涙を浮かべて抱き付いて来たイリスの頭をニュクスは優しく撫でようとするも、手が返り血を浴びていたので咄嗟に思い留まった。

 思えば、ルミエール領の果樹園でイリス達の命を救った時もこんな感じだったなと、出会って間もない頃のやり取りを思い出す。ほんの数カ月間でここまで状況が変化しようとは、あの頃は夢にも思っていなかった。


「ハンナさんだったな。町で籠城ろうじょうに使えそうな建物はあるか?」

「収容人数や立地を考えれば、使えそうなのは教会かしら」

「なるほど、あの教会か。いいだろう。町に戻ったらあなたにも避難誘導を呼び掛けてもらう。余所者の俺達の言葉より、あなたの言葉の方が届きやすいだろう」

「分かったわ。私も出来る限りのことはさせてもらう」


 教会は大きな建物だし、高台なので海からの魔物の進撃を迎撃するに好都合だ。昨日顔を合わせているので神父に事情の説明もしやすい。


 召喚された魔物に加えて、規模は不明だが教団の戦闘員も暗躍しているはず。  以前より衰えたニュクス一人では事に対処するのは辛いが、今は幸いにもロディアもいる。プラージュから増援が駆けつけるまでの間、籠城する教会をニュクスとロディアの二人で守り抜けば勝機が見出せるはずだ。


「とにかく、先ずはロディア達と合流だ。町へ急ぐぞ」

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