第26話 誤算

「神父さんってどんな感じの人?」

「物腰柔らかいお爺さんって感じかな」


 翌日の正午前。ニュクス、ロディア、イリスの三人は神父を訪ねるべく、高台の教会を目指していた。神父とは昨日の内にお互いに事情を打ち明けている。イリスに対しては、ケビンの暗い過去には触れぬまま、ケビンに関する明るい話題を聞かせてもらう予定だ。


「ヤスミンは何処に行ったの?」

「今日は一人で町を見て回ってみるそうだ」

「ミンミンにしては珍しいね」

「あいつだって男の子だからな。初めての土地を一人で探索してみたい時もあるだろう」


 等とそれっぽいことを言ってはみたが、ヤスミンの心境としては単に一人になる時間が欲しかったというのが正直なところだろう。ヤスミンはまだ、昨日聞いたケビンの過去を完全には消化出来ていない。気持ちを整理する時間が欲しかったのだろう。それをイリスに勘づかれてはいけないと思い、あえて距離を置いた部分もある。


「両手を繋いでもらえるの、何だか嬉しい」


 イリスの右手をニュクスが、左手をロディアが握る形で、三人で手を結んで往来を進んでいく。10歳の少女と17歳の男女の組み合わせは流石に親子には見えずらいが、自然な手の握り方には確かな親愛の情が感じられる。


「おい、あれって昨日の」

「ああ、妙なことを聞いてきた奴か」


 町の中央市場を歩いていると、遠巻きにニュクスの姿を視認した二人の中年男性が話し込み始めた。二人とも昨日、ニュクスがケビンについて聞き込みを行った相手だ。


 悪い予感がしたので、ニュクスは二人と距離を取るようにして進路を変える。意思の疎通の取れたロディアはニュクスの意図を汲んで動きに合わせているが、二人に挟まれたイリスは急な進路変更に困惑気味だ。


「昨日、若い男二人がケビンについて聞き回ってたらしいな」

「今更15年前の人殺しの話なんて持ちだして、どういうつもりなんだか」


 思わぬ誤算に苛立ちを隠しきれず、ニュクスは奥歯を噛みしめる。

 イリスの耳に余計な情報を入れないようにと進路を変えた矢先、よりにもよってケビンについて噂している一団とかち合ってしまった。一団はニュクス達の接近に気づいていなかったらしく、目があった瞬間バツの悪そうな表情を浮かべていた。


「い、行こうぜ」


 苛立ちを露わにロディアが睨み付けると、一団は蜘蛛の子を散らすように去っていった。


 理由はどうあれ、15年前に殺人を犯した男の名前を、見慣れぬ旅人が聞いて回っている。小さな町だ。悪意はなくとも、事情を知る者同士の間でケビンの話題が再燃する可能性は十分に考えられる。王都での失敗をまた繰り返してしまった。デリケートなタイミングに、人の多い場所に近づくべきではなかったのだ。

 

「……ねえ、今の何?」


 イリスに強く手を引かれ、ニュクスとロディアの歩みが止まる。


「……ケビンって、お父さんのことだよね?」


 聞こえぬ筈のない距離感だった。言い訳のしようもない。


「ニュクスは知ってたの?」


 イリスの表情を直視する勇気が持てず、ニュクスは正面を向いたまま無言で頷いた。


「ロディアお姉ちゃんも?」

「彼から事情は聞かされてた……」


 昨日のやり取りを経たからこそ余計に心苦しい。イリスをおもんばかって秘匿を選択したはずが、予期せぬ形での露見という、一番最悪な形でイリスに真実が伝わってしまった。


 歯車は一瞬で狂った。


 そして、事実だと肯定する二人の返答もまた、今のイリスの感情には噛み合わないものだった。真に少女の心を抉ったのは、二人が真実を隠していたことではなく、衝撃的な真実そのものにあるのだから。


「……二人とも、お父さんが人殺しだってことは否定してくれないんだ」


 動揺が、無意識のうちに二人の握力を緩めていた。

 荒々しく手を振り解いたイリスがきびすを返す。振り返り際、涙が透明な線を引いていった。


「待て、イリス!」


 ニュクスの制止を振り切り、イリスはリッドの町の雑踏の中に消えてしまった。華奢な少女の体一つ、人の波は簡単に飲み込んでしまう。


「……くそっ、どうして俺はいつもこう詰めが甘いんだ」

「反省は後。今はイリスちゃんを追わないと」

「分かっている」

「君はそのままイリスちゃんを追いかけて。私は高い所から探してみる」


 感情の切り替えはロディアの方が早い。持ち前の身体能力で近くの一壁を蹴り上げると、軽やかな身のこなしで近くの民家の屋根まで上った。


「……俺達はただ、平穏に過ごしたいだけなのに」


 自分で頬を張って気持ちを切り替えると、ニュクスはイリスを追って雑踏の中へと駈けこんでいく。


 絶対にイリスを見つけ出す。見つけ出して、兄代わりとして今度こそ正面から向き合わないといけない。


 〇〇〇


「ここがアルカンシエル王国」


 フォルトゥーナ共和国籍の商船、ソキウス号がリッド港へと到着した。

 甲板からリッドの町を眺めていた白衣の女性は、異国の地への上陸を控え、心が躍っていた。無論、大切な使命を帯びていることを忘れてはいない。


「船長さん、この度は急がご依頼に応じて頂き、ありがとうございました」

「お得意様からのお願いです。これぐらいはお安い御用というものですよ。間もなく着岸致しますので、下船まで今しばらくお待ちください」


 紳士的に一礼すると、船長は操舵室の船員へとテキパキと指示を飛ばしていく。


「気のせいかしら?」


 港の倉庫付近を黒い人影が過った気がしたが、一瞬で気配が消えてしまった。

 ただの見間違いかと納得し、白衣の女性は快晴の下で大きく伸びをした。

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