第22話 リッドの町
「ここがお父さんの生まれた町なんだね」
夕刻前には、ニュクス一行は港町リッドの土を踏んでいた。
プラージュ港の混乱で寄港先を変えた船も多いのだろう。商船を中心にリッド港には複数の商船が寄港していた。
「港に泊まっている船、かっこいいね。あれは何の船?」
「リッドは軍港ではないし、作りを見るに商船かな。所属は……」
寄港した船に記された、国籍を示す車輪の形をしたエンブレムを見てニュクスは目を細めた。直ぐ後ろに控えるロディアの表情も似たり寄ったりだ。
「あのエンブレムを見るのは久しぶりだね」
「意図的に思い出さないようにしていたからな」
「ニュクス、ロディアお姉ちゃん、どうしたの?」
「いや、何でもない。あれはフォルトゥーナ共和国の商船のようだ」
「フォルトゥーナ共和国?」
「商業が盛んな土地でな。大陸中のあらゆる国と交易をおこなう商業国家だ」
故郷のエンブレムを見るのは随分と久しぶりだ。柄にもなくニュクスもロディアも動揺していた。故郷で過ごした日々には悪い思い出など一つもない。だからこそ、今は戻れぬ幸せな日々を思い出してしまい、故郷の名を素直に懐かしめないでいる。
「もう夕方だ。先ずは宿を取って、せっかくだから夜は外食にしようか」
「うん」
〇〇〇
翌日の午後。昼食を済ませたニュクスとヤスミンは町に繰り出し、イリスの父ケビンの関係者がいないか捜索していた。余計な不安を与えないよう、イリスには当たり障りない理由を説明して、一緒に昼食を取った食堂前で別れた。事情を把握しているロディアが女の子は女の子同士で観光しましょうとイリスをリードしてくれたので、トラブルなく別行動を取ることが出来た。
イリスとロディアの関係も良好で、リッドまでの道中も実の姉妹のように仲睦まじい様子だった。イリスは同性であるロディアに対して、ニュクスに対するものとはまた違った親近感も抱いているのだろう。
何事も起こらないのが一番だが、ロディアは高い戦闘能力も有しているので、身の安全という意味でもイリスを安心して任せられる。
「ヤスミン、そっちはどうだった?」
「それが妙なんですよ。旦那さんの名前と人相を伝えて聞き込みしたら、誰もが一瞬驚いたような顔をするんですけど、次の瞬間には示し合わせたみたいに、知らないと口を揃えるんです」
「俺の方も似たようなものだ。ただ、若い世代は言い淀むでもなく、本当に何も知らない様子だった。察するに、リッドの町に居た頃の旦那さんを知る世代が口を閉ざしているようだな」
「どういうことなんでしょうか?」
「今のところは何とも」
憶測だけで語ることに意味はないので言葉を濁したが、ニュクスには一つの懸念が生まれていた。ケビンの話題(聞き込みをする際は、旧姓であるケビン・メサージュの名で尋ねている)に対する住民の反応には、明らかな拒絶の意志が見える。加えて故郷を離れて以降、一度も故郷に戻ることも、手紙のやり取りさえもすることが無かったケビン。
「事情を知っていそうな場所をつついてみるか」
「というと?」
「
〇〇〇
ニュクスとヤスミンは高台にある、リッドの町唯一の教会を訪れていた。数百年の歴史を持つ教会は町のシンボルの一つであり、長年市井の人々の心と生活に寄り添ってきた場でもある。町の事情というものに、町の長以上に精通しているといっても過言ではない。
「ケビン・メサ―ジュですか。これはまた懐かしい名前を」
「今この町に、ケビンさんのご家族などは?」
「一緒に暮らしていた祖父が13歳の頃に亡くなって以来、彼は
二人を向かい入れてくれた老齢の神父は、ケビンの名に一瞬驚いたものの、拒絶は示さず、ニュクスとヤスミンに着席を促してくれた。
「ケビンは今、どうしておりますか?」
「先日、亡くなりました。先のルミエール領戦での出来事です」
「……そうでしたか。ケビンはルミエール領で」
やりきれない表情で神父は目を伏せた。事情は未だに判然としないが、少なくとも神父個人の心情としてはケビンに同情的なようだ。
「関係者がいるのなら
「……町の方々にも決して悪気があったわけではないのです。ただ、ケビンの存在ごと過去を忘れ去ろうとしたのでしょうな」
「いったい過去に何があったのですか?」
自身もまた心の整理が必要だったのだろう。神父は一呼吸置いてから衝撃的な真実を口にした。
「……15年前。ケビンはこの町で人を
「そんなの嘘だ! あの温厚な旦那さんに限ってそんな」
ヤスミンが感情的に声を荒げ立ち上がった。幼少の頃から知っているいつも笑顔で誰にでも優しかったケビン。そんな彼が殺人などと、到底受け入られる言葉ではない。
「落ち着けヤスミン。人の話は最後まで聞くものだ」
「……すみませんでした」
ニュクスに
「俺からも謝罪する。連れが声を荒げてしまい申し訳ない」
「お気になさらず。それだけケビンは慕われていたということなのでしょう」
神父はヤスミンの
「ケビンがリッドの町を去ったのは15年程前、彼が18歳の頃になります。当時のケビンは港の造船所に務めていました。熱くなりやすい一面こそありましたが、働き者で思いやりもある好青年でしたよ」
「そんな人が、どういった経緯で殺人を?」
「……ケビンは造船所での仕事帰りに、女性が暴漢に襲われている現場に出くわしたのです。正義感溢れるケビンは女性を救うために暴漢に飛びかかりました」
「では、その際に暴漢を?」
「ケビンは女性から暴漢を引き剥がし、取り押さえるつもりだったようです。しかし、武器を隠し持っていた暴漢が想定以上の反撃を見せ、ケビンもやむなく応戦。結果的に彼は暴漢を殺してしまった」
「それでどうして旦那さんが責めらなければならないんですか? 確かに人を殺したかもしれませんが、お話しを聞く分に旦那さんの行為には正当性がある」
ヤスミンの反論は
「行動だけを見れば、確かにケビンには正当性があります。騒ぎを聞きつけ周囲に人が集まり、事の顛末は複数名に目撃されている……最初にケビンに恐怖を抱いたのも、他ならぬその目撃者達でした」
沈痛な面持ちで
「正当性があるとはいえ、暴漢を殺した際のケビンさんの姿が、あまりにも鬼気迫っていた、ということですか?」
「……左様です。先程も申し上げたように、ケビンには熱くなりやすい一面がありました。それが正義感と合わさり歯止めが利かなくなったのでしょう。ケビンは素手で暴漢を殴りつけ、顔の原型が分からなくなるまでその手が止まることはありませんでした。その瞬間だけを切り取れば、ケビンの方こそが
「恐怖を抱いた相手との接し方が分からなくなったと」
「そういうことになるのでしょう。正義感故の行動だったとはいえ、ケビンが激情で人を殺めたという事実は周辺との
多くの修羅場を潜り抜けて来たニュクスはあくまでも冷静に事実を受け止めていたが、一般人でしかないヤスミンは衝撃的な事実をまだ噛み砕けていない様子。それでも、敬愛するケビン・オネットに対する思いも揺るぎない。激情に駆られようとも、その末に人を殺めてしまったとしても、ケビンの行動には私欲はなく、あくまでも誰かを助けるための行為だったのだから。
「……人の感情として、確かに旦那さんとの間に距離が開いてしまうのは仕方がないのかもしれません。だけど、だからといって町から追い出すなんてあんまりですよ」
ヤスミンはようやく自分の言葉を絞り出した。思わず神父に当たってしまった先程とは違う。自主性を重んじて今度はニュクスも口を挟まなかった。
「直接、排他的な行動を取った住民はいません。ケビンは自らの意志で生まれ故郷を離れる決断をしました」
「直接的か間接的かの違いだけで、結局、町の人達が旦那さんを追い出したことに変わりないじゃないですか。そういう空気が出来上がっていたということでしょう?」
「……確かにケビンを
「誰にも何も言わずに町を去ったんですか?」
「……先程あなたが仰ったように、町に漂う空気に耐え切れなかったのでしょう。最後まで守ってやれなかったという意味では私達もまた同罪。ケビンの方がこの町や、そこで生きる私達を見限ったということなのでしょうね」
後悔の念に声を震わせる神父を前に、ヤスミンも押し黙ってしまった。決して神父を責めようとしたわけじゃない。ただ、心の中の疑問を口にしただけのつもりなのに。感情的な言葉は意を介さずに鋭利で、扱いがとても難しい。
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