第19話 今日から私はお姉ちゃん

「……えっと、ニュクスさん。これはいったいどういう状況ですか?」


 翌朝。ニュクスを待っている間に寝落ちしてしまったヤスミンがソファーの上で目覚めると、部屋に戻っていたニュクスが見知らぬ美女と共にいた。加えて美女は、肩が大きく露出した、煽情的せんじょうてきな黒いネグリジェ姿だ。驚きのあまり、寝起きのヤスミンの眠気も一気に冷めてしまった。見知らぬ美女ことロディアは、目の合ったヤスミンに笑顔で手を振っている。


「目覚めたかヤスミン」

「目覚めたか、じゃないですよ」


 ベッドの上のイリスも、窓から差し込む朝日でそろそろ目を覚ます頃だろう。イリスには聞かせにくい話題なので、ヤスミンは小声でニュクスに詰め寄った。


「幾らなんでもイリスちゃんもいるこの部屋に女性と朝帰りはいけませんって。昨晩は鍛錬に行っていたんじゃないですか?」


 夜に部屋を出たニュクスが、朝になったら見知らぬ美女を伴って部屋に戻っていたこの状況。ニュクスはそんな人ではないと思いながらも、ヤスミンは真っ先に大人の夜遊びを疑ってしまった。


「驚くのも当然だがいやらしい事情は無いから落ち着け。経緯はちゃんと説明する」

「……どうしたの?」


 ヤスミンに事情を説明するよりも先にイリスも目を覚ましてしまった。

 重たげなまぶたを擦るイリスの視線の先では丁度、椅子に掛けたロディアが大きく伸びをしていた。

 

「絵の中のお姉さん?」


 イリスの寝起きの第一声はそれだった。イリスとロディアは初対面だが、イリスの側は一方的にではあるがロディアの人相を知っている。ルミエール領滞在中のニュクスにこれまでの旅路で描き留めてきた絵を見せてもらった際、大半が風景画や静物画の中、唯一存在していた美しい黒髪の少女を描いた人物画。大切な人を描いた絵だというニュクスの言葉共々、イリスの記憶に強い印象を残していた。


 目覚めたばかりのイリスにロディアも興味津々のようで、ベッドの縁に腰掛け至近距離まで顔を近づける。


「私のこと、知っているの?」

「うん。前にニュクスが描いた絵の中にお姉さんがいた。大切な人の絵だって」

「そっか、彼がそんなことを。後で私も見せてもらおう」


 二人のやり取りを聞いていたニュクスは、部屋の隅でバツの悪そうな表情を浮かべた。あの絵を描くに至った経緯には色々と複雑な事情がある。幼少期の約束との兼ね合いもあるし、素直に見せてよいものかどうか判断が難しい。


「お姉さんは誰なの?」

「今あなたが言った通りだよ。私はニュクスの大切な人」

「ニュクスの恋人?」

「もっと深い仲かも」

「じゃあ、夫婦?」

「もっと深い仲かも」

「えっと……えっと……これ以上は私には分からないや」


 ぼんやりとした寝起きの表情で必死に考えるイリスの姿が愛らしく、ロディアは思わずイリスのことを抱きしめ、頬ずりまで開始した。突然の出来事に当事者のイリスはもちろん、ヤスミンも絶賛混乱中である。


「やーん、可愛いなイリスちゃんは。ごめんごめん、難しいこと言っちゃって」

「えっと、お姉さん。痛いです」

「ロディア、最初から飛ばし過ぎだ」


 寝起きのイリスがそろそろ混乱を極めそうなので、ニュクスは二人の間に割って入る形で一度距離を取らせた。


「あれ、君も私にギュッとして欲しかった?」

「いや、羨ましくて割って入ったわけじゃないから。イリスが驚いているから、一旦落ち着け」

「イリスちゃんが可愛すぎてつい。イリスちゃん、驚かせちゃってごめんね」

「驚いたけど、嫌な感じはしなかったよ」


 下心など一切なく、それがロディアなりの距離の詰め方なのだと幼いなりに理解していた。人相を予め知っていたことに加え、ニュクスが大切な人だと言い切ったロディアの存在を、イリスは一切警戒していない。


「お姉さん、お名前は?」

「私の名前はクラ、じゃなかった、ロディアだよ。ニュクスがお兄ちゃんなら、今日から私はお姉ちゃん」


 思わず本名を口走りそうになったが、ニュクスとの取決めを思い出し、即座にロディアと言い直した。ニュクスはすでにニュクスという名がイリスやヤスミンに定着しているので今更本名は名乗れない。初対面のロディアは二人に本名を名乗ってもよかったのだが、そうなるとニュクスだけがロディアを本名で呼び、ロディアの方は彼を本名で呼べないというアンバランスな状況になってしまう。自分だけ相手を本当の名前で呼べないのは嫌だとロディアが意地を張ったことで、結局は彼女もロディアの名で通す運びとなった。


「ロディア、お姉ちゃん?」

「うん、素敵な響き」


 満面の笑みを浮かべるロディアに頭を撫でられると、悪い気はしなかったようでイリスは自然とそれを受け入れていた。ニュクスもよく頭を撫でてくれるが、優しい女性の手で頭を撫でてもらうのは久しぶりだ。男性の手と女性の手では、または感じ方が異なる。


「えっとニュクスさん。結局、どういうことなんですか?」


 フリーズ状態からの解凍が進みつつあるヤスミンが、当然の疑問を口にした。

 どういった経緯でニュクスがロディアなる女性を連れて来たのか。未だに状況が飲み込めない。


「改めて紹介しよう、彼女はロディア。俺の幼馴染で、生涯添い遂げると決めた相手でもある。戦渦の混乱でしばらく連絡を取れていなかったんだが、昨晩偶然にもこの町で再会してな」

「紹介に預かりました、生涯も来世もその次も彼と添い遂げることに決めているロディアです。改めてよろしくね」

「えっ、あっ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 人懐っこい笑みでロディアが握手を求め、ヤスミンは目を点にしたまま反射的に応じた。今のところ理解出来たのは、ニュクスとロディアがしっかりと両想いだということだけだ。


「君、ニュクスに憧れているんだったよね?」

「はい。ニュクスさんは俺の憧れです」


 突然の質問に驚きながらも、一貫した思いだったので迷わずに即答した。その反応がロディアも大そう気に入ったようで。


「素晴らしい、見る目がある。そうだよね。彼すっごくかっこよくて憧れちゃうよね。君は将来大物になるぞ。私が保証しちゃう」

「ど、どうも」


 自分のことのように喜び、ロディアは握手したままの手をブンブンと上下させた。


「早くも打ち解けてくれたようで何よりだ」

「これ、打ち解けてるんですかね?」


 悪い人ではなさそうだと理解を示しつつも、今まで出会ったことのないタイプの女性のためヤスミンは若干困惑気味だ。


 かくして、ニュクス一行に元アマルティア教団所属の女性アサシン「纏血てんけつのロディア」が合流した。

 恋仲でもある彼女の加入が後に、此度の大戦に大きな影響を与えることになろうとは、この時は誰も予想していなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る