第16話 人間らしい感情

 月明かりが差し込む町はずれの雑木林で、ニュクスは無心で二刀のククリナイフを振るっていた。小刻み良い風切り音が静寂を裂いていく。


 抜刀、剣速ともにこれまでよりも明らかに遅い。特に視界を失った右手側は視認できない分、キレが失われている感じがする。アサシンとしての鍛錬の中で両利きに矯正していったがニュクスは元は左利き。本来の利き腕でない分、より感覚が掴みにくい。剣を振るってキレを取り戻すだけでなく、右の視界は存在しないものだという感覚を無意識下に刷り込んで行かねば、全盛期の速度へ追いつくことは難しいだろう。


 投擲とうてきに関してはより深刻で、大きい標的のどこかに当てるだけならばともかく、小さい標的を正確に狙い撃つことは困難だ。牽制ならばともかく、攻撃技としての投擲はいちじるしく弱体化している。今後はこれまで以上に接近戦主体の戦闘スタイルが求められることになりそうだ。


「……今更、俺に何の用だ?」


 ククリナイフの切っ先を、ニュクスは闇に包まれた雑木林の奥へと向けた。いかに片方の視力を失おうともアサシンとしての鋭い感覚は未だ健在。何時だって自分の仕事振りを監視し続けていた同僚の気配を覚え漏らすことはない。


「直接言葉を交わすのは王都以来となりますね。もっとも、先のルミエール戦までは一方的に監視させて頂いていましたが」


 雑木林の奥から、長い銀髪とハイネックのコートが印象的な少女――カプノスが姿を現した。以前なら任務の進捗状況を監視する立場のカプノスが接触してくることは珍しくなかったが、ニュクスがアマルティア教団を離反した今となっては話は別だ。教団側からの接触にニュクスの警戒心は強まる。


「司祭の命令で裏切者の俺を始末にでも来たか?」

「今のところ、司祭はそのような命令は出されていませんよ。私の独断であなたに会いに来ました」

「司祭の命令に忠実なお前が独断とは珍しい。別れの挨拶でもしに来たのか?」


 カプノスが独断などという能動を見せたのは恐らくこれが初。元同僚として話くらいは聞いてやろうと、あえて冗談めかして聞き返す。


「あなたの自身の口から聞いてみたかったのです。あなたは何故、クルヴィ司祭に歯向かうような真似をしたのですか?」

「ずっと俺を監視していたんだ。お前もイリスのことは知っているだろう。あの子の命を奪うような命令に俺を従うことなど出来ない」

「司祭から受けた恩と天秤にかける程、あの子の存在は大きいのですか?」


「天秤にかけるまでもないさ。右目を失ったことだって後悔していない。俺を絶望の底からすくい上げてくれたクルヴィ司祭には感謝しているよ。けどな、くさびとかいう支配について知った今となっては、もうあの人に尽くすことなんて出来ない。司祭自身が楔の外れた俺を廃棄すると言ったんだ。色々な意味で潮時だったんだろう」


「なるほど、もう全てが手遅れというわけですね」

「そういうことだ」


 カプノスの反応は相変わらず無表情で言葉に抑揚もない。まるで人形のようなその有り様に、ニュクスに一つの懸念が生じる。


「なあカプノス。お前も楔とやらの支配を受けているのか?」

「いいえ、私は楔の支配を受けてはいませんよ」

「ならば何故、お前はそれ程までに無感情に、人形のようにあの人に尽くす?」

「子が親に尽くすことに、理由が必要でしょう?」

「……親子」


 驚きのあまり、ニュクスもこの時ばかりは二の句を継げなかった。

 曲者揃いの暗殺部隊の中でも、カプノスはその振る舞いと監視役という唯一無二の役職から一際異質な存在であった。それがまさかクルヴィ司祭の娘だったとは。監視役という重要な役どころも、娘という絶対の信頼があったからこそ任せたものなのかもしれない。


「父の命令は私にとって絶対です。父の意にそぐわぬ人間が私は嫌いです」


 幼少期から、クルヴィ司祭の考えが絶対的かつ正しいという認識を植え付けられてきたカプノスは、自身は父でもあるクルヴィ司祭の所有物であるという認識を常識のように持ち合わせている。無感情なのもあるいは、余計な思考を排そうとするクルヴィ司祭の教育の帰結だったのかもしれない。


 どうりで楔の支配など必要ないわけだ。そうあるべきだと幼少期より教育されてきたというのなら、それは楔の支配よりもよっぽど性質たちが悪い。


「嫌いか。お前に敵意を向けられるのは新鮮だな」


 衝撃的な事実を知った直後というのもあるが、無感情ながらも敵意を口にしたカプノスにニュクスは感心していた。独断で父の意にそぐわぬ人間に敵意を表す。表情を変えずとも、それ自体は随分と人間らしい感情だ。


「俺の真意を知った今、お前はこれからどうする?」


「父は手負いのあなた程度、気にも留めていないようですが、長年あなたの任務を観察してきた身として私にはそうは思えません。あなたは将来きっと、父の大きな脅威となる」


「高評価に恐縮だが、俺はもう教団の事情に関わるつもりはない。放っておいてくれるなら、それがお互いのためだと思うが」

「父にとってあなたが些末な存在ならば、ここで私が刈り取ってしまっても問題はないでしょう」


 殺意は感じないが、普段は限りなく気配を消している監視役がこれまでにない存在感を発揮している。それだけで本気度を測るには十分だ。

 カプノスの実力は未知数。武器を扱うのか、それとも魔術の素養があるのか。それすらも定かでないが、クルヴィ司祭の信頼を勝ち得る存在の戦闘能力だ。甘く見ることは出来ない。


「手負いとはいえ俺だって英雄殺しと呼ばれた男だ。首は安くないぞ」


 クルヴィ司祭から教育を施されてきたカプノスの境遇には同情するが、ニュクスとてイリスのためにこんなところで死んではいられない。


 一触即発、両者ともに仕掛けるタイミングを見計らうが。


「……あんたさ。誰に攻撃しようとしているわけ?」


 怒りを押し殺した声と共に、突如カプノス目掛けてダガーナイフが飛来。カプノスは咄嗟に回避するも、刃は微かに頬を掠めて赤い線を引いていった。


「ロディアか?」


 漆黒の闇の中から姿を現した黒衣のロディアが、両者の間に割って入り、ククリナイフの刀身をカプノスの方へと向けた。


「話は後。君を殺そうとする奴は私が殺さないと」


 愛する男の命が狙われたことでロディアは殺意全開だ。

 激しい殺意を向けられたカプノスは無感情のまま、指先で頬の血を拭っている。


貴女あなたまで一緒となれば、流石に分が悪いですね。不本意ですが退散といたしましょう」

「逃がすか!」


 激昂したロディアがククリナイフでカプノスの首を狙う。完璧なコースで刀身が首筋を捉えたかに見えたが、刀身が接触した瞬間、カプノスの姿は陽炎かげろうのように揺らぎ、やがて霧散した。

 煙のように存在が消失する謎めいた監視者カプノス。実体を捉えたかに見えてもそれが虚像だったことなどザラ。こと回避と逃走に関して、カプノスは異次元にいる。


「絶対に殺してやる」

「止めておけロディア。一度姿を眩ませたカプノスは俺らでも探せない」


 追撃しようとするロディアの腕をニュクスが引き寄せる。辺りには気配はもちろん物音一つ聞こえない。ほんの一瞬でカプノスの存在を完全に見失ってしまった。追撃など意味をなさない。これ以上は時間の無駄だ。


 愛するニュクスに引き留められたことで、激昂していたロディアもようやく怒りの矛先を納めた。

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